1テサロニケ2:14 兄弟たちよ。あなたがたは、ユダヤの、キリスト・イエスにある神の『エクレシア カハール 群れ』(諸教会)に
ならう者となった。
すなわち、彼らがユダヤ人たちから苦しめられたと同じように、
あなたがたもまた同国人から苦しめられた。
2:15 ユダヤ人たちは主イエスと預言者たちとを殺し、
わたしたちを迫害し、神を喜ばせず、すべての人に逆らい、
2:16 わたしたちが異邦人に救の言を語るのを妨げて、
絶えず自分の罪を満たしている。
そこで、神の怒りは最も激しく彼らに臨むに至ったのである。
このような箇所を読む時、聖書にこう書いてあるではないか!
聖書がこう言っているなら、ユダヤ人がキリスト殺し、罪深く、
悪ものだ!という事実に対して、異議申し立ての余地はないのだ!と
即座に結論づけるでしょう。
歴史的に、福音書、歴史書に於いても、ユダヤ人という場合に、
どの人達を指しているのか!ということを、注意して読まなくては
なりません。
そして、イエシュアご自身も、ダビデの家系、ユダ族なのです。
12弟子は、ユダヤ人です。ヨハネも同じです。
ここに記されている人達は、ユダ地方、エルサレム周辺に居た
特権階級、上級市民、政治家や、サドカイ派=レビ族の神殿祭司たちのことを指して話しているのです。
ユダヤ人、イコール、全部のユダヤ人を指してユダヤ人と言っているのではないという事実を把握しないとならないのです。
このような読み込みは、常に行われ、クリスチャンの間では、
そう教えられ、語られ続けてしまっているのです。
パリサイ派、サドカイ派イコール偽善者、律法主義者という、偏見、代名詞、固定概念、先入観で、聖書に書かれている意味とは違う解釈を施し続けているのです。
それならば、バプテスマのヨハネもサドカイ派の大祭司であり
父のザカリヤも神殿の大祭司であり、同様に偽善者となりますが
違うでしょう。
クリスチャンが、「偽善者」という意味の同義語、代名詞として、
「パリサイ派、サドカイ派」と使っているではないですか。
当時のユダヤ人は、殆どがパリサイ派であり、殆どのパリサイ派の
リーダーは、善良で、市民を大事にする人であったこと知らないと
なりません。偽善者であり、同時に国民から多大な尊敬を受ける人などいないのです。
今の日本でも分かるように、自己中心、裏で人をいじめて生きる人を
誰も尊敬しません。尊敬される人は、それなりに誠実な生き方をしている人であるのです。
パウロは、イエシュアを信じた後も、生涯パリサイ派を拠点として
いたのです。イスラエル隣国のユダヤ人のイエシュア信者の群れから、パウロへ質問の手紙がエルサレムに送られて来た理由は、パウロは、当時のパリサイ派の最高峰のトラー学者だからです。
そして、パウロの拠点は、エルサレムのパリサイ派の群れだったからです。
このことは、使徒15章の記録でも明らかです。トラーを生まれた時から、いや先祖代々全く知らない異邦人、契約に根付く生き方を知らない人達。イエシュアを心では信じても、実際に、イエシュアを信じる人は、どのように生きるのか?それを知らない。
その生き方が、汚れた以前の不法、不品行、聖別を汚す生き方を
普通にしていた異邦人イエシュア信者に対して、寛大であったのは
パリサイ派のイエシュア信者の長老達だと書いてあるのです。
使徒15章に書いてある内容を、異邦人は4つだけ神の教えを守れば
後は、なんでもして良い!などという、曲がった、歪んだ、間違った解説を施していますが、全く違うことが書かれているのです。
事実、異邦人が、ユダヤ人と共に毎週シャバットでトラーを学ぶうちに神の教えが分かるようになるからと書いてあるのです。
先祖代々、神の教え=トラー=契約に根付く生き方を教えられているユダヤ人と違い、異邦人が神の教えを直ぐに全部理解せよ!というのは無理!と言ったのです。でも、シャバットごとに、学んで行けば
やがて、イエシュアを信じたらトラーに記された生き方をすること
それらが何かを知っていくからと書いてあるのです。
イエシュアを信じながら、異邦人は、異教の神々の神殿で何をしていたのか?
