クリスチャンが祝っているのは、第四の獣=ローマ帝国が神の教えを捨て、変えて作った人造宗教の教えです。
見かけは子羊に見えても、語る物言いが、龍の教えです。
聖書には書かれていない、人間が神の創造されたモアデイム
全て捨て、代わりに別物の記念日を作った。
その裏にある日は、太陽神、皇帝の崇拝日、異教の神々、女神の祭り
しかも、女神の名まで付けられている祭り。
それらの記念日は、神が創造された記念日とも聖書には書かれていない、誰も知らない、祝ってもいない。
当然のことながら、それらは聖書には記されていないのですが、
書いてもないことを、聖書に書かれていると、疑いもなく信じ、
神がそれらの祭りを祝え!と教えていると、疑いもなく信じて
実践しています。
そして、神が永遠に祝ってと言われる、本物を完全に捨てている!と言う大罪をしているなどと、微塵にも頭に浮かばない。
これが、蛇の騙しの性質なのです。
本物と、偽物をすげ替えること、これが反キリストのやることなのです。
私達は、偽情報を刷り込まれ、それが聖書、神の教えと信じこんで
やってきたのですが、それらは人間の作り物であり、神が禁じている
行為です。
神は厳重に偽物、まがいもの、混ぜ物をして、神に近づくことを
禁じていることに聖書を読んでも、全く気がついていないのです。
偶像礼拝、マリヤ像や、その他、異教の神々の偶像を拝まないとか
作らない、その程度にしか考えていないのです。
偶像とは、人の中にある思想です。それが形になるだけです。
人の思想、聖書、神が伝える事実とは違う教えを通して、神を語る
神に近づく、礼拝する、それら偽物を通して神近づく行為は、
全て偶像礼拝そのものであり、気がつかないまま、偶像礼拝=
それをやらされているのです。
聖書には、シャバットが日曜日に変更されたことなど、1つも書かれていませんし、神の創造されたモアデイムに違反する思想、実践を
する人のことは書かれていません。今は人が考える日が重要などと
ローマ14でパウロは、神のモアデイムのことなど全く話していなどいない箇所を、間違った聖書解説を施して、今はいつでもシャバット
などと、堂々と教えていますが、嘘、偽の教えです。
神が創造されたモアデイムが、どれ程重要であると神が伝えているのか、それはクリスチャンには全く通じてもいません!
その代わり、人間、ローマ皇帝が作った日曜礼拝、クリスマス、
イースターを重大尊重しているのです。
この事を、神の言葉に基づき考えてみたら良いのです。
神は、別物を通して、神に近くことを、厳重に禁じているのです。
しかも、問題は、神が創造された本物のアポイントメントの日を
イエシュアを信じる人が捨てていること、汚していること、捨てている、無視しているとも、考えていない事。
これが問題であるとも、全く無感覚、頭の片隅にも登らない
闇、盲点があるのです。
なぜ、人が作った偽物を尊重し、神が厳重にガードせよ!と教えているシャバット、祭りを捨てているのか?
それは、古い律法時代の教え、祭りだからだというダービーの様な人
が語る龍の物言い、ローマの大嘘を信じて、神の言葉、教えをイエシュアを信じる人聖霊が内側に住む人が退け、世界に向けて、ローマ帝国の象を紹介し映し出しているからなのです。
聖書を読んでも、神が教えている事実が見えないのは、モーセの五書を、正しく教えている人がいない、学んでいないからです。
そして、他に必要な様々な情報を学習していないからです。
土曜日の夕暮れは、日曜日の始まりです。今でも、土曜のシャバットが終わる時に集まることをする伝統がありますが、それは日曜礼拝
などはありません!
もし、使徒20章、過越、種無しパンを祝っている人が、日曜礼拝をするという思考回路こそが、聖書から完全にずれています。
クリスチャンは、神が創造された記念日を1つも祝わず、ローマ帝国が作り変えた祭りや、曜日、日曜礼拝や、クリスマス、イースター
変えられた祭りをやっているから、分からないだけなのです。
過越の祭りを祝う、除酵祭りとは、種無しパンを食べる7日間の祭りであり、これは、過越の祭りの初日から始まるので、過越、種無しパンと両方同じ意味で交互に使われる言葉です。
過越を祝うという意味は、イコール、毎週シャバットを第七日目に
祝い続けていると書いてあるのです。
その意味は、神の教えを捨てる人には通じないままです。
日本人が正月を祝うと言ったら、大晦日の前、仕事納めや、大掃除
飾り付け、おせち料理準備したり、その他諸々全部やると分かる、
知っているでしょう。それと同じです。
過越を祝う人が、シャバットを捨てて、日曜礼拝をする??
