雑学シリーズ | umebociのブログ

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雑学シリーズ

 

スイカの原産地は何処?

「スイカの祖先はアフリカ南部の砂漠に育つカラハリスイカ

果肉はは固く苦いので当時は栄養価の高い種をたべていた

カラハリスイカはエジプトやギリシャに

運ばれて品種改良され世界に広まった

 

スイカは日陰の涼しい所に置けば数週間から

数か月か月は保存出来るのでエジプト人は

水分を彫像為に栽培する様になったと考えられる。」

 

スイカを冷蔵庫で

冷やしてはいけな

「冷蔵庫は温度が低すぎるので長期間入れておくと

果肉の劣化で甘みが失われる一番ベストなのは

食べる3時間前に氷水で冷やせば甘みを失わない。」

 

ビールを飲みながら

スイカを食べると危険

「ビールに含まれるアルコールと利尿作用がある

カルシュウムが多く含まれるスイカを食べると

気ずかないうちに体から水分が

排出されてしまい脱水症になりやすい

 

ちなみにアジア人よりもヨーロッパ人が酒に強いのは

ヨーロッパで昔 備蓄していた麦が発酵し当時は

食糧が十分でなかった状況で食べない訳にいかず

赤ちゃんもビールで煮た様なお粥を毎日

食べさせられて次第に下戸が淘汰されて行き

ほぼ100%の人々が酒に強くなったと推測されている。」

 

雨で中止になった

花火はどうなる?

翌年の花火大火に回されると思ったら

湿気た花火は安全上打ち上げる事が

出来ず解体後に処分される

花火を入れて打ち上げる筒には蓋がないので

 

雨が降ると濡れてしまい上空で開かず落下したり

爆発する危険がある為 二度と使えなくなる

最近の花火は電気で遠隔操作して点火するので

雷の中で使うと誤射の危険があるからだ。」

 

クジラの祖先はラクダだった

「長谷川政美教授(分子進化学)が

遺伝子の本体DNAを調べたらクジラの祖先は

ラクダの祖先から分かれた

可能性が高いという結論に達した

クジラは水位圧に耐える為に皮下脂肪が厚くなり

 

骨格を緩める事で巨大化していったその為

陸に打ち上げられると100トンの体重を支える事が

出来なくなり肺などの重要な器官が

押しつぶされ僅か数分しか生きられない。」

 

 

日本初の

盲導犬チャンピイ

『昭和23年日本は敗戦から立ち上がろうとしていた

ラジオメーカに努める技術者「塩屋健賢一」は

東京練馬で一軒家を手に入れ新妻と暮らしていた

 

所が出勤した塩屋は立ち尽くした工場はもぬけの殻

社長は夜逃げ倒産だった

そして塩屋の体に異変が起きていた

塩屋は多量に血を吐いた

診断は結核で肺はボロボロになっていた

 

その頃同じ東京に住む「河相迾」(18)は慶応大学に進み

希望に溢れていたある日突然黒い球が見えた

病名は「滲出網膜症」間もなく光を失い大学を中退

 

ある日3歳の姪に手を引かれ表に出た

幼い姪は先に帰ると去ってしまった河相は一歩も進めず

立ちすくんだ慌てて姉が来たがそこは家の側だった

「僕はもう駄目だ!」

と家に籠る様になってしまう

 

そのころ職を探していた塩屋は町で戦後成金や占領兵士が

犬を連れて歩く姿を見て

「そうだ犬の躾なら

務めなくても出来る」

あっちこっち回り仕事をもらった預かった犬に

お座りや伏せを教える事が

犬好きの塩屋にとって楽しかった

 

しかしある日 常連客呼ばれ田園調布の豪邸に行った

常連客は新しい犬を渡し塩屋に言った

「前の犬は飽きたので人にやった

今度は此奴に芸を仕込め」

塩屋は金持ちの道楽の片棒を担いで

生活する事に虚しさを感じ嫌になった

 

