ニコライ派の教えとは、何でしょう?
自由奔放な生活: 「神の恵みによって救われているのだから、
偶像に捧げられた肉を食べたり、性的な罪を犯したりしても問題ない」と教えたとされています。
階級制度の持ち込み: 教会の中に「聖職者(指導者)」と
「平民(一般信徒)」という上下関係(階級制度)を持ち込んだ教えだとも解釈されています。
偶像に捧げた肉とは、これは、食してはならないきよくない動物の事です。なぜなら、パウロは、「偶像の神々など存在しないから、
それらを恐れなくても、良い。その肉は食べられる。」と教えているでしょう。
市場では、きよい動物〜食せる動物でも、異教徒が売っている、
又は、それらの肉が偶像に捧げられた肉も売っていたからです。
1コリント8:1−13
食してはならない肉は、レビ記11章に記されている、
神が人が食す目的では造られていない、別の目的〜清掃目的で
造られた動物は食してはならない。
それらで、自分を汚してはならない!
聖別を汚す行為〜罪であると、はっきり教えている言葉が、
神の教えを捨てる、廃れたと信じる人には、神の言葉の通りには
全く通じていません。
なんでも、かんでも取り入れてOKという、それこそ、ローマ帝国
ミックス宗教文化が生んだ思想です。
レビ記11:44 わたしはあなたがたの神、主であるから、
あなたがたはおのれを聖別し、聖なる者とならなければならない。
わたしは聖なる者である。地にはう這うものによって、
あなたがたの身を汚してはならない。
わたしは、あなたがたの神である!という宣言を、真っ向から無視
したのが、ローマ教の教えです。人間の考えを神の言葉、考えの上に持ってくる事、これこそが、皇帝崇拝、インペルアカルト教思想。
神の言葉を否定し、自分達の解釈に塗り替えたもの、それが偶像礼拝の正体、自分の考えを通して神に近づき、神の考え、教え、言葉を
捨てる行為〜それが偶像礼拝なのです。
偶像〜人間の考えを神の考え、教えの上に持ってくる、それら人間の教え、やり方それが、偶像礼拝の正体なのです。
最初から同じです。エデンの園の蛇の嘘。バベルの塔。その他諸々
神の教えを曲げた人の生き方が、ずっと記されているのです。
レビ記11:45 わたしはあなたがたの神となるため、あなたがたを
エジプトの国から導き上った主である。わたしは聖なる者であるから、あなたがたは聖なる者とならなければならない』」。
エジプトの国から導き上がった主〜エジプトに住まわない異邦人
には関係ないという偽情報を教える人は、聖書を正しく学んでいない人です。
トラーを教える教師が、聖書を知らない!聖書とは異なる無理な
解釈を施し、自ら破滅を招いている。
トラー教師となっていなければならない人が、トラーに書かれた事を理解していないどころが、それらの神の教えは廃れた無用の教えだ!などと、とんでもない偽の教え、思想を教え続けて来たのです。
その結果、神の言葉を正しく学ぶ事がめっきりなくなって、
体験至上主義に走って行ったのです。
約束の地〜カナン〜エデンと、エジプト=神の内側から外側に出て
本当の神が分からない、神に繋がって生きられない、偽物の教えの
奴隷となり、自分が誰か分からない。神が教えてくださる本物の
自己像を失い、偽物の神々に仕えて、生きていた、それは100%もれなく全ての人に当てはまる事なのです。
それをエジプトで表して、教えているのです。
実際エジプトを出た人の中に、異邦人は大勢いるのです。
240万という数字は、女性、子供、異邦人の数です。
その人数が、イスラエルと共にエジプトから出た。神の声=言葉に
応答し、信じ、信じるだけではなく、初子、一歳の子羊を屠り、鴨居に血を塗った。その家は、死が通り過ぎ、初子は打たれなかった。
覆われた人=異邦人も同様に出エジプトし、シナイ山の麓で神から
婚姻契約を一緒に受け取り、12部族の中に、一緒に加えらていた
事実を、知らないから、見えないのです。
神の教えの全貌は、未だ分からない時も、神の言われた事、