この発想こそが、聖書を知らない異邦人、ローマ教やダービー教を
刷り込まれ、聖書を正しく学ばない欠損、代償なのです。
シャバットを祝うことは、レビ記23章に記された神が創造された
呼び出し日、記念日の全てを祝え!教えているのが、神の仰せなのです。1つだけ、取り出して祝う、それは人間の勝手な考え、やり方
神の言われることを、理解しない人が、主張し、やっていることです。
祭りは、曜日にかかわらず、初日と、最後の日をシャバットとして
止まり祝うという、神の教えを知らなくてはなりません。
異邦人も同様に神のアポイントメントの日、シャバット、新月
祭りを祝うように招かれているにに、丸無視している。
いや、意図的に神の言葉、教えを無視するクリスチャンはいません。
嘘を教えられているから、その人間の宗教の教え=偽情報、神の教えは廃れて、古い律法時代の教えと、祭り、安息日は、別物に変わりましたという大嘘を刷り込まれ、それを本当と騙されているから
神が忌み嫌われること、神に敵対すること、罪、聖別を汚す行為を
堂々と無感覚にやり続け、それが今の時代の礼拝だ!神を愛する証拠だ!日曜礼拝、クリスマス、イースター、万聖節、レント、処女マリア生母の昇天日の祭り、その他諸々西洋宗教が作った記念日を熱心に
やるのです。
人の作った宗教の教えや記念日をやるのではなく、神が教えた教えを生きて、神が呼び出している本物のアポイトメントの日を尊重する
それが、神の前にみ旨に叶う生き方であり、イエシュアが教えられた
通りなのです。
人の作った宗教=偽物の影を地上に映し出しているのです。
イエシュアではないものを、人に伝えている。特にユダヤ人には
異物に見える、異端なのです。
使徒 20:6 わたしたちは、除酵祭=種無しパン、マッツアが終ったのちに、ピリピから出帆し、五日かかってトロアスに到着して、
彼らと落ち合い、そこに七日間滞在した。
20:7 週の初めの日に、わたしたちがパンをさくために集まった時、
パウロは翌日出発することにしていたので、しきりに人々と語り合い、夜中まで語りつづけた。
そして、神が永遠に祝ってと言われる、本物を完全に捨てている!と言う、それが神に対しての冒涜、罪であることなど微塵にも頭に浮かばない。
これが、蛇の騙しの性質なのです。神の教えを捨てる、シャバット
祭りを捨てて、汚す、イコール、神を愛していない、尊重していない
ことなのです。
次の日、日曜日の昼間に旅に出た。日曜日は、普段の日だから
旅行、活動をしていることが、はっきり書いてあるでしょう。
クリスチャンが空想する様な日曜礼拝もないし、日曜の昼間に
集まり、キリスト教の様な礼拝、主題説教、献金を募るなどない。
それは、ローマの宗教のしきたり、慣しであり、聖書ではない。
神ではなく、人間が作った宗教を崇拝して、仕えている。
本物と、偽物をすげ替えること、これが反キリストのやることなのです。
私達は、偽情報を刷り込まれ、それが聖書、神の教えと信じこんで
やってきたのですが、それらは人間の作り物であり、神が禁じている
行為です。
神は、神のモアデイムを汚すことを、聖別を汚し、きよいものと
きよくないものの区別もできない祭司に対する警告をしているのです。
聖書を教える人が、聖書ではない、龍の声を通して、神の言葉を曲げて人に伝えてきた!と言うその闇に、光=聖霊=イエシュア=神の言葉の真実が差し込み、その事実通りに目が開かれれば、どれ程神が
禁じていることを、堂々と平気でやらされ、世界へ歪んだ顔、象の
メシアを伝えてきたのか驚愕するのです。
偽証をするなかれとある通り、神は人が神の言葉、神のモアデイムを変えることを、厳重に禁じている、警告していることを理解しない
反キリストを探してみても、エルサレムの神殿の上には立ちません。
ローマ皇帝はヨハナンが黙示録を書いた90年代、それ以前にも
キリストに逆らうものは、カエサルであり自分の宮殿に立ち、
カエサルを神の子と市民に呼ばせ、崇拝させ、カエサルが、
ローマ帝国を救うキリストであると宣言していたのです。
ローマ帝国に平和、繁栄、安泰をもたらす神であると、宣言し続けて来たのです。
そして、反キリストの定義は、1)イスラエルの神に敵対する
反することをする
2)神の伝える言葉を、偽物にすり替えることをする
この様なことをすること、人々、思想に注意すれば、それはずっと
エデンの園の最初から、終わりに至るまで、され続けていることに
注意できます。
そして、実際にそれが自分の周りで行われているのです。
エゼキエル 22:26 その祭司たちはわがトラーを犯し、聖なる物を
汚した。彼らは聖なる物と汚れた物とを区別せず、
清くない物と清い物との違いを教えず、わが安息日を無視し、
こうしてわたしは彼らの間に汚されている。
シャバットだけを尊重するのではありません。
神が伝えた教えを生きること。
そして、シャバットは、神が創造主であり権威者である宣言であり
そして、神の民、聖別された人、血筋に関係なく、もれなく
父なる神のもとに戻った人に与えられた「印」婚姻指輪なのです。
それは、生きて、世界に光、神の真実を伝えることをする人。
