前回に引き続き、福井の観光について書いてみます。
8月16日付の福井新聞で、一般市民の「もてなしの心」の醸成が必要だと書いていたのですが、福井の旅先で合った市井の人々はみな親切だった気がします。
道を尋ねれば親切に教えてくれますし、地元の情報もいろいろと教えてくれ、ご自分が知らなければよく知っている近所の人の家まで連れて行ってくれたりもしました。
また、子供達が元気にあいさつしてくれることがあるのですが、都市部に住んでいるとまず経験できないので、けっこううれしかったりします。
「もてなしの心」と言われてしまうとなんとなく大げさになってしまうのですが、この程度のことで十分だったりします。
都市部では、見知らぬ人と会話することはほとんどなく、挨拶どころか目を合わせるこすらありません。
携帯の普及によってその傾向は決定的になったように思いますが、基本的に他者に対して無関心な空間です。
だからこそ、旅先でのちょっとした会話でも彼らにとっては非日常であり、新鮮な驚きと喜びを感じたりするものです。
ただ、人々との触れ合いを求めて観光地を訪れる人はほとんどおらず、それほど期待されているわけでもありません。
せいぜい旅行の思い出に花を添えるぐらいでしょう。
とはいえ、期待されていないからこそちょっとしたことでうれしく思うものであり、良い印象につながるということは覚えておいてよいと思います。
こちらから積極的に声をかける必要もあまりなく、ものを尋ねられたりシャッターを頼まれたりしたときに快く応じてあげて、「どこから来たの」と一声かけるぐらいで十分な気がします。
では、観光地に期待されている事は何かというと、接客マナーになるわけです。
都市部では、見ず知らずの人に声をかけるのがはばかられる空間であり、声をかけても良いと目される人を見つけて声をかけることになります。
道を尋ねるのであれば警察官であったりコンビニの店員だったりするのですが、当然期待値は変わってきます。
コンビニのアルバイトが道を知らなくても誰も怒りませんが、警察官が道を知らなかったり横柄な態度を取られると、かなり不快な思いをしてしまいます。
警察官は道を知っていて当然という思いがあり、それなりにプロフェッショナルな対応が期待されるからです。
商業施設ではその意識がしっかりしており、例えば家電量販店であれば、店員には家電の知識が求められるだけでなく、プロフェッショナルな対応が期待されており、それに応えられる店が勝ち残っていきます。
観光地でもそれは同じであり、接客業に携わる人に求められているのは観光地の知識であり、それなりにプロフェッショナルな対応が期待されています。
福井の対人サービスへの評価が低いのは、そのあたりが理解されていないからのような気がします。
例えばタクシーの場合、タクシー側とすれば客を目的地まで送り届けることが仕事ですが、観光客にとっては地元ならではの情報に精通している人という認識です。
ここで観光客の期待にどれだけ応えられるかが評価の分かれ目で、目的地まで送り届けるという最低限度の仕事だけをしていても、けっして良い評価にはなりません。
観光地の売店の店員も同様で、期待されているのは地元ならではの食べ物や穴場の情報なのですが、その説明の仕方にプロ意識が求められるわけです。
考えておくべきは、一般市民に期待されていることと、接客業に携わる人に期待されていることは、まったく異なるということです。
基本的に、一般市民に期待していることはほとんどないので、ちょっとした親切でも良い印象に残ります。
ところが、接客業に携わる人には、それなりにプロフェッショナルな対応が期待されてしまうため、ちょっとした対応の誤りでも悪印象になってしまいかねません。
往々にしてクレームを言ってくれる人は稀で、自然に客足が離れて閑古鳥が鳴くようになり、さらにモチベーションの低下を招くという悪循環に陥ってしまいます。
福井の観光地を訪れてみて感じるのはこの悪循環であり、おそらく、観光業に携わっている人々がどこに問題があるのか自体が分かっていないように見受けました。
8月16日の福井新聞の論説記事には全面的に同意なのですが、「一般市民のもてなす心」を強調していたので、このあたりが理解されているのかは少々疑問だったりします。
ともあれ、北陸新幹線の敦賀開業までの間に福井の雰囲気を変えられるのかは重要であり、今後も見守っていきたいと思います。