来月9月下旬は、秋の祭りがやって来ます。
シャバット、新月、春の4つの祭りと、秋の3の祭りは、
神が創造された本物のアポイントメント、呼び出し日、
聖日であり、第四の獣が作り替えたものと、神が創造された
記念日は違います。
しかも、一方は、神が創造され、神ご自身が神の子ら全員を
呼び出し、未来も永遠にこれらが祝われる「わたしの記念日」
と人に教えているものです。
一方、第四の獣、ローマ帝国、龍の物言いで、神の教えと
神の創造されたイエシュアを表す記念日の全てをすげかえ
作り替えたものは、人間由来です。
その日を、神は聖別していませんし、神は人を呼び出してもいません。神が呼び出している日ではないのに、主の日、聖日、
神の記念日などと、偽証をされてしまっているものです。
それらは、伝統で浸透し、家族や親族との楽しい思い出が密着するものであるから、複雑なのです。
しかも、大元が、皇帝の崇拝日、太陽神の日、日曜日。
そして、クリスマスやイースターは異教の神々、女神、異教徒の祭りを
パクリ、作り替えて、キリスト的な意味を後付けするという
大冒涜をしたものなのです。偶像礼拝を禁じるという意味は、全く
通じてもいないまま、それが浸透してしまったのです。
だから、全世界、異教徒、異邦人がこぞって祝う季節の祭りと
なったのは、元が異教徒祭りだからです。
一方、創造主が創造された本物の記念日は、その意味を本当に知る人しか、祝わないものなのです。
この違いを、聖書に基づき考えるのです。
そして、クリスチャンがローマ14やコロサイ2、1コリント16、使徒20,などを取り出して、間違った聖書解説をしています。
それらは、日曜礼拝になった証拠とか、今は人が考える日、
いつでもシャバット、記念日、祭りなどと主張しますが、
そのような事を言う時点で、聖書を正しく読んでいないということに気がついてください。
原典聖書には、翻訳聖書で、異邦人が解説する聖書解説とは
違う事が書いてあるからです。
神は、人間が、神の言葉と、神が創造された記念日を作り変えることを、断固として禁じているからです。
それは、黙示録の最後の章まで、禁じられていることが
書かれているのに、通じていないだけなのです。
伝統、大衆、そして19世紀に渡り、神の言葉が異教徒上がりの
西洋人、西洋教父にのっとられ、作り変えられてしまったものが
浸透してしまったのですが、これが今、オセロのコマがひっくり
返るように、神の言葉に気がついた異邦人も、神の言葉、教える
生き方に戻る、軌道修正をしているのです。
嘘をやって生きても意味がないからです。しかも、神が禁じていることを、知らないまま、それが神を愛する事と教えられ、やらされている、それに気がついたら、嘘はやめます。
子供の頃は知らないからやっていたけれど、大人になり、
神の伝える言葉、真実に気がついたら、子供の頃、偽の教えに
騙されてやっていた全ての嘘を信じる、生きるのをやめる、
当然のことなのです。
ディスペンセーション神学では、使徒第2章のシャヴオート=七週の祭り(ギリシャ語ペンテコステ 第50日)で起きた出来事、聖霊の到来から、第7のディスペンセーションの幕開けまでということになります。
使徒2章の出来事を、大幅に誤解しています。
クリスチャンが唯一話題にする、神が創造されたモアでイムは、
このシャヴオートです。日曜礼拝は、シャバットを西洋教父が変えてしまったものですが、それは、神が創造されたシャバットではありません。
シャヴオートは、聖霊降臨祭などという祭りではありません。
聖霊は、信じる人の内側似、エデンの園から同じように住まう事実が、タナックには記されているからです。
シャヴオートの祭りのこの時、集まっていた場所は、
ベイトミグダッシュ 神殿です。
なぜなら、神の三大都上りの祭りは、エルサレムの神殿で行われるからです。
過越の祭り、種無しパンの7日が終わり、そこから7週間、
七回のシャバットを過ごす、これは、穂を数える7週、新しくされた人、初穂=イエシュアの新しい命に繋がり成長する穂に
なぞらえて、実際に穂の成長を見て、考えて生きる7週なのです。49日が終わり、50日目にシャヴオートの祭り
なので、第五十日というギリシャ語、ペンテコステと呼ばれるのです。
しかも、神の家がある、シャバット、祭り、そして日々、
神の祭壇の上では、神殿が存在している間は、変わらず
コルバンが捧げられていたのです。
未来の神の家、エルサレムの神殿でも、同じようにコルバンが
捧げられるのです。
それは、イエシュアの業を教えるものであり、罪の許しのために
