黙示録2章 サルデスの群れの人々に対する警告 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

黙示録が書かれた時代は、90年代、第四の獣であるローマ帝国

支配下にユダヤ人が、異教徒異邦人の間に生きていた時代です。

7つの群れは、現在の西トルコの都市に存在した、複数の群れ、

カハール、エクレシアです。

ユダヤ人の中には、イエシュアを知る人達がいました。

その人達にヨハナンは、警告と励ましの手紙を暗号形式の文書

アポカリプスというジャンルに属する形態で記しています。

ヨハナンが語る言葉=暗号は、トラー、預言書、諸書、そして、

当時のグレコローマ宗教、哲学、神話と、そして7つの都市の歴史、地形、経済、軍事事情など、様々なことに対比させ本物の神=

イエシュアと、偽物の神=ローマ皇帝が支配する世界は、

やがて終わるという、ローマ帝国に対しては国家転覆罪を語っている

内容なのです。

この世の終わりの大惨事、レフトビハインドの小説、映画や、

クリスチャンだけが、秘密裏の再臨、空中軽挙で天に消えて、

永遠にユダヤ人とクリスチャンは天と地に分かれて存在し、治めるというトラー、預言書、諸書を正しく理解しない、西洋人の勝手な

空想で作った作り話は、ヨハナンは記していません!

 

誤解してはならないのは、イエシュアが来られたから「カトリック、

キリスト教」という新しい教えが教えられ、メシアが初めて伝えられ、告白するだけで罪許され、初めて人の内側に聖霊が住まう時代になったというのは、異邦人の作り話です。

神の教え、神の贖いの業、そして神の性質のが時代ごとに変化するという進化論説を、デイスペンセーション神学〜人間が編み出した思想を通して聖書、神の言葉を歪めて考えることを、先ずやめないとなりません。

贖い、救いの業は、永遠の中に完了しています。

どの時代の、どの人種も、神の方から近づいて下さり、隔たりの場所から、神のもとに引き寄せてくださったのです。

この世の礎が創造される前から屠られた子羊〜と黙示録に書かれて

いるのは、創世記の最初、創造の記録から、ヨハナンが話しているからです。

それは、永遠の中に、神の中に人が住まう場所が設けられ、

そして、人も永遠の中に既に選び取られていたという事実が

トラー、預言書、諸書に書いてあるからです。

それをパウロも同じように解説しているからです。

 

エペソ1:4 みまえにきよく傷のない者となるようにと、

天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、

 

黙示録 13:8 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。

 

「ほふられた小羊のいのちの書、世の初めからしるされていない者」

この箇所は、ギリシャ語では、「この世の礎の創造の前から存在する

屠られた子羊」と書いてあります。

ニュアンスが、違うのが分かりますか?詰まり、イエシュアが地上で

証明された「木にかけられ処刑され、復活された」その事実は、

既に、この世界が物理的に神により造られる以前、永遠の中に

完結していることが、聖書の最初から記されているのです。

その事実から、考えないとならないのです。

西洋人達の肉の目から見る発想〜デイスペンセーション神学、

物事を歴史線上にズラズラずらずら並べて、この世の終わりの大惨事を解説するような思考回路で、聖書を読んでいては、神が意図する事を記した、聖書記者が記した内容から、逸脱した受け取り方をしてしまうのです。

現に、巷に流通、浸透している聖書解説は、神の言葉から逸脱した人の思想が無数にあるのです。酷いのは、神の創造を破壊する教え。

 

マタイ〜ヨハネの4つの書に記されているように、1世紀イエシュアが居られた時代も、それ以前も皆、モーセの五書、預言書、諸書に

記された「約束のメシア」を待望していたのです。

詰まり、彼らはそのメシアが、イエシュアという名で地上で呼ばれることを知らなくても、メシアが来られることを、待っていたのです。

残りの民は、どの時代にも、神の言葉を理解し、ノアやアブラハム

それ以降の残りの民同様、皆、信仰により受け取った子羊の血の贖いの代価を通して、父の元に戻り、聖霊を内側に受けて、新しい人とされ、神との関係に神により引き戻された人のことが、記されているのです。

イエシュアが来られる前の特別な人だけに、聖霊が与えられていたという解説には、盲点があります。

それは、聖書には、神が選び出された出来事、人物しか記されていないからです。

聖書に記されている、それ以外の人でも、イエシュアが来られる以前から、約束のメシア〜イエシュアを信じた人は、大勢いるのです。

それが、聖書が語る「残りの民」のことなのです。

キリストが来られたから、初めてキリスト教という別の新しい教えが

教えられたという、その教えは、捨てないとなりません!

