帰ってからパッパと作る料理のレシピ -23ページ目

帰ってからパッパと作る料理のレシピ

ここに至るまでちょっとだけ苦労はしたかもしれない団体職員。仕事や婚活等ごちゃまぜに綴ります。婚活で捕まえた4歳年下の旦那サンと田舎で暮らしています(´-`)


6月、2025年も半分終わりということで
上半期の振り返りを書いている方が多いですねニコニコキラキラ

私はといえば、新年度早々に
職場の組織改編に忙殺され
GWから彼の家に上がり込みお祝い
私の親に彼を紹介して目
約6.5年住んだアパートの大型家具を売り
粗大ゴミを捨てバイキンくん
今日、アパートの解約立会いが終わり
好きだった街の転出と、新しい市への転入が終わりました。

好きだった街に越してきたのはまだ20代後半の頃。
コロナがあったり、パワハラで退職して派遣社員になったり宇宙人くん
かと思えば公益財団の職員になってみたり泣き笑い

「色々あったな」の色々を一つ一つ紐解くと
長くなってしまうのでまたの機会としますが
私の生きてきた中でもかなり濃い半年だったなと思います。特に親挨拶魂が抜ける

親と険悪でもないですが、温かい家庭というわけでもないので、何話そうかと思ったけど。笑
まあ、適当に喋って乗り切りましたキメてる

父は、私が選んだのなら心配はないと言っていて。
ああそんなふうに思われてたんだなと。
私は自力で大学に進学する事も
上京用のアパートも、就職先、転職、
人生の転換時にあんまり親に相談せずにここまで生きてきました。
私の人生に責任を取るのは私だから。
彼の事も相談ではなく、もう結婚すると伝えてます爆笑

でも私ね。
自分で色んなことを決めてきたけど
この人を選んだ事は、人生で一番素晴らしい選択だと思うよ、お父さん。


大型家具の始末は、ほとんどやってもらいました筋肉
なんか、元彼達は
(といっても2人しかいないが)
私が困ってても肝心の薄い人というか
ナヨナヨというか生活力がないというか…
今思えば
恋愛としては楽しかったけれど、生きていくのは不安な人たちだったな。
恋愛としては楽しかったけれど、肝心な時に向き合えない人たちだった。
好きになれて、一時でも同じ時間を共有できた事は素晴らしかったけれど、合わないピースを無理矢理嵌め込んで、なんとか納得しようとしていた関係だったかもしれないと、今なら思うスライム
だから、一緒になる運命じゃなかったというか…上手く言えないんですが…

結局、自分でなんとかしなきゃいけなくて悲しい
旦那さん(予定)の人は、面倒なことから逃げない人。そこが1番好き。
アパートの解約立会いは私1人だったけど
揉めたら、旦那さん(予定)を連れて来てもう一度仕切り直すって言えば良いって、そう思えるだけで安心。

夫の収入に依存しなきゃ生きていけない
お金のために離婚できないような女にだけはなりたくない、
1人で生きていけるようになりたい、
ってずっと思っていたけど
2人になったら、人と暮らすのは思った以上に楽しかったし、1人が心細くなってしまった。
良いんだか悪いんだか泣き笑い

まだもう少し、
彼の家族にご挨拶などイベントは続きますが
毎日のご飯作りのように
つつがなく頑張っていきたいと思います。

まぁそんな感じです魚しっぽ魚からだ魚あたま魚しっぽ魚の骨魚あたま