ニコライ派の教え 異教の神々の教えに迎合する 黙示録2章 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

ニコライ派の教えとは、何でしょう?

 

自由奔放な生活: 「神の恵みによって救われているのだから、

偶像に捧げられた肉を食べたり、性的な罪を犯したりしても問題ない」と教えたとされています。 

 

階級制度の持ち込み: 教会の中に「聖職者(指導者)」と

「平民(一般信徒)」という上下関係(階級制度)を持ち込んだ教えだとも解釈されています。

 

偶像に捧げた肉とは、これは、食してはならないきよくない動物の事です。なぜなら、パウロは、「偶像の神々など存在しないから、

それらを恐れなくても、良い。その肉は食べられる。」と教えているでしょう。

市場では、きよい動物〜食せる動物でも、異教徒が売っている、

又は、それらの肉が偶像に捧げられた肉も売っていたからです。

1コリント8:1−13

食してはならない肉は、レビ記11章に記されている、

神が人が食す目的では造られていない、別の目的〜清掃目的で

造られた動物は食してはならない。

それらで、自分を汚してはならない!

聖別を汚す行為〜罪であると、はっきり教えている言葉が、

神の教えを捨てる、廃れたと信じる人には、神の言葉の通りには

全く通じていません。

なんでも、かんでも取り入れてOKという、それこそ、ローマ帝国

ミックス宗教文化が生んだ思想です。

 

レビ記11:44 わたしはあなたがたの神、主であるから

あなたがたはおのれを聖別し、聖なる者とならなければならない。

わたしは聖なる者である。地にはう這うものによって、

あなたがたの身を汚してはならない。

 

わたしは、あなたがたの神である!という宣言を、真っ向から無視

したのが、ローマ教の教えです。人間の考えを神の言葉、考えの上に持ってくる事、これこそが、皇帝崇拝、インペルアカルト教思想。

 

神の言葉を否定し、自分達の解釈に塗り替えたもの、それが偶像礼拝の正体、自分の考えを通して神に近づき、神の考え、教え、言葉を

捨てる行為〜それが偶像礼拝なのです。

偶像〜人間の考えを神の考え、教えの上に持ってくる、それら人間の教え、やり方それが、偶像礼拝の正体なのです。

最初から同じです。エデンの園の蛇の嘘。バベルの塔。その他諸々

神の教えを曲げた人の生き方が、ずっと記されているのです。

 

レビ記11:45 わたしはあなたがたの神となるため、あなたがたを

エジプトの国から導き上った主である。わたしは聖なる者であるから、あなたがたは聖なる者とならなければならない』」。

 

エジプトの国から導き上がった主〜エジプトに住まわない異邦人

には関係ないという偽情報を教える人は、聖書を正しく学んでいない人です。

トラーを教える教師が、聖書を知らない!聖書とは異なる無理な

解釈を施し、自ら破滅を招いている。

トラー教師となっていなければならない人が、トラーに書かれた事を理解していないどころが、それらの神の教えは廃れた無用の教えだ!などと、とんでもない偽の教え、思想を教え続けて来たのです。

その結果、神の言葉を正しく学ぶ事がめっきりなくなって、

体験至上主義に走って行ったのです。

 

1テモテ1:17 トラーの教師たることを志していながら、
自分の言っていることも主張していることも、わからないでいる。
 
1コリント3:2 あなたがたに乳を飲ませて、堅い食物は
与えなかった。食べる力が、まだあなたがたになかったからである。今になってもその力がない。
 
エジプトは、エデン=喜び=神ご自身の中の住まう場所=園と
住まう場所ではない外、神の外側に住まう事を表す国です。

約束の地〜カナン〜エデンと、エジプト=神の内側から外側に出て

本当の神が分からない、神に繋がって生きられない、偽物の教えの

奴隷となり、自分が誰か分からない。神が教えてくださる本物の

自己像を失い、偽物の神々に仕えて、生きていた、それは100%もれなく全ての人に当てはまる事なのです。

それをエジプトで表して、教えているのです。

実際エジプトを出た人の中に、異邦人は大勢いるのです。

240万という数字は、女性、子供、異邦人の数です。

その人数が、イスラエルと共にエジプトから出た。神の声=言葉に

応答し、信じ、信じるだけではなく、初子、一歳の子羊を屠り、鴨居に血を塗った。その家は、死が通り過ぎ、初子は打たれなかった。

覆われた人=異邦人も同様に出エジプトし、シナイ山の麓で神から

婚姻契約を一緒に受け取り、12部族の中に、一緒に加えらていた

事実を、知らないから、見えないのです。

神の教えの全貌は、未だ分からない時も、神の言われた事、

全て生きます!とイスラエルと共に一緒に神に宣言したのです。

 