聖書にはカトリックやキリスト教、そして、今のようなユダヤ教は

記されていません。純粋な神の言葉=トラー=イエシュアが教えられた父の教え=モーセの五書しかない!

しかも、1世紀の人は、キリストにつくもの、クリスチアヌスと

いう、新しい呼び名、あだ名が、周りの人から与えられましたが、「キリストのつくもの」は、創世記の最初から存在するのです。

 

他のあだ名では何と呼ばれていましたか?

1)הדרך  ハ デレフ、 TheWay, 「その道の者」

2)תלמידים  タルミデイム 弟子、生徒(イエシュアの)

3)נצרים ナザレ派 ナツリム

4)仲間内では、אחים アヒム 兄弟

5)מאמינים マアミニム 信じる者

 

クリスチャンと呼んでいませんが、これらの名で呼んでも、イエシュアをメシアと信じる人達なのです。

そして、その人達は、創世記の最初から、アベルのような残りの民

神の言葉、教えを聞いて、それをその通りに生きる人達が、

どの時代にも居たことが、トラー、預言書、諸書には記されているのです。

2000年前、突然別の教え、別の贖い、救いの方法が与えられ

それ迄の古い律法が消え、生贄捧げて罪許される必要がなくなった!

神の言葉とは違うズレた考えをしている、イコール、聖書に書かれていることを正しく読み取っていないということなのです。

生贄、コルバンは、罪の許しのために、仮に与えられたのではない

からです。これは、レビ記、トラーを、ヘブライ語で記された意味通りに、神が伝える通りに学ばないから、事実が見えないのです。

 

目に見えない天の家、神と人が住まう場所、神が物理的に臨在する

空間を設け、そこで人と語られ、神が人の内側に住まい、人も神の中に存在すること、そしてイエシュアの業の全て、神にどう近づくか

神との対話〜祈りは、新しくされた人の事実からだけを通して

神と語り合うこと。様々なことを教えられているのです。

五感を通して、体験的に学習する場所、それが神の家、祭壇の上の

コルバンであり、シャバット、祭りを通して、神が創造された

特別に聖別された「時」神との時に入る。

神が儲けた空間に入ることを教えているものなのです。

未来、永遠に朽ちない体が与えられ、神の家は地上に降りて来るのです。

イエシュアが天の大祭司、メルキゼデクの位に属する大祭司であり、

新しく来る時代、未来世界は、神の義=トラーを皆が生きるようになる。それがエレミヤ31:31の預言なのです。

 

どこから落ちたのか?どこから、神の教えとずれ、誰に偽の教えを

教えられてしまったのか?それを知る最も良い警告は、黙示録です。

なぜなら、ヨハナンがこれを記した時代、第四の獣である、

ローマ帝国の支配下に実際に生きて、どのように神の教え=契約=

トラーに記された教えを、捨てたか、又は忠実にガードしたか!

それが、記されているからです。

 

そして、黙示録の警告にあるように、ニコライ派の教え、バラムの

教え、それらは、異教の神々、女神、そして皇帝崇拝をすることに

交わること。

異教の神々、女神の儀式や崇拝は、性的不品行があるものなのです。

そのような偽物の教えを取り入れてはならないという警告です。

妥協、同化、迎合、シンクロ、同調してはならない!

詰まり、神の言葉、教えではないものを取り入れて、別物を通して

イスラエルの神に近づき、礼拝できない!と教えているのです。

神のトラー=契約=モーセの五書からズレて、偽物の教え、

ローマ帝国の皇帝崇拝や、異教の神々の要素が混じった祭りや

儀式に妥協した人達は、それらをしながら、イスラエルの神を

同時に信じていたのです。今も同じなのです。

この意味をはっきり、理解しないとならないのです。

 

ジーザス、キリストを信じてます!と、言いながら、偽物の教えも

儀式、祭りも、同時に取り入れて、ローマが作った偽物を通して、

イスラエルの神に近づき、礼拝している!!!これが、警告なのです。偽物でも、良い!と神は言わないどころか、厳重に禁止しています!

