"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう? -18ページ目

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

ヨハネの手紙を読むと、そこには、トラー=モーセの五書に記された

神の教えをもれなく忠実にガードして生きるように書かれています。ヤコブ書も同じです。

 

1ヨハネ4:1 愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。

多くのにせ預言者が世に出てきているからである。

 

全ての霊。キリスト、ジーザス、主よと言いながら、イスラエルの神

父の教えとは遠くかけ離れた宗教の教えを実践し生きる人々がいた。

今もいるのです。

 

偽物の教え、偽預言、どうやってためすのですか?

それらが、神の言葉=トラー=モーセの五書に記されていないことを

語っているなら、それは偽物!ということです。

テストするとは、神の言葉に照らし合わせて、真実かどうか識別することです。神の言葉に照らし合わせる以外、偽物の教えか、本当か

照らし合わせる基準がないことを、はっきり知ってください。

自分の中にある空想、確信、思い込みではありません。

世間に流通している、西洋宗教思想=時代ごとに人間が神の教えを定義し直して解釈して良い、置換神学、デイスペンセーション神学=

神の性質、言葉神の業の進化論などに照らし合わせても、そこに神の言葉の永遠の真実などありません!

神の言葉が、何をどう人に伝えて教えているのか!その手がかり=神の言葉を捨てる場合、語られている教えが偽物か本物、嘘かまことか知る基準を失っている状態になります。

 

4:4子たちよ。あなたがたは神から出た者であって、彼らにうち

勝ったのである。あなたがたのうちにいますのは、世にある者よりも大いなる者なのである。

4:5彼らは世から出たものである。だから、彼らは世のことを語り世も彼らの言うことを聞くのである。

多くの人が、ローマが作った神の言葉を捨てよという思想を土台とした宗教が受け入れられてしまったのです。

神の教えが廃れた、古い、終了、関係ないという教えはこの世の教えであり、神の教えなどではありません!

それらの教えはもれなく1000%、この世=人間から出たもので

あり、神=聖霊=イエシュアから出たものではありません!

聖書にそんなことは書かれていないからです。

神は偽らない神であり、変化しない、人に真実しか伝えない。

神が永遠普遍!変わらない!と言われた神の性質、言葉を人間が信じない、神の言われたことを言い換えて、宗教の教えを浸透させ続けているだけです。そのような違反をやめない限り、嘘も本当も分からない盲目状態に留まるのです。

 

聖書を教える機関、神学校、セミナリーでは、聖書、オリジナルの

ヘブライ聖書をどのように学び、どのように正しい情報にアクセスし、どのように調べ、どのような文献があるのか、聖書を正しく

紐解き、教えられないとならないのです。

 

幸い、今そのようなことを教える教師がいます。

一方、ユダヤ人というだけで、イコール、皆が正しくヘブライ聖書、トラーを理解し解説しているのではないことを、知ってください。

これは、大きな別のトピックで今は書けませんが、様々なムーブメントがあります。ヘブライルーツ、メシアニックなどと聞くでしょう。

みな一緒くたに同じではないのです。

そして、注意しなくてはならないこと、大事なことは、神の言葉

聖書に記されたことを記されている通りの意味で、正しく理解し、

解説し、教えているか!これが、何より外せない重大なポイントなのです。当然でしょう!

学校に行って、教科書とは違う解説をする教師はいないでしょう。

宗教、信仰の世界では、なんでもあり、聖書に書いてないことを

解説しているのです。

神の言葉を捨てる、蔑ろにする、聖書に書いてないことを語るのは

聖書ではない、人間の思想で聖書を解説していることが、原因です。

 

今や時代が変わり正しい情報に手が届く時代になりました。

その文献は主に英語ですが、正しく翻訳をすれば、その中に書かれていることは、調べることが出来ます。

聖書を学ぶ時に、神の言葉の方を曲げる思想、神学を通して学んではならないことは必須です。

スコッフィールド聖書や、デイスペンセーション神学、人間が編み

出した思想を学んでも意味はありません。そこに真実はない。

それは、聖書を学ぶのではなく、人間の編み出した思想、神学を学ぶ学問であり、聖書とは関係のないものであり、学ぶ必要などない

いや、神の言葉を理解する上で、邪魔な偽物の教えです。

聖書は聖書で、読み解く。神の言葉を、人の思想を通して読むから

プロテスタントも、45000以上の宗派があるのです。

それらは、神の言葉の方を否定する、所詮人間の目から神の言葉を

歪めて語る思想であり、聖書を学ぶ上で邪魔な思想だからです。

 

