モーセの五書、預言書、諸書に記された内容は、ヘブライ語の
トラーを知って生きていた1世紀当時のユダヤ人。
そして、ローマ帝国支配下での迫害、困難の下に生きていた人達に
向けて、使徒の書簡、そして黙示録は書かれています。
ヨハナンが黙示録を書いたのは、70年の神殿破壊の20年以上
後の時代です。
その時代に、何があったのか?そして、現在のトルコ周辺に在った
7つの大都市に住んでいた複数の群れに宛てて、手紙を書き送ったの
です。
1世紀のその時代、それらの都市に生きるとは、どのような環境、
どのような政治、文化、宗教の世界だったのか、それを先ず知る
必要があります。
既存の大帝国は、次の帝国に乗っ取られ、それが繰り返され、
その帝国が開拓したインフラをそのまま使い、拡大、発展させ続けて行きました。文化も、宗教も融合して行ったのです。
バビロンから始まり、アッシリアが武力で領土を広げ、
ペルシャがそのインフラを寛容な統治で安定させ、
ギリシャがその広大なペルシャの仕組みをそのまま乗っ取り、
ローマがそれら東それら東方の王国の統治技術とギリシャ文化を
融合して完成させました。
前の帝国が作った「道路」「税制」「法律」「都市」を壊さずに、
トップの挿げ替えと、アップデートを繰り返したことが、連続して
帝国が作られ続けた最大の理由です。
インフラだけではなく、異教の神々とその神殿、文化、哲学など
取り込んで行ったのです。融合です。
これら全ての帝国から、弾圧を受け続け、神のトラーを生きることを、弾圧されて来た、同じ要素があります。
エステル記が記されたその場所は、ペルシャ、現在のイランであり、
ペルシャ(アケメネス朝)の王アハシュエロスの時代、
(クセス1世とされる)、ハマンは当時の帝国における最高権力者の
位、総理大臣や宮廷の最高政務官にあたる地位を与えられました。
エステル記3:1には、、以下のように記述されています。
これらの事の後、アハシュエロス王はアガグ人ハメダタの子
ハマンの位を上げて、その座を、共にいるすべて高官たちの上に
置いた。
実質的に王のに次ぐ、実質「ナンバー2」の存在です。
王の代理として国家の国印(指輪)を預かり、法律や命令を出す
権限まで与えられていました。
このハマンがなぜ、ユダヤ人モルデガイを筆頭に、全てのユダヤ人
殲滅をしようと企てたと思いますか?
エステル 3:2 王の門の内にいる王の侍臣たちは皆ひざまずいて
ハマンに敬礼した。
これは王が彼についてこうすることを命じたからである。
しかしモルデカイはひざまずかず、また敬礼しなかった。
ひさまずく כָּרַע カラ、これは、単なる挨拶ではなく、
神の前に全存在の全てを預け、投げ出し、ひざまづき、神への
100%の忠誠を表す礼拝行為なのです。
敬礼する שָׁחָה サハ
ひれ伏す (bow self down / fall down flat)
身をかがめる / しゃがみ込む (crouch)
平伏して懇願する / 平に(ひらに)伏してお願いする (humbly beseech)
敬意を表する / 崇める(あがめる) (do reverence / worship)
これは、一番身を低くして、神の前に出る行為です。
単なる挨拶をして、サルートの敬礼をしなかったのではないのです。
モルデガイは、人を神と崇めない、同調、融合しない態度を取り、
その結果、ハマンは、ユダヤ人全殺戮を企てるのです。
このエステル記に記された王のNo.2のハマンを神の如く崇める
礼拝することは、黙示録、ヨハナンが7つの群れ、カハール、
エクレシアの今のトルコ周辺の国々と同じことが、行われていたことに、直結し、繋がっているのです。
