神の教えと神の記念日を捨てた宗教の教え | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神の記念日も人間が変えることは、厳重に重い罪、聖別を汚す行為であるから神が禁止しているのに、クリスチャンの間では、

今はいつでもシャバットで良い!いつでも安息日!いつでも聖日!

と信じているでしょう。気持ちが大事!と。

 

そして、神の創造された、神が永遠に祝う私の記念日と教えている

それらをごっそり全て捨て、神の仰せではない、聖書にない日曜礼拝クリスマス、イースター、万聖節を祝う。

未来、それらの記念日は、誰も祝わなくなるのです。

 

考えたら分かると思います。どうして、神の言葉を人間が退け、

人間が神のようになり、神の教えと、神の記念日を勝手に作り出して

神が言われたこととはちがう、違う日を主の日、聖日などと言い

偽証をしているのか?

神を神と認めていない、軽々しい態度。いや、偽情報を聞いて、それが本当と思っていることが、問題。偽情報に気がつけないことが

問題なのです。

聖書を読んでも、分かるはず。そこには、神が神の永遠普遍の

シャバット、新月、祭りの日を、内容も、中身も変えてないからです。だれも、カトリック、ギリシャ、ロシア正教、ローマ教、キリスト教が教える教えや、人が4世紀以降作った記念日は祝っていない

そんなことは、聖書に書かれていないでしょう。

書かれていないのに、書かれていると思う。翻訳もいい加減だからです。過越の祭りを、イースターという異教の女神の名に変えているものもあるから、復活祭というのがあると思っているのです。

本物は、過越の祭りの真ん中の日、イエシュアが復活された日

初穂の祝い日を神が最初から創造しているのです。

 

人の気持ちではなく、神が言われることを尊重するという意識を

完全に消し去られてしまっている人間至上主義、自己中心思想です。

 

トラーを100%支持し、忠実にトラーに生きて、教えているというパウロを知らないまま、パウロが神の教えは自由にその人の選択で

選んで良いという、人間の宗教の教えを浸透させてしまったことに

聖書から気が付かない人が、聖書ではない、歪んだ聖書解説をし続けているからなのです。

 

神の言葉が完全、絶対であるなら、どうして歴史の途中で神の言葉が変わる必要があるという、聖書とは真逆の思想を信じているのか?

真実、真理に基づき、正しい疑問を持つ人は、神=聖霊=神の言葉から、正しい答えを受け取ることができるのです。

変わらなくてはならないのは、神の言葉ではなく、人間の中身、思想

生き方、歪んだ生き方を学んだ、それを変える事なのです。

 

今や、世界は異端思想に汚染されているのです。イエシュアやパウロ達が教えた通り、聖書に書いてある通りを教える人の方が少ないからです。

神のこの教えは廃れた!異邦人には関係ありません!

今は関係ありません!人が自由に選んで良いのです!と言い続けて

いる、その矛盾に気がつけば良いのです。

人間が神になり代わり、神が禁じていることを平気でする、

大冒涜に全く無感覚状態にさせられているからなのです。

 

反ユダヤ思想、反トラー=モーセの五書思想が、今のキリスト教の

主流の教え、信仰の土台でしょう。

日本人は、ユダヤ人を憎んだり、偏見を持ったり、迫害した歴史が

全くありません。欧米人の中には、浸透した根強いヘート思想があります。

でも日本のクリスチャンは、神の教え、トラーを憎むように教えられていることに、気がついていますか?

神の言葉は、古い、悪い、廃れた、律法!律法に戻るのか〜!

恵を捨てるのか〜!と言い続けている、その神言葉に対する思考回路、意識に関して、ズレていると気がついてください。

それ、聖書の教えではない、聖書を正しく解説しない、ズレた

聖書解説で、神の教えが十字架で処分されたという大嘘を刷り込まれて来たのです。聖書にそんなことなど、1つも書いてない、書いて

あるわけもないのです。

神=聖霊=言葉=イエシュアは、ご自身が発した完全なる無欠の

言葉を、否定しないからです。

聖霊が、聖霊を否定しません!それでは、天の国は立ち行かなくなる!と、サタンに対して言ったイエシュアの言葉を思い出してください。はちゃめちゃな意味不明な聖書解説が施されているのです。

 

神の教えを捨てる人には、神が考えていることは伝わらなくなります。その代わり、誰かが語る、人間が作った宗教の思想を通して

それが聖書だと教えられてしまうのです。

 

そうすると、神が与えようとしている本当の教え、祝福、本当の

生き方が分からないまま、宗教の霊の教えに縛られて、別物に熱心にさせられ、生きさせられ、それをやり続けてしまうのです。

そこまで逸脱していなくても、元が歪んだら、傾きます。

 

