世界統一を図ってきた歴史の中に登場した帝国にとって、イスラエルの神を信じ、神の教え、契約、トラーを生きるユダヤ人は、目の上のたんこぶであり、常に抹消すべき存在でした。
約束の地がイスラエルに与えられてから、荒らす忌むべき者達により
イスラエルの土地は、汚され、異教徒の手に渡り支配され続けて
来ました。
神がイスラエルの民に、アヴラハムの契約通りにこの地を与えた後
この地を、異教徒が占拠し続けて来ました。
前回の動画であった通り、イスラエルは単なる土地ではない、土地所有圏ではない、しかも、元々イスラエルに与えらた土地は今より
遥かに広い範囲に及んでいるのに、異教徒がその土地を占拠しているのです。
神の聖なる地は、異教徒で汚されてはならない場所なのです。
イスラエルの神の教えを捨て、イスラエルの神のモアデイムを捨て、
その地で、神が創造された人の生き方に反する生き方をする人により
住まわれる場所ではないからです。
歴史の中で、異教徒が、イスラエルの神の国、地上で天を映し出し
神が聖別された場所、イスラエルを支配し続けて来ました。
新アッシリア帝国: 紀元前720年頃、北王国イスラエルを征服。
新バビロニア帝国: 紀元前586年にユダ王国を滅ぼす。
アケメネス朝(ペルシア帝国): バビロニアを征服して支配権を握り、追放されていたユダヤ人のエルサレム帰還を許可した。
マケドニア帝国: アレクサンドロス大王がこの地域を征服し、
彼の死後はプトレマイオス朝とセレウコス朝などの後継国家によって統治された。
ローマ帝国: この地域を征服し、ユダ属州を設置した。
その後、マカバイ戦争(マカベアの反乱)を鎮圧した後も支配を続けた。
正統カリフ時代(ラシドゥン朝): 638年にエルサレムを占領した。
十字軍: 十字軍時代にこの地域で勢力を築き、エルサレムの支配は
何度も入れ替わった。
アイユーブ朝・マムルーク朝: 十字軍期の後、この地域でイスラム
支配を維持した。
オスマン帝国: 約400年間この地域を支配し、第一次世界大戦後の
崩壊まで続いた。
イギリス帝国: 第一次世界大戦でオスマン帝国が敗北した後、
1920年から1948年まで英国委任統治領としてこの地域を統治した。
イスラエルの国を剥奪したアッシリアや、バビロンは、神殿の中に
ある、神の聖なる品々、祭司達の衣も全部奪い、特別な時にそれを
勝手に着たのです。
イスラエルが、異教徒、敵国に支配され続けた歴史。
神が神が創造された世界で、唯一イスラエルという国を選び出し、
そこを、聖なる神が住まわれる、神の栄光を反映する、天と直結した地として聖別しました。
そして、神の民、イスラエルの神の民を聖別し、神のモアデイム=時を聖別したのです。
神は人とは違います。人が考えるように、神は人が神の国、神の家、神の宮である人の中に、汚れもなんでも、持ち込むことを許す神ではないのです。神の祭壇の上に、神が提示したコルバンしか捧げられない。もちろん、豚など捧げられない!
