マタイ 24:35 天地は滅びるであろう。
しかしわたしの言葉は滅びることがない。(マルコ13:31)
5:18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、トラーの一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。
ルカ16:17 しかし、トラー=モーセの五書=父の教えの一画が落ちるよりは、天地の滅びる方が、もっとたやすい。
永遠に固く定まり、廃れない神の言葉が、どうして昇天以降は神が
神の言葉を破棄したなどという、あり得ないこと、聖書に書いてもないことを、平気で主張し、受け入れ、信じる?その方が意味不明
不思議な考え、思想なのです。
それは、神の言葉というものを、根本的に誤解している問題が、
異邦人の中にあるからです。
聖書=神の言葉を通して、聖書に書かれている意味通りを語るのではなく、人間の思想を通して神の語る言葉、教えを歪めて、曲げて、
別物の教えに変換して、曲がった聖書解説をしているからです。
そして、その結果、イエシュアご自身、聖霊そのものである神の言葉に対して、古い=悪い=律法という不適切な概念の解説、不適切な
翻訳を通して、神の言葉に対して、心底敵対心、古い、悪い、廃れた律法は人を縛るもの、恵を無駄にする生き方、律法を生きる人は
律法主義で、神に反しているなどという逸脱した、意味不明な解説を信じているのです。
聖書で言う「律法主義」という意味は、神に近づくために、神の恵をもらうため、又は、救い、贖いの事実を人間の行いで得ようと努力
する、ズレた思考回路、生き方を、律法主義と呼んでいるのです。
このように「律法主義」という実際の言葉は、直接聖書には書かれていない言葉です。
でも、そのアプローチ、思考回路、行動は、説明されているのです。「神が伝えている事とは違う実態ズレている意識、行動」のことを、律法主義という造語で解説しているのです。
神の教えを生きよ!というのは、神の仰せであり、神の教え、言葉を生きることを「律法主義」などと神は言っていません。
神がそんなまやかし、偽りを人に言うわけがないからです。
神の教えを生きよ!あなたは、命=神の伝える通りを生きることを
選びなさい!とずっと教えているでしょう。
一番意味不明な聖書解説は、信じるだけで良いんです!という発言。
しかも、一体何を信じているのでしょうか?
イエシュアがあなたの罪のために死なれました。罪許されて神の元に
戻り、新しくされました。初歩的な教えです。
それからどう生きるのか?と言うことが、ごっそり抜けて、宗教活動をすることを、教えられてしまうのです。
教会という組織に属する。10%献金を教会に納める。祈る。
人にイエスを伝え、信者を増やす。宗教活動、会合に出るなどなど。
そんなことを教えられるのではないでしょうか?
これをする、イコール、神を愛することだと教えられるのです。
祈りという、神との個人的な関わりを抜かしたら、後は全部宗教が
作った生き方です。
仲間を見つける、励まし合う、神の教えを学ぶということは、必須です。でも、神の言葉を正しく教えられないならば、結局、神の教え
聖書ではなく、宗教の教えを教えられてしまうのです。
信じるだけで良いんですと言いながら、宗教活動に参加強要される。
矛盾した教えなのです。
しかも信じるだけというのは、それも意味不明です
信じる、イコール、神が伝える真実を受け取ること。
そして、その事実=新しくされた人の実態を、神の教えに根付いて
生きるということが、抜けるのです。しかも、神の教えを捨てて
人間が編み出した、人間主体の、自分の考えで神の教えを勝手に
解釈して、拾い出して生きることを教えるからです。
意味不明な教えです。なぜなら、神の言葉=聖書には、
10000%全て、生きる!神が伝えた通り=トラーを生きる!という、実際の生き様、行動の世界が記されているからです。
ギリシャ、ローマ哲学思想の世界は、聖書には記されていません。
異教神文化、神の教えを知らない異邦人は、先祖代々染みついた
思考回路、先入観、固定概念で、聖書を読んでいることに気がついてください。聖書は、ヘブライ思索のヘブライ語で記された、
ギリシャ、ローマ思想とは違うことが、記されているからです。
信じるだけ、後の生き方は、神の教えることではなく、それぞれが
考える生き方、それを聖霊に導かれて生きるなどと意味不明な解説が
されていますが、聖霊は、神の言葉そのものです。聖霊により神の
言葉が記されたのです。神の言葉により全世界が創造された、人は
神の言葉で造られた事実をじっくり考えてみないとならないのです。
神の言葉=人のDNA、本質、性質そのものです。
聖霊は、クリスチャンの世界で語られる教えのように、人に神の言葉を捨てさせたり、破棄させたり、無視させたり、神の言葉に反する
ことを、人が生きるように、そそのかしたり、罪に導くことなど決して教えません。
聖霊に導かれる、イコール、その生き方は100%神の教え=トラーにぴったり沿った生き方だからです。
又は、クリスチャンの中にある、神の教えを、「する しないの掟リスト」の如く眺めているズレた思想、感覚、意識の方が問題なのです。
神を愛する人は、神の仰せ=トラーを生きる!と言う意味が通じていないのです。神を愛する人は、神の教えを捨てて、神の言われることを無視して、別の旦那、コンスタンチヌスが編み出した教えを生きると聖書には書いてないのです。それを姦淫の罪、大淫婦、別の教えに混ざった偽物で生ぬるいから吐き出そう!と、書いてあるのです。
聖書は神さまからのラブレターと言いながら、同時に、古い、厳しい
縛り、呪いだから十字架にかけられた律法などと、意味不明なこと、
聖書に書いてない空想の教えを信じているのです。
神の言葉、教えは1つしかないことに気がついていますか?
