マタイ以降、イエシュアが語られた教えは、100%純粋な父の教え=トラー=モーセの五書=契約の中に記された人の生き方、
教えだけであり、モーセの五書に無い別の違う新しい教えなど、
聖霊により聖書を記した預言者は、誰一人と書いていません。
「新しい」という翻訳の言葉が、誤解を招く紛らわしい言葉なのですが、神の教えは1つしかないからです。
クリスチャンの間で浸透している聖書とは違う聖書解説は、
モーセの五書=律法、新しい教え=キリストの律法などと、意味不明な不真実な、聖書に対する解説をしていますが、メシア、イエシュアが教えた教えは、クリスチャンが言うところの律法なのです。
本当の名前は、トラー=神の教えインストラクションです。
聖書の土台、神の教えの完全版が記されている箇所は、
モーセの五書創世記、出エジプト、民数記、レビ記、申命記です。
ヘブライ語では、違うタイトルです。
1)ベルシート(はじめに)2)シェモット(名 複数)3)民数記
4)バミッドバ (荒野にて)5)デヴァリム(言葉 複数)
聖書のどの箇所に記されている教え、記述、内容は全ては、
モーセの五書を指して解説しているものなのです。
マタイ、使徒の書簡以降、全てこのモーセの五書に記された神の教え
そして、それはイスラエルが辿った歴史の中の荒野の旅路の中で
起きたことを、イエシュア、使徒やパウロが解説しているのが
クリアーに見えます。
モーセの五書以外の神の教えは、聖書には無い!この事実だけに
立って、正しく聖書を読み直すことが必要なのです。
20世紀近く、異邦人の世界に浸透した教えは、純粋な神の教えではなく、人間=西洋人、西洋教父、ローマ帝国が作った人間の思想を
通して解説した、プラス、反トラー=反神の教え、反ユダヤ思想を
土台としてしまった人造宗教の教えだから、聖書に書いてあることとは違うことを、教え、実践し、聖書の教えを捨て、神の創造された
記念日の全てを捨てて、別物=人間が作ったものを教え、祝って
いるのです。
メシアが来られる迄は、人は厳しい律法を生きて、いけにえ捧げて、義とされた、罪許されていた、聖霊が内側に住まわなかったなどと
いう、聖書とは異なる解説を、聖書だと教えられているでしょう。
この解説は、聖書とは異なる、間違った聖書解説です。
動物の血は、罪を消さない!とはっきり書いてあるのに、
生贄で、罪を一時的に許されたなど、聖書に書いてもない教えを
言っている矛盾にも気がついていないのです。
ミシュカン、神殿でコルバンが捧げられる、コルバンの意味を
理解していないからです。
見えない天の神、天に実在する見えない神の家=神殿を、物理的に
見える形でそっくりそのままを地上で作られせたのは、見えない神と、イエシュアがされた業を通して、新しくされた人を神が受け取り、神の家の中で人がどのように神と交わり、関わり、神に近づき、神と人と和解し、どのように癒され、神が人を神がされた業で完全
無欠である存在として既に受け入れていることを教えているものなのです。
イエシュアの贖い、新しくされた人の事実は、最初から教えられているのです。
問題は、聖書に何が書かれているのか、正しく学ばない人が
神の教えを否定した反ユダヤ、反モーセの五書思想を土台とした、
ローマ、人間が作った思想=人間が作った混ぜ物宗教の教えを通して、聖書を曲げて解説しているのです。聖書ではない、歪んだ曲げられた聖書解説をしているそのこと自体が問題なのです。
エデンの園から、どの時代の、どの人種、どの人でも、永遠の中に
屠られた子羊イエシュアの血の贖いの代価を受け取り、それを通して
父の元に戻った人は、もれなく全て聖霊が内側に住んで、神と共に
生きた人のことが聖書には記されているのです。
神の教え=聖書を正しく理解して生きない人は、どのようにでも
ズレて生きます。そして、ズレた教えを編み出し続けます。
神に認められる為に神の教えを生きる、そんな目的で、神の教えは、
与えられているのではないからです。
簡単な理由!犬が犬に造られたから、吠える。鳥は鳥として造られたから、飛ぶ。犬は頑張って吠える、鳥は頑張って飛ぶのではない
造られた性質通りに生きる、それが分かりませんか?