①異教神の神殿で、動物をしめ殺す儀式、異教の神に対する儀式を
していた。しめ殺す行為は、トラーによれば、違法、罪です。
しかも、祭壇に捧げられるきよい動物ではない、豚のような
きよくない動物は、動脈が2つあり、即死しないのです。
古代、動物を苦しめる方法で、異教の神に捧げる動物を屠殺する
異教神の儀式を、異邦人イエシュア信者がしていた。
②異教神に捧げるけがれた動物を屠殺した後、血まで飲む儀式。
これ、悪魔教の儀式と同じです。神の教え=トラーでは、血を飲んではならないとあります。
これは肉体にも害であり、同時に人を汚す行為だからです。
③神殿娼婦と交わる。これは、異教神の前に多産を願う儀式です。
これは、どんな宗教にも共通した概念です。
無病息災、商売繁盛、子孫繁栄です。
イエシュアを信じる、内側に聖霊が住まう人が、異教の神の神殿の
神殿娼婦と、多産の儀式をする不品行を続けていた。
こんなことをしていた人達に、パリサイ派の長老は、交わりに加えるための、寛容な提案をしたのが、使徒15章なのです。
これ、今の世界にもあります。闇。
メガチャーチ、小さいチャーチでも、カトリックの内部でも、
闇の世界を行う人、そうです全員ではないのです。
ある一部の人々は、神の民とは異なる生き方をしているのです。
その裏は、性的腐敗、あの島の事件と全く同じです。
その一部の人がやっている事と同じ事が、書かれているのです。
全員ではない。人は、神の教えから離れ、捨てたら、どこまでも闇につき進んで行けるのです。
④異教神の祭壇に捧げた神が清掃目的で造られた動物を捧げ、
それを食べる。
これらは、聖書によれば完全に罪であり、神の前に1000%NGである行為ですから、これだけは少なくとも理解してください。
そうすれば、パリサイ派の信者の交わりに、改宗儀式をしていない
異邦人でも迎え入れます。
異邦人は、ユダヤ人になる改宗儀式〜1年以上に渡る厳しい訓練や
学びを経なくても、今、この場から、あなた方を交わりに受け入れ
一緒に食卓も囲んでフェローシップをします。
そういう事を、提案したのです。
しかも、改宗儀式は、神の教え=トラーにはありません!信じたその
瞬間、神の元に戻り、許され、新しくされ、聖霊を受ける。
これは、どの時代の、どの人種も同じであると神が教えているから
人間の編み出した改宗儀式など、無用なのです。
これは、クリスチャンの中にもある意識、思想です。
00先生から教えを受けて、00先生から洗礼受けなくては、
この教会の会員、メンバーにならなくては、神の国に正式メンバーとは認められない。メンバーは、この教会に忠実に仕えなくてはならない、この教会が提示する活動に常に参加しなくてはならならない。
etc etc etc同じ思想、意識です。
それらは、全て、人間が作った決め事であり、神の教えではないのです。やりたい人がやれば良い。いや、自分の生活が、人間の思想
人間の編み出した宗教活動に拘束されます。
異邦人は、4つだけ守れば、後は神の教えを生きなくて良い、
無視して良い、関係ないなどと教えてもいません。
神の教えの全部は、先祖代々、生まれた時から教えられ、身に頭脳に
染みついたユダヤ人は同じように、神の言葉、神が伝える契約に
根付いた生き方は知らないのは当然だから、最低限の神の教えだけを
先ず、交わりに入るために理解してと書いてあるのです。
ユダヤ人も、「ノアの法則」などと主張して、異邦人はそれだけ
やっていれば良い。当然、その人達は、異邦人と関わりを持つ事など
考えてもいない人達なのです。
パリサイ派は、クリスチャンが誤解しているような偽善者でもありません。
しかも、2026年は、4月1日日没から、過越の祭り、ペサフの祭りが来ますが、イエシュアが昇天し、神殿が崩壊した後、パリサイ派が
イエシュアの地上の到来、悩める僕、仕えるもの、罪なき人が罪と
なって人々の前で、預言通りに処刑され、昇天され、復活した事実。
それらは、モーセの五書、預言書、諸書に記された、永遠の中に、
この世の礎を神が創造される前に、既に完了している、福音の事実
贖いの代価、屠られた子羊の事実は、永遠から永遠に同じで、
どの時代の人も受け取れる、贖いであることを、証明した事。
それらが、過越の祭りの中で、実際に再現し体験し続けるものを
パリサイ派は組み込んでいるのです。
これは、過越の祭りを教えられない、祝わない人には、決して見えない事実があります。
過越の意味が分からない、祭りが何か知らないと、イエシュアが
された過越の晩餐の儀式、同じ契約が再更新される意味が、
ぼやけて、見えないままになります。
神が神の言葉、神の定めの日、その他を通して人に教えようとしていることを、捨てる場合、それでは神から何を教えられているのか
受け取ることが出来なくなるからです。
神の教えが廃れた!という思想は、神との関係から遠ざけることを
