ズレの問題はシンプル | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

イスラエルとイランの戦争、これから4月1日水曜日日没に、

過越の祭りがやってくる、そのような特別な季節、歴史の時の中を

通過中です。

 

世界、社会の中に起きていることは、複雑でも、実は問題の原因は

最も簡単シンプルなことなのです。

神に創造された人が、神になり代わり、神の座に座り、神の言葉を

変える、歪める、勝手に判定して仕分け、処分していること。

神が人へ伝える、神との親しい関係にとどまり、それを喜び楽しむ

秘訣を、人に捨てさせているのです。

 

神の言葉を捨てる人には、神が何を考えてるのかは、正しく伝わらないのは当然の事、それどころか、歪んだ思想を神の教えだと信じ込んでしまうのです。

それぞれが考える、神が伝えている事実ではない、聖書で神が伝える神ではない、脳内イスラエルの神、歪んだ神像、聖書が伝える神とは違う別物が浸透してしまったのです。

その原因は、ローマ、人間が宗教を作ったからです。

神の教えを退けて、別物の思想を土台とする、進化、変化する神と

神の言葉の進化論が、その信仰の土台だからです。

 

永遠普遍、神の言葉も永遠普遍と人に伝えているのに、

人間が、勝手に自己主張、神の言葉を再定義し続ける、

これ大冒涜と全く気がついていないだけです。

神の家に招き入れられたのに、異教徒上がりの思想〜自分達の考え、システム、構造を捨てないまま、偽物、異物を無理やり神の家に持ち込み生きることを、ゴリ押ししているのです。

それらは、神の家に住まう人の性質ではない、そぐわない。

そのようなものを持ち込まないで!と神が言っている。

そんなことは、神が聖別され神のもとに戻った人がすることではない、できない!と聖書の最初から、最後まで記されているのです。

神の家の中には、人間が考えるようなズレ、歪み、別物が入り、

神と共に、神の意図した通りには、住まうことは不可能だからです。

ミシュカンに関して学んでも、分かるのです。

 

LGBTは、その歪みが最も顕著に分かることです。

そこからは、命は生まれ出ません。見かけ変えても、DNAは変えられないのです。間違った自己像を学習し、混乱しているのです。

ローマ帝国も、LGBTで滅んだのです。

神の創造、命の根源、境界線を覆す、思想、行動、生きざまであり

周りの人を破壊するからです。

 

神の言葉、教え、神が伝える生き方を人が捨てて、神が創造され、

デザインされた性質とは違うことをやり続けるから、ありと

あらゆる、悪=神の意図とはずれた全ての罪に繋がって行って

しまったのです。

聖書の最初から、それが書かれています。

人類の問題の根、神の言葉を、歪める、曲げる、変える、神が伝えたこととは、違う教えに耳を傾け、人が神の権威を退ける。

それが神の言われた言葉を無視、捨てて、本当は神はそんなこと

言ってないよ〜という、蛇の声をずっと聞き続ける。

これを、歴史の中でずっとずっと繰り替えしているだけなのです。

神が創造された人ではない、性質の考え、思考回路、生き方をしているだけなのです。

果ては、ソドムとゴモラ、イスラエル殲滅計画。

 

歴史の中で何が起きたのか?近代のアメリカでのキリスト教〜

宗教のムーブメントは、様々、色々ありますが、それらは、

聖霊によるものではないものが殆どであり、人の考えから出てきたものです。その特徴は、イスラエルの神ではない、奇妙、人を誤りの

教えに導くものです。

そして、その調査や研究をしている人たちがいます。

問題の根は、同じ。人間が神の教えを否定すること!問題の種は、

全部最初から同じなのです。

 

今や、プロテスタントには、4万5千以上の宗派があり、

教師、牧師、立場が違えど、それぞれが聖書と合致、同意した信仰を

土台としているわけではないのです。

聖書を神の言葉と信じていない教師。メシアは人とならないと信じている人もいる。ジーザスは神ではない。

それぞれが考える、空想の神を信じているのです。

神はそんなお方ではない〜と思うこと、ありませんか?

それは、自分の目から、自分の考えで、書いてある神の教えの方が

間違っていると、人間が判定しているだけなのです。

人が、神の言われた意図を理解できなくても、神の言葉には、間違え

訂正しなくてはならないことは1つもないからです。

 

聖書に書いてある人たち、預言者、イエシュアやパウロ、1世紀の人たちが生きて、教えていたトラーを

捨てる、西洋宗教の教えだからです。

 

クリスチャンの中でさえも、皆同じことを考えているのではない。

教師、牧師でも全く関係ないのです。

聖書を、神の完全なる言葉、永遠普遍と神が言うのに、殆どの

クリスチャンは、人間が作った教え、神と神の言葉、神の業の進化論を信じているからです。

 

聖書に書いてもない、別物、偽物の教えに対して、ものすごい違和感を感じなければならないのです。

聖書は絶対!神の言葉は完全!聖書信仰だ!と宣言する人が、同時に神の教えは廃れたと信じて、そう人に教え、宣言している、この大矛盾。

聖書に書いてもないことを、あたかも書いてあると空想している。

 

それは、正しくない聖書解説を聞いて、聖書を正しく学ばないことが

原因なのです。

それぞれが考える、脳内イスラエルの神、ジーザス像が蔓延した

その理由は、土台が人の教え、思想だからです。

もとが、人間が作った宗教だからです。

神の教えに、人が考えた違う教えや、実践を混ぜる、入れるから、宗教というのです。イズムです。

神が禁じたことを、人がする。今や、神が禁じたことさえ、聖霊を

内側に頂いた、神の元に戻った人が、それは罪ではないよ、

神の教えは廃れたから、時代にあった教えに変えて良いのだ〜!と、勝手な主張をし続けて、サタンの代弁者になってしまっているのです。

何を神が教え、何を禁じているのか、その罪の定義さえ、神の教えは古くて廃れたと言う人には、神が定義する罪さえ何なのかの、境界線が

はっきりしないのです。

 

