聖書の記述に照らし合わせれば人間の編み出した教えの方が嘘であることが証明される | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神が人に教え、伝えている、神に属する人達、それはユダヤ人、異邦人、人種に関わらず、混合の1つの集合体、大家族、群れ

なのです。

 

ダービー教、デイスペンセーション神学が語る2つに分裂した

家族、異邦人とイスラエルは別!イスラエルへの教えと、異邦人の教えは別!天と地で永遠に分かれて統治する!

ユダヤ人は父なる神の花嫁、異邦人は、ジーザスの花嫁!

こんな空想の創作話を聖書であると教える教師がいるのです。

そんなことは、聖書には1つも記されていません。

預言者、イエシュア、パウロ、使徒たちも、そんなまがいもの

偽物の教えなど、人に教えてなどいません!

 

イエシュア昇天以降、使徒2章のシャヴオートの祭りで、

新しい時代、教会時代、聖霊時代、恵みの時代が来て、

新しい教え、キリスト教と言う教えが初めて教えられたと

考えていませんか?

古い教え、律法、モーセの五書とは違う、今迄聞いた事のない

恵みに満ちた別の教え、古い厳しい律法は廃れた?

昇天以降も、聖書の中に記されている人たちは、100%皆

イエシュアが教えた、モーセの五書だけを教えられ、モーセの五書、父の教え、はじめの愛、トラーを生きていたのです。

4世紀に第四の獣が作った宗教は、最初から人間が作ってはならないものだった!それが、黙示録にも、ダニエル書にも預言

警告として書かれているのに、正しく読み取らず、新しい教えが

出現し、ペテロがカトリックの初代教皇だという作り話まで

している始末なのです。

このような思想、聖書解説は、全て人間が編み出した教えであり

聖書とは、真逆の教え、神の教えに真っ向から反する思想を

堂々と教えられ、それが異邦人の世界に拡散されてしまったのです。

モーセ、預言書、諸書=聖書に記されたメシアが、神が預言し、

それらが預言者により書かれた通りに、地上に生まれて、

罪ではない人が、罪となって処刑され、復活された。

それは、永遠の中に完結している、贖いの事実を証明されるためにも、イエシュアは来られたのです。

 

もし、イエシュアが来られなくても、神が伝えることだけで

人に証明しようとするならば、それが神の計画だったなら、

その場合、神が伝えた言葉を信じるという手段しかないのです。

 

しかし、それでは、全世界に、神を信じない人への証拠

証明は出来ません。

 

神が言われた言葉が、実際に地上で実現し成就する。

誰も、イスラエルの神を否定出来ない!という事実を突きつけられてしまうのです。

それは、イスラエルの神だけが本物の神であり、唯一の創造主であり、権威者であり、全世界の所有者、支配者であることを

証明すること、それを世界に知らせる為でしょう。

 

イエシュアが来られる前後で、神の性質、神の人への関わり

贖い、救いの方法、手段、許し、聖霊が内側に住まうこと

人の生き方、神の教え、エデンの園のアダムとハヴァと

今の時代の人と、何1つ変わったものなど無い!

この事実を聖書から正しく把握しない場合に、人が編み出した

聖書から逸脱した肉にアピールする思想に流されてしまうのです。

それとも、クリスチャンだけ、昇天以降、2000年前から

肉体も精神も頭脳も進化、変化し続けているとでも言うのでしょうか?同じ体、同じ人間でしょう?

 

マタイ〜黙示録には、創世記〜マラキとは違う教えや、

神が神の言葉を否定、終了、破棄されたなどという教えは1つも

書かれていません。

自分で聖書を調べないとなりません。神の教えが変わった、

神のシャバットや祭りが終了した、又は人が考えつく日が

いつでも安息日で良いと神が言ったなどと解説される箇所は、

もれなく全て、100%間違った聖書解説です。

聖書に書いてある意味を、正しく理解しない人達が

ローマ教、ダービー教のように、人間の思想で神の言葉を曲げて

解説しているだけです。

 

ヨハネ10:16わたしにはまた、この囲いにいない他の羊

ある。わたしは彼らをも導かねばならない。
彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。
そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。


イエシュアの言葉が響きませんか?何が書いてありますか?

