創世記2:15 主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、
これを耕させ、これを守らせられた。
耕させとあるのは、「礼拝」と訳されている言葉なのです。
礼拝とは、クリスチャンが想像し考えている、日曜礼拝の儀式が
イコール聖書が語る礼拝ではないのです。
神に対する、賛美や、表現は神との関わりの一部であり、そのことを言っているのではないのです。
生きることはイコール、キリストとあるでしょう。
その意味は、生きることの全て、何をしていても、それがイエシュアに根付いた生き方である、それが神の前にぴったりな生き方、
それが神の生き方、イコール礼拝という翻訳されているのです。
元の言葉は、アヴォダ、生きることそのものです。
聖書は、100%行動の世界を教えています。西洋宗教は哲学思想の
世界。だから信じるだけで良いのですなどと、意味不明な解説しているのですが、イエシュアの実態を受け取る事、これは信じる事であり、同時に、その受け取った実態=イエシュアに沿った生き方に戻る!これは1体であり、切り離せないものです。
自分の体と、映し出す影が一体であるのです。動きに伴い、影も動くのです。人の生き様を通して、何を信じて生きているのか、環境に
映し出され、現れ出るのです。
イエシュアを信じているのに、コンスタンチヌスの教えを生きていたら、それは内側に住まうユダ族の王、メシア、メルキゼデクの位に
属する大祭司に属する天の神の家の祭司の性質通りの生き方などできません。
代わりにイエシュアの実態を正しく地上に映し出す影ではない、
コンスタンチヌス、ローマの影、西洋宗教を映し出してしまうのです。
イエシュアの性質に根付いた生き方とは、神の伝える教え
契約の生き方に根付いた生き方以外に無いのです!
この点を、異邦人の間では、神の言葉、聖書を正しく教えられて
おらず、代わりにコンスタンチヌスが製造した宗教の教えや、思想、神学だけを教え込まれてしまって、神の教えを捨て去り、神の教えはそっちのけで、人間の思想、宗教を生きさせられてしまっているのです。
神の教えに、新旧別種の2つ種類などない!トラーしかない!という
理解が、まず聖書の事実に基づき理解する必要があるのです。
神の言葉も、救い、贖いの業、手段も許しも、聖霊が住まう事も、
最初から同じ!という理解が聖書からできてない人が、勝手に思想を編み出し続けているのです。
そして、神が人に伝えた通り、神の言葉は永遠に廃らない、変わらないのです。これを理解しない人には、いくら神が伝えても、神の教えを人間が勝手に曲げ歪め続け、果ては異教神の神殿祭司のように
LGBTの罪を人に教えるような偽教師になるのです。
大体、神の教えが廃れた!捨てよ!と言ったのは、コンスタンチヌス
はじめ、既に一世紀からローマ帝国皇帝達、西洋教父、教皇、
司教たちが、神の教え=トラーをバン、禁じたこと、勅令により
処刑、重税で人に強制的にやらせた事を、はっきり知っておかないとなりません。
神が神の教えを、昇天以降変えたという大嘘が嘘!と聖書を読んでも気がつけない人、聖書に書いてもないことを信じる人は、どこまで行っても人間、コンスタンヌス製造の偽情報を土台にしてしまいます。
耕す、エデン=喜びの園を正しく、管理し、神の意図通りに治める
それは、人が神の言われた通りに生きることで、成し遂げられること
なのです。
それを、神が言われたことでは無いことをして、エデンの園から飛び出した、同じことをずっと西洋宗教の思想はやり続けているのです。
神の教えは、エデンの園、創世記から、エデンに戻る、黙示録まで
ずっと同じであるという正しい理解が、クリスチャンの中から、
完全欠如、欠落して、別の教え、宗教の声、思想を教え込まれているのです。
創世記2:16 主なる神はその人に命じて言われた、
「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。
2:17 しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。
それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。
エデンの園で教えられていることは、黙示録の最後まで同じです。
神が言われたことに反すること、これ、異邦人の世界では
真っ向から神の言葉に反する思想を刷り込まれ続けているのです。
神を愛する人が、イエシュア=父の教えに敵対する思想を持たされているという状態は、本来の思考回路、行動とはずれているのです。
神が教えているのは、神が創造された人の性質、生き方です。
しかも、これ以外は全部安全!と教えているのに、これ以外と注意されたものに手を出したのが、最初の人の過ちなのです。
今も同じ事をしているどころか、もっと酷いことをしているのです。神の教えを、勝手に捨て去れと徹底的に教えられているでしょう。
信じたら、ユダヤ化されるな!ユダヤ人やめろ!ユダヤ人みたいな
ことするな!とずっと歴史の中で言い続けられているのは、それは
ローマ帝国皇帝の宗教会議で決めた決議であり、神の教えに逆らう
罪そのものであることを、聖書を読んでも気がつけないほど、
偽物の教えに洗脳されているのです。昇天以降、以前の教えが廃れ
新しい教え=聖霊により生きる事が教えられている!???