それに気がつけないのは、ローマが作った偽物を、これ程迄の

長い間、1900年の間、しかも異邦人クリスチャンが皆やっているから、何が神の教えで、何が禁じられた作り物の教えなのかも、

聖書を読みながら、分からないだけなのです。

今は、その人の考えることが大事、考える日が安息日、なんでも良いという、嘘を信じているからです。聖書に記されたイスラエルの神は

そんなことなど言わない!と言うことが、全く通じなくなってしまったのです。

神の教えから、離れて、別の教えに落ちたからです。

今、アメリカの神学校も、罪が罪とも分からない教師が、教え、

神学校を運営してます。

LGBTQに同意しない人は、その神学校に入れない、その教団が

属する場所で、働けない。聖書を教える人が、神が伝える罪が

何かも、分からない。愛が冷めるとは、神の教え=契約=トラーに

対して無知になる!と言うことなのです。

これ、公に見えるので、良いと思います。

詰まり、問題は、罪の1、2、3ではなく、信仰の土台が実は

聖書信仰です!と言いながら、黙示録で警告されている、妥協〜

偽物の教え、ローマ帝国が勝手に作った、皇帝崇拝、異教の神々

女神の儀式、記念日、教えに変えた偽物!

そして、神の教え=トラーは廃れた!律法は破棄された!という

大嘘を土台として作られた、皇帝=人間が主体の人造宗教!

それに対しての同じ警告をヨハナンがしていると分からない人には、分からないのです。

しかし、神が伝える事実に基づき考える人は、灯が部屋に付いて、

その中にあるゴミの山=聖書ではない、人間の作った偽物の教えが

ゴミ、異物、神の家に持ち込んではならない、とんでもない破壊兵器であることに、気がつけます。人を偽の教えに導く、闇に導くもの。

 

クリスチャンが誤解しているように、神はローマ皇帝崇拝のように

人が神の座に座り、今は人の判断で、神の教えを仕分けて良い!

これ、デイスペンセーション神学が、超まちがった解説をしている

箇所の一つですが、時代ごとに正しく神の言葉を仕分けると

英語では、訳されていますが、そんなこと言う神は、聖書に記された

神ではないことに、気が付かない人たちが、堂々と教師として

聖書を教えているのです。

神はいつでも、人が考える日が安息日で良い!そんなこと

パウロはローマ14章で言ってもいません!!!

それらの日とは、ローマ帝国の日、断食をする人が考える日、

その他、人間の作った記念日のことであり、レビ記23章に記された

神の創造された記念日を、いつでも、人間の考えで変えて、別の日に

別の記念日〜異教の神々、女神の祭りを通して祝って良い!

そんなことなど、一言も言ってもいないのに、そのような間違いの

聖書解説を根拠に、好き放題に神の言葉を変え、罪を生きるよう

助長され、聖別を汚している!と言うことにさえ、全く気がついていないのです。

自分が良かれと思う、神を愛していると思いしていることが、

実は、神が最も忌み嫌う行為、罪、聖別を汚す行為を堂々と

気が付かないまましている!ということは、聖書を正しく理解しない場合には、全く気がつけません。

偽物を通して、神に近づいてはならない!神の家に、偽物の教え、

偽物の構造を持ち込んではならない!

偽物=人間の考え、それが偶像なのです。

神の教えを捨て、人間の作った物にすり替えて、それらを通して

イスラエルの神を礼拝してはならない!

それらは、イスラエルが犯した同じ罪だからです。

しかし、聖霊が記された神の言葉を通して、聖霊が何が真実なのか

神の言葉から教えて下さいます。

 

黙示録 3:1 サルデスにあるカハールの御使に、こう書きおくりなさい。『神の七つの霊と七つの星とを持つかたが、次のように言われる。

わたしはあなたのわざを知っている。

すなわち、あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる。

 3:2 目をさましていて、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。わたしは、あなたのわざが、わたしの神のみまえに完全であるとは見ていない。

 3:3 だから、あなたが、どのようにして受けたか、また聞いたかを

思い起して、それを守りとおし、かつ悔い改めなさい。

もし目をさましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう。

どんな時にあなたのところに来るか、あなたには決してわからない。

3:4 しかし、サルデスにはその衣を汚さない人が、数人いる。彼らは白い衣を着て、わたしと共に歩みを続けるであろう。彼らは、それにふさわしい者である。

3:5 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられるのである。わたしは、その名をいのちの書から消すようなことを、決してしない。また、わたしの父と御使たちの前で、その名を言いあらわそう。

 3:6 耳のある者は、御霊がカハール、エクレシアの全ての群れに

言うことを聞くがよい』。