聖書を、人の教え〜時代ごとに変化する神、言葉、神の救い、贖い

このような聖書解説を全部捨てない限り、結局人間が編み出した教えの種が頭脳の中にずっと蔓延り、別の根、芽、枝、幹から別の教えが

編み出され続けて行きます。

問題は人類誕生の最初から同じです。

人間が、神の言葉、教えではないことに騙されて、その嘘を信じて

偽物を生きること。これが本当の問題なのです。

聖書には、クリスチャンが語るような変化する神、変化する神の言葉

教えなど1つも書いてないのが、事実だからです。

 

預言書には、未来預言、何がいつ起きるかということが中心で書かれているのではありません。

そして、それら数少ない預言は、人を恐怖に陥れるためではなく、

神の言葉、約束に根付いて、神に信頼して生きることを、ますます強化されるためのものなのです。目的が違う。

世界の出来事を見て、1つ1つ預言解説をし続けている人がいますが、ニュースのヘッダーを見て、即座に勝手な解説をしても意味が

ありません。

同じことが、繰り替えし、歴史の中では起きるからです。

ユダヤ人も、様々な患難に遭遇し、その都度、これが世の終わりだ!

メシアが来る!と思って来たのです。

でもそれは終わりではなかったのです。同じことが繰り返される。

1970年代はカリスマ運動の全盛期で、神の教えに根付いて生きることではなく、神の言葉を正しく教えることではなく、奇跡、いやし

不思議現象に皆踊らされて行きました。

預言書に記された神の警告は、神の教えからズレて生きることへの

警告であり、未来の起こると予測されていることの中で、神に信頼し、恐れないで生きること!

 

この箇所で、イエシュアが言われたことは、ダニエル書に記された

近い未来、神殿崩壊=70年に実際にされた神殿崩壊が起きることを、話しているのです。

クリスチャンは、ぜひ歴史の中で起きた、人間こそが神の言葉を

変えた大元であり、神ではない!

神は人が神の言葉を付け足し、差し引き、塗り替え、再定義していることを断固として禁じていることを、聖書から知らないとなりません!

今は自由に人間が神の教えを選べる聖霊時代、律法時代は終わったという大嘘、偽情報を信じる人は、神の言葉はその人には正しく通じないまま、人間の教えに洗脳され続けて、神への冒涜を平気でする無感覚状態に留まり続けます。

神の教えも、記念日も神は変えていません!人間が自由に仕分けて

それぞれが思うところの好きな日を安息日、記念日として良いなどという不真実なことなど人に教えません!!!

 

災難が起こる日、その日が安息日=第7日目ではないようにと

イエシュアが言われた箇所があるでしょう。

あれは、70年代のローマによる神殿崩壊でもあり、多くのユダヤ人

110万が虐殺された時でもあり、9000人が捕虜、奴隷となった時の預言です。

同じことが、未来にも起きるでしょう。

反キリストの勢力はそのまま健在だからです。

イエシュアは、安息日ではないように、その日が日曜日ではないように、などと言ったとは書いてないでしょう。

 

聖書に書いてある安息日は、100%第7日目であり、日曜日のこと

など1つも書いてありません!

日曜日は、ローマ帝国が最初にローマ帝国皇帝を崇める日、太陽神

を崇拝する日として決めた日なのです。

後から、キリストという意味づけを足しただけです。

それは、クリスマスも、イースターも、ハロウインも全く同じやり方で、異教神の祭りを、自分たちの宗教の意味を後付けして、パクった

祭りだからです。

聖書に書いてないでしょう。クリスマスを、イースターを祝えという

仰せや、それを実際に祝った人も聖書に書いてありません!

