黙示録に記された警告はトラーに違反し捨てた生き方をする人への警告 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

「第四の獣、ローマ帝国」が編み出した西洋人造宗教。

そして、プロテスタントも含め、ローマが編み出した宗教思想、

教理に多大な影響を受け続けています。

それは、神の言葉が、廃れたという、神が警告して、禁じている事を

堂々とやり続けて来たからです。

 

ローマ帝国、人間が、異邦人だけで開催する宗教会議で、人間が

勝手に違う教え編み出し、それを人間が神の教えだと決めるという大冒涜を

やり続けて、聖書ではない教理、思想を編み出して来ました。

 

そして不適切な聖書翻訳と、彼らが編み出した宗教教理〜神の教えが廃れて神の別の新しい群れ、教会が出現したという偽の教え。

それらの教理を、不適切な翻訳、造語で、一貫性のない矛盾した聖書翻訳をして、人に間違った印象を刷り込み続けて来たのです。

イエシュアが教えた教え=父の教え=トラー=契約に生きる内容が

異邦人の間では、教師抜きで、正しく教えらてこなかったのです。

 

神が与えた本当の神の言葉、教えのオリジナルに戻らない限り、

何が聖書に本当は書いてあるのか、見えないのです。

翻訳トリックと、人間が編み出した思想、宗教教理で神が伝える永遠普遍の真理、真実は、見えてこないのです。

 

「教会」を意味する英語「Church」などの語源となった古代ギリシャ語の「クリアコン(kuriakon)」に由来する言葉です。

もともとは「主のもの」「主に属するもの」を意味する言葉で、

古代ギリシャ語で「主」を意味する「キュリオス(Kyrios)」から

派生しました。

これが「主の家」を意味する「クリアコン・ドーマ(kuriakon doma)」と省略されて使われるようになり、その後ドイツ語の「Kirche(キルヒェ)」や英語の「Church(チャーチ)」

日本語では、教える会、教会という翻訳に変化していきました。

 

シナゴーグという言葉もそうです。それは会堂という意味はないものでした。人の集まりを表すもので、それがそのままの言葉、

シナゴーグ、会堂と使われるようになっただけです。

これは、黙示録2:9にも、書かれています。

 

翻訳だけに頼る読み方は、特に聖書を教える立場の人は、してはならない事です。

そして、聖書ではない、人の思想、置換神学や、デイスペンセーション神学、歪んだ人間の教理を通して施される、聖書解説が聖書、神の言葉が伝える事実を、歪めている事に、はっきりと、気が付かなくてはなりません。

翻訳だけを読み、ヘブライ聖書を学ばず、しかも、聖書ではない

ローマ帝国が神の言葉、根幹、土台を歪めて作った宗教の教理から、聖書を読むから聖書に書かれている本当の意味が、知られないままになっているのです。

詰まり、聖書に存在しない言葉、概念を、聖書に無い造語で表し、

それを翻訳にあてがっているから、ズレた思想が浸透してしまったのです。聖書の事実に基づかない、一貫性がない、矛盾した翻訳と、

一貫性がない、神の言葉の解説、解釈が施されてしまっているのです。

クリスチャンが、日曜日に建物に行かなくては、神を愛していない、礼拝していないという固定概念、このような造語から生まれたのです。

そして、神を愛する、悔い改めとは、教会に行くとか、献金する、

祈り会に出る、宗教活動する、一人でも多くの人にキリストを伝える

伝道活動をすることだと、完全に勘違いしているのです。

そのような、宗教の教えは、人を縛っているものなのです。

そんなことを、神は教えてもいません。

 

神に呼び出された人の群れは、ヘブライ語では、ケヒラー、カハールです。それが、ギリシャ語ではエクレシアと訳されています。

 

このクリアコンとは、元の意味は、クリストス(ギリシャ語)

これはヘブライ語の油注がれがもの、メシアフです。

ユダヤ人の王、祭司も油注がれたものです。

神に油注がれて、任命されるからです。

これは、頭からどっぷり大量のオリーブオイルを注がれる、

その意味は、神の性質を代表して表す役割、世の光として、その人の

思索、行動が、神の考え=言葉と完全に一致するものでなければならない、そして神に聖別されている意味でもあるのです。

 

