神の細い声に聞く 神が与えた神のものとされた人の印 シャバット | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

救われた後、イエシュアが教えられた父の教え=トラー=神の教えを生きるのではなく、4世紀にローマ帝国が作った宗教の教えを生きるように、教えられて来ました。

 

5世紀頃迄、ローマ帝国支配下、ローマ帝国の勅令、圧力の下に

無い国々の異邦人イエシュア信者は皆、1世紀当時のユダヤ人

イエシュア信者たち同様、聖書に記されたように、イエシュアが

教えられた父の教え=トラーを生きて、シャバット、新月、祭りを

同じように祝っていた事実があるのです。それ以外の聖書の教えなどないからです。

それが、今のようなカトリック、ギリシャ、ロシア、聖公会、

プロテスタントは4万3千にも分裂する組織の宗教になったのは、

聖書には無い宗教、4世紀に作られたローマ帝国宗教のせいです。

キリスト教という、父の教え=モーセの五書とは違う、新しい別の

教えを、イエシュアが教えに来たと考えている時点で、それは聖書の事実に全く反している思想、教えです。

 

イエシュアは、父の教えを破棄するように、人に教えに来てなどいない。父の教えを、父の意図通り教える=成就し、父の意図に反した

教えをする行為は、破棄するという行為だから、破棄するために来たのではない!と言ったのです。

詰まり父の教え通りに教えに来た!と言っているのに、この箇所、

クリスチャンの間では完全に誤解された解説をされて、

今はなんでもOK、特に食規定は廃れた、安息日はいつでも人が決めた日で良いと、完全に間違った解説をするために利用されている、

イエシュアの言葉を誤解した箇所です。

異邦人がローマ帝国の勅令に迎合し、ユダヤ人信者の群れと、

ヘブライ聖書を教える、パウロのようなトラー学者や教師と完全決別したから、今のように翻訳聖書を通してしか、聖書を教えられていない、ヘブライ聖書を読めない、人の思想を通して、聖書を解説する

ことをしているのです。

神の教えは廃れたという思想を、ジーザスを信じる人が皆土台とし、神の教え、契約に根付く生き方や、神が創造された神のモアデイムを誰も祝わない。

その代わりにローマ教の教えと、そしてローマが作った儀式や慣わし、日曜礼拝、クリスマス、イースターを主の日と、作り変え、

すげ替えられたものを祝っているのです。

神がそれを許可して、教えていると、聖書に書いてないことを、

神の仰せだと勘違いしているからです。

大体、神のモアデイムを汚す行為=聖別を汚し、死に匹敵すると

書いてある。それ程重い罪なのです。肉の思想にはピンとこない。

それが何?程度にしか、思えないでしょう。

 

マタイ18章で、ゲツセマネの園に現れた武装した衛兵たちに対して、『私はそれである(アニ・フー / エゴー・エイミ)』というイェシュアの言葉を聞いた瞬間に、後ろに倒れて、卒倒したとあるその意味

など見えませんよね。

人が神という発言が、神の言葉を知る人には、どれほど冒涜な発言か

理解しているからです。

その名〜実態には、被造物をひざまづかせる威力、圧倒的な神の

自己同一性が宿った言葉だからです。言葉=神そのもの。

言葉を人間が変えられない!ということが、理解できない思考回路には、何を言っても通じない。硬い硬い鉄のような壁、バリアが貼られているのです。

ローマ14章でパウロは、どの日でも、その人が考える日が大事と

言っているその「日」とは、神の創造されたモアデイムに関して、

パウロは話していないことさえ、知らないでしょう。

神の領域に人が踏み込めない!ということを、理解しないとならない。人が時を創造できますか?何も無から創造できない。

神のモアデイムを、人間が創造して、それらを人間が聖別など

できないのです。人は神ではないからです。

 

人間が、神の言葉に手を加えることをする、その冒涜を異邦人は

全く理解していないし、ユダヤ人とて、神の言葉を正しく理解しない人は、どんな偽物の教えでも編み出せるでしょう。

その証拠に、ユダヤ人である人が、異邦人には関係ない教え、

関係ないから、あっちに行ってて!と言う人がいるからです。

偽教師は、どこにでも五万と満ち溢れているからです。

ユダヤ人、イコール、聖書を正しく理解して教えていると言うことにはならないのです。正しく学び理解している人、いない人がいる。

 