人は動物ではないので、神の口から出る1つ1つの言葉により生きる!とイエシュアが、トラーに記された神の教えを語ったでしょう。
神が創造された神の似姿通りの人を、神様が意図した本来の自分
本来デザインされ、備わっている性質や使命通りに生きる!という
ことを、神の言葉、教えを通して、人に教えているのです。
その神の言葉、教えを捨てたら、迷い出る、何をどう生きたら良いのか、神の教えからズレた自己判断、自己基準、自己中心になります。
エデンの園を飛び出して神から切り離され、神との隔たりの場所に
閉じ込められた人は、エジプトの奴隷=神の似姿に創造された本当の自分の自己像を知らない、その代わりにエジプトが教える
偽の自己像、人生目標、彼らが定義するところの理想=良いとされることに照らし合わせて、本来の生き方から失われて生きているからです。
人は、神が創造された性質から離れ、この世界が伝える別の自己像を
学んでしまい、自分が誰か分からないままなのです。
その人は、1から、神が伝える本当の自分、イエシュアにより
新しくされた人である、その人は何をどう生きて、どう神に近づくのか?を、1から神に教えられる必要があるのです。
その全てを神の言葉、教えで、人に教えているのに、人が勝手に
神の言葉を破棄し、変えたり、捨てている。勝手な聖書の読み方、
神の教えを歪めた読み方をして、神が伝える本当の生き方を知らないまま、それぞれが、自由勝手に宗教の教え、人間が編み出した教えを通して、イスラエルの神を礼拝する、近づく、偶像礼拝を生きることに導かれてしまっているのです。金の子牛は、人間の編み出した思想
です。神の教えではない、神が伝える通りでは無いことを通して
イスラエルの神を礼拝し、祭りを祝う。これが偶像礼拝です。
何を、どう生きるのか?それらは、創造主である神から教えられない限り、人は、何を生きるのか?と言うことが、それが正しく理解出来ないのです。だから世界は破壊状態、混乱状態、クリスチャンの間でも、4万3千もの宗派、教えで分裂しているのです。
元が、神の教えでなければ、人間は人間の考えで聖書を曲げて、
神の教えとは違う教えを、次から次へと作り続けて行くからです。
聖書信仰です!と言っていても、行動が聖書とは違う、真実が伴わない口先だけのスローガンになっているのです。
聖書信仰というならば、どうして、神の言葉、教えが廃れた!という
人間の作った宗教の嘘を主張し、信じ続けて、神の教えを捨てているのですか?
どうして、イエシュアが生きた通りではない、ローマが作った宗教の教え=神の教えを捨てよ!という嘘を取り、今は人間が自由に神の
教え、記念日を選択する生き方なのだ!と言う嘘を信じて、
人間が作った神の創造された記念日を捨てて、別物の記念日を生きているのですか?
異邦人の世界に浸透したのは、反ユダヤ、反モーセの五書思想
神の教えが廃れた!という嘘を土台にした、ローマが作った宗教。
私達の周りにある、様々な定義は、人の考えが基準でしょう。
この世の人生目標、この世の物差しの理想、日本には勝ち組、負け組などという言葉があるそうですが、それらは全て誰かが考える
理想、目標です。
例えば、「良い」という言葉、「いい子」という言葉は、赤ちゃんが
初めて学ぶ、自己像です。良い子ね〜と言う言葉。
その「良い」と言う意味は、何ですか?周りの親や大人が考える
定義、周りの大人が言う通りに忠実に行動する子が「良い」なのです。
その大人に取っての、「良い」の定義に沿った行動をする子供は、
「良い子」でしょう。
そうすると、その人間が定義し考える、その人の考えに沿ったように
生きることが、良いことであり、神が伝える「良い」を知らないまま
本来の自己像を知らないまま、育つのです。
それが、親の顔色を伺い生きると言う日本語の表現では言うので
何となく分かると思います。
では、聖書に書かれている、神が創造された世界の全てに対して、
神が良い!と宣言された言葉の意味は、何ですか?
