異邦人の世界に浸透した、コンスタンチヌス皇帝製造、人間の主張の人造宗教の教えのように、神がイエシュアが昇天以降に変化し、
神の教えも神ご自身が処分、破棄されたら。。。
又は、人間の意見で勝手に神の教え、言葉を変えて良いと、本当に
神がそう言っているならば、それこそ、なんでもありの無法地帯を
生きる事になります。照らし合わせる基準=神の言葉を捨てたら、
人間が主体、人間が神になり代わり、人間の判断で様々な教えを編み出し続けます。
リオ教皇の短いインタビューを見ました。全ての人を受け入れる為
誰も排除しない。その意味は、LGBTでも何でも、受け入れる!
という意味のことを話していたのです。こんな思想を持つ人は、
イエシュアの教えを正しく理解しない人なのです。
神の民は、聖別されている事実を、知らない人は何でも取り入れる
汚れも、罪も何でもかんでも受け入れる、何でも受け入れる事、
それが愛だと完全に神の教えを、勘違いしているのです。
何でも受け入れる、そんな生き方、思想、行動は神が伝える契約の愛ではありません。
それらを、神は姦淫の罪と呼び、神はそのような罪を生きる人を、
聖別された民の中に入れない事、ずっと教えているのに、何も理解してない。罪を取り入れ、人々の中に毒を盛り込み、皆を破壊する
それを、汚れた生き方を悔い改めない人を、そのまま受け入れて
仲間に入れる、これは神の教えと1000%完全に反した、
自己破壊、人々を破壊する行為なのです。
あなたの家に汚れた人、危険な思想持つ人、行動をする人を入れますか?自分の子供に、LGBTを刷り込み、罪を平気でする感覚を持ち、
悪影響を与えて生きる人を友達に選びますか?
愚かな人は、そうする。知恵ある親は、危険から子供を遠ざけます。
神は、それらの行為を断固として拒絶すること、聖書には、はっきり記されています。
それは、神の創造された人は、聖別されており、異物、罪を取り込み、周りを汚染するこを、神は許可されないからです。
このような類の指導者、一見愛?と見える、寛容と見える、でも実は神の教えを理解していない。神の前には、完全に罪!を発言し、罪を助長し、人を破壊する罪の戸口を平気で開く、神の家の正しい管理者、ガードマンとして大失格な人です。
人を教える立場、リーダー、どんな職種でも同じですが、人を誤りに導く危険があるのです。人の人生狂わせます。
パウロが、悪霊の教えと言った結婚を禁じたのは、ローマ教皇
教皇ベネディクトゥス8世(1018年):
司祭が結婚して子どもに教会財産を相続させることを防ぐため、
正式に司祭の結婚を禁じた。
第1ラテラン公会議(1123年):
教皇ベネディクトゥス8世の勅令を採択し、ローマ・カトリック教会において司祭の結婚を公式に無効とした。
教皇グレゴリウス7世(1074年):
独身(禁欲)義務を強化する改革運動の一環として、既婚司祭を破門にし、霊的純潔と神への全き奉仕を強調した。
悪霊の教え、禁欲主義で、多くの人の人生を縛り、狂わせる事が
リーダーには出来るのです。
教皇、イコール神という主張、宣言に洗脳される人は権威には逆らえません。
神は神の家、神の人、神のモアデイム=記念日を聖別している意味を
全く理解しない、ローマが作った神の聖別をまっこうから破り、
全部捨てて、別物の教えを勝手に編み出し続ける人は、神の教えなど正しく理解して、生きる事などできないのです。
これが、世界の人造宗教のトップ。納得出来ます。
そう、人間由来の宗教は、イスラエルの神から出たものなどではない
完全に違うもの、混ぜ物、姦淫の罪、最後はイエシュアが吐き出そう!と警告しているそのものなのです。
皆がやっているから、長い年月浸透しているから、それが神の教え?真実?そんな事は、神の伝える教えを測る、罪の定義、聖別の定義を計る基準ではないのです。
神がどう言われているか?神の考えは何か?それだけが、完全なる
唯一の基準なのです。神の言葉を捨てる人には、神が伝える永遠の真実、教え、人の本来の生き方は伝わらないままになります。
歪んだ建物は、歪んだ土台を全部正して、まっすぐにしないと、
直りません。
今日本で、”Pegan Chrisitianity?Exploring the Roots of Our Church Practices”『異教的キリスト教? 私たちの教会慣習の起源を探究する』という英語版の書が翻訳されているそうですが、
