ユダヤ人はまむしの末 うなじのこわいもの ユダヤという言葉に関する印象はどこから来たのか? | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

アンチ ユダヤ、反ユダヤ、Antisemitism〜エンタイセミテイズムは、福音書以降に記されているのではないか?と、ユダヤ人は考えています。

欧米では、反ユダヤ思想と、実際にユダヤ人を襲撃する事件は多発していて、集団で、又大学でデモなども行われるのです。

常に危険と隣り合わせ。

 

クリスチャンの中にも、ユダヤ人はキリスト殺し、うなじのこわい民

まむしの末などと、教えられ、考えている人もいるでしょう。

ルターも、人にそう教えてしまったのです。

 

そして、神の教えを、古い廃れた律法と教えられ、新しい別物の教えが出て来たと教え、神の教えを結局人が変えて、拒絶しているのです。捨てているのです。もちろん、神の教えを捨てる、否定している、そんな意識は、全くないのです。

でも、蛇のやり方はたくみなのです。

神の言葉を、古い、悪いもの、廃れるべきものと、人間が決めて解説し、神が破棄してくださった古い、悪いものにしがみつくのは

恵を捨てた生き方だよ〜!と教えられ、古い教えを生きる、

イコール、あたかも神の前に恵みを無駄にする悪い生き方だと、

偽情報に誤魔化され、騙されていることに、気が付かないからです。

 

しかも、神の教えに、古いものと新しいものがあるという、こんな偽情報、大嘘を、聖書に書いてもないことを、書いてある、書いてあると大衆が思い込む!その原因は聖書に書いてあることを、正しく

学ばない、教えられていない、教えていないし、何が聖書に書いてあり、何が聖書に書いてないのかさえ、見分けがついていないからです。神の教えの完全版は、モーセの五書以外にないのです。

福音書以降に、モーセの五書を捨てる、破棄せよ!と神が教えてなどいない、モーセの五書と違う、否定する別の教えも、聖書には1つも書いてなどないのです!

神の教えが変化した、安息日、神の記念日が変わったなど、聖書には実際には1つも書かれていないでしょう!

それが、永遠の事実なのに、それが、聖書に書いてあるとか、昇天以降は人間が主体〜神になり代わり、神の記念日をいつの日にしても

良いとか、聖書を1000%誤解した読み込みを教えられる。

これは、正しく聖書を学ばない、何が書いてあるのか、当時の人たちが理解していた事、情報、言語、原文文脈、内容から把握していない事から、起こる読み間違いです。

その大元は、ローマ帝国の勅令〜神の教えを生きたら処刑!

そこから、神の言葉を捨てるということを、異邦人がし始めた事を

知らないからです。

反ユダヤ思想と、反モーセの五書は一体化しているのです。

この裏に隠されている本当の意味、作戦は、神に敵対する意識、

人間が神になり変わることを、教える歪んだ思想なのです。

ユダヤ人、古い律法を生きている頭の固い律法主義者だ〜などなど。

 

神の言葉に反する、神の言葉に対するアンチ思想は、ローマ、

キリスト教、西洋宗教で教えられているのです。

 

イエシュアが来られる以前のギリシャ帝国でも、イエシュアが来られた後のローマ帝国でも、そして、未来の反キリストも同じ。

どうして反ユダヤ、反トラー思想があり政府が断固としてこの異物のイスラエルの神の民、神の民の生き方イスラエルの神の教えをバンし続けて来たのでしょうか?

 