聖書に書いないことを、別物の内容の教えに作り変えたら、

それこそ嘘が嘘を編み出し続けてしまうのです。

当時のローマ帝国下にあった、慣わし、記念日、その人達がやっていた断食の習慣、その日がいつが良いのかなど、人間が考える日の日であり、レビ記23章の神が創造されて、神が呼び出した日のことなど、パウロは話していない。

言語を見るだけで、それらは、定冠詞のつかない、ただの日なのです。神の聖別された日、レビ記23章に記された日は、すべて

定冠詞がついています。日本語にはないものなので、翻訳では識別

できないだけ。The 日と、a日の違いです。ἡμέραν a dayなのです。

神のモアデイムを人間が変えて良い!などと、パウロが言うと考えている時点で、聖書を正しく理解していない、聖書から完全にズレた

思考回路、世界の果てに行ってQ程かけ離れたことを言っているのです。

なぜなら、パウロは、人にトラー=契約=モーセの五書を正しく伝える使徒であり、パウロは1世紀当時の最高トラー学者の一人であったから、近隣諸国にいる人々、ユダヤ人の群れの中にいる異邦人達へも

正しくトラーを教えることができたのです。

パウロ自身が、パウロが1000%モーセの五書に忠実に生きて

教え、モーセの五書に違反する教えは1つもしていないと証明

しているからです。使徒21:21

この違いがあります。使徒は、学者ではありません。

しかし、イエシュアと共に過ごして、トラーを手ほどきされた。

天直送の神の教えの解説を聞いて、その生き様を目の当たりに体験した証人です。普通の職業の人であり、学者ではない。

一方、パウロはイエシュアと共に過ごさなかったけれど、

トラー=イエシュアご自身である神の言葉を、深く正しく理解していた学者なのです。

普通の人の世界でも、教授と生徒の違いが分かるでしょう。

それと同じです。プロと素人の違い。

そんなパウロが、人に神の教え=トラーを破れ!などと教えていると

空想している時点で、聖書を読みながら、聖書では無い思考で

勝手な読み込みをしていることに、はっきりと気がついて下さい。

そんなでたらめ、嘘を教えたのは、ローマ、反モーセの五書、信じたらユダヤ人やめろ!神の教えを捨てよ!その代わりに宗教の教えを作り、西洋化けした偽物のイエシュアを伝えたのです。

偽物のイエシュア=神の教えは廃れた!と教えるメシア???

嘘だと、聖書から気が付かないとならない。気がつけない、イコール

聖書を読んでも、正しく読み取っていないと言うことです。

 

出エジプト20:8安息日を覚えて、これを聖とせよ。

 

クリスチャンは、安息日=主の日=日曜日と、勝手に読み替えて

いるでしょう。もしくは、旧約聖書の安息日は、土曜日。

10の言葉は、聖書のタイトル、目次です。この安息日とあるタイトルの下に、詳しく神の創造された記念日の全てを解説しているのが

モーセの五書なのです。

新約聖書の安息日は、日曜日など、これまた勝手な読み込みです。

聖書の最後、黙示録に至るまで、いや未来永遠にイエシュアが来られた後もずっと、神と神の民で永遠に祝うのは、シャバット、新月、祭り。シャバットは、第7日目!であることが聖書には書いてある

シンプルな事実さえ、正しく読み取らないという大間違いが

あるのです。

20:10七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。

 

詰まり、神の元に戻った人全て、異邦人も同じ!と教えているのに

異邦人には関係ない教えというその発言は、神の顔に向かって

人間のくせに、神に物申す大冒涜をしても、その違反行為、不敬、

不遜に全く気がついていないだけなのです。第一、神に造られた人が

神に反対意見で神の言葉を覆せと物申す?バベルの塔の人と同じ。

自分たちの考えで、世界を統一しよう!おかしな思想、宗教の思想。

 

人の世界でも、ボスや社長の言うことに、真っ向から歯向かう事を

言う部下は、終わってます。それをやっているのです。宗教の教えは。神が権威であることを、認めない、人が否定する大冒涜。

 

20:11主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。

それで主は安息日を祝福して聖とされた。

 

神は創造の主であり、最初から、第7日目だけを、聖別された。

それは、神の意図、目的通り、神が神である宣言、全てを完了した

付け足すもの何も無い。そして神が止まられた!

だから、人も神がされた通り、同じようにシャバットで止まる!