この箇所以前に、イエシュアは、「イスラエルの失われた羊の元だけに、父から遣わされた」と言われました。

それは、イスラエルが神の契約を受け取った代表であり、

神の教えを聞いて、先祖代々生きて来た選びの民だからです。

 

それは、大家族の長男の役割を仰せつかった、任されたのです。異邦人の元にいきなり来ても、神の教えなど全く馴染みがない、

知らない。イエシュアが誰かも分からない。

先祖代々異教の神々に仕える事しか知らない。

イスラエルの神が伝える教え、生き方など聞いたことも、

教えられた事もない。

神の教えなど知らないのが普通です。トラー、預言書、諸書に

約束のメシアが到来する事が書かれていることさえ、クリスチャンも、信じる以前は、知らないままだったのが、普通の状況なのです。

詰まり、異邦人は、神の教え=トラー=婚姻契約=はじめの愛

を全く知らない、先祖代々、誰も生きても来なかったから

分からないのです。

そのような異邦人のところに、イエシュアは遣わされていない。

それは、異邦人のところに直接行っても、認識されないからです。

従って、ユダヤ人を通して、イエシュア、トラー、神の教え

福音を世界へ伝達する役割を与えられたと書いてあるのです。

その大々的な幕開けが、使徒2章のシャヴオートの祭りの出来

です。

シオンからみ言葉=神の教え=トラーが出て、全世界へ伝えられると預言された通りだからです。

神の言葉を正しく伝え、本物福音を伝えたのは、ユダヤ人です。

そして、神の大家族は1つだけです。

 

ローマ 11:24 なぜなら、もしあなたが自然のままの野生のオリブから切り取られ、自然の性質に反して良いオリブにつがれたと

すれば、まして、これら自然のままの良い枝は、もっとたやすく、元のオリブにつがれないであろうか。
 
異邦人も同じ木=イエシュアに接ぎ木されると解説しているのです。野生=異邦人、自然=ユダヤ人です。
 
エペソ2章の最初の部分に、異邦人もユダヤ人も同じ方法
イエシュアを通して、神が差し出した贖いの代価、
子羊イエシュアを通して、恵みにより贖い出されたとあります。
それは、ユダヤ人、異邦人、人種により違いはない!と
パウロは、トラーに記された事実を解説しています。
 
そして、後半に、ユダヤ人と異邦人は1つの群れ、家族であると書いてあるのです。
デイスペンセーション神学ように、肉の思想で神の1の家族を
2つに分けて解説するのは、神のエハッドである性質、
そして、エハッドである神の性質に似せて造られた人の性質を
聖書から理解していません。
一体、主にあって1つの意味が、ダービー教の神学では、
聖書とは真逆の思想を語るので、それが聖書から逸脱した思想であることは、神の言葉自体がはっきりと証明しているのです。
 
エペソ2:12 またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの
国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、
この世の中で希望もなく神もない者であった。
 
これだけ読んでも分かります。イエシュアを通して、イスラエルの神の元に戻るまで、異邦人、異教徒、異教の神々の教え
文化、慣わしに染まって生きていた。
イスラエルとは何も関係がない、国籍もない。
契約=はじめの愛、婚姻契約に加えられていない、縁がない。
よって、創造主である神を知らないまま、希望がなかったとあります。
2:13 ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって
近いものとなったのである。
 
遠く離れて居た!そうです。神の大家族の内側の外に居た。
その異邦人も、イエシュアの贖い、子羊の代価で、
出エジプトした異邦人同様、神とそして、ユダヤ人と
近いものとなったとあります。
この近いという言葉は、生贄と訳されている「コルバン」
同じ文字、語源です。
「引き寄せる、近づく」という言葉です。
子羊イエシュアというコルバンを通して、神ご自身に引き寄せ、
引き戻し、近づかせてくださった。
神の中に引き寄せられた結果、同じイスラエルの神の大家族に
加えられ、他のユダヤ人、又は先に神の家族になった他の人達と
近い関係、同じ神の中に住まう、神の大家族になったと書いて
あるのです。
この神が語る事実は、ダービーが語る、二分裂思想とは、真逆であるとパウロの語るトラーの事実を読んで、理解しないとなりません。
小学生、いや幼稚園生でも、理解出来るレベルの内容です。

