雑学シリーズ | umebociのブログ

umebociのブログ

ブログの説明を入力します。

雑学シリーズ

年賀状の歴史

日本最古の年賀状は平安時代の学者「藤原明衛」の

文例集にある「春の初めの御悦び

貴方に向かって先ず祝い申し候」だった

江戸時代になると書状で挨拶する事が増えていき

 

飛脚が届けたり不在時でも

困らない様に玄関に「名刺受」を設置していた

明治4年の郵便制度をきっかけに年賀状が一般に広く広まり

 

明治20年には年賀状が激増して元旦を狙って投函する人が増え

郵便局員は不休不眠で消印作業に当たり

作業担当者の右手は豆が膨れるほどだった。

 

暖房の効かせすぎに注意

人間にとって最適な温度を調べる実験が行われた

男女4人を無風状態で室温20度から2度刻みで

変えて見たこの時に水着と衣服を

 

付けた場合について1月と8月に分けて実験した結果

体のエネルギー消費量が最高になったのは水着の24度

衣服の22度この温度から上げても下げてもエネルギーの

消費量が多くなるこの事から厳冬の日には

あまり暖房を利かせすぎるのは健康によくない

 

太陽が好きな

陽木と嫌いな陰木がある

森が出来る間には強い光や風に負けずに成長する「陽木」が

育つ「陽木」は早く大きくなり実を沢山つけて増えていく

平地ではアカマツ、山地ではカラマツなど

 

そしてうっそうと茂って林の中が暗くなってくるとブナやトドマツ

シイなどの「陰木」が延びてくるこうして「陽」木だった林は

何百年もかけて「陰木」と入れ替わり森が形成される

 

因みに太陽活動が活発になると病人が増える

地球は大きな磁石の様なもので一定の磁気持っているそれが

太陽によって乱される事がある太陽黒点は

 

大きな磁力を持っているので爆発が起きると地球の磁場が

大きく乱れ磁気嵐が起り人間にも影響を与え

心臓麻痺、高血圧、心筋梗塞など心臓や血管に

病気を持っている人は悪化する恐れがある。

 

 

義烈空挺隊の真実

沖縄戦が始まり沖縄本島の北飛行場(読谷)中飛行場(嘉手納)が

米軍に占領さ特攻機が撃墜される様になったそこで

占領されている飛行場を急襲して米軍戦闘機や施設を破壊し

 

飛行場が麻痺している間に日本陸海軍が

一斉に米艦隊に攻撃を仕掛ける作戦が立てられた

 

そして「奥山隊長」率いる空挺部隊と「諏訪部隊長」率いる

飛行部隊の計168名の「義烈空挺隊」が組織された

 

その攻撃は大、中の敵機には

同体に帯状の爆薬を仕掛けるか

柄付きの爆薬を主翼の下に吸着させ破壊する

小型機には手榴弾を

投げ込み破壊するというものである

 

そして激しい訓練が始まったその中で温厚な「藤波」カメラマンは

誰からも好かれ隊員達は様々な遺品を預けた

 

従軍記者の証言

従軍カメラマンの「藤波次郎」と演出家の「大峯淑生」は

空挺隊員達と寝食を共にした

大峯氏

「米軍のレーダに探知されないように海面30メートルを飛ぶ訓練を

初めて見したが海面スレスレでした隊員は体中に爆薬を巻き付け

胴体着陸したら敵の飛行機を一機ずつ潰して歩く作戦でしたね」

 

「いよいよ出撃が決まると隊員達はウイスキーを持って自分達の

宿舎に随分来ましたそして家族や古郷の事を話し合いました」

「それは自分の気持ちだとかを

他人に聞いて欲しかったのでしょうね。。」

 

「ある日私とカメラマンは何としても飛行機に乗りたいと言ったら

我々は十中八九 死に行くだから君ら

報道陣を死なせる訳にはいかん!

とはっきり断われました」

「そして昭和20年5月24日に出撃しました」

奥山隊長

「出撃に当たり最後の訓示を与える

成功の出撃は

遂に到来した各自訓練と同じく豪胆たれ!」

 

「隊長の訓示が終わって皆ニコニコして悲壮感はなく

愛機に向かいました夕暮れの中をスーと飛び立って

 

もう見えなくなるまでカメラを回し助手も録音係りも

口を利かないで飛び立った方向をジーと眺めていました」

 

「確か地下壕の無電室で合図が有るので待っていたら

「今から突入するという無電が入りました」

 

義烈空挺隊の戦果

 

168人を乗せた97式重爆撃機場は飛び立ったが

4機がエンジン不調で帰還した残る8機の内

6機は北飛行場2基は中飛行場に突入するも激しい

対空砲火を浴び撃墜され ただ1機だけが胴体着陸に成功

 

パイロットはうつぶせ状態で戦死した

機から走り出した12人は

次々と米軍機を破壊していく米軍機38機更にドラム缶600本の

集荷場を破壊700万ガロンの航空燃料が焼失した

米軍は20名が死傷 日本側は69名が戦死

続く特攻は悪天候の

為に断念せざるを得なかった

 

生き残った義烈隊員

山田中尉は小隊長として出撃するも不時着して機は大破その後

「挺身戦車隊」に転属となり終戦を迎えた

 

生き永らえたことで部下や奥山隊長がどの様になったのか

そればかりが気になって戦後処理の仕事も手につかない有様に

 

同僚が心配して死んだ人間と話が出来る占い師を紹介

行ってみると戦地の息子の安否を尋ねる人達であふれていた

 

ようやく山田中尉の順番が来て占い師は

「あなたの部下は立派に

戦われました心残りは無いと申されました」

山田中尉「奥山隊長は。。。。」

占い師

「ああ残念なりと申して消えました」

それを聞くと山田大尉は

ワーっと泣き伏してしまった」

 

左翼や平和主義者達は特攻は

犬死で日本の戦争は無謀だったという

もしハルノートの要求を日本が受け入れていたら

 

開国から僅か70年足らずで西洋科学を吸収し

ロシアを打ち破った脅威である日本の軍事力を解体し

言語をも奪い民族としての精神も文明も崩壊させれば

 

人間としての尊厳も許されない

奴隷国家にする事は簡単に出来たはずである

そしてアジアは今でも白人国家が支配する

暗黒の時代に成っていた

それを日本が戦ったからこそ今の世界がある

 

そして保守論人までもが左翼共産党の様に

自国を犠牲にしてまでもアジア解放をする筈が無い

アジア解放は結果論だと言う

 

しかし「安濃博士」が指摘する通り

「自衛」=「アジア解放」で

搾取している天然資源を断てば

白人至上主義と

植民地主義の息の根は止まる!

 

だから英米の暴政を排除して東亜を元の姿の戻すという

「帝国声明」を掲げ実際 戦時中にビルマ フイリピン ベトナム

インド仮政府を独立させることにより天然資源を

現地住民が取り戻し「植民地主義」は終焉した

 

 

戦後アジア諸国の独立戦争は

日本が与えた独立を守る為だった再び植民地に

ならない様に日本軍はアジア諸国に軍事訓練を施し

こん棒やカマではなく近代武器を渡し去っていたのである

ヒトラーは最も優秀なアーリア人が世界を支配する野望を抱き

他国を侵略してユダヤ人600万人虐殺という人種差別を行った

日本はその真逆の「有色人種平等」を実現した国家である

 

時代の要請で戦わなくてはなら無い戦争もある

それが大東亜戦争だった

そして日本を取り巻く諸問題と国難を通し

時代が「日本よ正しい歴認識に立ち返れ!」

と要求しているのである。