全て生きます!とイスラエルと共に一緒に神に宣言したのです。
「わたしの契約を守るなら、神の最も貴重な宝、あなたがたは祭司の国、聖なる民となる」と言われてこう宣言したのです。
出エジプト19:8 民はみな共に答えて言った、「われわれは主が言われたことを、みな行います」。モーセは民の言葉を主に告げた。
(出エジプト24:3−7)
神は、神の教え=契約書を、イスラエルを代表〜大家族の長男に託して、全家族に同じ教え、同じ贖い、救い、同じ生き方を教える代表としたことを、はっきり知らないとならないのです。
その大家族の長、長子がイエシュアです。イエシュアを信じるというならば、それは、イスラエルという名字の大家族に加えらたと
書いてある事実を、聖書からはっきり読み取らないとなりません。
神との関係に入った「印」は、この婚姻契約で表されており、
神から頂いた、神との関係、契りを結んだ証拠、神の者とされた事実が、「シャバット=印、婚姻指輪」を与えられたと神が伝えているのです。だから、全て「7」なのです。
異邦人には、神の契約に根付く生き方は、関係ないと言うならば、
それは、イエシュアと何も関係がないという意味になるのです。
神は神が提示した契約以外の関わり方、近づき方を、人がしてはならないと教えているからです。
夫の言う事を捨てて、ローマ帝国皇帝=現人神が作った宗教の教えで
曲げられた聖書解説や、聖書ではない教え、神の言葉を塗り替える
教えを神の言葉と信じるから、事実が見えなくなるのです。
契約という日本語は、ヘブライ語のブリットを表さない翻訳です。
英語では、コントラクトと、カバナントは意味が違います。
コントラクトはビジネスや労働、不動産、賃貸、売買、譲渡など
そのようなビジネス的な意味がある契約です。
一方、聖書が語る「ブリット」は、日本語で一番近いのは、
「契り」です。
関係を結ぶ上での、両者の関わり方、立場、生き方、関係表す様々な取り決めです。
それを捨てるとは、どう言う意味だと考えているのでしょう。
聖書に基づき、神が伝える事実に基づき考えていないから、
律法は廃れたという嘘、偽情報を平気で信じられるのです。
神が伝えた人の生き方、それは、人の生きる上での全てに対する
インストションを神が与えているのです。
人の生きる全ての領域に於いてです。
ヨハナンの黙示録も同じですが、使徒、パウロや、ペテロも
100%モーセの五書を解説しているだけです。
1ペテロ 1:14 従順な子供として、無知であった時代の欲情に従わず、
1:15 むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって、
あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。
1:16 聖書に、「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである」と書いてあるからである。
ペテロが、使徒10章で見せられた幻の意味を、完全に誤解し、
食規定が破棄された!という根拠にされている大嘘、偽情報を信じているから、聖書を曲げて読むのです。
ペテロも、パウロも、一点一画も、神の言葉を変えたり、否定したり、神が禁じている行為、人間が神の言葉を塗り替えるような教えはしていません!!!
事実、ペテロは、レビ記11章に記されている事から、聖別された
生き方を話しているのです。
聖別された人の生き方は、レビ記11〜27章に記されているのです。ギリシャ帝国でも、ペルシャでも、そして、ローマ帝国も
人間が、神が教えた生き方を破棄せよ!と、聖別を汚す生き方、
神のモアデイムを捨て、ローマ皇帝崇拝、異教の神々の祭りの別物に変え、きよくないものときよいものの区別をせず、無差別になんでも
食べ、何の教えでも取り入れる、それが聖別を汚す行為なのです。
聖別された人の生き方の最初に記されているのが、何を食べて、
何を食べるように造られていないのか?