その目的のために、コルバンが捧げられてきたのではないからです。
イエシュアが昇天されたのは、過越の祭りから、3日目、
初穂の記念日に復活されたのです。
そして、復活されたイエシュアが弟子たちに現れ出た時期が、
7週間、穂を数える49日間なのです。
そして、弟子たちに、自分の故郷、家に帰らず、エルサレムに
留まり、シャヴオートの祭りを待ちなさいと言われたのです。
シャヴァートの祭りは、出エジプトを出てちょうど同じ時期、
7週間を経た時に神から正式に法的婚姻契約を与えられた祭りなのです。
この祭りは、小麦の収穫祭でもあります。
この時には、種無しパンではなく、パン種が入った小麦の初穂の
最上のもので2つのパンを祭壇に捧げるのです。
パン種は、この時には、罪、ハメッツを意味するものではなく、
子羊の血で新しくされた人の要素、パン種を表しているのです。
聖霊が使徒二章の祭りで初めて、人に与えられたと言う事実とは違うことを、削除してください。
エデンの園の最初から、神は信じる人を、神が支払い済みの
代価を根拠に神の者として、そして聖霊を与えているからです。
シナイ山出の出来事の方がもっとすごい事だったのです。
天が直接降りてきて、神の声を皆が聞いて、恐れおののいたと
あるとおりです。
使徒二章のシャヴオートの祭りを、ユダヤ人ならシナイ山の
再来と分かったのです。
しかも、使徒たちが、他の国々、他国の言語、言葉で語り始めたとあるのです。
人が理解出来ないような、意味不明な言葉では、ありません。
人が理解する言語、それぞれの国の言語で語ったのです。
これは、世界中へ、ユダヤ人が与えられた同じ約束、祝福
神の教えが、大々的に伝えられる幕開けとなった祭りだからです。イスラエルだけではない!世界の四隅に住む、神の所有である人々へ、全民族のアヴラハムが立てられ、アヴラハムを
通して与えられた同じ祝福、約束、福音を受け取るからです。
聖書に書いてある意味を、書いてある通りに先ず正しく把握することが何より重要です。聖書に書かれていない、人間の編み出した作り話を作らないためです。
もし、クリスチャンが神の創造された祭りを、重要と理解するならば、それは全部、ワンセット、全楽章を奏でると言う事を
神が教えていることに気がついてください。
それらは、全て、イエシュアの業を表すモアディムだからです。
ある部分だけ取り出して、話題にしたり、又は別物の記念日に変えてはならないのです。
キリストを信じて、天国行き切符を手に入れる、人にそれを教えれば、後は神の言葉は廃れた、破棄されたから、神の古い教えは
排除、生きなくて良いと教えられます。
そして、神を愛するとは、イコール、4世紀に人間、ローマ
第四の獣、ローマ帝国が作った宗教の思想、教え、活動、実践
儀式、記念日をやること、イコール、それが神を愛する事だと
教えられてしまうのです。
英語では、Peagan Christianityというタイトルの本、日本語訳のタイトルでは「異教まみれのキリスト教」を、多くの日本人が
読んだそうですが、クリスチャンが、一般的に聞かされている
教えが、なぜ異教まみれなのか?その大元の問題、原因に
たどり着かないとならないのです。
4世紀にローマ帝国が、政治的理由、ローマ帝国支配拡大統制の為に作った宗教なのです。
その人造宗教の教えは、イエシュアが教えた教えとは違います。
イエシュアは異教まみれのキリスト教を教えたのではありません。
イエシュアが教えられたのは、父の教え、トラー、モーセの五書
であり、クリスチャンが古い悪い廃れた律法と呼び続け、神の
言葉を排除している、そのものの教えです。
まるごと、欠けがないシャローム状態、父の意図通りを教え、
生きて手本を見せるために来られた!とイエシュア
ご自身が言われた言葉は、正しく教えられず、伝えられず
神の古い教えは、破棄された、なぜなら、キリストが律法を
成就したからであると、意味不明な無理な解釈を施している。
イエシュアが言われた意味通りに伝わらないまま、間違った
聖書解説がクリスチャンの間に浸透しているのです。
このように、聖書から逸脱した聖書解説が生まれる理由は、
大元の原因は、見かけは子羊に見えるけど、龍の物言いをする
と黙示録で警告された、神の言葉を破棄し、否定し、人間の教えを混ぜた宗教を4世紀に作ったものだからです。
この宗教がどうやって作られたのか、詳細を知れば、
真実に目が覚めると思います。
そして、ペテロは、ローマ・カトリックの初代教皇などでは
ありません!