プロテスタントは、カトリックと違い、聖書信仰ですと宣言し、

そう信じて言いますが、事実は、異なります。

なぜなら、ローマが作った宗教と同じように、聖書の土台〜トラー

=契約=モーセの五書=父の教え=聖書の土台、神の教えの完全版を、人間が揺るがせにして、捨てているからです。

イエシュアを信じても、誰もイエシュアが教えた契約に根付く生き方を知らないし、生きてもないのです。

 

周り見渡しても、イエシュアが教えたトラーを、真実だと教え、

それを実際に生きて、シャバット、新月、祭りを祝うクリスチャン

など、今迄一切見かけたこともありませんでした。

今もそうでしょう。皆ローマ教を実践する、サンデークリチャンで

あり、イエシュアが教えた父の教えは、廃れた、異邦人には関係ない、

気持ちさえあれば、今はなんでも良いと、神の教えを捨て去り、

そして、神が創造されたモアデイムなど、誰も祝いません。

それらは、古い関係ない律法時代の教えと教えられ、あるパスターが

こう言っていました。

「過越の祭り?遠い古代の、外国の古い祭りですから、そんなのは、

今の私たちには、無関係で、分かりませんね〜!」と。

聖書を教えるはずの人が、イエシュアが教えた教えも、モアデイムも知らず、教えず、祝わない。不思議な現象。それは、第四の獣

ローマ帝国が作り変えた、ブレンドした宗教のせいなのです。

これが黙示録の警告の、正に中心でもあるのです。

 

聖書は、神の完全なる言葉であると言いながら、どうして、律法

神の教え、指導、インストラクションは廃れたという、大矛盾を

信じる事が出来るのでしょうか?

その理由は、聖書のマタイ以降に、神が神の教えを変えた事が、

書かれているという偽情報を聖書だと信じ込んでいるからです。

そして、嘘を本当と信じている。古い教えは、無効になったと。

 

しかしこれも又、矛盾した思想の土台に立っている事に気がついてください。

なぜなら、神は神の言葉の性質を、はっきり人に伝えているからです。そして、黙示録の最後に至るまで、神の言葉=預言、神が人に

授けた言葉を、神が変えるという思想こそが、矛盾だらけです。

 

創世記の最初から、黙示録の最後迄、同じ警告が書かれているからです。そして、神が変わらない、神の言葉が変わらないと神が言って

もし、神が途中で神の言葉、教えを変えたとしたら、それは大嘘つきの神であり、全く信頼に値しない、いい加減な人間以下の神になります。嘘つき、偽りを言うのは、サタンです。

神は、サタンではありません!

神は偽らない。神の言葉は永遠に廃らない。神の言葉を人間が変えてはならないと、ずっと警告しているのです。

神の創造されたモアデイムを神の民が汚してはならない。という神が伝える宣言、教えと、真っ向から相反するからです。

 

問題はエデンの最初から同じです。神の言葉を人が曲げる事、

そしてその偽の教え、偽情報に騙される事なのです。

アダムとハヴァは最初の人として、神の性質通りでした。

しかし、体験がない。戦争の中に、子供が突撃するように、

弱い、無防備でした。簡単に嘘、騙しに、攻撃されました。

ソロモン王は、父であるダビデ王が、様々な攻撃、患難に直面して

来たので、神に対して、神の教え、言葉、生き方を理解できる頭脳、

知恵を与えてくださいと、何にもまさって一番重要な事を、神に求めたのです。

ヨハナンは、黙示録に、トラー、預言書に記された警告を、暗号で

記しているのです。

神の言葉に、ローマ帝国、その他の帝国がやり続けたように、

付け足し、差し引きして、変形、別の神々の教えと融合するような

ことをする人たち、それに同調、同化、シンクロ、融合、迎合する

人たちへの警告が書かれているからです。

神の教えが廃れたと信じる人には、神が伝える永遠の真理、真実は

神が伝える通りには伝わらないままになります。

神の教えを捨てスカスカになった空洞の思考には、人間の教えが入り込むだけです。

マタイ〜黙示録には、100%モーセの五書、預言書、諸書の短い

解説が書いてあり、神の教え=トラーを否定する教えなど1つも

書かれていないことが、読み取れないのは、正しく聖書を学ぶことが

できなかったせいなのです。聖書を、書いてある意味通りに教え、

それを生きている教師が、周りにいないからです。

 