2:14 キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、

こにある敵意とは、契約の中に最初から加えられた約束の民で
あるユダヤ人と、神の契約、イスラエルの国籍もない、野生児
異邦人との間には、超えられない隔ての壁がありました。
その壁とは、ユダヤ人が作ったルールです。契約の民ではない
異邦人は野蛮人だとみなしていたのです。偏見もありますが、
異教の神々、女神、偶像礼拝で、汚れた生き方をする人達
たしかに、神の前におぞましい生き方を、知らないまま平気でしている、それが異邦人だからです。
割礼という名前を付けた、ユダヤ人が編み出した改宗儀式をしてユダヤ人にならないといけないという掟があったのです。
それがない異邦人とは、ユダヤ人は一切関わらない、口も聞かない、日常生活で関係を持たないという、分厚い壁、拒絶があった
ことを理解してください。
これは、ペテロでさえ、異邦人に対する偏見を持っていたことが
書かれています。それは当時のユダヤ人全般、今のユダヤ教の
ユダヤ人も、異邦人とは壁を作り関わらないという人がいるのです。
2:15 数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、
この箇所は、クリスチャンの牧師、教師、クリスチャンの間で
多大に誤解され、歪められ、パウロが意図していることから
逸脱した解説を施されている代表箇所でもあります。
 
規定から成っている戒めの律法とは、モーセの五書、神の教えのことなどではありません!当時のユダヤ人が作った、様々な
ルールや教え、規定のことです。
これらを、戒めの律法、先祖の言い伝え、伝統の教えなどと
他の言葉に置き換えて、使われ解説している、人間が編み出した
教え、ルールのことです。
カトリックや、キリスト教の中にも、人間が編み出した教えや
ルールが無数にあるのです。しかし、それは神の教えではない。
 
「二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ」
ここに、パウロが書いてる、2つのものをひとりの新しい人に
造り変えとあります。
どういう意味ですか?2つ、ユダヤ人と異邦人はバラバラだった
それぞれ、接点がない、分裂した人たちであった。
しかし、今は、イエシュアを通して、新しい人を与えられて
イエシュアを通して1つとなった!それが事実です。
分裂ではない。
そして、以下に続きが書いてあります。
 
2:16 十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と
和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。
 
二つのものを一つのからだとして神と和解させ
とあります。良く考えて下さい。このような神が伝える事実を
無視するのが、人が編み出す思想なのです。
神の言われることを、堂々と塗り替える、それは自分の思想が、神の言葉の上より権威があると勘違いしているのです。
その大元は、何ですか?神の言葉を塗り替え否定し、ユダヤ的な
こと一切排除して、人間、第四の獣、ローマ帝国が4世紀に
作った宗教と同じ根を共有しているからです。
 
ユダヤ人と異邦人は2つに分裂していた理由は、互いの間に
あった敵意です。これを、神が滅ぼし、1つ家族、体とした!
と書いてあるのに、ダービーはその単純な事実さえ理解しないのは、モーセの五書を正しく知らないからです。
人間が4世紀に作った、神の教えを否定した宗教を土台として
考えているから、聖書から逸脱した教えは、無限に編み出せるのです。
いや、パウロの短いモーセの五書に書かれたこの解説を読んだけで、1つである事実を、正しく理解出来るはずなのです。
 
2:17 それから彼は、こられた上で、遠く離れているあなたがたに平和を宣べ伝え、また近くにいる者たちにも平和を宣べ伝えられたのである。
神から遠く離れ、ユダヤ人の群れとも何も関係がなかった異邦人にも、同じシャローム、神の言葉、教えが伝えられて、そして
同様にユダヤ人達にも、同じ神の教えが伝えられたとあります。

 2:18 というのは、彼によって、わたしたち両方の者が一つ御霊の中にあって、父のみもとに近づくことができるからである。
 
この箇所でも、ダービーの二分化思想が、聖書から逸脱したことがはっきりパウロにより記されています。
パウロが書いているのは、モーセの五書、預言書に書かれている
事実を、短く解説しているだけです。
「わたしたち両方の者が一つ御霊の中にあって、父のみもとに近づくことができるから」
一つ御霊にある、イコール、別々の教えを生き、別々の行動をし
天と地で別々に別れ、聖書にない記念日と、神が創造された
記念日を、人種により別々のものを祝うなど、神は教えてなど
居ません!