こんにちは ECHICOです♪
前回は神社・今月の生命の言葉の記事
と~っても長いのに
多くの方が読んでくださり
本当にありがとうございました。
もう少し、このお二方のドラマに
お付き合いくださいませんか?
今日はグットマン博士と中村裕博士
日英それぞれの『パラリンピックの父』について
数字で読み解きをしたいと思います♪
グットマン博士は
1899年7月3日生まれ
3・1・1
中村裕博士は
1927年3月30日生まれ
3・7・6
グットマン博士は
3 というこどものような好奇心をお持ちで
創造性に富み
軽やかな機動力があります。
そして 1・1
常に先陣を切って
生涯先頭を走り続け
障がい者に
残された部分を最大限生かせ
と叱咤激励し
その活躍の場を広げ続けた人生が
数字に現れていますね。
中村裕博士は
グットマン博士と同じ 3 を持ち
やはり好奇心、創造性、機動力、
というところで
とてもグットマン博士と気があった
お互いがお互いの理解者になれた
と思われます。
ただ本質数 7 は
行動するときにかなり熟考するタイプ
一匹狼的な数字なので
中央から遠い大分県というところで
非難を浴びながらも孤立しても
持ち前の探求心で新たな方法を繰り出し
日本に障がい者スポーツの意義と
リハビリテーションの概念を
発展させていったのでしょう。
やがて周りの理解を獲得し
東京でのパラリンピックにこぎつけるまでは
右 6 の課題としての
全体の調和と優しさが必要となり
かなりのご苦労があったと思われます。
グットマン博士が初めて
たった16人の障がい者による
アーチェリー大会を開いたのは
1948年7月29日
この日は 4
継続性と現実化を表し
まさに今後の発展が約束されました。
そして
1960年
第一回パラリンピックの年は
中村裕博士が
日本から欧米に派遣され
グットマン博士と障がい者スポーツに
めぐり合い
一生の方向性が決定された年でした。
この年の中村博士の個人サイクルは22
なんと宇宙からの啓示の数字!!!
新たな創造と発展の高次元の数字です。
この海外研修は
歴史的にも
必然的なものだったと感じます。
そしてその年のグットマン博士の
個人サイクルはなんと 8
サイクル中もっともエネルギッシュで
果実を受け取れる年でした。
博士の目の前に現れた
日本の若き医師の溢れんばかりの情熱は
前向きに希望をもって
受け止められたことでしょう。
まさに理想的な出会いのタイミング
だったといえます。
さらに中村博士が
日本で障がい者の社会活動の
種をまき続け
これが一つの形になった
第2回東京パラリンピックは
1964年に行われました。
中村博士の個人サイクルはやはり
8 でした。
あらためてお二方の
情熱と実行力と不屈の精神に
敬意を表するとともに
数字の不思議さも実感します。
本日はあなたの中に
どんな歴史の1ページ目を開きますか
自分を愛し ひとを愛し 笑いあえる
素敵な1日を創っていきましょう!!
最後までお読みくださり
ありがとうございました
FROM ECHICO