それらは、ローマ教の宗教が作った記念日だから、神の仰せではないからです。

神の前には今日も、今も日曜日は、普通の日、労働初日であり、

聖別された日などではありません。偽証をやめないとならないのです。

人と集まり、何をしようと、それは何曜日でも出来るのです。

でも、普段の日、神が神の子らを呼び出している聖別された日ではない日を、聖日、主の日などと言い換える冒涜は、神の前に何を意味するのか、主を愛する人は全て神の言葉に戻り考えないとなりません。

人間が神の創造を塗り替え、再定義し、神が言われたこととは違う

ことを堂々と発表し、それを神がありがたく受け取ると人が教える。

そんなことはしてはならないことなのです。

 

間違った聖書の読み込みをやめない限り、人の教えが聖書ではない!

という事実にさえ、全く気がつけないまま、聖書の記述をクリスチャン読者が曲げて読み込みし続けてしまいます。

そういう、神に対する違反をやめるのです。

書いてある意味通りに、普通に読む。学校の教科書で、第7日目と

あったら日曜日と読まないでしょう。それと同じことをするのです。

 

マタイ24:15 預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば

24:20 あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように

祈れ。

24:21 その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もない

安息日〜第7日目や冬ではないようにと、イエシュアが言われました。

日曜日などと言っていません!

昇天以降も、1000%全ての人は、神の教え=トラーに熱心に学び生きて、神の記念日、レビ記23章にある日を祝い続けて今日に至るのです。

どこに、日曜日が、安息日と変化した?と書いてありますか?

聖書には、神の言葉を人間が塗り替える冒涜をすることは、禁じられ

それらを偽教師、偽の教え、偽預言者と警告しているのです。

 

使徒13:5 そしてサラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言を

宣べはじめた。彼らはヨハネを助け手として連れていた。

13:14 しかしふたりは、ペルガからさらに進んで、ピシデヤの

アンテオケに行き、安息日に会堂にはいって席に着いた。

13:15 トラーと預言書の朗読があったのち、会堂司たちが彼らの

ところに人をつかわして、「兄弟たちよ、もしあなたがたのうち、

どなたか、この人々に何か奨励の言葉がありましたら、

どうぞお話し下さい」と言わせた。

13:42 ふたりが会堂を出る時、人々は次の安息日にも、

これと同じ話をしてくれるようにと、しきりに願った。

 

彼らが教えられた教えは、モーセの五書=トラー、預言書、諸書のみです!そして、それらを熱心に求めたことが書いてあるのです。

ここに書いてあるのは、シャバットに会堂でトラー朗読と、それに

付随する預言書の箇所を読むのが今も行われています。

安息日とは、第7日目であり、日曜日ではありません。

勝手な読み込みを全て一切やめない限り、神に対する冒涜行為を

イエシュアを信じる人が平気でやり続けてしまいます。

聖書に登場する人は、誰一人、日曜日が変更された安息日などという

神の教えを否定する冒涜を信じて、実践する人は存在しないという

事実だけに立って、聖書を読まない限り、ローマ帝国、人間が作った

教えを、神の教えだとこんな簡単なこと、聖書から分かることさえ

誤解したままになるのです。

人間が作った教えや、記念日はイスラエルの神の仰せ、教えたりするものではない!という永遠の事実に盲目にされているのです。

神の教えと、神の記念日を作り変えたのは、ローマ帝国!この事実は

永遠に神の前に変わらないのです。

人間がやった冒涜、罪!それを、どうして実践するのか。

 

あるプロテスタントのグループで、シャバットだけを強調して

他の記念日は祝わないとか、ある人は過越の祭りだけ祝うというようなことをする人たちがいますが、それも欠けた状態です。

未来、イエシュアが来られたら、全ての人が神のモアデイムの全てを祝うようになると預言されています。それが神の創造された、神の民の記念日だからです。

神が人に教えている通りにするのです。神の記念日を、神の民は

もれなく全て祝うように教えられているからです。

イエシュアもそうされたでしょう?それをどうしてしないのか

不思議に思ってください。

1つの曲を、最初から最後まで演奏しないで、抜粋の数小節だけ

演奏するという、自己流をやって、神の言われたことを理解していないのです。

イエシュアがされた通りに、やってみれば良いのです。

WWJDと言うならば、その通りになぜクリスチャンはしないのでしょう?