ペルシャ帝国で起きたことが、ギリシャ、ローマ帝国でも同じように
繰り返し起きたのです。
彼らは、多神教です。そして、プラス、皇帝を神と崇拝、崇めることをしました。
獣の印が無いと売り買いができないとは、当時のトルコ周辺の都市は、皇帝が神、そして、神殿、宮殿が生活の全ての拠点なのです。
今のバチカンと同じです。
王宮と、神殿、皇帝と神殿祭司が、生活のシステム全ての構造の全てを、支配し、司っていたのです。銀行も皇帝のものです。
神殿、王宮が、その場所です。
そして、人々は、皇帝に属する市場で、品物を買わないとならない。
生活の全てが皇帝と、それを管理する神殿祭司に直結しているのです。
生活をするには、ハマンが門の所で人に強要したこと同じです。
皇帝を、神と崇める証拠として、少しの香を皇帝に焚くのです。
詰まり、日本人がやるお焼香と同じです。
ちょっと香をつまんで、炊いてある香を燃やす火に振り掛ける。
これにより、皇帝を神と崇め、皇帝のおかげで繁栄が続いているという、感謝、信奉と忠誠を示すのです。
そのような、行為をしなくては、誰も市場に入れない、売り買いも
できない。銀行ローンも出来ない。商売出来ない。
とにかく、皇帝崇拝をしなくては、何も出来ない環境に生きていた、7つの都市に在ったカハール、エクレシア=イエシュアに属する
人々の群れなのです。
もし皇帝を崇めるお焼香をしない、それを拒否すれば、仕事を失う、店も続けられない、それは、文化的、社会的、経済的な自殺行為
を意味するものなのです。そして、命さえ危うくなる。
1つ1つ、ゆっくりと、事実に基づいて、考えてみてください。
小アジア、今の西トルコは、1−2世紀、政治的、ビジネス、貿易が
大変栄えた場所です。裕福な場所です。
大地は広く、放牧に適してウールを取れる羊で溢れていました。
山には、豊かな鉱物がある。農業も栄え、人口もたくさんある。
港があり、貿易が栄え、東と西を結ぶ場所であり、ペルシャの影響を
受けた都市だったのです。
港とを介して、財をどうコントロールするか、それを考えるのが
皇帝、宮殿、王室、神殿と異教の神々の神殿祭司です。
ペルシャ帝国が築いたシステム、ギリシャ帝国を経て、ローマがそれを制覇し、今で言えばモダンな高速道路システム、インターネット
システムがある状態だったのです。
詰まり既存の商業の道をさらに発展させ、その結果、交通システムが発達し、通信、郵便、軍隊、製品を短期間に移動できたのです。
それ迄は、何ヶ月もかかるものが、数日で出来るようになったのです。
そして、ローマ帝国が様々な小アジアの国を、戦争を通して
制覇する中、それぞれの都市、地域、国で、税金を搾取し続けるようなことをして、人々は、苦しい思いを強いられていたのです。
そして、皇帝が神の如く、崇拝されるように強要した、ローマ帝国
下では、ありとあらゆるところに皇帝の神殿が作られて行ったのです。それは、その前の帝国の異教の神々の神殿も利用し、作り変えて
行ったのです。
パックスロマーナ、「ローマの平和」が来る迄、人々は、この厳しい
患難の中、救世主が現れて欲しいと、願望していたら、カエサルが
登場したのです。
戦争は終結し、新しい時代がやって来たのです。
しかし、カエサルは本当の神ではない。まやかしの平和でしかないのです。
ローマ帝国は、小アジア近辺で、経済が急速に栄え、発展して
行ったのです。
オウガストス皇帝、ローマ帝国の皇帝は、カエサルと呼ばれ、
シーザーイコール、神と崇めなければならないのです。
エペソ、スミルナに壮大な神殿が作られたのです。
異教の神々、皇帝を崇拝する神殿は、静かに祈る場所ではないのです。
その場所は、今のバチカンのように、小さい場所で一国。
全てがその場所で行われる。