「わたしの契約を守るなら、神の最も貴重な宝、あなたがたは祭司の国、聖なる民となる」と言われてこう宣言したのです。

 

出エジプト19:8 民はみな共に答えて言った、「われわれは主が言われたことを、みな行います」。モーセは民の言葉を主に告げた。

(出エジプト24:3−7)

 

神は、神の教え=契約書を、イスラエルを代表〜大家族の長男に託して、全家族に同じ教え、同じ贖い、救い、同じ生き方を教える代表としたことを、はっきり知らないとならないのです。

その大家族の長、長子がイエシュアです。イエシュアを信じるというならば、それは、イスラエルという名字の大家族に加えらたと

書いてある事実を、聖書からはっきり読み取らないとなりません。

神との関係に入った「印」は、この婚姻契約で表されており、

神から頂いた、神との関係、契りを結んだ証拠、神の者とされた事実が、「シャバット=印、婚姻指輪」を与えられたと神が伝えているのです。だから、全て「7」なのです。

異邦人には、神の契約に根付く生き方は、関係ないと言うならば、

それは、イエシュアと何も関係がないという意味になるのです。

神は神が提示した契約以外の関わり方、近づき方を、人がしてはならないと教えているからです。

夫の言う事を捨てて、ローマ帝国皇帝=現人神が作った宗教の教えで

曲げられた聖書解説や、聖書ではない教え、神の言葉を塗り替える

教えを神の言葉と信じるから、事実が見えなくなるのです。

 

契約という日本語は、ヘブライ語のブリットを表さない翻訳です。

英語では、コントラクトと、カバナントは意味が違います。

コントラクトはビジネスや労働、不動産、賃貸、売買、譲渡など

そのようなビジネス的な意味がある契約です。

一方、聖書が語る「ブリット」は、日本語で一番近いのは、

「契り」です。

関係を結ぶ上での、両者の関わり方、立場、生き方、関係表す様々な取り決めです。

それを捨てるとは、どう言う意味だと考えているのでしょう。

聖書に基づき、神が伝える事実に基づき考えていないから、

律法は廃れたという嘘、偽情報を平気で信じられるのです。

神が伝えた人の生き方、それは、人の生きる上での全てに対する

インストションを神が与えているのです。

人の生きる全ての領域に於いてです。

 

ヨハナンの黙示録も同じですが、使徒、パウロや、ペテロも

100%モーセの五書を解説しているだけです。

 

1ペテロ 1:14 従順な子供として、無知であった時代の欲情に従わず、

1:15 むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって、

あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。

 1:16 聖書に、「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである」と書いてあるからである。

 

ペテロが、使徒10章で見せられた幻の意味を、完全に誤解し、

食規定が破棄された!という根拠にされている大嘘、偽情報を信じているから、聖書を曲げて読むのです。

ペテロも、パウロも、一点一画も、神の言葉を変えたり、否定したり、神が禁じている行為、人間が神の言葉を塗り替えるような教えはしていません!!!

事実、ペテロは、レビ記11章に記されている事から、聖別された

生き方を話しているのです。

聖別された人の生き方は、レビ記11〜27章に記されているのです。ギリシャ帝国でも、ペルシャでも、そして、ローマ帝国も

人間が、神が教えた生き方を破棄せよ!と、聖別を汚す生き方、

神のモアデイムを捨て、ローマ皇帝崇拝、異教の神々の祭りの別物に変え、きよくないものときよいものの区別をせず、無差別になんでも

食べ、何の教えでも取り入れる、それが聖別を汚す行為なのです。

 

聖別された人の生き方の最初に記されているのが、何を食べて、

何を食べるように造られていないのか?

