「第四の獣、ローマ帝国」が編み出した西洋人造宗教。
そして、プロテスタントも含め、ローマが編み出した宗教思想、
教理に多大な影響を受け続けています。
それは、神の言葉が、廃れたという、神が警告して、禁じている事を
堂々とやり続けて来たからです。
ローマ帝国、人間が、異邦人だけで開催する宗教会議で、人間が
勝手に違う教え編み出し、それを人間が神の教えだと決めるという大冒涜を
やり続けて、聖書ではない教理、思想を編み出して来ました。
そして不適切な聖書翻訳と、彼らが編み出した宗教教理〜神の教えが廃れて神の別の新しい群れ、教会が出現したという偽の教え。
それらの教理を、不適切な翻訳、造語で、一貫性のない矛盾した聖書翻訳をして、人に間違った印象を刷り込み続けて来たのです。
イエシュアが教えた教え=父の教え=トラー=契約に生きる内容が
異邦人の間では、教師抜きで、正しく教えらてこなかったのです。
神が与えた本当の神の言葉、教えのオリジナルに戻らない限り、
何が聖書に本当は書いてあるのか、見えないのです。
翻訳トリックと、人間が編み出した思想、宗教教理で神が伝える永遠普遍の真理、真実は、見えてこないのです。
「教会」を意味する英語「Church」などの語源となった古代ギリシャ語の「クリアコン(kuriakon)」に由来する言葉です。
もともとは「主のもの」「主に属するもの」を意味する言葉で、
古代ギリシャ語で「主」を意味する「キュリオス(Kyrios)」から
派生しました。
これが「主の家」を意味する「クリアコン・ドーマ(kuriakon doma)」と省略されて使われるようになり、その後ドイツ語の「Kirche(キルヒェ)」や英語の「Church(チャーチ)」
日本語では、教える会、教会という翻訳に変化していきました。
シナゴーグという言葉もそうです。それは会堂という意味はないものでした。人の集まりを表すもので、それがそのままの言葉、
シナゴーグ、会堂と使われるようになっただけです。
これは、黙示録2:9にも、書かれています。
翻訳だけに頼る読み方は、特に聖書を教える立場の人は、してはならない事です。
そして、聖書ではない、人の思想、置換神学や、デイスペンセーション神学、歪んだ人間の教理を通して施される、聖書解説が聖書、神の言葉が伝える事実を、歪めている事に、はっきりと、気が付かなくてはなりません。
翻訳だけを読み、ヘブライ聖書を学ばず、しかも、聖書ではない
ローマ帝国が神の言葉、根幹、土台を歪めて作った宗教の教理から、聖書を読むから聖書に書かれている本当の意味が、知られないままになっているのです。
詰まり、聖書に存在しない言葉、概念を、聖書に無い造語で表し、
それを翻訳にあてがっているから、ズレた思想が浸透してしまったのです。聖書の事実に基づかない、一貫性がない、矛盾した翻訳と、
一貫性がない、神の言葉の解説、解釈が施されてしまっているのです。
クリスチャンが、日曜日に建物に行かなくては、神を愛していない、礼拝していないという固定概念、このような造語から生まれたのです。
そして、神を愛する、悔い改めとは、教会に行くとか、献金する、
祈り会に出る、宗教活動する、一人でも多くの人にキリストを伝える
伝道活動をすることだと、完全に勘違いしているのです。
そのような、宗教の教えは、人を縛っているものなのです。
そんなことを、神は教えてもいません。
神に呼び出された人の群れは、ヘブライ語では、ケヒラー、カハールです。それが、ギリシャ語ではエクレシアと訳されています。
このクリアコンとは、元の意味は、クリストス(ギリシャ語)
これはヘブライ語の油注がれがもの、メシアフです。
ユダヤ人の王、祭司も油注がれたものです。
神に油注がれて、任命されるからです。
これは、頭からどっぷり大量のオリーブオイルを注がれる、
その意味は、神の性質を代表して表す役割、世の光として、その人の
思索、行動が、神の考え=言葉と完全に一致するものでなければならない、そして神に聖別されている意味でもあるのです。
プロテスタントは、カトリックと違い、聖書信仰ですと宣言し、
そう信じて言いますが、事実は、異なります。
なぜなら、ローマが作った宗教と同じように、聖書の土台〜トラー
=契約=モーセの五書=父の教え=聖書の土台、神の教えの完全版を、人間が揺るがせにして、捨てているからです。
イエシュアを信じても、誰もイエシュアが教えた契約に根付く生き方を知らないし、生きてもないのです。
周り見渡しても、イエシュアが教えたトラーを、真実だと教え、
それを実際に生きて、シャバット、新月、祭りを祝うクリスチャン
など、今迄一切見かけたこともありませんでした。
今もそうでしょう。皆ローマ教を実践する、サンデークリチャンで
あり、イエシュアが教えた父の教えは、廃れた、異邦人には関係ない、
気持ちさえあれば、今はなんでも良いと、神の教えを捨て去り、
そして、神が創造されたモアデイムなど、誰も祝いません。
それらは、古い関係ない律法時代の教えと教えられ、あるパスターが
こう言っていました。
「過越の祭り?遠い古代の、外国の古い祭りですから、そんなのは、
今の私たちには、無関係で、分かりませんね〜!」と。
聖書を教えるはずの人が、イエシュアが教えた教えも、モアデイムも知らず、教えず、祝わない。不思議な現象。それは、第四の獣
ローマ帝国が作り変えた、ブレンドした宗教のせいなのです。
これが黙示録の警告の、正に中心でもあるのです。
聖書は、神の完全なる言葉であると言いながら、どうして、律法
神の教え、指導、インストラクションは廃れたという、大矛盾を
信じる事が出来るのでしょうか?
