マタイ 5:18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、トラーの一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。
5:19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。
聖書に書いてある意味通りに理解せず、神が伝える言葉、教えを
人が勝手に曲げて解釈し、別物の教えに変えている、それが人間が
作った混ぜ物宗教を通して語る、聖書解説なのです。
それは聖書の解説ではなく、人間の思想を、聖書を利用して語って
いる、偽物、まがいもの教えなのです。神が警告している教え!
神の教えを終了!神の教えを破って良い!と教える人、その人は、
神の前に意味のない羽より軽い存在になります!と警告されているのです。18−19節に書かれているようなことを教える人を、聖書では偽教師、偽の教えと警告しているのです。
そして、偽教師が教える教え全部が嘘ではないから、見分けられないのです。どこからどこまで、本当で、どこからどこまで嘘、人間の
思想なのか、聖書を正しく理解しない場合には、見分けられない。
ルカ 16:17 しかし、トラーの一画が落ちるよりは、天地の滅びる方が、もっとたやすい。
神の教え=トラー=モーセの五書に記された神の言葉が消えるより
天地が滅びる方が簡単!今日、今、この時、天地が滅びていますか?これを読んでいるなら、この世界は健在です!
だったら、神の言葉も、神が伝える通り、そのまま健在であり
有効であり、変わらない!この事実に立たない=それが聖書ではない人間の編み出した聖書を塗り替える異端思想なのです。
黙示録22:18 この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、
わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。
22:19 また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神は
その人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。
預言の書=神の教え、トラーが記された書です。
モーセの五書、預言書、諸書。
それを塗り替えることをする人への警告が、黙示録の最後に書かれているのは、意味があるのです。それをする人が、絶えないからです。
最初から最後まで、神の教えは同じであり、罪の定義も同じであり
神の民の生きる聖別の定義も変わらず、そして、それらを人間が
変えることに対して、厳重禁止警告がされているのです。
申命記5:32 それゆえ、あなたがたの神、主が命じられたとおりに、
慎んで行わなければならない。
そして左にも右にも曲ってはならない。
神の教えから、左へも、右へも曲がってはならない、それてはならない!異端的思想は、神の言葉を人間が変えて良い!時代にあった
解釈にそれてよい。完全に聖書ではない、偽物宗教の思想を聞かされてしまっているのです。
聖書を読み、その解釈のレンズが結論を決めるのです。
聖書の読み方が、何を見るかを決定します。私たちの聖書解釈の
レンズは、私たちが持ち込む先入観、自分が立脚していると信じている「契約の物語」、そしてそのテキストが属すると考える歴史的枠組みによって形作られます。
それは、私たちの結論や物事の見方、生き方に影響を与えます。
聖なる経典、すなわち主の言葉は、**「契約の啓示」**なのです。
それは、アブラハム、イサク、ヤコブに与えられた約束の中で
展開されます。
使徒たちの著作(新約聖書)はその物語の外にあるのではなく、
その内側にあります。
それらはイスラエルの物語からの離脱ではなく、その継続なのです。もし私たちが、使徒たちの著作をその契約の根源、事実から切り離し異邦人の群れがユダヤ民族から断絶していた何世紀もの間に発展した枠組みを通して読むなら、詰まり西洋人が神の言葉を塗り替えて
編み出した思想を通して、聖書を読むならば、それらの著作=預言者が記した、本来伝えていた内容を歪めてしまう危険があります。
事実、聖書とは違う、歪んだ聖書解説がされてしまっているのです。
聖書=神の言葉、教えそのものは変わっていません。
ヘブライ語とギリシャ語の原文は固定されているのです。
しかし、あらゆる翻訳には解釈上の決定が伴い、あらゆる読者は
書かれている内容=テキストに対して独自の解釈の枠組みを持ち込んでいます。
問題は「聖書自体が信頼できるかどうか」ではなく、「私たちの解釈のレンズが、聖書が書かれた当時の契約の物語と一致しているかどうか」なのです。
レンズがズレれば、もちろん結論もずれます。
それは、神が伝えている事実ではなくなります。
だからこそ、契約に対する責任を持って読むことが重要なのです。