最初から、聖霊=神の言葉により人が生きる事を教えているのです。
危険!嘘!と認識しないとなりません。
これ以外は、全部良いと神が言われたことが、制限、縛りと思うのです。今も同じでしょう。これこれはあなたの食べ物ではない!と神が教えていることが、古い廃れた律法と言い、異教徒と同じように
聖別を汚す生き方をしても、それが神の前に完全にズレた生き方で
あり、神の前に悍ましい行為であることに、全くもって気がつけないのは、人間に言われた、神の言葉は破棄された!という偽情報、
フェークニュースを信じているからです。
クリスチャンも自分のことを、神の宮、聖霊の宮と言って、そう自覚
しているのではないのでしょうか?
神の宮、神との会見の一番親しい場所、祭壇、お茶の間には、
神が禁じる清掃動物を持ち込むこみ、汚すことを、今も今日もはっきりと、永遠に禁じています。
神の教えを捨てるように教えられているから、神の教えている事が
シンプルなのに、通じないままになっているのです。
アダムとハヴァがした罪と同じです。
神がNOという事を、「神はそんな意味で言ってるのではないよ〜」
という、蛇の囁きに騙されて勝手に神の言葉を解釈、曲げて、歪めて
全人類に死を取り込んだのは、食べてはならないものを食べたからです。
食べてはならないと神が言ったら、それは永遠に人間の食べ物ではない!と理解しないとならないのに、今は廃れた教えとして勝手に
毒を、疫病の元になる菌を取り入れている、聖なる宮である体を汚す神の前におぞましい行為、生き方が何かも分からない。
それは神の教えを捨てているから。この堂々めぐりなのです。
ハヌカの裏にある、ギリシャ帝国が神の神殿を豚とゼウス神で汚し、神のトラー=教えをユダヤ人が生きることを禁じ、ユダヤ人に神の
シャバットや祭りを捨てさせ、汚れが動物、豚を無理やり食べさせた、こんなこと、全て神の前におぞましい汚れた行為なのです。
だから、ギリシャ帝国は、神の聖別をユダヤ人に破らせ、汚すために
そのようなことを強いて、ゼウス神に豚を捧げて、崇拝させたのです。
意味が通じないでしょう。なんでも食べて良いと嘘を信じる人には
神の教えなど絶対に通じないままになるのです。
神の宮であると自覚するならば、神の宮には、清掃動物など
取り込めない、人の体、聖別された人、イエシュアが内側に住まう人も、そのような悍ましいものは取り込めない!と理解しないと見えないのです。
イエシュアご自身が、神の教えは人が仕分けて捨てて良いとか、
シャバットや祭りは人がその人が考える日に変えてもよいとか、
平気で、豚を食べ、ネズミを食し悪食をする、他の人にもそうする
ように教えたと空想しているならば、それは、聖書ではない、
完全に人間の作った、神の教えを否定する人造宗教の罠、とりこになっていることに気がつかないとならないのです。
毒なものは、古代も今も同じです。生物兵器を、人の体を守るもの
などという偽情報を信じて取り込めば、免疫システム、自分の体の
細胞、臓器を壊してしまうのです。
食べるくらい何さ!と思った、アダムとハヴァと全く同じ思考回路と同じなのです。
十字架で罪の定義が、神の教えが全部処分された!という、前代未聞の大嘘を平気で信じられる方が不思議なのです。
神が伝える罪の定義が消えたら、それは聖書で警告する、無法、無法地帯、神の教え無しの危険地帯になります。
実際、代わりに人間が考える罪の定義、聖別の定義、神の教えの仕分けをして、勝手に人造宗教やっているだけなのです。
しかも、イエシュアが来られて神の教えが破棄された!という大嘘を
元にすれば、なんでもありの無法地帯、神が伝える教えなど、その人に取っての都合の良いこと以外、通じない状態になります。
