人間が作った宗教が諸悪の根源  | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

キリスト教、カトリック、ギリシャ、ロシア、聖公会、何と呼ぼうとそれらは、聖書には記されていない教え、宗教の教えから発展した

宗教とそのグループです。

 

イズム、宗教とは、人間が神の教えを変える、人が編み出した教えを

付け加える、又は、神の言葉、教えを差し引き無効にする

こう言うことをしているのが、人間が編み出した宗教です。

 

これは、人間が主体になり、神が神ではなくなると言うことです。

なぜなら、神が言われたことを、人間が拒絶し、聞かないと言う態度が土台にがっしり居座っている思想だからです。

その人に取り都合が良い、受け取りやすい、理解しやすい、

自分が納得出来ることだけを取り入れる。

人間主体、人間が神になっている、それが宗教です。

つまみ食い信仰。食べ放題のブッフェで、好きなものだけ取るそういう信仰です。

神の言葉を退けると言うことは、エデンの園と同じ、こう言うことが

起きるのです。

神に聞くと言う態度がない。神に信頼するそこに、異物が侵入する。

もし、神を信頼するなら、人が神の教えは廃れた!などと発言する

こと自体、神を心底信頼していない証拠だからです。

なぜなら、神ご自身が、神の言葉は完全であり永遠に変わらず、

廃らず、固く立つ!と言われた、その神の宣言を人間が真っ向から

拒否し、神の言葉に聞いていない、そこから宗教の教えが始まって

いるのです。

神の言葉、教えを捨てる、退けると言う思想、行動で、神が教えて

いることが、神の言葉をさえぎり、捨てる人には通じなくなります。

そして、自分の考えで神の教えを勝手に作り替える、勝手に解釈する

そう言うことをするのが、人間が作った宗教です。

 

神の言葉を人が捨てているから、神が言われていること、

神がどのように生きよと、人に今現在、今日も教えていることを

理解していないから、神の意図通りには生きていない、しない。

知らない間に、神が最も忌み嫌う行動、生き方、聖別を汚し、

罪が罪とも分からない生き方、思想に汚染されてしまうのです。

クリスチャンなら、もし神が何が罪であり、何が神が忌み嫌う行為であり、何が神の聖別、神の宮である自分を汚す行為なのか、

神が伝える事実=言葉から理解したならば、そんなことしたいとは

絶対に考えないし、思いもしないし、やらないです。

 

知らないから、知らないまま、罪、聖別を汚す行動をやらされている。

神が忌み嫌うこと、神が禁じていること、神の目に罪であること

神の前におぞましい生き方、聖別を汚す行為、知らないから

やっている。何が神が伝えている生き方か、神の言葉を捨てる人には

通じないからです。異教まみれの西洋宗教とある通り、

神の言葉と、人間の編み出した罪、おぞましい生きかた、教えの

区別、識別が出来ない状態だからです。

その究極、見た目で分かるのが、教皇、牧師、教師が賛同する

LGBTQです。

同性愛、同性婚は罪か、そうではないか??

この様な事は、人が口を挟む余地、議論の余地などないのです。

聖書に、神の口から出た言葉で、はっきりと神の教えが記されていて、その罪は、死に匹敵する罪であると、神が人に伝えているからです。

神の言葉を人間が退けることをする、イコール、人間の基準で神の

言葉、教えのどんなことも、人主体で拒否、却下してしまうのです。

それが人間が編み出した宗教の闇なのです。

神の言葉を自由自在に、その個人個人の判断で仕分けて良いという

嘘を教えられている人には、神の伝えることなど通じなくなっているのです。

レビ記には、11章から27章は、神に聖別された人が、神の家の中

聖別された神の家、イエシュアが教えられているその通りを生きる

ことを教えているのです。

神の古い教えは廃れた!という偽情報、第四の獣が語る龍の物言いを

信じる人は、神の言葉、教え、羊飼いの声を退け、龍、獣、偽物

666の声を、神の声だと騙されたまま信じているのです。

だから、クリスチャンが罪を罪とも分からなくなっている。

詰まり、龍の声に騙されて、本当の羊飼いの声が聞き分けられないのは、神の言葉を捨てて、神が何を教えているのか、罪の定義、

聖別の定義を知らないままだからです。

 

レビ記 18:3 あなたがたの住んでいたエジプトの国の習慣を見習ってはならない。またわたしがあなたがたを導き入れるカナンの国の習慣を見習ってはならない。また彼らの定めに歩んではならない。

18:4 わたしのおきてを行い、わたしの定めを守り、それに歩まなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。

 18:5 あなたがたはわたしの定めとわたしのおきてを守らなければならない。もし人が、これを行うならば、これによって生きるであろう。わたしは主である。

 