ユダヤ人なら、即座にエデンの園の神の最初の教え〜何を食べて、

何を食べないのか?神の言葉を取って生きよ!という事に繋げて

考える事ができるのです。

 

前回書いたように、サタンの会堂とは、同胞ユダヤ人であり、

皇帝を崇拝する焼香行為をしない、ユダヤ人イエシュア信者を、

ローマ帝国に通報する人達がいたのです。

 

日々の生活の中で、公共の祭壇や、異教の神の神殿に行き、

皇帝の前に焼香する行為、聖なる火がくべられている祭壇で、

「カエサル(皇帝)が、主である。」と宣言し、ちょっと香を

くべるのです。

その結果、ローマ帝国に忠実である証明が与えられるのです。

皇帝崇拝をすることで、忠実なローマ帝国市民であることが証明を

与えられたのです。

ローマ皇帝に焼香、ひとつまみの香を捧げる行為をしないという

その拒絶行為の意味は、イコール、国家に対する反逆であり、

極刑に当たるものだったのです。

 

流行病の時に、あの例の毒物を打たない人〜非国民、国家反逆の如くに責められました。医師免許剥奪や、アメリカでは軍隊を退役させられたり、その他教育機関、普通の職場でも、職を失う人がいたのです。

国家が、一丸となって誰かのスローガンを強制的に行わせる。

そして、その証明書が必要だったでしょう。それと同じ。

ある国では、その証明書がないと、レストランも、ショッピング

モールにも入れない、ある国に渡航もできないという、社会生活から追放されるというものを経験したでしょう。

そのように、人が強制的に自分の意図とは異なることを、国、政府によりやらされされてしまうことなのです。

それが、1世紀の皇帝崇拝です。それをやらない人は、処刑!

サタンとは、「敵対する者、責める者」というヘブライ語です。

会堂〜シナゴーゲとは建物の事ではなく、人々=群です。

詰まり、ユダヤ人同胞でありながら、皇帝崇拝という偶像礼拝に

参加しないイエシュア信者達を、ローマ帝国に通報し、突き出す裏切りをした、ユダヤ人のことです。

 

1世紀当時のローマ帝国のシステムは、今のように警察やその他、

防犯カメラが監視する世界ではありません。

日常の生活の中で、一般市民に、ローマ帝国に反することをする人を

通報させるシステムがあったのです。

このスパイシステムは、独裁国に今も存在するでしょう。

 

本当のユダヤ人ではない、イコール、神の契約=教え=トラーに

忠実ではない人達、その人達が、イエシュア信者をローマ帝国に

通報したのです。

「彼らと、私達ローマ帝国皇帝に忠実なユダヤ人とは違います。

彼ら、イエシュア信者は危険因子です。彼らは、無神論者なのです。」と通報したのです。

ローマ帝国下での、「無神論者」という定義は、ローマ皇帝を神と

崇拝していない人、ローマ帝国の神々、女神を崇拝していない事、

イコール、無神論者とみなされたのです。

それらは刑事告発、法的起訴に値する行為だったのです。

何かを信じていないという、哲学思想的なことではなく、皇帝崇拝、ローマの神々、女神を崇拝しないとは、国家に対する反逆、国家転覆

犯罪者となるのです。

同胞が、同胞を、ローマ帝国に突き出す。同胞を、ローマ帝国に突き出し、処刑させる裏切り行為をする人たちです。

サタンの会堂とは、反ユダヤ思想が書いてあるのでは、ありません。

 

「死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう。」

とありますが、王が被る冠のことではありません。

地形からもそうですが、スミルナの人が、冠と聞くと、まず、

異教の神々の神殿祭司、皇帝を神殿で拝む時、皇帝を代表する

祭司達が、冠を被ったのです。

絶対的権力、力を誇る物。

ローマ帝国に対しての絶対的忠誠を誓う行為をする。

冠、ギリシャのスポーツ競技、ゲームで与えられる冠、軍人に与えられる冠。

力、権威を表し、ローマ帝国のトップと繋がる特権を表すものが

冠なのです。

冠を受け取る人は、勝利者であり、ローマ帝国において、高い地位を

持つ物、特権階級者とみなされるものなのです。

 

これは、ギリシャ帝国で、トラーを生きて処刑された人達に関して

同じ言葉が使われて、記されているのです。

「死に至るまで忠実であれ。」ギリシャ帝国の皇帝、そしてゼウス神を崇拝しない、神の契約を捨てなかった人達。

 

黙示録2:9 わたしは、あなたの苦難や、貧しさを知っている

 

貧しさとは、経済的貧しさではなく、砕かれた頭脳〜謙遜、へりくだ

っていると言う意味です。

詰まり、神の前に全て信頼し、明け渡している状態のことです。

これが、イザヤ61に繋がっています。