異端キリスト教という意味の本です。
結局、知らない間に、知らないまま、人間が作った宗教を信奉させられているのです。キリスト教の元はカトリック、ローマ教、コンスタンチヌス教、異邦人が四世紀に作った宗教であり、それらは、
イエシュアが教えられたトラーとは関係のない、人間が作ったもの、神の教えを捨て、神の記念日全部捨てた、偽物の宗教です。
異教神信仰の実践、シンボル、儀式、記念日、教えがふんだんに混ざったものなのです。
でも、その教えの、あれ、それ、これは違う!と、部分的な歪みだけを言及してみて、取り除いても、それはイタチごっこに過ぎません。
本当の根本、土台の問題まで、さかのぼらないとならないのです。
白蟻の巣、パン種除去、歪んだ土台を一掃して、人の編み出した非聖書的な思想ではなく、神の言葉だけに根付く、永遠の救いの岩=言葉=聖霊=イエシュアの上に、正しい理解、信仰を建て直さないとならないからです。
ルターも同様に、神の言葉に対して、正しい理解していなかった。
その問題の根は、異教徒的な違う要素、教え、記念日を、信仰の中に取り込んで作った宗教など最初から人間が作ってはならなかった!という事が、分らない人には永遠に、分らないのです。
しかも、クリスチャンは、歴史の中でローマ帝国が何をしたのかを
全く知らず、神が神の教えを破棄するように教えたなどと、聖書に
書いてもない事を、聖書だ!と信じているのです。
神の教えを破棄させたのは、もちろん神ご自身ではなく、ローマ帝国皇帝達、教皇たち、そして西洋教父、司教たちなのです。
それらの勅令、信条が、異邦人だけで開催される宗教会議で何十回となく行われ、聖書とは関係のない人間が考えた教えに塗り替えたものが聖書だ!などとされ続けてきた、今も同じなのです。
神が警告しているのは、そのような、神の教えではない、偽物、
まがいものの教え、イスラエルの神イエシュアに属さない異教の神々の教え、要素、記念日、シンボル儀式を、神の教えの中に混ぜる事を、はっきり禁じている事、聖書を捨てる人、神の教えが廃れた!と信じる人には全く通じません。
神は今は何でもよい、いつでも安息日、人が考える解釈で良い!
などと、一度も教えていません。
そういう事をすること、断固として、永遠から永遠に禁じています!
そんなことを教える神であるなら、それは聖書に記されたイスラエルの神ではない!という事に、はっきり聖書から気がつかないとなりません。神は汚れたものを、受け入れられない!ということ、
はっきり教えているからです。神は人ではないのです。
イスラエルが犯した罪は、まさに、ペーガン化=異教神化けした
異教徒の儀式、慣わしを通して、異教徒と同じ礼拝場、高きところでイスラエルの神を拝み、礼拝したことだからです。
ローマ教も同じです。異教神の神殿を、イスラエルの神に礼拝場に
変え、そして、神の教えを捨て、別物の人造記念日にすり替えたのです。
同じ警告を、神は、異邦人に対してもしているのに、神の教えが廃れた!という大嘘、フェークニュース、偽情報を信じ、今は人の
意見で神の教えを変えて良い、解釈を変えて良い、又、人の意見で
神の記念日を変えてよい!と聖書に書いてもないことを、書いてあると信じるのは、間違った聖書解説を聖書に書かれている解説だと勘違いしているからです。
西洋宗教の、これ、あれ、それが異教神由来の教えだと発見する人も
元の問題まで、どうしても気がつけないその理由、それは、間違った聖書解説が教えられ続けているせいなのです。
神は人間に、神の言葉を一点一画も変える権威など与えていません!
今はいつでも安息日、その人が考えるものを食べて良いとか、時代ごとに神の教えを変化させ、LGBT受け入れよう!神の教えもその人が解釈する通りに変えて良いと、勘違いしているからです。
神の教えが完全で絶対であると信じない人が、聖書を解説したら、
歪んだ曲がった聖書解説をする事は否めない!という事実に
はっきり気がついて下さい。
神の言葉が廃れた、変化したと信じる人は、聖書をそのような歪んだ
間違った人間の思想を通して、神の言葉を変えて、曲げて、歪めて
解説し続けているからです。
その人の信条にのっとり、聖書、神の言葉の方を勝手に人間が曲げて解説しているのです。
この時点で、聖書=神の言葉、教えとは全く矛盾した教えになっている事に、聖書から気がつけますか?