皇帝が全ての金を管理する中央銀行 ローンマネージャーがいる
場所。生活の全て、経済含む全てが、この神殿に集結し行われる場所だったのです。
自分が、小さな店を営業したい、店を開きたいなら、商業銀行は
神殿、宮殿以外には、無いので神殿の祭司に行く。
そして、皇帝を拝んで、商売させ頂くというシステムだったのです。
皇帝に対して、祈る、拝むその感情とは、皇帝こそが、日々の必要を与えてくれている皇帝=神であると皆が信じていたからです。
エペソ、スミルナ、ペルガモン、テアテラ、サルデスでは、
皇帝崇拝を競いあっていたのです。
それは、皆が皇帝を崇拝することで、経済的興味を結んだのです。
皇帝を拝むことに賛同しないとは、イコール、この都市の平和を
乱す異端因子だと、見なされたのです。
これ、あるでしょう。異教の神々を信じる、プラス皇帝を神々の上に
置く、最高の権威である。
これは、エジプトの10の災いと同じです。
エジプトの王が、太陽神より上だったからです。
9番目の裁きは、太陽神に対してでした。
そして、最後の10番目の裁きは、エジプトの王に対する裁きであり
神のトラーに違反する生き方をする代表、エジプトの初子と、
そしてファラオの初子を打ったとあるのです。
それは、神の性質通りの命を継承しない、その血筋を断つという
裁きです。
一方、イスラエルの神〜イエシュア、初子に繋がる生き方をする
イスラエルと、異邦人の初子は死を免れたとあります。
それと繋がっている、人間を神とする崇拝。
ユダヤ人は、偶像礼拝、別の神々を拝めないのです。
そしてユダヤ人が、この5つの都市に住んでいた異邦人のように
皇帝を拝まない行為は、イコール、経済発展、そのブーム、
バブル時代を、邪魔していると思われてしまったのです。
神殿、宮廷で経済が管理され、祭司は銀行業務を取り扱い、
ビジネスローンを支配していて、社会行動を支配している。
これに賛同しない人は、異物。
これらの場所は、ローマ帝国の中で一番栄えた都市だったのです。
香を焚くとは、日本人がお葬式で焼香をするような感じです。
ちょとつまんで、香を捧げる。
無意識に、何かのサイトにログインする、そんな軽い感じ。
皇帝崇拝を皆がしていたのです。
皆がする。それが何か考えもしない。簡単に、パスワード入れて
ログインする感じと同じです。
そのような場所は、皇帝崇拝プラス、異教の神々の祭りに参加しなくては、ならない場所でした。
それらの祭りに参加することは、生活の中に重要な位置を占めたいたのです。
祭りに参加することは、当時の市民のサバイバル手法でした。
どんな祭りだったのでしょう?
春に、ペルガモンで行われる花の祭りは、ガーデンショーでは
なかったのです。
古代のペルガモン(現トルコ・ベルガマ)を含むギリシャ・イオニア世界において、1世紀(ローマ帝国期)にも盛大に祝われていた
春の花の祭りとは、豊穣とワイン、そして演劇の神
「ディオニュソス」(ローマ名:バックス)の祭りです。
この祭りは主に「アンテステリア(Anthesteria)」と呼ばれていました。
「アンテステリア」の「アントス(Anthos)」はギリシャ語で
「花」を意味します。文字通り「花の祭り」であり、春の訪れと
自然の生命力の芽吹きを祝うものでした。
ディオニュソスへの捧げ物、ディオニュソスはワインの神であると
同時に、植物の「樹液」や「生気」といった生命の根源的な
エネルギーを司る神です。春になってブドウの木が芽吹き、
花々が咲き誇る季節に、前年に仕込んで冬の間に熟成させた新しい
ワインの樽(ピトス)を開封し、神に捧げて人々が酌み交わしました。
これは、街中が、らんちき騒ぎで賑わう3日間だったのです。
続く