18:22 あなたは女と寝るように男と寝てはならない。これは憎むべきことである。

 

レビ記18:25 その地もまた汚れている。ゆえに、わたしはその悪の

ためにこれを罰し、その地もまたその住民を吐き出すのである。

 18:26 ゆえに、あなたがたはわたしの定めとわたしのおきてを守り、これらのもろもろの憎むべき事の一つでも行ってはならない。国に

生れた者も、あなたがたのうちに宿っている寄留者もそうである。

 

 18:29 これらのもろもろの憎むべき事の一つでも行う者があれば、

これを行う人は、だれでもその民のうちから断たれるであろう。

 18:30 それゆえに、あなたがたはわたしの言いつけを守り、

先に行われたこれらの憎むべき風習の一つをも行ってはならない。

またこれによって身を汚してはならない。

わたしはあなたがたの神、主である』」。

 
パウロは、レビ記18章に、聖別された人が結べる関係、
禁じられている関係、その神の教えから、以下を書いているのです。
マタイ〜黙示録は、全てトラー、預言書、諸書に記されたこと
特にモーセの五書に記された神の教えを短く引用、抜粋、解説しているだけなのです。古い教えを捨てて、新しい教えを教えているという
嘘、偽情報を1000%全部破棄しない限り、聖書は正しく読めない
神が伝えている通りには、理解出来ないまま、歪め、曲げられた
違う聖書解説を聖書を信じ込んでしまうままになります。
神の教えを知らない、どう生きたら良いのか分からない、迷い出るということに導かれてしまうのです。
 
1コリント6:9それとも、正しくない者が神の国をつぐことはないのを、知らないのか。まちがってはいけない。不品行な者、
偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、
盗む者
ローマ1:26 それゆえ、神は彼らを恥ずべき情欲に任せられた。

すなわち、彼らの中の女は、その自然の関係を不自然なものに代え、

1:27 男もまた同じように女との自然の関係を捨てて、互にその情欲の炎を燃やし、男は男に対して恥ずべきことをなし、そしてその乱行の当然の報いを、身に受けたのである。

 

1テモテ1:9 すなわち、律法は正しい人のために定められたのでは

なく、不法な者と法に服さない者、不信心な者と罪ある者、

神聖を汚す者と俗悪な者、父を殺す者と母を殺す者、人を殺す者、

1:10 不品行な者、男色をする者、誘かいする者、偽る者、偽り誓う者、そのほか健全な教にもとることがあれば、そのために定められていることを認むべきである。

 

赤字の部分は、全て、神の言葉、トラー、はじめの愛を捨てて生きている人への警告そのものなのです。

不法=アノモス、クリスチャンが律法廃れた!と主張するものは

実は、永遠不変、神の言葉の完全版=契約=ノモス=モーセの五書

はじめの愛であり、それを捨てよ!と龍が語る声に騙されているのです。

神が伝える罪が、罪とも分からなくなっている。

罪とは、ズレです。神が創造された人の性質とは違うことを

生きること、それがずれ、的外れ、ハター、罪なのです。

罪は、確実に人を歪め、周りを汚染し、破壊します。

イエシュアを世界に向けて、歪めたイエシュア、偽物を伝えて

しまっているのです。なんでもOK,話の分かる変化する神!

 

これは、小さくても、大きくても、罪は神の創造されたデザイン

性質とは違うので、人を破壊するものなのです。

食べることも同じです。生活、生きることの全ての領域に於いて、

神は神が創造された人がどのように生きるのか、教えているのです。

それを無視するのが愚かな人間のやることなのです。

創造主として、神を認めていない行為。自分の考え通り好き放題やる!これが宗教の教えなのです。又は聖書ではない、宗教の教えに

忠実に仕える。最初から同じなのです。

小さいことのようで、それは命に繋がる決定的致命傷な行為。

神が禁じたことをする、食べる!同じなのです。

 

聖書を正しく学ばない教師は、人に神の言葉通り、正しく教えられず、罪にいざなう、人を誤りの道へ導く危険なことを教え続けて

神の教えが廃れたおかげで、自由になった!それが正義!恵の時代の生き方だ!話が分かる人などと考えているのですが、もうこれは、

イエシュアに属する人の考え方、態度、生き方から完全に外れた

思考回路、行動です。

イエシュアが来られて、新しい教え、カトリック教を作り、

カトリック教の初代教皇がペテロと神が任命したのだと言う作り話を作り、それを信じているのは、聖書を知らないからです。

 

ペテロが神の教え=契約=はじめの愛=トラーを捨てた生き方し、

ローマが作った、反ユダヤ、反トラー思想を土台とし、神の創造されたモアデイムを人間が全部捨て、汚し、皇帝崇拝の日、太陽神の日、

サンデー、神が聖別された日ではない日を、主の日、聖日と偽証し

呼んでいる。異教の神々、女神の祭りを作り替えたクリスマス

イースターを祝えとペテロが人に教えるとでも考えているのですか?