聖書の記録を読んでも、それは明白に分かるでしょう。
神の契約の箱、神の臨在が宿る場所に、人が手を触れたら死ぬと神が警告しました。神が厳しいから?いいえ、それは人が神が聖なるお方である意味を理解してないだけです。
ストーブに素手で触れたら火傷をします。それは、神が厳しいからですか?それと同じことを言っているのです。
神が伝える事実がある、その事実を人が理解するのか、しないのか。
深い意味が分からなくても、神が言われることは、絶対である、
真実であるという受け取る態度、理解がない人には、人の側で神の教えを自分の都合、理解に合わせて変え続けている、それを実際にクリスチャンがしてしまっているのです。
クリスチャンというより、聖書を教える教師が、聖書を正しく知らない、学んでいない、教えていない、そして聖書ではない教えを一般人が教えられてしまうという負の連鎖の中にいるのです。
神の至聖所に入る時、ミシュカンが正式に稼働する時に、大祭司で
あるレビ族のアロンの息子達が、神の言われた通りのことをしないで、神の実態を正確に表さないことをしたら、即座に死んでしまったのです。
厳しい神だから、怒りの神だから?それは、そう考える人が、神が聖なる方であることを理解しないからです。
人は、神の聖別を破れない、いや、これ放射能のように、汚れた状態のまま生きている人が触れられないということなのです。
聖書の最初に記されたこと、モーセの五書、この箇所に神の教えの
完全版が記されています。
クリスチャンが、一般的に教えられ、考えるように、神の教えは変化しません。
マタイ以降に、神教え=トラー=モーセの五書に記された、神の創造された神の似姿に造られた人の生き方が、別ものの生き方、別の教えに変わったという、幻想、偽情報、嘘を信じる場合には、
その頭脳には、神の教えは正しく伝わらないままになっているのです。それ程、神は神の聖別を人が汚せないことを、はっきり教えています。
神のトラーと神の時を変える。これは人間には出来ません。
ダニエル7:25
それを、しようとするのが、反キリストであることを、はっきり
記して、神が人々に警告しているのです。荒らすいむべきものとは、
何をするのか、聖書にずっと黙示録に至るまで、同じことが書かれているのに、変化球する人間が編み出した教えを通して考えているから、神が伝える真実は、届かなくなっているのです。
クリスチャンは、反キリストの性質、それらがすることが何かを正しく教えられていません。
でも、聖書にはずっとそれが記されています。
預言者は、未来に何が起きるかということに焦点を当てて、その未来預言の出来事が中心に書かれているのではないのです。
ダニエル書1章を読んで、そこに未来預言が何も書かれていないと
思って読み飛ばす人の方が多いですが、未来、何が起きても、
神は神の主権があり、私達イエシュアに属する人、イスラエルの神に
属する人全て、その中で揺るがないで生きることを教えているものなのです。
そして、自分たちだけ患難を逃れるのだというのも、ずれた現実逃避思想を、偽物の教え、ダービー教思想で教えられているのです。
ダニエル書を読むと、厳しい環境に置かれ、屈辱的な異教神に属する
名前に、ダニエル達が名前を変えられて、それでも、知恵を持って
ネブカデネザル王に、対峙しているのです。
この若者達が、どうしてこのような揺るがない信仰を神に対して
持っていたのでしょう。
聖書に、イエシュアという名でメシアが未来に地上で呼ばれると知らない人も、同じメシアを知って、内側に聖霊を受けて、神と関わり、対話し、祈り生きていた事実をはっきり知る必要があります。
アヴラハムもイエシュアを知っていた!とイエシュアが言ったでしょう。残りの民全て、どの時代の、どの人種も、贖い、救い、赦し、聖霊を受けて、新しい人=イエシュアと同一とされ、神の中、神を内側に与えられて生きていたのです。
異邦人、クリスチャンの間に2000年近く浸透した教えは、イエシュアが教えた神の言葉=父の言葉=モーセの五書=トラーとは違う、コンスタンチヌスがトラーを捨てて、改造した教えです。
だから、聖書の最初の古い教えは廃れた!という冒涜を、平気で口にし、実際に神の教えを捨てて、異教徒と変わりない生活をしていることにも、気がつけないままいるのです。
これ、厳しい言い方ですが、本当の事実です。
クリスチャンは神の契約など生きていない、だから律法に戻るな!などという心配をしなくて良いのです。最初から、神が伝える教え=契約を捨てて、生きてなどいないからです。
昇天以降、神の教えが廃れて、新しい契約、新しい教えを生きる時代になったという、大嘘、大幻想、偽情報が嘘であると目覚めた人、
聖書に書いてある神の言葉が永遠普遍の事実であることに気がついた人には、人造宗教が語る教えとは、別の世界が見えます。
それは、人間が神の教えを否定した、まがいものの宗教の教えや
実践ではなく、神が伝える通りの生き方、それがイエシュアが教えられた生き方であることが見えます。