ペテロが、教えたのは、イエシュアが教えられたモーセの五書
父の教え、はじめの愛、これらクリスチャンが古くて廃れた
悪い律法と教えられている、それだけを教えたという事実さえ
見えないまま、空想話を土台とした、聖書解説がされているのです。ペテロは、トラーを生きて、ローマ帝国に処刑されたのです。
この問題に、気が付かない限り、聖書から逸脱した教えや
生き方の、あれ、これ、それと指摘しても、その大元の巣
偽物の生産されている宗教という、神の建物、カハールを
破壊する教えを編み出す、その害虫の巣、土台を一掃しなくては
ならないのです。
一番の問題は、イエシュアを信じた後、神の言葉を捨てて生きて良い!と教える事なのです。
神の教えなど、捨てていないと考えているでしょう。
しかし、律法が廃れた!とクリスチャンが宣言している意味、
実践、行動、生活スタイルを考えないとならないのです。
廃れた教え、はじめの愛を捨てた!と警告された通りを、
異邦人は、最初からずっと継承し続けて、イエシュアが教えられた事とは違う事を伝えて、生きてしまっているということに、
全く気がつけないのは、聖書に書いて無いことが、書いてあると言う事に、気が付かないからです。
いや、正しい教師に教えられていない。聖書をそのとおりに教えられていない。イエシュアが教えて生きた、トラーを捨てよ!
という龍の大嘘を、聖書と信じているから。
堂々巡りなのです。原因はそれだからです。
詰まり、ある信じている、実践しているある事柄は、聖書の事実ですが、聖書ではない人間の都合で作った教えがふんだんに混じっているのです。西洋宗教をやっている。
それが問題であり、それが偶像礼拝の大元であり、姦淫の罪
龍の声なのです。
このディスペンセーション神学思想が、クリスチャン達に
聖書ではないのに、聖書であると教えられていて、現在、
まさに第七の時代、「教会時代」にいると教えているのです。
一般に教会時代と呼ばれていますし、あるいは「恵みの時代」と呼ばれるのを耳にすることもあるでしょう。
そんな事は聖書に書いてありません。
神は、永遠から永遠にめぐみと憐れみ、許しに富んだ神であると、神のご性質をご自分の口から紹介しているのに、
この神学の主張は、神の言葉を、真っ向から無視し、
塗り替えています。
怒りの神、恵みの神律法時代、聖霊時代と、神の性質の進化論を語り、肉の思想人間の目から見た印象、感想を語っているだけで、神が伝える神の性質、神の言葉の性質、神の業の性質を全く理解していないのです。
聖書信仰と信条を発表するなら、部分的聖書信仰は捨てて
神の言葉、100%イエシュアがされたように、パウロや使徒が
したように、そのようにしなくては、神の言葉を捨てた部分に
人間の教えと言う嘘が入り込んだままになります。
古い教えは廃れたというならば、クリスチャンが読んでいる聖書マタイ以降は、まさに律法そのものであり、律法の抜粋、短い
引用であることにも、気が付かないまま読んでいるだけなのです。
神の言葉は、西洋教父やダービーやその他の教師が語るように
分解などできません!
イエシュアの業を、ミシュカン、神の家の中でずっと教えて来たのです。昇天以降も神殿がローマにより破壊されるまで、
神の家は、今迄通り機能していたのです。
未来、イエシュアが来られたら神の家の中で再び同じ儀式
コルバンが捧げられ、イエシュアがされた業を教えられるのです。
この時に、処刑されたから、この時点から神の贖い、許し、聖霊が住まう事が稼働、有効になったという思想は、聖書ではないのです。事実が聖書に書いてあるからです。