黙示録 1:3 この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、

その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。
時が近づいているからである。

 

ヨハナンが何を言っていると思いますか?神のトラー=教え読み、

それを生きて守る者は幸いと書いて、それを受け取る7つの群れも

そのように受け取り、読んでいる事実に立って考えて下さい。

 

 22:18 この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは

警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、

この書に書かれている災害を加えられる。

22:19 また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、

神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と

聖なる都から、とり除かれる

 

 申命記4:2 わたしがあなたがたに命じる言葉に付け加えてはならない。また減らしてはならない。わたしが命じるあなたがたの神、
主の命令を守ることのできるためである。
 12:32 あなたがたはわたしが命じるこのすべての事を守って
行わなければならない。
これにつけ加えてはならない。また減らしてはならない。
 
レビ記 26:18 それでもなお、あなたがたがわたしに聞き従わないならば、わたしはあなたがたの罪を七倍重く罰するであろう。

26:27 それでもなお、あなたがたがわたしに聞き従わず、

わたしに逆らって歩むならば、

 26:28 わたしもあなたがたに逆らい、怒りをもって歩み、

あなたがたの罪を七倍重く罰するであろう。

 
箴言30:6 その言葉に付け加えてはならない、彼があなたを責め、
あなたを偽り者とされないためだ。
 
7とは、神との関係に入り、契約を与えられた、その印、
7〜第7日目、シャバット、神との関係にある祝宴の日という
婚姻指輪を与えられた人たちです。
その人たちが、夫の婚姻契約を破っることは、重い罪であると
警告しているのです。
ヨハナンは、この警告を、7つの群れ〜婚姻指輪=シャバットを
与えられた神との関係に入った人たちへ、暗号として、トラー、
預言書の警告を書いているのです。
 
イエシュアも同じことを、トラー、預言書から話しているのです。
 
マタイ15:13 イエスは答えて言われた、「わたしの天の父がお植えにならなかったものは、みな抜き取られるであろう。
 
父がお植えにならなかったもの〜偽物の教えです!人間の作り出した
宗教の教えは、神の教えを捨てよ、否定する、破棄されたという
教えは、神の教えではなく、人間の教えです。
神の言葉を真っ向から違反、覆す偽情報、偽の教え
まがいものであり、最後は全て抜き取られるのです。
 
マタイ5:17 わたしがトラーや預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。
 
クリスチャンはここを、イエシュアは、トラーと預言者、詰まり
創世記〜マラキを破棄するために来た!と教えられていますが、
イエシュアがそんなことを、言っていないことを、目を開いて、
イエシュアが語られる真実、事実だけを読み取ってください。

 

5:18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、トラーの一点、

一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。

 

強調です。天地は滅びない!今天と地が存在しているなら、

神の言葉も廃らない!永遠に廃らないという強調なのです。

神の言葉が廃るより、天地が滅びる方がたやすいと言われたでしょう。

詰まり、あり得ないこと、偽情報を、クリスチャンが教えられ、

聖書ではない、大嘘を信じているのです。眠った状態〜神の教えを

捨て、人の教えで脳回路を埋め尽くしている状態のことです。

 

 5:19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、

またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。

 

 

巷の教師は、神の教えは廃れた!と、イエシュアが教えることとは

真逆を、今日も教え続けています。神の教え=トラーの最も小さいいましめでも1つでも違反する、破ることを教える教師は、天の国で、一番外、宿営から遠く離れた場所に追いやられ、神の前に最も無意味、羽より軽い存在になると書いてあるのです。

しかし、そのような人たちは、神のために熱心に働いていると疑いもなく、日々半分嘘、半分本当の教えを拡散しているのです。

以下がその警告です。

 

7:21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国に

はいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。

7:22 その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、

わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。

また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって

多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。

7:23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、

『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。

知らない〜婚姻契約の中にある親しい間柄ではない。
不法=神の教え=トラーに違反することをする人、教える人は
行ってしまえ!という厳しい言及です。空想ジーザスではない。
神は、神の言葉に人間が手を加え、別物と融合することを、最大限に
禁じ、忌み嫌う!とずっと警告しているのに、通じないのです。