と言われたのです。

 

31:13「あなたはイスラエルの人々に言いなさい、『あなたがたは必ずわたしの安息日を守らなければならない。これはわたしとあなたがたとの間の、代々にわたるしるしであって、わたしがあなたがたを聖別する主であることを、知らせるためのものである。

 

神が私たちを聖別する神!人間定義の聖別など、何も意味を持たない

実態がないものなのです。人が聖別した日は、神が聖別した日ではない。シンプルな事実。

代々に〜これは、あなたと、あなたのその後永遠の世代に渡る全て

という意味なのです。

イスラエル〜神の家族の代表、イスラエル家の長男に伝えた、

神の託宣です。それを、全民族、弟、妹に同じように教えるのが、

ユダヤ人が託されたミッション、任務なのです。

 

神との関係にある「印」とあるでしょう。あなたが、もしユダヤ人であるイエシュア、メシアを通して、同じように父の元に戻ったら、

神の提示した婚姻契約に根付く生き方、夫が妻と特別な会見をしようと夫が設けた日に、妻は特別な日の準備をして祝宴を迎えるのです。

 異邦人には、関係ないというなら、その人は、イエシュアと関係

ないという事なのです。

なぜなら、イエシュアは、神が提示する契約に基づき、人との関係を証明、保証して、契約に根付いた生き方をすることが、夫への忠誠であり、愛を証明する生き方だからです。

普通に考えれば、分かるでしょう。夫の言うことの1〜10に、

いちいちなんくせ、文句つけている妻をやって、勝手なことを

言い出して、夫が設けている祝宴の日を、捨てて、別の日に他の人と他の祝宴をする?どんな妻ですか?それは。

隣の旦那が儲けた日に参加して、自分たちの記念日を捨てても、

それでも良いという夫は、不倫を許す気持ち悪い夫です。

だから、姦淫の罪と言い続けているでしょう。

神の伝えることを捨てて、人間の作った宗教の教えに迎合し、それを尊重する。それを、イスラエルがやったではないですか。

神がどれほどそれを忌み嫌い、大家族の代表者が契約=神の教えを

破り生きることを続けたから、約束の地から追放されたのです。

自業自得とは、呪いです。自分の行いにより、自分に災いを自分で

ふりかけている行為のことだからです。

 

31:14 それゆえ、あなたがたは安息日を守らなければならない。これはあなたがたに聖なる日である。すべてこれを汚す者は必ず殺され、すべてこの日に仕事をする者は、民のうちから断たれるであろう。

これを読む時に、殺される?怒りの神などという読み方をする

思考回路では、言われている意味が理解できていないのです。

それ程、シャバットは重要であること!神が伝えている、教えているこの事実を把握するのです。

民から絶たれる=違反行為をする人は、周りの人を偽の教え、

神の教えを破る罪に誘う因子であるから、追放されるのです。

神の家の中を乱す、危険因子。

ここで考えて下さい。本質をとらえないとなりません。

シャバットは止まる日。この日は、イスラエルでは、国全体が止まりますから、簡単に止まれます。仕事もない。一方、その時に、同時に

働いている人はいるのです。

神殿も、勤務していた祭司がいるのです。

それは、勤務制があり、何週単位で決められていたものです。

だから、バプテスマのヨハナンをエリザベトが懐妊したであろう時期が、その勤務計画表から分かり、それにより、イエシュアがいつ頃

生まれたのか、推測できるということなのです。

 

詰まり、イスラエルでは、シャバットの時も、病院やダム、

その他公共の場を司る仕事がある人は、その日は勤務ですが、

その中で、止まるということが出来るのです。

24時間稼働するわけではないからです。

逸脱して考えない。そして、家の中の家事は最低限にします。

大掃除、修理、家具移動、その他をしない。

止まる目的〜神と人と、エデンの園に戻ることをする。

関係を大事にする。他のことで忙しく、それぞれが勝手なことをしたら、一致して祝う時間が取れないし、神の言葉を学ぶ時間も集中

できない。

お母さんは、赤ちゃんがいれば24時間お世話ですが、

シャバットの醍醐味を理解し、それを祝うことが出来ます。

 

クリスチャンが主張するように、今はいつでも安息日なら、

神は最初からそう言いますし、シャバットがそれ程厳重、大事であるなどと神は言わないでしょう。どうでも良いこと、人間が勝手に

選べることに、いちいち介入しない。神が許された範囲内の中で、

何でも選べるからです。

これは、神が神である宣言であり、神の聖別〜神は人間ではないということを、知ることでもあります。