数日後犬の専門誌を読んでいると欧米で

活躍する盲導犬を知った当時日本には盲導犬がいなかった

駅では盲人の転落事故が相次ぎ

「犬は信用できない妻が手を引け」の特集記事を目にした

屋は「それなら自分が

盲導犬を育ててやろう」とトンデモ無い

行動に出た目隠して

愛犬のアスターと通りに出た

「何やっているんだ!」

と嘲ける声が聞こえたその時だっ塩屋は

ドブに落ちたさらに今度はひさしに頭をぶつけ

闇の恐ろしさを知ったしかし盲人に

何が必要か知ろと

夜寝る以外は1か月間目隠しを外さなかった

 

ある日一通のハガキが届いた

18歳で失明したあの河相からだった

 

直に家を訪ねると河相は

「アメリカ人の知り合いから貰った

生後9か月の犬がいるんです」

連れて来たのはシェパード名前はチャンピイ

塩屋は思った自分を必要とする人がいる

この犬を育てれば自分の人生も変わる

 

致命的欠陥

勝手気ままなチャンピイに塩屋は頭を抱えた

お前の命令は聞かないぞと「お座り!』

と命令するとあくびをした

 

胴輪ハーネスを付け様とすると嫌がって後ずさりした

そしてとんでもない事件が起きた

まだ1歳のチャンピイが客から預かった

 

大型のシェパードになんと喧嘩を仕掛けた

その瞬間!

塩屋は目が点になった

チャンピイは大型犬の耳に

深手を負わせ勝ってしまったのだ

 

気性が激しく喧嘩を仕掛けるなど盲導犬として

論外の致命的な欠陥に目の前が真っ暗になった

その頃 幼馴染の玲子から結婚申し込まれ結婚した

河相は苦心の末東京から遠く離れた

彦根の盲学校の英語教師になった

登校の日 河相は一人で行くと学校に向かう

 

しかし闇を歩く感覚がない河相はひさし、電柱に頭をぶつけ

メガを壊しシャツは血だらけになって帰宅すると

妻はその姿に腰を抜かした

 

間もなく琵琶湖に遠足行く事になった片道2キロ

引率どころか生徒に縋るし無く自由に生徒を歩かせて

やれない悔しさに縋る思いで電話した

 

「チャンピイはいつ

盲導犬になるのでしょうか?」

その言葉に

塩屋は結核で将来をふさがれた自分の

絶望感がよみがえり痛いほど河相の思いが分かった

 

その思いに応え様と厳しい訓練が始まる

座れ!進め!どやしつけ服従するまで叱る

チャンピイは塩屋を見ると怯え従う様になった

 

横断歩道で塩屋は目隠し車の音を

確認すると進め!と命令した

チャピイは

とぼとぼ歩き始めた

その瞬間!

急いで曲がった

車に轢かれそうになった

塩屋は目隠しを外しチャンピイを睨みつけると

「命令に従っただけです

と怯えた目に恐ろしい事に気付く

「盲導犬は命令に背いても

自分の意志で判断しなければ

飼い主の命は守れない」

しかしそんな事を教えれるだろうか塩屋は愕然とした

 

その夜塩屋は大量の血を吐いた再び結核が襲う!

相変わらずチャンピイの喧嘩は止まず

諦め様と思ったそんなある日

盲学校の教師大内三郎が訪ね来た

 

彼はホームで2度落ち死にかけた絶望の中で

盲導犬の取り組みを知り会うなり

「あなたは全国に居る

盲人に希望を与えています」

「私にもいつか

盲導犬を育ててください」

その言葉に塩屋は胸が熱くなった

訓練再開

訓練を再開すると妻が

「少しは自分の体の事も考えなさい!」

 

「俺の好きにやらせろ!」

とけんかになった愛犬アスターが2人を引き離そうとした

 