今の世界でも分かるように独裁主義国家には、独裁者がいます。

一般市民、他の人の意見、希望、主張が入る余地がない。

一般市民は、イスラエルの神ではなく、独裁者を崇拝し、服従しなくてはならないのです。ローマ帝国で起きた事は、それと同じです。

最初から、ローマ帝国に取って、選びの民は、目の上のたんこぶでした。邪魔な存在です。

そして、ローマ帝国の言う事など、聞かない人たちです。

シャバットで止まるのは、ユダヤ人だけ。

他の人は、皆労働しているのです。

そして、イエシュアを信じる人達、イエシュアが来られた後、

このユダヤ人の群れは、ローマ帝国に取って、より一層大きな脅威になって行ったのです。

その結果、70年代の神殿崩壊、110万人のユダヤ人大量殺戮、

そして、132年のバルコクバの乱でも、ユダヤ人は殺害されたのです。ユダヤ人だけでなく、ユダヤ人のように生きている異邦人も

ユダヤ人とみなされ、同様に殺害されたのです。

このように、ずっとイスラエルの神に忠実であり、神の契約に生きる

ライフスタイルをガードする人達を、ローマ帝国は迫害し続けたのです。

異邦人も同様に、イスラエルの神の教え=独特なライフスタイルを生きる人は、皆ユダヤ人とみなされ、投獄、重税、処刑されたのです。

残忍な方法で、ユダヤ人、又は異邦人イエシュア信者を殺害したのです。だから、異邦人は、神の教えに根付いて忠実に生きることから

離れて、ローマ帝国に、ユダヤ人とみなされないアピール、迎合をするために、神の教え=トラー、契約に根付く生き方を、異邦人は意図的に捨てたのです。裏切りです。

だから、イエシュアが教えた聖書に記されている、父の教え=契約に根付く生き方を、イエシュアを信じていても、しない。

神の創造された記念日を全て変えて、祝わない本当の理由はそれです。ローマが作った教えに乗り換えたからです。

政治的理由で、イスラエルの神に忠誠を誓う生き方を禁じたのです。

 

聖書に書いてあるある言葉を取り出して、早合点、飛躍させてはならないことは、その背景にある事を知ると分かります。

クリスチャンの間では、パリサイ派、偽善者、律法主義者と、

条件反射のように、連想します。

そして、神の古い教え=律法を生きること、悪い!と、関連づけているでしょう。

とんでもない誤解を根拠に、聖書を歪めて読んでいることに、

気がついてください。

パリサイ派、サドカイ派、イスラエルのエルサレム議会。

当時は、パリサイ派が主流だったのです。

サドカイ派は、神殿を司る人々、レビ族でした。

ここで考えてみても、分かることがあります。

バプテスマのヨハネも、その父のザカリヤも、レビ族、

しかもアロンの家系の大祭司なのです。

地上の神殿を司る人として選ばれたのは、レビ族だけです。

その中で、大祭司になる人は、レビ族であり、同時にアロンの家系

出身の男子であり、世襲制なのです。

大祭司カヤパは、腐敗し、ローマ帝国と結託し、神の神殿を汚していましたが、それは、その人の行動、生き様であり、全てのレビ族の

神殿を司る祭司が同じように腐敗した生き方をしていたのでは

ないのです。

バプテスマのヨハネも、レビ族、アロンの家系の大祭司であり、

サドカイ派です。そして、その父のザカリヤも同じです。

その母のエリザベトは、イエシュアの母、ミリアムの親戚です。

この人達は、皆腐敗していましたか?

そうではないでしょう。

 

使徒5:34ところが、国民全体に尊敬されていたトラー学者ガマリエルというパリサイ人が、議会で立って、使徒たちをしばらくのあいだ外に出すように要求してから、

 
パウロの教授、大ラビ、ガマリエルは、パリサイ派であり、当時の
パリサイ派は、イスラエルの議会のメンバーだったのです。
ラビになると言うことは、相当な高等教育を受けている人であり
特権階級です。なぜなら、お金がないと、そのような教育を受ける
に至らない、今で言えば、大学院の博士課程に行くような経済的な
余裕と、頭脳がないと、ラビにはなれないからです。
しかも、トラー、預言書、諸書を学ぶだけではなく、その他諸々の
学問も学ぶのです。パウロは、だからテモテに割礼を授けることが
出来たのです。医学的な知識がなければ、そのような医療行為は
出来ないからです。
 
ここで、国全体に尊敬されている、パウロの教師であり、国会議員であるガマリエルと書いてあるでしょう。
偽善者で、律法主義で、人を搾取する人が、国民全体に尊敬され
愛される人とはなりません。
 
国のリーダーや、王族でも分かる通り、人から尊敬され、愛される人は、そのような生き方をしている、人格者であるからです。
人からの尊敬や愛は、ネットの情報操作では、得ることなど出来ないのです。古代は、その人の生き様や、様々な場面での人への対応で
高い評判、尊敬を得た、それがパリサイ派の議員であり、ラビである
ガマリエルだったのです。
そうすると、クリスチャンの間で浸透している、パリサイ派=偽善者というこの構図は、間違っていると気がついてください。
当時、主流はパリサイ派であり、彼らガマリエルの門下生は、
トラーに根付いた生き方を教えられた、人の立場で考えることを
教える人達だったのです。
例えば、ユダヤ人の間で、トラー=神の教えではなくても、
このように教えるのです。喪中の7日間は、体に心地よいことはしない
革靴も履かないと。それは、亡き人を悲しむ行為ではあるのですが、
老体だったら、暖かい風呂に入って体を労わろうと、そのように考える人達だったのです。
 