10の言葉、十戒と訳された本当は10の言葉、聖書=契約書=
神の言葉、人の生き方が全部書かれている書の題目、タイトルです。
10の言葉で1つの書=トラー=神の教え=婚姻契約書の題目を
伝え、それを、モーセの五書全体で、実際の神に創造された神の性質通りの人の生き方解説しているのです。
神の言葉は、クリスチャンが空想しているような、古い教え、新しい教えなどありません!
臓器を自由自在に取り出せないのに、取り出せることができると思うような思考回路、神の言葉を人間があれ、これ、それ、廃れた、
無用!などとできない性質であること全く理解していないのです。
エハッド〜1つという言葉は、複合の一体なのです。
複数以上で全く1つという意味なのです。
神は全く1つ。イエシュア、父、聖霊、何と呼ぼうとも、一体なのです。聖霊を語らないと言う人がいますが、どの名で呼ぼうとも
神全体エハッドの神を指して語っているのです。
あなたが、苗字で、下の名前で呼ばれても、それは丸ごとあなたを
指して呼んでいるでしょう。それと同じことです。
あなたの頭だけ、足だけに語って呼んでいるのではないのです。
マタイ以降には、モーセの五書とは違う教えがされているという
空想、幻想をしているから、事実が見えないのです。
最初の部分を正しく知らない場合、マタイ以降に書かれていることはモーセの五書、神の教えの抜粋のみであり、それに付随する預言書
諸書が少し記されているだけです。
クリスチャンの間に浸透した教えは、本当に非聖書的な教え、
人間が神の教えを廃れた!と言い続け、そして神の1つの言葉、
1つの家族を分断させている、聖書とは異なる分断思想です。
聖書とは真逆な思想なのです。そうです。コンスタンチヌス皇帝
ローマ帝国皇帝、太陽神信仰の異教徒が異教神の教えを混ぜて、
神の教え自体を捨てさせて作った異物偽物宗教だからです。
しかも、聖書に対して、旧約新訳などと不適切なタイトルを施して
しまい、神の教えに対して、古い、新しいものがあるという幻想、
偽情報を、そのタイトルを見るたびに、絶え間なく刷り込み続けてしまっているからです。
旧約聖書のフィルターから、イエシュアの言葉を考えてなどと
解説していますが、一体何を言っているのでしょうか?