その理由は、聖書のマタイ以降に、神が神の教えを変えた事が、
書かれているという偽情報を聖書だと信じ込んでいるからです。
そして、嘘を本当と信じている。古い教えは、無効になったと。
しかしこれも又、矛盾した思想の土台に立っている事に気がついてください。
なぜなら、神は神の言葉の性質を、はっきり人に伝えているからです。そして、黙示録の最後に至るまで、神の言葉=預言、神が人に
授けた言葉を、神が変えるという思想こそが、矛盾だらけです。
創世記の最初から、黙示録の最後迄、同じ警告が書かれているからです。そして、神が変わらない、神の言葉が変わらないと神が言って
もし、神が途中で神の言葉、教えを変えたとしたら、それは大嘘つきの神であり、全く信頼に値しない、いい加減な人間以下の神になります。嘘つき、偽りを言うのは、サタンです。
神は、サタンではありません!
神は偽らない。神の言葉は永遠に廃らない。神の言葉を人間が変えてはならないと、ずっと警告しているのです。
神の創造されたモアデイムを神の民が汚してはならない。という神が伝える宣言、教えと、真っ向から相反するからです。
問題はエデンの最初から同じです。神の言葉を人が曲げる事、
そしてその偽の教え、偽情報に騙される事なのです。
アダムとハヴァは最初の人として、神の性質通りでした。
しかし、体験がない。戦争の中に、子供が突撃するように、
弱い、無防備でした。簡単に嘘、騙しに、攻撃されました。
ソロモン王は、父であるダビデ王が、様々な攻撃、患難に直面して
来たので、神に対して、神の教え、言葉、生き方を理解できる頭脳、
知恵を与えてくださいと、何にもまさって一番重要な事を、神に求めたのです。
ヨハナンは、黙示録に、トラー、預言書に記された警告を、暗号で
記しているのです。
神の言葉に、ローマ帝国、その他の帝国がやり続けたように、
付け足し、差し引きして、変形、別の神々の教えと融合するような
ことをする人たち、それに同調、同化、シンクロ、融合、迎合する
人たちへの警告が書かれているからです。
神の教えが廃れたと信じる人には、神が伝える永遠の真理、真実は
神が伝える通りには伝わらないままになります。
神の教えを捨てスカスカになった空洞の思考には、人間の教えが入り込むだけです。
マタイ〜黙示録には、100%モーセの五書、預言書、諸書の短い
解説が書いてあり、神の教え=トラーを否定する教えなど1つも
書かれていないことが、読み取れないのは、正しく聖書を学ぶことが
できなかったせいなのです。聖書を、書いてある意味通りに教え、
それを生きている教師が、周りにいないからです。
黙示録 1:3 この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、
ヨハナンが何を言っていると思いますか?神のトラー=教え読み、
それを生きて守る者は幸いと書いて、それを受け取る7つの群れも
そのように受け取り、読んでいる事実に立って考えて下さい。
22:18 この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは
警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、
この書に書かれている災害を加えられる。
22:19 また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、
神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と
聖なる都から、とり除かれる
26:27 それでもなお、あなたがたがわたしに聞き従わず、
わたしに逆らって歩むならば、
26:28 わたしもあなたがたに逆らい、怒りをもって歩み、
あなたがたの罪を七倍重く罰するであろう。
5:18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、トラーの一点、
一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。
強調です。天地は滅びない!今天と地が存在しているなら、
神の言葉も廃らない!永遠に廃らないという強調なのです。
神の言葉が廃るより、天地が滅びる方がたやすいと言われたでしょう。
詰まり、あり得ないこと、偽情報を、クリスチャンが教えられ、
聖書ではない、大嘘を信じているのです。眠った状態〜神の教えを
捨て、人の教えで脳回路を埋め尽くしている状態のことです。
5:19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、
またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。
巷の教師は、神の教えは廃れた!と、イエシュアが教えることとは
真逆を、今日も教え続けています。神の教え=トラーの最も小さいいましめでも1つでも違反する、破ることを教える教師は、天の国で、一番外、宿営から遠く離れた場所に追いやられ、神の前に最も無意味、羽より軽い存在になると書いてあるのです。
しかし、そのような人たちは、神のために熱心に働いていると疑いもなく、日々半分嘘、半分本当の教えを拡散しているのです。
以下がその警告です。
7:21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国に
はいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。
7:22 その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、
わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。
また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって
多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。
7:23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、
『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。