ヨハナンは、神のトラー、聖書が聖書と指して、黙示録を記しているのです。
神の教え=トラー、モーセの五書、預言書、諸書の中に記されている
事を、黙示録で短く解説しているのです。
ダニエル書に記された、荒らす忌むべきものが、あの時代に紀元前
2世紀に、そして一世紀以降のローマ帝国に於いても、そして最後は、この世の最後に同じように、権力、猛威を振るうことが記されているからです。
その特徴、神のトラーと神の時を、人間が変えようとする!とあるのです。神しか出来ないでしょう?神が創造主であるから、人間は
神の教えと、神の時、記念日など変えられないのに、変えたのです。
人が神になり変わる。
その代わり、人間が作った偽物を人に祝わせている。
外典である、黙示録に対して、ヨハナンは話しているのではないのです。預言の書、預言者が書いた書=イコールそれがトラー、預言書
諸書なのです。
マタイ以降は、使徒が書いた書簡であり、預言者が記した預言書では
ありません。
そして、聖書記者は100%預言者であり、ヨシュア以降の全ての書は、預言者モーセが記した神の言葉=トラー=モーセの五書を解説しているものなのです。
ゆっくり、じっくり、事実だけを繋げて、考えて行く必要があるのです。聖書記者は、100%モーセの五書に記された事を、土台に全てを解説しているのです。
黙示録22:18 この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、
わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。
22:19 また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、
神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と
聖なる都から、とり除かれる。
ヨハナンが書いている18.19節の根拠は、神の言葉です。
イエシュアも同じ事を言われました。
申命記4:2 わたしがあなたがたに命じる言葉に付け加えてはならない。また減らしてはならない。わたしが命じるあなたがたの神、
人に伝えているのです。昇天以降、罪が罪でなくなった、神の教えが
十字架で処刑され破棄されたと言う、異端思想を信じる場合、
神の言葉が見えなくなります。その代わり、偽情報、人間が勝手に
解説する歪んだ聖書解釈、解説なのにそれが聖書と信じているのです。
マタイ5:17 わたしがトラーや預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。
5:18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、トラー=モーセの
五書=父の教え=婚姻契約の一点、一画もすたることはなく、
ことごとく全うされるのである。
5:19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。
はっきりと、イエシュアが強調を持って言われたのです。
天地が今廃れてない、イコール、神の言葉も廃らない!と言って
いるのです。それなのに、イエシュアが言われたトラーに反して
神の言葉が十字架で廃れたという、コンスタンチヌス皇帝発信の
フェークニュース、偽情報を信じ続けているのでしょうか?
一体誰の教えを信じて生きているの?と言うことに言及されるのです。
イエシュアが言われた言葉は、申命記にある神の言葉、命令、警告
を話しているのです。
このイエシュアの言葉は、トラー=父の教え、仰せ、警告です。
そして、イエシュアが語られているのは、クリスチャンの間で完全に
間違った解説をしている、成就=終了、破棄=廃れたと言いますが、
破棄するためではないという翻訳だけ読んでも、神の教えが破棄されたとい言い続ける、この大矛盾に気がついて下さい。
学校の教科書にこのように、破棄するためではないと書いてあるのに
破棄するために来たと読み替えますか?
どうして、こんな基本的、こんな単純な文脈を見るだけで分かる、
調べなくても、分かるのに、神の言葉を破棄したと言う根拠にしているのですか?
破棄、成就とは1世紀当時のユダヤ人の間で使われた「慣用句」なのです。
破棄=神の教え=トラーを正しく解釈していない、意図通りに正しく生きていない。成就=神のトラーを神の意図通りに解釈し、人に教え、そして生きていると言う意味なのです。
クリスチャンの間で語られる、成就=廃れた、終了!と言う意味など
1つもありません!書いてある意味を理解せず、別物の聖書解説をし続けている、それが神の言葉を誤解する大きな原因でもあるのです。
聖書に書いてあることを、正しく学ばない、とらえない、いや聖書を書いてある意味通りに教える人が周りにいないことが問題なのです。
言語だけ調べても、不適切、偽情報により聖書解釈はまやかしであることは、クリアーに分かるのです。
成就という元のヘブライ語は、「固く確立される」という意味の言葉であり、神の言葉が永遠に廃らない、永遠に固く立つと言う意味の
言葉をイエシュアが語っているのです。