だから、西洋宗教の教え、思想、思索、聖書解説、概念や、記念日、実践が、聖書に書いてあることと違うことに、はっきり気がつけば良いのです。
ダニエル1:6 彼らのうちに、ユダの部族のダニエル、ハナニヤ、
ミシャエル、アザリヤがあった。
1:7 宦官の長は彼らに名を与えて、ダニエルをベルテシャザルと名づけ、ハナニヤをシャデラクと名づけ、ミシャエルをメシャクと名づけ、アザリヤをアベデネゴと名づけた。
この面白い名前、クリスチャンは皆知っています。
ユダ族である彼らは、異教神に属する名前をつけられてしまったのです。
ダニエルが、紀元前605年のバビロン捕囚でこの地に移住したのは、およそ17歳位の年齢でした。この舞台は、バビロン捕囚中です。
バビロンの王、ネブカデネザル王も他の王も同じように、イスラエルの神々より、自分は上であるという主張から、トラーを実践することを禁じたのです。
これは、紀元前二世紀のギリシャ帝国、一世紀以降のローマ帝国皇帝達も同じなのです。
歴史の史実と、聖書の事実=神の言葉は永遠に変わらない、廃らない、神は神の言葉、契約を変えない!と神が伝える事実からだけ、
考え、聖書を正しく読み直さなくては、人間が作り出した偽物の宗教の教えを、聖書と勘違いし、神を誤解=変化する神と、聖書に記されてもない異端的思想を通して、イスラエルの神か変わり続けることを、断つことができないままになります。
神を誤解する、神の教えを捨てて別物を生きる、それは、神との隔たりが確実にできるということが、聖書にはっきり記されているからです。
神の教えを蔑ろに知る人、そうするように人に教える人、両者は
天の国で最も無価値、意味ない、軽い存在になる!とイエシュアも
はっきり警告しているのです。マタイ5:19
異教神に仕える、属する名を与えられました。
ダニエルという名前は、ヘブライ語で、「神が私の裁き」
דָּנִיֵּאל ダンとは、裁き、 エルとは神という意味です。
חֲנַנְיָהハナニヤとは、ハナとは、恵深い、神の目に叶う、神に特別に
対応されるという意味です。
יָה / יָהוּヤアとは、四文字で表される神の一番親しい名、イェホバ
ヤウエ、などと呼ばれ主と訳されている名です。
「神は、恵深くありつづける」という意味の名です。
ミシェエルという名は、英語ではミシェル、マイケル、ミカエルなどと発音する名です。
מִיכָאֵל
この名は3つの意味を持つ言葉で構成されています。
מִ (ミ) — “誰?”
כָּ (カ) — “〜のように / 〜として”
אֵ (エル) — “神”
「誰が神(イスラエルの)神のような方であるのか?」という意味の
名前です。
詰まり、他の神々=人間が作った空想の神々は、イスラエルの神とは
完全に異なる、イスラエルの神のようなお方は、このお方しかないからです。
アザリヤ עֲזַרְיָה
עָזַר アザル 助ける、サポート、保護する
יָה ヤフ 親しい神の名の短くしたものです。
「神が私の助け」という意味の名です。
それらの名を持つこの4人、どんな名前に変えられましたか?
ダニエルは、ベルテシャザル、ベル — 「主」を意味する称号です。
通常はバビロンの主神マルドゥクを指します。
トウ / サル/ ウスル 「守る」「保存する」
サルは、「王」つまり、ベルテシャザルは基本的に次の意味を持つ。
「ベルよ、彼を守れ」又は「ベルよ、王を守れ」という意味の名です。
ハナニヤは、シャデラク
アクはバビロニアの月の神でした。
その名前は、おそらく「アクの命令」又は「アクの指揮下にある」を意味するシュドゥル・アクまたはシャドラクといった語に由来しています。「月の神の命令」という意味の名。
ミシャエルは、メシャクという名を付けられました。
「(月の神)アクとは、何者だろう?」という名、ミシャエルという
ヘブライ語の名、この意味は、「イスラエルの神はどんな神か?」という意味と並行した、名をつけています。
アザリヤをアベデネゴ アベッド アブド「召使い」
ナブ / ネゴ — 神 ナブはバビロンの知恵の神であり、「ナブの召使」
という意味の名です。
こんな異教の神々の名を付けられる屈辱を受けたのですが、
彼ら四人は、本来のヘブライ語の名の性質通りを、この王宮でするのです。
預言書は預言者が書いたものですが、預言書の一番の目的は、未来
預言ではないのです。
預言者は、人々に、どんな困難な時代、環境、状況でも、神の約束
言葉、契約に根付いて、そこから離れないで生きよ!ということ、
これが、預言者、預言者の一番の役割、目的なのです。
だから、1章には、何も未来預言が書かれていないなどという読み
飛ばしをしていては、ここに書かれている大きな目的、置かれた環境が、どんな所でも、聖なる民として、イエシュアの実態を反映して生きること、それに根付く、成長するということなのです。
そうしなければ、ずっと乳飲子、空中軽挙で、問題、困難から逃避
させてくれる〜というような、幼児が考えるようなレベルの生き方に
留まってしまうのです。
患難、問題があるのは、神が一人一人をその中で純金のように練って
成長させるためだからです。