させる罠なのです。
いや、見えない事、分からない事、知らない事だらけになるのです。永遠をかけて、神との関係を育む、その根拠を捨てよ!と教える声。
どこから来た声なのか、神ではない、では何?あの声です。
神の言葉を否定する声です。
パウロが書いている、ユダヤ人、その人達が生きている行動で、
彼らは一般市民に尊敬を得ていた事が聖書にも書かれています。
パウロの大教師、大ラビであるパリサイ派の国会議員である
ガマリエルは、「国民全体に尊敬されていた」と書いてあるでしょう。使徒5:34
私達日本人でも、国を代表するリーダーの立場であるならば、
その人の生き様をする人を尊敬でき、敬意を払えるか、自ずから
分かるでしょう。国民を搾取し、好き放題に振る舞い、国に損失と
恥をもたらす人は、人からどんなに頼まれても、いいねボタンを
押してねと言われても、尊敬を得られません。
独裁国家なら、恐怖政治で、圧力により、強制的にリーダーを
神の如く崇め、拝むふりをさせられますが、本心ではない。
でも、ガマリエルの場合は違います。
偽善者ではない、尊敬に値する対応、行動を国民にしていたパリサイ派の議員でありラビなので、国民全体に尊敬されていたという事実が
書かれているのです。
歴史的な事実を見てみる必要があります。
ユダヤ人に対する迫害は、常にありました。ユダ地方だけではなく、ローマ帝国下に住んだ人は皆体験していました。
この上級国民、神殿祭司、政治を司る人、宗教リーダーであるある一部のユダヤ人がなぜ、イエシュアを信じる同胞の人達を迫害したのでしょうか?
福音書に記されているように、イエシュアがイスラエルに生きた時、
イスラエル中で、ラビ イエシュアは大人気、熱狂的なフォロワーが
続出し続けていたのです。
イエシュアが行く先々、人が群がり、ある時は、イエシュアはご自分の住む町に入れない程、人で溢れかえったと書かれています。
イエシュアが伝道集会を開いていたのではなく、イエシュアが弟子達にトラーの解説をしていたら、人々がどこからともなく大勢群がって
勝手に付いて来てしまったのです。
イエシュアの解説する、モーセの五書=トラー=父の教えは、
天直送、父の意図通りの解説であり、当時の人々の間で解説された、伝統の教え、先祖の言い伝え、律法の戒めと書かれている、
口伝律法、人の考えついたトラーの解説ではなく、純粋、
オリジナル、神の意図通りのトラーモーセの五書の解説をして、
人が圧倒、驚愕したからです。
クリスチャンは、一般的に福音書以降ばかりを読むでしょう。
その中の教えが素晴らしい!と感動しませんか?
それらは、モーセの五書のほんの少しの教え、一部の教えの解説で
あり、しかも、抜粋、引用であり神の教えの完全版ではないのです。
それらの、ほんの少しの神の教え=トラーの解説に感動するならば、
大元に書かれた全貌はすごいものなのです。
なぜなら、イエシュアの性質、生き様そのものが書かれているのが、
モーセの五書、神の似姿に創造された人の生き方が書かれているからです。
それを、古い、廃れた律法だ。人が生きられない掟、律法を神が
過去は与えて、昇天以降難しい教えを十字架で処刑、破棄されたのだという、偽物の教えに、すり替え、解説し、イエシュアがされた父の代弁者ではなく、別の教え=エデンの園の
蛇の声の代弁をしていることに気がついていないのです。
神は本当にそう言ったの?それをずっといい続けているのです。
イエシュア=トラーであることが、見えない盲目状態なのです。
神の言葉を否定する、イコール、神=イエシュアを否定する行為
そのものであることに、気がついていないのです。
人の言ったことを否定することでも、分かるでしょう。
その人を否定する行為、その人の言葉をさえぎる、捨てる行為。
人格否定そのものです。
ある人が、言っていました。私達クリスチャンは福音をそのまま信じています!と。福音と、神の教えは違うものではありません。
福音とは、何ですか?神の完了の業が与えられていて、神の元に
イエシュアを通して戻る事ができて、新しくされた人=イエシュアの
復活の命と同じ命を無償で与えられ、イエシュアと同じ生き方を出来る栄光に招き入れられている。
その人達は、神が伝える生き方、そっくりそのまま、イエシュアが
地上でお手本を示された通り、父の教え通りを生きる!
これを理解しないと、ズレます。
神の者、聖別された人となった人は、イエシュアと同様、父の教え=
トラーに根付いた生き方に戻る!と聖書には書いてあるのに、
その部分を、正しく理解しないどころか、神の教えは廃れた!という偽情報にするかえられた嘘を信じているのです。
聖書を神の言葉、完全なる誤りのない言葉と宣言するならば、
今から神の教えが廃れた!という偽情報をやめないとなりません。
それは、神の代弁ではなく、蛇の代弁者がする発言、行動だからです。