ローマ=人間が作った宗教は、神の契約=トラーをなし崩しにした
思想を土台とした人造宗教である事実を、知ってください。
宗教とは、神の言葉に、人間の思想を混ぜて偽物です。
本物ではない。
神は、血筋に関係なく、イエシュアを通して父の元に戻った人全てに対して、同じ契約を与えているからです。
そして、教会という紛らわしい人が作った造語を頭から消して、本当の言葉、カハール、エクレシア、ユダヤ人と異邦人混合の神の1つの大家族、神の声に呼び出されて、その神の声に応答した人の群れ=家族は1つしかないのです。
それは、エデンの園、アダムとハヴァから続く、継続の1つの家族
その家族に、神の教えに応答する全ての人が加え続けられるだけだ
からです。
1つしか神の家族はない神が伝える事実からだけ、考えないとなりません。
人が編み出した多くの思想、仮説のせいで、聖書=神が伝える事実が
ぼやけ、神の教えと人間の教えの境界線がぼやけて、神の教えと
人間の教えがオーバーラップしている間違いがあるのです。
ヨハネによる福音書17章の基盤
そして、見落としてはならない非常に根本的なことがあります。
それはヨハネ17章6節〜8節に基づいています。
イェシュアは父なる神にこう祈られました。
「私は、あなたがこの世から選んで私に与えてくださった人々に、あなたの御名を明らかにしました。
彼らはあなたのものでしたが、あなたは彼らを私に与えてくださいました。そして、彼らはあなたの言葉を守りました。今、彼ら(ユダヤ人の弟子たち)は、あなたが私に授けてくださったものはすべて、あなたから出たものであることを知っています。あなたが私に授けてくださった言葉を、私は彼らに与えたからです。彼らはそれを受け入れ、私があなたから来たことを真に理解し、
あなたが私を遣わされたことを信じました。」
さらに20節ではこう続きます。
「私は、彼ら(ユダヤ人の弟子たち)のためだけでなく、彼らの言葉(証し)によって私を信じる人々のためにも祈ります。彼らが皆、一つとなるためです。」
1つのものを、2つに分裂して考える思想は、神の教え、言葉ではないことを、聖書からはっきり捉えて、把握してください。
神が1つに集めようとしているものを、散らす、邪魔する、神の
修復計画の作業を妨害をしている思想、それが人間が作った教えなのです。
見聞きして来た一般に浸透した教えは、聖書とは異なる思想がたくさんあるから、十分意識を張り巡らし、注意して、聖書に何が書いて
あるのか、正確に読み取って下さい。
聖霊は、必ず、求める人に、真実をあかして、教えて下さいます。
聖書に書いてあるのに、これは一時的、嘘ですなどと、聖書を記した聖霊は、聖書に反した嘘を語りません!そんなことを言うのは、
聖霊ではなく、別の霊であることを、覚えておいて下さい。
聖霊が、聖書を人に記させたのです。聖霊=言葉を、聖霊は否定
途中で変えたりしない、その重大原則を忘れないでください。
イェシュアは処刑される前の最後の祈りを捧げられました。
主は、その時一緒にいたユダヤ人の弟子たちのためだけに祈ったのではなく、「彼らの言葉」を通してイェシュアを信じるようになる
全ての人々のためにも祈られたのです。
誰の言葉を通してでしょうか? 主が召し、訓練し、遣わした
「ユダヤ人の使徒たち」を通してです。
彼らは、トラー=神の教えを塗り替えたり、否定、削除、破棄する
などと、教えない人たちです。
メシアについての彼らの宣言、トラーと預言者に根ざした彼らの
教え、そして「イスラエルの約束が果たされつつある」
という彼らの証しを通してです。
これこそがイェシュアご自身が立てられた秩序です。
福音は、イスラエルの聖書と物語に根ざした人々を通じて伝達されるべきものだったのです。
その同じ福音、同じ神の教えは、エデンの園から神から直接伝えられた同じ教えなのです。それが文字とされ、永遠に証拠として与えられた揺るがない契約書が、トラー、婚姻契約なのです。
聖書をその契約の背景、歴史的現実、そしてイェシュアのユダヤ人としてのアイデンティティから切り離してしまう時、言葉は「武器」になり得ます。
神の言葉ではない、別物、偽物の教えになり変わります。
そして、それはメシアの考え、思索、心ではないのです。
武器〜人を、神の教えから引き剥がし、偽物の教えに誘い、罪を罪とも分からなくさせ、神の性質とは異なる生き方=異教徒となんら変わらない生き方をさせ、聖別を汚す行為をし、イエシュアの似姿そっくりを地上で映しだせない生き方に、人を騙したままいざなうのです。
そして、人に罪を罪とも分からなくさせ、その果てが、LGBT
これを人権擁護、相手の気持ちを尊重しましょうなどと、論点、
話をすり替え、聖書を教える教師が、人を罪へ導くことを堂々としている。今や罪を堂々と発言し、やってしまう終わりの時代なのです。
人間が神になり変わる行為をしている、危険な時代であることに
はっきり目覚めて下さい。