ペテロは、ローマ帝国、第四の獣に、トラーを生きているから

殺害されたのです。使徒は皆第四の獣に処刑されたのです。

しかも、ローマカトリックを作ったのは4世紀です。

ペテロはとっくにこの世界にはいません!ペテロは、トラー、

契約に忠実に生きて、人に教えた使徒であり、ユダヤ人であり

オリンピアローマの偽物イエズスの教えなど、人に教えたりしません!

作り話、嘘を本当と信じる、聖書に記されている闇とは、嘘を信じる

闇のことなのです。

光=イエシュアを通して、神が見る、伝えることとは違うことを

教えられてしまう。それが人間が作った宗教の悪事なのです。

 

聖書に登場する人は、残りの民は、100%全て契約=はじめの愛=

シナイ山で文字で与えられた法的契約書に記された、神の民、

神の元に戻った異邦人も同様に、神が伝えた通り、神が創造された

神の性質に似せて造られた人の生き方、詰まり、イエシュアが

地上で教え、示して、実際に生きたトラーを、めぐみとまことで

生きると教えられているのです。

ローマが4世紀に神の教え塗り替えて、否定し、別物の教え

トラーを捨てよ!生きるな!と言う思想を生きている人は、

聖書には一人もいません。

イエシュア、パウロもペテロも弟子達、そして1世紀のイエシュア

信者も、誰一人、今のような人間が作った宗教の教え、実践

思想を信じて、宗教活動をし、日曜礼拝、クリスマス、イースターを

祝っている人など、聖書には書かれていません。

異教まみれの慣し、記念日、教え、祭り、それが異教まみれの

西洋宗教の実態なのです。土台が、偽物の教え。

どうして、聖書に書いてもないことを、聖書だと信じるのか?

それは、人間が4世紀にユダヤ人のイエシュアではない、

オリンピアローマのイエズスという別物にすり替え、作り替えた

聖書に書いてないイエシュア、神の教えではない、聖書ではない教えを、作り出したからです。嘘、偽情報を聖書と信じ込んでいるから。

人間が編み出した宗教は、腐敗します。それが16世紀までの

ローマ教の腐敗で証明されているでしょう。

今も同じです。権力、支配、それを金銭で行う、銀行家に借金し

教皇、王、司教、枢機卿の座を金で買う。全て、金で手に入れる世界にまで腐敗したのは、元が神の教えに根付いて生きることを

教えない、人間が作った宗教だからです。

これは、今の世界でも同じです。

神の教えから離れ、現象、体験、奇跡、癒し、不思議、印、そして

宗教組織、リーダーが金銭搾取することを求めるのは、神の教えを

正しく学び、知り神が伝えている通り、契約に根付いた生き方を、

最初から全然教えられていないからです。

その結果、悪魔にスキを与え、肉の欲にアピールすること、

現象にひかれ、神の教えなど正しく学び、神の教えを生きて

成長するということが、ごっそり抜けてしまった歴史を辿っているからです。

イエシュアは、ローマ帝国が神の教えを否定して作った宗教など

人に教えていません。

ペテロも、ローマ・カトリック、人間が作った宗教、その組織の

初代教皇などではありません!

なぜ分かるか?聖書には、事実が書いてあるからです。

人間が作った宗教とは違うこと、一般的に浸透し、見聞きしている教えとは、逆が書いてあるからです。

聖書には、異邦人が編み出した宗教の教えは書かれていません。

イエシュア、メシアは創世記の最初から、トラーの中に記されて

いるのです。

そして、西洋という名だけでも、ヘブライ、イスラエル、ユダヤではないと認識しないとなりません。西洋人が作った西洋思想に変えられた宗教だから、西洋宗教と呼ばれているのです。

 

宗教改革をした後も、元の問題、人間が神の言葉をまげて

捨てて、作った思想、その土台、反ユダヤ、反トラー思想は

一掃されませんでした。

ルター自体が、反トラー、反ユダヤ思想であり、最後はホロコーストでヒットラーがした全ての悪事は、ルターが自分の書に記したことを

ヒットラーが行ったからです。ヒットラーはルターを、神から与えられた教師と仰いでいた。

そして、ルターも、自分が理解できない、相容れないヤコブ、ヘブル

ヨハネの手紙などを聖書ではないと認定しているのです。