それを捨てて、人が作った偽物印をつけて、やっているのです。
神は、神のモアデイムを汚すことを、聖別を汚し、きよいものときよくないものの区別もできない祭司に対する警告をしているのです。
イスラエルと異邦人と区別する、ダービー教の教えは、聖書ではない
神の教えに対して盲目、闇を生み出し、神が教える真実を人に
伝えない、さえぎる妨害をする思想そのものなのです。
だから、神の教えを人間が曲げて、別物、偽の教えを人にしては
ならない、偽教師が背負う代償は重いとあるのです。
人を、誤り生き方、神の教えに背く、それる、神の教えから意識を
離れさせ、聖別を汚す、罪を生きることに実際にいざなっているからです。
神との近しい関係から、離れさせる、それは、聖書ではない、
羊の様で、実は龍の物言い=偽物の教えなのです。
聖書を教える人が、聖書ではない、龍の声を通して、神の言葉を曲げて人に伝えてきた!と言うその闇に、光=聖霊=イエシュア=神の言葉の真実が差し込み、その事実通りに目が開かれれば、どれ程神が
禁じていることを、堂々と平気でやらされ、世界へ歪んだ顔、象の
メシアを伝えてきたのか驚愕するのです。
偽証をするなかれとある通り、神は人が神の言葉、神のモアデイムを変えることを、厳重に禁じている、警告していることを理解しない
出エジプト20:8 安息日を覚えて、これを聖とせよ。
20:9 六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。
20:10 七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、
家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。
20:11 主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを
造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされ
神は止まる日、シャバットは第七日目と人に教え、創造の最初から
それを教えています。
創世記2:1 こうして天と地と、その万象とが完成した。
2:2 神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、
そのすべての作業を終って第七日に休まれた。
2:3 神はその第七日を祝福して、これを聖別された。
神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからで
ある。
神は、週の中で、第七日目だけを聖別され、祝福されています。
他の6日間は、普通の日であり、労働日、活動日であり、止まる日
ではありません。
問題は何か?人間が、神の言われたことを、塗り替え、すげ替え
別物に変身させて、神が言われた通り、特別な日、神が言われた通りに止まり、その日を取り扱わない行動、態度、思考回路です。
日曜日に集まろうと、他の日に集まろうとそれは自由です。
日曜日にオンラインクラスをずっとやっていますが、それは、
シャバットで集まっていますなどとは言いませんし、
そのような取り扱いをする日ではありません。
別の目的で、集まっているだけです。
シャバットは第七日目だけです。
神が聖別された日でないものを、人間が作り、それを尊重し、
それを、主の日、聖日と偽証すること、そして、神が造られた
シャバット、新月、祭りを捨てること、汚すこと、これが罪なのです。
そして、神が聖別されていない日を、主の日、聖日と人間が聖別した日を、神が聖別された呼び出し日という偽証が、罪なのです。
それは、神が言われたことではない、龍の物言い、第四の獣の創作日を神が聖別されたという大嘘、偽証を世界へ発表する罪を犯しているからです。
きよいもの、きよくないものの区別を、クリスチャンは信じた最初から教えられていません。
それは、神の言葉を捨てるように最初から教えられ、神の教えではない第四の獣が作り替えた龍の教えを語る宗教が作り替えた教え、
儀式、皇帝崇拝、異教の神々、女神の記念日、祭りを作り替えたものを記念日としたもの、聖書に書いてもないことを、本物と教えられ
それを伝統で継承し実践しているから、聖書を読んでも事実が見えないのです。
イエシュアの昇天の日と、シャバットには繋がりがないのです。
シャバットが終わるシャバットの夕暮れ、グレゴリオ歴の土曜日の夕方復活されても、それが理由で、シャバットが日曜日に変更されることなどないのです。
その理屈こそが、龍の物言いそのものであることに、聖書から気がついて下さい。
偽証をしてはならない。神が聖別されたものを汚してはならない。
人が、神の仰を捨て、罪を生き続けてはならない。
結局、神を愛すると考えながら、神の言われることを捨て、神の言われたことを尊重していないとも考えられず、ローマ皇帝が作った宗教の教え、実践を尊重しているだけなのです。
気がついたら、神に対する、冒涜、罪、聖別を汚す行為の一切から
止めると考えるのは、当然のことなのです。