教え込まれている、事実ではない、偏見が何かを、発見することは
必要なことなのです。
聖書に登場する、特にマタイ以降ですが、このようにパリサイ派、
ユダヤ人、などと出て来たら、ある一部の人を指して話しているという事実があることを、はっきりと理解してください。
日本人、イコール全員が同じではない。クリスチャン、イコール全員が同じ考え、同じことを信じているのではないのと同じなのです。
 
聖書に記されている、サドカイ派、パリサイ派、イエシュアと議論している人々、リーダー達はある一部の特定の人なのです。
 

その人達の生き様、イコール、全てのパリサイ派、サドカイ派

悪者、律法主義、偽善者とはなりません。

事実、そうではないからです。

 

マタイ〜黙示録の中に記された「ユダヤ」という言葉を指す時に、

聖書の中で、そして今でも様々な別のグループ、派閥、ある派の指導者たちを指して使われている言葉であることが、分かります。

 

ヨハネの福音書ですが、私の教師でもある方は、この書を初めて読んだ時、その中に記されていることで、反ユダヤ思想、ユダヤ人が悪者であるということが、記されているという箇所は、1つも遭遇しなかったと言われました。

 

反ユダヤ思想、空想、連想してしまう、原因である理由は2つあります。

それは、「ユダヤ」「ユダ」という言葉の使われ方です。

記されたヨハネの書は、ギリシャ語で記されました。

そして、ヨハネの書の特徴を述べる必要があります。

 

ユダヤという言葉の意味は、何でしょう?

ユダヤ、ユダと聞いた時、悪い、無愛想、神の教えを間違った解釈をしている人、うなじのこわい人などという、偏見で読んでいます。

 

ユダヤ人は、不親切、イエシュアを迫害し、殺害し、間違った教えに人を導く人達であると、否定的な事がヨハネの福音書には記されていると主張します。

ユダヤ人は、メシアを殺そうとしていた。又はキリスト殺しだと

ローマ教は今も教えているでしょう。

 

では、ユダ、ユダヤとは何でしょうか?

ギリシャ語では、「ユダイオス」です。

ユダヤという言葉は、ヨハネの書では、63回使われています。

他の福音書より、はるかに多く、ユデオスという言葉が使われています。

この言葉は、内容により違う意味で使われている言葉です。

 

31回は、敵対心の意味を込めた使われ方をしています。

ユダヤ人で、敵対心を持った人達に関して、使われています。

 

イエシュアは、ユダヤは、ヨハネの福音書と同じ時期に記された、歴史家ヨセフスの書の中も

同じギリシャ語が同じ意味で使われています。

 

ヨハネはどういう意味で「ユダイオス」ユダヤという言葉を使っていますか?

1)ユダとは、地域を指して使っています。

南、 ネゲブを指して、ユダ、ユダ地方という意味で書いています。

北を指す時は、ガリラヤという言葉で書かれています。

地域、場所。ユダ。

 

2)エルサレムにいる宗教家リーダー達を指して、使っています。

パリサイ派、 サドカイ派、祭司達、エルサレムの議会を指していて、記しています。

それは、ユダヤ人全体を指して話しているのではない。

全体ではない、全ての人の事ではありません。

 

3)歴史学者であるヨセフスも、このユダイオスというギリシャ語を同じ意味で使用しています。

全ての人を指して、使っているのではありません。

ヨハネとヨセフスのこの言葉の使い方でも、同じですが、両者、

ポジティブな意味で使われています。

①ユダヤ人の習慣、慣わし。きよめに関して。ヨハネ2:6 

②イエシュアが言われた救いはユダヤから出る。ヨハネ4:22 

少なくとも1つだけでも、良い意味で使われ、いつもヨハネが使う

ユダヤという言葉の意味は、否定的な意味などで、使っているので

はないのです。

 

続く