しかも、神の言葉を学ばない人には、神が何を考えているのかも
正しく伝わらないまま、空想、憶測で勝手に聖書解説をして
偽情報を信じることに陥ったままになります。
食べる事、飲む事、そして神のモアデイムを祝う事、これら、
反キリストが敵対して、神の前に冒涜であることをやらせるのです。
未来も同じです。
未来、反キリストは神を汚す行為を人にさせる、神ではない者、物を
拝ませる事をするのです。これは、ギリシャ、ローマ帝国がやった
事です。
ギリシャ=ゼウス神を拝み、神の教え、トラーを捨てさせた。
ローマ、ミトラ神、太陽神信仰の偶像、混ぜ物、姦淫の罪を取り込み
神の教え、トラーを代わりに捨てさせ、神の記念日の全部を捨てさせ、代わりに自分たちが編み出した、日曜礼拝、クリスマス、ハロウインイースターに変えたのです。
そして、何十回にも渡る異邦人だけで執り行われる、宗教会議で
神の教えとは関係ない、神の教えを捻じ曲げる思想を、聖書だと作って人に教え続けて来たのです。
ダニエル書にある、あの4人の若者は、異教神に仕える王に、支配されたのです。
そして、異教徒の名前が付けられてしまいましたが、彼らはヘブライの名前、元の名前の実態通りを生きたのです。
王は、彼らの命を取る事など簡単でした。でも、彼らは何も恐れなかったのです。聖霊=イエシュアが彼らの中に住まい、彼らほど知恵に満ちた若者たちは、王宮にはいませんでした。
残りの民は、どの時代も、聖霊を受け、イエシュアを知っていたのです。彼らの知恵は素晴らしいです。
ダニエル 1:5 そして王は王の食べる食物と、王の飲む酒の中から、日々の分を彼らに与えて、三年のあいだ彼らを養い育て、その後、
彼らをして王の前に、はべらせようとした。
1:8 ダニエルは王の食物と、王の飲む酒とをもって、自分を汚すまいと、心に思い定めたので、自分を汚させることのないように、宦官の長に求めた。
王の食べ物、イコール、コシェルではない、豚やその他も混じったものです。だから、自分の身を神の教え通り、汚さないためとあるのです。王の酒も同じです。マムシ酒のように、コシェルではない飲み物
だったからです。
そして、ダニエルの知恵は、こうでした。
1:12 「どうぞ、しもべらを十日の間ためしてください。わたしたちにただ野菜を与えて食べさせ、水を飲ませ、
1:13 そしてわたしたちの顔色と、王の食物を食べる若者の顔色とをくらべて見て、あなたの見るところにしたがって、しもべらを扱ってください」。
1:14 家令はこの事について彼らの言うところを聞きいれ、十日の間、彼らをためした。
1:15 十日の終りになってみると、彼らの顔色は王の食物を食べたすべての若者よりも美しく、また肉も肥え太っていた。
1:16 それで家令は彼らの食物と、彼らの飲むべき酒とを除いて、彼らに野菜を与えた。
何も、菜食主義だから、野菜だけではないのです。
異教徒の食生活は、汚れた動物を平気で食する食生活なのです。
その中で、唯一安全なのは、野菜を食べる事です。
そして、汚れた動物が入るような酒も飲まないため、水だけ与えて
くださいと言ったのです。
このような箇所を読んで、菜食主義=神の教え、酒を飲まない=神の教えなどと、読み違えてはならないのです。
これから、反キリストの集団が起こり、政治的に無理やり偽物の神々を拝まされるかもしれない。その時に、どうするのか?という事が
問われているのです。
迎合、同化、同調、偽物の教えにシンクロするのか、それとも
神の言葉、教えに立つのか、これを試される時が来るのです。
それは小さいことでしょう。何を食べるのか?これに同調する事は
小さい事に見えます。エデンの園でも同じ、たかが食べる、されど
食べる、イコール命につながる行為だからです。