ユダヤ人なら、即座にエデンの園の神の最初の教え〜何を食べて、
何を食べないのか?神の言葉を取って生きよ!という事に繋げて
考える事ができるのです。
前回書いたように、サタンの会堂とは、同胞ユダヤ人であり、
皇帝を崇拝する焼香行為をしない、ユダヤ人イエシュア信者を、
ローマ帝国に通報する人達がいたのです。
日々の生活の中で、公共の祭壇や、異教の神の神殿に行き、
皇帝の前に焼香する行為、聖なる火がくべられている祭壇で、
「カエサル(皇帝)が、主である。」と宣言し、ちょっと香を
くべるのです。
その結果、ローマ帝国に忠実である証明が与えられるのです。
皇帝崇拝をすることで、忠実なローマ帝国市民であることが証明を
与えられたのです。
ローマ皇帝に焼香、ひとつまみの香を捧げる行為をしないという
その拒絶行為の意味は、イコール、国家に対する反逆であり、
極刑に当たるものだったのです。
流行病の時に、あの例の毒物を打たない人〜非国民、国家反逆の如くに責められました。医師免許剥奪や、アメリカでは軍隊を退役させられたり、その他教育機関、普通の職場でも、職を失う人がいたのです。
国家が、一丸となって誰かのスローガンを強制的に行わせる。
そして、その証明書が必要だったでしょう。それと同じ。
ある国では、その証明書がないと、レストランも、ショッピング
モールにも入れない、ある国に渡航もできないという、社会生活から追放されるというものを経験したでしょう。
そのように、人が強制的に自分の意図とは異なることを、国、政府によりやらされされてしまうことなのです。
それが、1世紀の皇帝崇拝です。それをやらない人は、処刑!
サタンとは、「敵対する者、責める者」というヘブライ語です。
会堂〜シナゴーゲとは建物の事ではなく、人々=群です。
詰まり、ユダヤ人同胞でありながら、皇帝崇拝という偶像礼拝に
参加しないイエシュア信者達を、ローマ帝国に通報し、突き出す裏切りをした、ユダヤ人のことです。
1世紀当時のローマ帝国のシステムは、今のように警察やその他、
防犯カメラが監視する世界ではありません。
日常の生活の中で、一般市民に、ローマ帝国に反することをする人を
通報させるシステムがあったのです。
このスパイシステムは、独裁国に今も存在するでしょう。
本当のユダヤ人ではない、イコール、神の契約=教え=トラーに
忠実ではない人達、その人達が、イエシュア信者をローマ帝国に
通報したのです。
「彼らと、私達ローマ帝国皇帝に忠実なユダヤ人とは違います。
彼ら、イエシュア信者は危険因子です。彼らは、無神論者なのです。」と通報したのです。
ローマ帝国下での、「無神論者」という定義は、ローマ皇帝を神と
崇拝していない人、ローマ帝国の神々、女神を崇拝していない事、
イコール、無神論者とみなされたのです。
それらは刑事告発、法的起訴に値する行為だったのです。
何かを信じていないという、哲学思想的なことではなく、皇帝崇拝、ローマの神々、女神を崇拝しないとは、国家に対する反逆、国家転覆
犯罪者となるのです。
同胞が、同胞を、ローマ帝国に突き出す。同胞を、ローマ帝国に突き出し、処刑させる裏切り行為をする人たちです。
サタンの会堂とは、反ユダヤ思想が書いてあるのでは、ありません。
「死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう。」
とありますが、王が被る冠のことではありません。
地形からもそうですが、スミルナの人が、冠と聞くと、まず、
異教の神々の神殿祭司、皇帝を神殿で拝む時、皇帝を代表する
祭司達が、冠を被ったのです。
絶対的権力、力を誇る物。
ローマ帝国に対しての絶対的忠誠を誓う行為をする。
冠、ギリシャのスポーツ競技、ゲームで与えられる冠、軍人に与えられる冠。
力、権威を表し、ローマ帝国のトップと繋がる特権を表すものが
冠なのです。
冠を受け取る人は、勝利者であり、ローマ帝国において、高い地位を
持つ物、特権階級者とみなされるものなのです。
これは、ギリシャ帝国で、トラーを生きて処刑された人達に関して
同じ言葉が使われて、記されているのです。
「死に至るまで忠実であれ。」ギリシャ帝国の皇帝、そしてゼウス神を崇拝しない、神の契約を捨てなかった人達。
黙示録2:9 わたしは、あなたの苦難や、貧しさを知っている
貧しさとは、経済的貧しさではなく、砕かれた頭脳〜謙遜、へりくだ
っていると言う意味です。
詰まり、神の前に全て信頼し、明け渡している状態のことです。
これが、イザヤ61に繋がっています。