それでも止めない2人にアスターは悲しそうに外に出た

しばらくして近所に住む塩屋の父親を連れて戻ってきた

2人は思わず顔を見合わせ妻がアスターを褒めた

「お前は本当に賢いね」塩屋はハッとした

 

俺は今までチャンピイを心の底から

褒めた事があっただろうか。。。

犬小屋からチャンピイを

居間に上げ常に側に置き生活共にした

 

座れ!が出来ただけでも

思いっきり褒めた頭をなでると嬉しそうに

シッポしっぽを振り喧嘩もしなくなった

 

日本初の盲導犬の誕生

自分で判断する能力を

身に着けさせる為に仲間の運転する車に

命懸けで飛び込み繰り返し車の恐ろしさを教え込んだ

その塩屋の体は傷だらけになった

昭和32年 彦根から河相を呼び出して

 

「チャンピイと郵便局に

行って来てください」

その言葉に凍り付いた河相

そのコースはかつて自宅から大学通った

道坂道、階段、車が行きかう大通り1人で行く事を諦めた道だ

「必ず出来ます!」

塩屋の声に押されて歩き出した最初の難関が近付く

急こうばいの47階段チャンピイが止まり伝えて来る

「階段です」

一歩2歩とゆっくりおりていく

塩屋は「郵便局に無事についてくれ」

「必ず戻ってきてくれ」と祈りながら待つ

試練に挑む河相の耳に車のけたたましい

エンジンの音が聞こえる

 

車が激しく行きかう難関池田通りを渡らなければならない

進め!と命令したがチャンピイは動かなかった

ジーっと車の流れを見極めていた一瞬

車の流れが途切れた

チャンピイのハーネスが力強く

河相の手を引っ張り見事に渡り切った

 

1時間後 玄関先に

チャンピイと河相が立っていた

その左手には1円切手20枚が握られていた

それは日本初の盲導犬が

誕生した瞬間であった

河相はチャンピイを連れて彦根に戻った

授業中物音ひとつ立てないチャンピイ

 

河相は生徒に琵琶湖に行こうといった

かつて生徒に縋って

歩いた道を子供達の歓声を聞きながら

チャンピイに話しかける

「これからはお前と何処にでも行けるね」

 

ある日の事だった学校へ行く途中唸り声が聞こえた

大型の秋田犬がチャンピイの

左足にかみついた!

あの直ぐ喧嘩を仕掛けるチャンピイは河相さんを

守る為に反撃もせず血を流しながらじっと耐えた

 

昭和42年8月河相さんは東京へ出張する事になったが

列車に犬は乗れない年老いたチャンピイは

河相さんの手をなめて見送った

 

その夜チャンピイが死んだとの連絡が入り

その知らせに11年間共に過ごした日々が

よみがえり河相さんは声を上げて泣いた

どうしても伝えたい言葉

ありがとうは今も

チャピイの墓に刻まれている。』

 

犬は人が喜べば自分の事の様に喜び悲しんでいれば

側により沿い悲しむ共感する能力が

人間との絆を深くしている

 

盲導犬の訓練書もない当時

盲導犬を育て上げられたのは

この共感する能力だったのかも知れない

 

縄文遺跡から犬の骨に

治療痕があることが確認されている

縄文人は犬が狩猟犬として使えなくとも見捨てず

その絆ゆえエサを与えていたのではないだろうか

 

人にも本質的に

人の為に尽くす喜び

というものを持っている

人の為に腹を決めて

全てをかけてやる時 協力者が現れ

通常では思いつかない力を発揮する

 

ソウル・パラリンピックで選手達と

一緒に日本の盲導犬が行進した時

 

会場の人々から大きな拍手が沸き上がった

その後これをきっかけに

盲導犬がいなかった

 

アジア各地で盲導犬が育て上げられた

一人一人は微力であっても喜びを共感し

人の為に尽くす事は世界を変える事が

出来るのでないだろうか。。。