神が6日の間、この世界を創造されたことが書かれています。
神が意図した、デザインしたその性質通りのものが、物理的に
現れ出た時、神は、「良い」と言われました。
その良いというヘブライ語は、טובトオヴです。
それは、人間が考えるところの良いではなく、良い、イコール、
神の意図した通り、神が意図した性質通り、デザイン通り、
それが聖書にある良いという言葉の意味なのです。
人の基準、判断、物差しを使えないのです。
神が創造された通り、それが「トオヴ」として物理的に現れたのです。
そして、最後に人が造られた6日目、全てが揃い、神は、
それを「甚だ良い!」と最大限の感情を込めて発した言葉なのです。
トオヴ メオードという言葉です。
LGBTが、神の創造に反していることは、神は男と女に人を造られ
その人達は一体であり、向き合い生きる状態に置かれたこと。
それが、良い、トオブ メオードの状態なのです。
神の創造の性質、デザインに反することをする、イコール、破壊です。今や世界には、LGBTの牧師、教師は大勢います。
そして、日本も、神の言葉を信じるな!創世記は神話です!などと
教える牧師がいますが、それこそが、神が警告している偽教師
偽の教えそのものです。簡単に見分けられます。
どんなに名声、有名だろうが、神の教えを否定し、神の創造の
デザインに反すること、神の言葉をないがしろにする教えをする
それら、全て偽の教えです。
トラーを知るユダヤ人の目から見たら、人間がつくった混ぜ物宗教は
カルト、異端宗教そのものです。
しかも、反ユダヤ思想、反モーセの五書思想を、クリスチャンが
唱えているのですから、それこそが、ユダヤ人には、偽物のメシア
反ユダヤ思想を唱える、神の教えなど正しく理解もしない異端異邦人が勝手に言っている教え!と思われていることを、知って下さい。
妨害しているのは、聖書ではない、偽のメシア、イエシュアを
唱える、その教えが、ユダヤ人に正しいメシアを伝えることを
妨害しているそのものなのです。
旧約、新約、古い教え、新しい教えなど、聖書に別物の2種類の教えは書かれていません。聖書には異邦人用の教え=神の教えを捨てて
良いと言う教えや、ユダヤ人と異邦人には別の教えがある!などと
書いてません。
そして、人間が神の言葉に、付け足し、差し引き、又は勝手な解釈を
加えて、歪めた解説をすることを、神が断固として禁じています。
当然でしょう!人、自分が書いたものでも、第三者が手を加え、
付け足し、差し引き、又は別の意味の内容に書き換えるようなこと、
許可しないでしょう。
そのようなことが、記された著書にされてしまえば、その書を書いた著者の意味が、著者の意図する通りに、読者には伝わらなくなり、
別の思想、内容が伝わってしまうのです。
それをし続けているのが、人間が作った宗教の教えで、神の教えを
塗り替える行為なのです。
トラー=モーセの五書。神が創造された新月、月の第一日目に出る月、その日をマークして記念して祝う。
これは、神の契約が、永遠に再更新され続ける事を、天体を見て、
目でも確認できるものなのです。
新月は、新しい別の光=月が空に出るのですか?そうではないのです。同じ光=月です。
新しい契約も、同じシナイ山で与えられた、神の大家族への家訓、
それを、イスラエルという民族が代表として受け取っただけです。
エジプトを出たのは、何もユダヤ人だけではありません!
女性、子供、異邦人は、240万人も居たのです。
異邦人も、エジプトに居て、同じようにイスラエルの神の業を見て
神を信じて、子羊の血=永遠の中に屠られている代価を信じて、
実際に自分の家の鴨居に血を塗った異邦人も、同様にその家の初子は
打たれなかったのです。
意識を、神の教えだけにフィックス、集中させてください。
神は、ユダヤ人という代表を選び出しました。
その筆頭、大家族の長子がユダ族イエシュアです。
最初アヴラハムを選び出した理由は、異邦人であったアヴラハムを
全民族の父として、世界へ同じ神の教え、トラーを生きる祝福を与える役割を託したのです。
神の言葉、教えを、重荷、負担、束縛、呪縛のように教えこまれ、
刷り込まれ続けているから、異邦人は神の教えは関係な〜い!と
教えられ、間違った開放感を感じているのです。
そうですよね。束縛、呪縛、律法の教えに縛られていたことから、
解放された!何でもして良い自由!何でも食べて良い自由!
いつでも、人間が思いついた日を、主の日などとする自由が与えられた?神の教えを、人間が捨てて良い!?
これこそが、異端、カルトそのものであることに、気がついていないのです。
クリスチャンが主に読む、タナックの箇所は、詩篇や、箴言だと
思います。それを読んでどう考えますか?
人を縛る律法?古い教え?と読みますか?
クリスチャンが言う律法とは、モーセの五書、預言書、諸書
詰まり、詩篇も、箴言も律法であることに、気がついていますか?
その誤訳は、不適切であり、神の教え、トラーです。
箴言、詩篇は、神のトラーの知恵に生きる、実際がずっと記されているのです。もし、神のトラーが廃れた!という、偽仮説=ローマ教の教えが真実とするならば、神の教えは、全部吹き飛びます!
なぜなら、聖書は、どの箇所も、100%モーセの五書=トラー=
神の教え=契約を解説しているものだからです。