イエシュアは、クリスチャンが言う律法、本当の言葉はトラー
父の教え、モーセの五書しか解説していないのです。
イエシュアは今まで聞いたことのない、トラー=父の教えとは異なる新しい教えなどしていません!イエシュアもそう言われたでしょう。
父の教えしかしない!父が言わないことは言わない!と。
イエシュアが語られた教えは、100%モーセの五書であり、
父の教えの解説が、当時の口伝律法で語られていたこととは、
異なるから、皆が天直送のイエシュアのトラーの解説に感動したのです。口伝律法は、当時のユダヤ人が考えた、神の教えをどう生きるのか?の解説なのです。
クリスチャンの間に浸透した、聖書解説は、この口伝律法と、神の教え=トラーとを混同して、勘違いしているのです。
つまり、イエシュアは10000%律法=神の1つの教え、トラーしか教えていません!イエシュアは、神の教え=トラーを一点一画も
否定しない、破棄しない!この永遠の事実からだけ、聖書を読まない限り、コンスタンチヌス教の思想を通して、神の言葉の方を否定し
曲げる聖書解説は、横行し続け、偽情報が後を絶たないのです。
たとえ、マタイ以降が記されていなくても、いや1世紀当時聖書に
登場する人は、マタイ以降の注解書など誰も知らないのです。
その書など1つも未だ書かれてもない。特定の人に宛てたパウロの
手紙であったりしただけなのです。
だから、聖書の完全版は、モーセの五書であり、その解説の預言書
諸書なのです。聖書に聖書と書いてあるのは1000%モーセの五書
預言書、諸書のみを指して、解説しているのです。
神の永遠普遍の教え=トラーを自由自在に破壊し、分解したのが
西洋宗教、コンスタンチヌス教なのです。
だから、聖書とは異なる聖書解説が今に至るまでずっと異邦人の間では横行しているのです。
「雀の学校」という歌知っていますか?昔の歌なので、今は日本の
学校や幼稚園、家庭では歌わないと思いますが、この曲は、戦前の軍国主義時代に作られた歌として、集団行動を強調する意味合いで使われることもありました。
宗教の教えの聖書とは関係のない思想、教えの数々は、この雀の学校の先生がすることと同じです。
聖書ではない、偽物の教えが混じった人造宗教の教えと言う認識もないまま、そうとも知らず、人の思想を、統一し、人間が作った宗教の教えで洗脳されている、教えている人も気がついてないのです。
人造宗教、その宗教活動、実践は、聖書とは関係のない教えは、真理ではないから、人を縛るものなのです。そして神が伝える真理を人に気が付かせなくする妨害以外の何ものでもない、神の実態を覆い隠す元々存在してはならない邪魔な思想なのです。
チイチイパッパ チイパッパ
すずめの学校の先生は むちをふりふり チイパッパ
生徒のすずめはわになって お口をそろえてチイパッパ
まだまだいけないチイパッパ も一度いっしょに
チイパッパ チイチイパッパ チイパッパ
この歌が表す状態は、人に教えられたことが、本当と信じて、自分で聖書=神の言葉に真摯に向き合い、神が伝えた通り、神を熱心に求めることを妨害します。
神の教え、言葉ではない、人間の教えがふんだんに盛り込まれたもの
それが人造宗教を、教え込まれていると思わず、先生が復唱する
チイぱっぱ、偽物の教えを復唱し続けて、それを自分の頭脳に
インプットし続けてしまっているのです。
神の契約も1つしかありません。イスラエルへ与えられた契約が、同じように、イエシュアを信じた異邦人、その人たちもアヴラハムの子孫である!と書いてあるのです。
異邦人へ与えられた、モーセの五書=トラー=婚姻契約とは
別の新しい契約もありません!そんな契約書世界のどこにも存在していません!偽預言者が悪霊により筆記してそれが聖書だとクレームしても、それは聖書ではありません。
神は、シナイ山で与えた文字で正式に記した神の婚姻契約書に基づき
イスラエルと異邦人、全てイスラエルの神のもとに戻った人に対して
契約を結び、神との関係にある証拠として提示しているのです。
エレミヤ31にあった、エジプトを出た時の状態ではないと言う意味は、夫を裏切ったとあるでしょう。つまり、今と同じように、神の
教えを平気で捨て、別物の教えを通してイスラエルの神に近づく、
そんなズレた意識、状態ではない、中身が完全に変えられて、神の
考えてとピッタリ一致している状態の人に、新しく更新された契約が与えられると書いてあるのです。
その代表者が、ユダの家とイスラエルの家であり、異邦人は契約を
受け取る代表者に永遠になりません!
家に生まれた次男、三男は、永遠に長男にはならないでしょう。
でも、次男、三男も、同じように父の家訓を理解する人は、
長男と同じ役割を与えられるのです。同じ家族、一家は、父の考えとはズレたことをしないのです。
アヴラハムは元は異邦人、でも、アヴラハム、イサク、ヤコブ、イスラエルの神の大家族の代表、全民族の父とされたと書いてあるのです。
全人類に対して、同じ契約、同じ1つのイスラエルの神の大家族に
戻る、エデンに戻る壮大な修復計画が神のプランだからです。
家族は、同じものを食べて、同じ記念日を祝って、同じ父の教え
家訓を生きるのです。そんなシンプルなことが、全く通じなくなっているのは、人間が編み出した宗教の思想を信じて、神の言葉を捨てている結果なのです。