昨日のそのアクシデントの後。


有給の昇華処理をお二人と相談し合い、

来月の仮段階シフトを見せてもらった。


正月開けたらもう10日ほどの勤務だったろうか。


ひとつの実践場所の終わりを感じ退職の準備を建設的(今まででは出来なかったステップ)に進めた。始まりの準備とともに。

いよいよ現実としての終わりを仮シフトで見たのだ。


すると、ある曲が内側から流れていたことに

帰宅途中の風の中でようやく気が付いた。

何の曲が流れているのかにようやく気が付いたのだ。

懐かしくてわからなかった。




時にはなぜか大空に旅してみたくなるものさ。

気球にのってどこまでもいこう。

風にのって

野原をはるか

雲をとびこえ どこまでもいこう。


そこになにかが待っているから。







小学6年生の頃、小学生生活も終わりが近づき、6年間ほぼメンバーの変わることのなかった小さなクラス。担任のピアノに合わせ声を何度も重ねた。


中学生となる新しいステップを迎える好奇心と、なんとも言えない切なさ寂しさ、そして“今“を謳歌する事の気持ちよさ。入り混じって涙ぐむ。



しかし方向はいつだって前なのだ。




気球にのってどこまでも 




魂は祝福しているのだ。

さあ、旅をしようと。




湧くのは、この場所、多くの出会いへの

共に過ごした時間や経験の感謝とよろこび。


ありがとう。