知らないまま、神に敵対することをやらされてしまっているのです。

しかも、それらは似てるようで、嘘、まがいもの、コピー品です。

人間の考えで作られた、作り物であり、イスラエルの神に属さない。

神の言葉を無視するから、神が呼び出している特別な日、モアデイムをイエシュアを信じても知らない。神の言葉は、自分には関係ないと

神の教えを捨てる、イコール、罪の定義を捨て、聖別を汚す行為をしていても、全く無感覚になるのです。

神の教えを捨てる人は、都合よく、勝手に神の教えを捨てて、

自分には関係ない教えと思いこむのです。

神の教えが神が言ってる通りには、全く通じてないし、信じてもないでしょう。

神のシャバットやモアデイムを汚す行為、祭司がそれを人に教えない

罪を、厳重警告しているのに、今はいつでも安息日などという偽情報を信じる場合、もうその人には神の言葉はその通りには通じない状態にされてしまっているのです。

 

以下を読んでも、古い教えで、自分には関係ないと読んでいました。

殆どのクリスチャンは、そう読んでいるのです。

でも、それは間違った聖書の読み方なのです。

書いてある!とイエシュアが言われた通り、書いてある通りに読まないように、偽情報を通して、別物の教えに変換した嘘を教えられているのです。宝を奪われている。その裏にいるのは、サタン、蛇です。

サタンは人を騙し、嘘をつき、人を神の性質通りに生きさせない

妨害=神の言葉を曲げ続けているからです。

シャバットは、日曜日などではありません。人間は時を創造し、

時を聖別などできないという事を、理解していないとなりませんし、

実際にそんな事できません。

神だけが、神の時を創造し、神の特別な時、モアデイムを刻み、

創造し、その日を神だけが聖別できる!これを知らないまま、勝手なことを主張し、作ってやっても、それは所詮偽物、代替えなのです。

 

その警告がずっと書かれているのに、古い教えは関係ない!という

神の教えを否定する。いや、マタイ以降には、神の教えの全部は

書かれていないのです。抜粋だけ。でもマタイ以降も、皆神の教え

トラー=モーセの五書だけを教えられ、生きて、神のモアデイム

シャバット、新月、祭りを祝ったことしか、記されていません。

日曜礼拝が安息日、使徒20:6-7 1コリント16:2-3 ローマ14を

日曜礼拝に変わった証拠が書いてあると、書いてある意味を完全に

読み違えて、聖書に根拠のない空想話を展開してきたのです。

使徒20にあるように、除酵祭りとは、過越の祭り、その日から

7日間続く、種無しパンを食べる祭りの日なのです。

それを祝う、イコール、シャバット、新月、過越、種無しパン

初穂、穂を数える7週間、そしてシャヴオートを祝う。

秋のヨムテルア、大贖罪日、仮庵の祭りの7日間と、第8日目を

祝っている証拠が書かれているとは、クリスチャンは理解していないのです。

祭りは、どの日からスタートしても、シャバット=安息日として始まり、最後の日も曜日に関わらず、安息日として閉じるのです。

週の間に安息日=第7日目があれば、それも祝うのです。

詰まり、聖書に書かれていること、基本的な意味すら教えられていない、知らないまま

勝手に聖書を上辺だけ読んでいるだけなのです。

そしてシャバットだけを、取り出して祝うのでもないのです。

神の創造された全てのモアデイム、神のアポイントの日全部を祝う!という基本的理解が抜けているのです。

神のモアデイム全てで、イエシュアの業を網羅し、教えているものなのです。そして、それらは全て、預言的祭りなのです。

 

レビ24:8安息日ごとに絶えず、これを主の前に整えなければならない。これはイスラエルの人々のささぐべきものであって、

永遠の契約である。

26:2あなたがたはわたしの安息日を守り、またわたしの聖所を敬わなければならない。わたしは主である。

 

永遠と言ったら、暫定的という意味には永遠にならないのです。

意味が、言葉として現れているのです。そして、ユダヤ人だけの教えと考える人は、神の言葉を正しく理解さえしていません。

イエシュアはユダヤ人、メシアです。イエシュアを通して父の元に戻った人は、誰でもイスラエルになる!と書いてあるでしょう。

異邦人としての血筋は変わらない。でも、神の家の一員とされた人は神が提示する神の家の家訓を生きる!もし関係ないというなら、

絶たれるのです。神の家の人として相応しくない振る舞いをする

人は追放されて、蚊帳の外、神と距離がある場所に追いやられる

又は、神の家で最も意味ない小さい存在になる!とイエシュアも

言われた通りだからです。

二つの分裂家族思想を語るのは、デイスペンセーション神学

聖書を正しく学ばなかったアイルランド人の思想に系統する人達の

思想なのです。その思想は聖書ではない!ということを、はっきり

理解しないとならないのです。しかも、19世紀に出てきた新しい

教え?偽物でしょうそれ。

神は新しい教え、啓示など、聖書が閉じた後に、人に教えないからです。神の言葉は、そのままで完全だからです。

 