神を知らない人でも分かる、道徳的な罪は、普通一般の人、子供でも分かります。

それは、腹に書かれた神のトラー=神の性質通りに造られた人の生き方だからです。

盗んではならない。嘘をついては、偽証してはならない、人を貶めてはならない、人を傷つけてはならない、搾取してはならないetc

ズレたことをしたら、罪悪感を感じるのは、自分の本来の性質に

反したことを、考え、言い、やるから、後で後悔するのでしょう。

本当の自分が、傷ついて、うめくからです。

 

神の創造の性質の逆を全部やっているのが、サタンです。

命を生み出したら、殺害した。これがエデンの園を飛び出した

人類最初の罪です。しかも、兄弟間殺人。

彼らがどう感じたか、思ったかは記されていないから、分かりませんが、親は当然深い悲しみを生涯負うのです。

自分の子供を殺された親、しかも、兄弟により殺められたのです。

 

エデンの園を出た後、記録されている罪。

カインは、神の言うことを無視して、神が言われた通りではない

コルバンを、神の前に捧げたのです。

畑の収穫物を捧げる場合には、それは最上の「初穂」を神の前に

持ってくると、神が教えているからです。

初穂、初子は、イエシュアを表しているものです。

その事実を通して、神のもとに戻っている、新しくされている、神の業により義とされている事実を教えているのです。

神の目から見た通りを、見る!

永遠の中に屠られた子羊により、父のもとに戻り、その人は、

神の前に義、新しくされているのです。

それを、目に見えるコルバン〜捧げ物とか生贄と訳されていますが

ヘブライ語では、「近づく、引き寄せる」という意味の言葉です。

 

考えると分かりますが、神は人から何かを得たいと考えて、そんな

捧げ物を持ってきて!手ぶらでこないで!と言っているのではないのが分かります。

それらを通して、自分が神に新しくされた人であることを、神の目から一緒に見て、知り、学習し続ける、本物の自己像を教えているものだからです。

誰かと会見する時、特別な贈り物をしたいでしょう。

愛する、敬意を払う相手に、自分が大事にしているものを受け取ってもらいたい。特別な交わりが体験される。

イエシュアは最初から教えられているのです。2000年前の過越の

祭りで処刑され、初穂の日に復活して、贖い、許し、救い、聖霊が

人の内側に初めて住まう時代が始まったのではないことが、聖書には

書かれているのです。

最初から、神の教え、福音は同じだからです。イエシュアを通して

以外、誰も父のもとに戻ることはできない!動物の血は、人の罪を

消せない!はっきり書いてあるからです。

そして、トラー、預言書、諸書を読めば、そこに書かれている人たちが、今よりもっと深く、神の教えを理解し生きて、聖霊が内側に住まい、イエシュアが直接彼らに表れていることが、記されているのです。

直に神の声を聞いて、教えられ、直にイエシュアに出会い、直に

神に導かれて生きている。

永遠から永遠に同じ!今の時代、どこでも聖書は手に入り、ネットでも見れるのに多くの人が、イエシュア、イスラエルの神を知らないのです。

書いてあるから、それで、人に何かが伝わるのではないのです。

書いてある意味を、ある時知ろうと思う。それは、神が全部、

人生の道のりの中にあることを、プランしているからです。

 

一番の間違えの引き金は、聖書を人の思想で読み込むという違反をし間違った聖書解説していることです。

神の言葉が変わった、今は人間が考えて、神の教えを自由に仕分けて良い。ユダヤ人だけやれば良い教えだ。ユダヤ人だけの祭り、

シャバット。古い律法だ。

異邦人は、新しい教えと、新しい記念日、復活を祝うのだ。

世界に浸透しているのは、人間、ローマ帝国が4世紀以降に作った

人造記念日です。

復活〜新しくされた命は、過越の祭りの真ん中の日、イエシュアが

復活された日を、「初穂」という名前の記念日を最初から神が

創造されていることなど、クリスチャンは聖書を読んでも、気が付かないし、代々、神の記念日、全て捨てたローマ教の教えを聞いて

それが、本物と思い込んでいるのです。

 

神の教えを人間が塗り替える、そんなことを、主張する人たちに、

聖書に書かれていることなど、正しく教えている訳もなく、

代わりに人間が編み出した思想を、神学を教えているのです。

部分的に真理でも、もとの土台が、歪んでいるのです。

神の教えを完全に土台としていない。いや、神の教えは廃れた!と

言うその一言で、それが表されています。

人間が神になっている。神に造られた人間が、自己主張している。

自己中心とは、それです。神ではない、人間の考えを中心にする

それが、宗教の教えの特徴です。

空中軽挙が来る〜!みんな消える!クリスチャンだけ天に帰る!

こんな、逃避思考をずっと教えているのです。

聖書で警告されているのは、そのように、人間が考えついた教えを

神の教えとすり替える行為、それを、姦淫の罪、高きところの礼拝

と書いてあるそのものなのです。

 

神の教えを、人を縛り付ける不自由な律法だと考えている時点で、

完全にズレた場所で、聖書には書いてもない歪んだ神像を、頭脳に

刻み続けているのです。神の立場になり、別の目から、神の言葉を

見て、人が神の言葉を処分していることに気がついてください。