イザヤ56:2安息日を守って、これを汚さず、その手をおさえて、悪しき事をせず、このように行う人、これを堅く守る人の子はさいわいである」。

56:4主はこう言われる、「わが安息日を守り、わが喜ぶことを選んで、わが契約を堅く守る宦官には、

56:6また主に連なり、主に仕え、主の名を愛し、そのしもべとなり、すべて安息日を守って、これを汚さず、わが契約を堅く守る異邦人は

 

律法に戻るのか?恵を捨てるのか?こんな思想は聖書ではないこと

神の言葉で、完全証明されているのです。

安息日を守って、これを汚さず、わが安息日を守り、わが喜ぶことを選んで、わが契約を堅く守る宦官には、わが契約を堅く守る異邦人はと言われたのです。人の教えは、真逆を語ります。

 

神のよろこぶこと、愛することを愛さず、神が禁じている、汚す行為、シャバットを捨て、神の教えを捨てよ!これイエシュアが言われたことですか?神の教えとでも言うのでしょうか?

いや、ずっと言い続け、やり続けているから、聖書に書いてある、

永遠普遍の神の言葉が、その通りに、正しく通じないのです。

古い教えは終わり!という大嘘に騙されているからです。

 

58:13もし安息日にあなたの足をとどめ、わが聖日にあなたの楽しみをなさず、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を尊ぶべき日ととなえ、これを尊んで、おのが道を行わず、おのが楽しみ

 

以下未来預言です。下矢印

イザヤ66:23「新月ごとに、安息日ごとに、すべての人はわが前に来て礼拝する」と主は言われる
 
<神のモアデイム、レビ記23章の神の時、呼び出し日の暦、
その日に、神の前に出て、神を礼拝する!と書いてあるのです。
ローマ帝国が作った記念日には、神の前には出ません!
 
エレミヤ17:22また安息日にあなたがたの家から荷を運び出してはならない。なんのわざをもしてはならない。わたしがあなたがたの先祖に命じたように安息日を聖別して守りなさい。

 

エゼキエル20:12わたしはまた彼らに安息日を与えて、
わたしと彼らとの間のしるしとした。これは主なるわたしが彼らを
聖別したことを、彼らに知らせるためである。
 
20:16これは彼らがその心に偶像を慕って、わがおきてを捨て、
わが定めに歩まず、わが安息日を汚したからである。

20:24これは彼らがわがおきてを行わず、わが定めを捨て、

わが安息日を汚し、彼らの目にその先祖の偶像を慕ったからである。

 

<偶像〜人間が編み出した、神の言葉を塗り替えた、別物、偽物の

教えのことなのです。>

 

22:8あなたはわたしの聖なるものを卑しめ、わたしの安息日を汚した。

<これずっと今に至るまで、異邦人はやり続けても、気がつけない。

いや、気が付く人が今や世界中に大勢いるのです。>

 

22:26その祭司たちはわがトラーを犯し、聖なる物を汚した。

彼らは聖なる物と汚れた物とを区別せず、清くない物と清い物との

違いを教えず、わが安息日を無視し、こうしてわたしは彼らの間に

汚されている

神の言葉、聖書を教える人が、正しく聖書を教えていない!という

警告です。

23:38 さらに彼らは、わたしに対してこのようにした。すなわち、
彼らは同じ日にわたしの聖所を汚し、わたしの安息日を犯した。
 
未来預言下矢印
エゼキエル44:24争いのある時は、さばきのために立ち、わがおきてにしたがってさばき、また、わたしのもろもろの祭の時は、彼らはわがトラーと定めを守り、わが安息日を、聖別しなければならない。
45:17また祭日、ついたち、安息日、すなわちイスラエルの家の
すべての祝い日に、燔祭、素祭、灌祭を供えるのは、君たる者の
務である。すなわち彼はイスラエルの家のあがないのために、
罪祭、素祭、燔祭、酬恩祭をささげなければならない。
 

46:1主なる神は、こう言われる、内庭にある東向きの門は、

働きをする六日の間は閉じ、安息日にはこれを開き、

またついたちにはこれを開け。

46:3国の民は安息日と、ついたちとに、その門の入口で主の前に礼拝をせよ。

46:4君たる者が、安息日に主にささげる燔祭は、六頭の無傷の小羊と、一頭の無傷の雄羊とである。