アヴラハムの子孫は地上にイエシュアの実態を再生 再現 映し出す生き方をする | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

人の中にある、エデンの園から同じ問題は、人が常に神が創造主

中心であることを、忘れ、「自分を中心とする生き方」を自己主張していることです。

 

「従う」という翻訳は不適切な翻訳であり、ヘブライ語は、

「聞く」という、とてもシンプルな言葉です。子供でも理解できる。神の言葉、声、教えに「聞いて!」と神が言っているのに、

その神の声を聞かずに、遮って、神の声=言葉を妨害しているのが、西洋人が編み出した、いや人間の考え=人が作った宗教思想なのです。

神は人ではありません。神の国、聖別された国を神が人に与えました。

聖別とは神が、神の目的、意図通りに取り分けたという意味であり、

神の家には、人間の考えを持ち込む余地がない!という事実に気がついてください。

人が考える聖別は、神の目的、意図通りに取り分けたものではない数々があるのです。

 

その神の国の中に、人間の考え、人間が考えた宗教文化、

生き方、それこそ生まれつきの肉の生き方、異教徒の国々の人と

同じ生き方を、持ち込もうとする、いや持ち込んでいる

それが問題なのです。

 

異邦人は、最初から、神の教えを、先祖代々知らないまま、歴史の

時を過ごして来ました。

異邦人は、イエシュアを知った後もなお、神の教えではなく、

西洋人が作った宗教の教え、文化、慣わし、儀式、記念日を生きているだけで神が伝えるイエシュアが教えた通りの契約に根付く生き方

教えられていない、知らないし、生きてもいないのです。

その事にも、気がついてさえいないのです。

最初から、神が提示する生き方=契約に根付いた生き方をクリスチャンはしていません。西洋宗教を生きている。

 

異教徒、異文化、神の家の文化、生き方を知らない人たちです。

神が提示する生き方=契約に根付いた生き方を、先祖代々して来た

異邦人などいないのです。

 

「姦淫の罪」とあるでしょう。

イスラエルの神ではない、別物の生き方、それは人間の教え、

人間が作った宗教の教え、混ぜ物、異物の教えを通して、イスラエルの神に近づく生き方のことなのです。

神の家に、別物〜神の国、家の生き方、生活スタイルではない

別物の生き方を持ち込んでいる!ということに、気が付かないと

ならないのです。

イエシュアの贖いの血により、新しくされ、父の元に戻った!

信仰によるだけで受け取った、神が一方的に提示された譲渡契約

その実態を受けた人、イスラエルの神の大家族に加えられた人は、

神が教えている、神の創造された人=イエシュアの性質通り、

イエシュア、神の国の文化、生き方をする!という条件付きの契約が

あることを、正しく聖書から理解していないのです。

 

この2つの契約の性質を、理解していないのです。

そんな難しいことではないでしょう。

一般の人の生活でもしているではないですか。

嫁いだ人は、夫の家の生き方、自分の実家とは違うその家のしきたり

家族の記念日、その家の生き方を教えられて、生きているではないですか?

それを、自己主張して、私の実家ではこうしますから、夫の家でも

私の実家のやり方に合わせて下さいなどと、嫁は言わないでしょう。

王室に嫁いだ人は、王室のしきたり、習わし、生活習慣を1から

教えられ、嫁ぎ先の王室の生き方に知って生きているでしょう。

それと、同じことなのに、神の国に生きること、その点を聖書から

正しく教えられていないのが、実情なのです。

 

未来、イエシュアが戻られたら、全てリセットされます。

エレミヤ31にある通り、誰も神のトラーに反することをしない

全世界が、神のモアデイム、シャバット、新月、過越、仮庵の祭りを

する!想像さえもできませんが、イスラエルに敵対した国も、

神の記念日を祝うために、エルサレムに上る日が来ると預言されているのです。それが、神の国の生き方だからです。

 

脳内ジーザスを空想、信奉する場合、ジーザスは、気持ちさえあれば

なんでも受け入れるのだ〜と考えているのですが、神は偽物の教えに聞き入ったイスラエルに1000年近くも忍耐されただけなのです。

はっきり言って、人間の作り出したものは、偽物、異物です。

それらは、イスラエルの神に属するものではありませんから、

偽物は、いつか吐き出される。

それは、異物であり、イスラエルの神の家に相応しくない、別物だからです。

神の国、神の目に、二つの異なる生き方、システムは共存できません。二人の夫は同時に存在できません。

1つは、神が教えている生き方と、一方は人間が神の教えを捨て、

塗り替え、別ものに変えたものを、一緒くたにし、同時に作動させ

ようとする、神の前にNO NO、やめて!と言われた行動をしている

ことが問題なのです。

神の教えではないことを、人間が勝手に自分の考えで主張し、

やり続ける、これ謙遜でも、神に対する尊敬もない。

この騙しに、聖書を読んでいて、気が付く人は、気が付くのです。

聖書に書いてあることに、忠実に戻れば、何が神の語る永遠の真実で何が、人間が作った宗教の伝統や文化かその違いが分かるからです。

西洋人が作った宗教の歴史だけを学んでも、はっきり分かります。

しかも、カトリックの質疑応答の文献に、神の教え、記念日を変えたのは、神ではなく、カトリックである!とはっきり書いてあるでしょう。

聖書に、西洋宗教の教えや、記念日など書かれていません!

神は、人が神の教えや記念日を変えることを、厳重警告しているのを、聖書を読んでいても、なぜ気がつけないのでしょう?

神の言葉に対して、書いてあるのに、見えない、読み取れない

盲目状態に陥っているからです。

人間の思想という目隠しがされているからです。

普通の書を読んでも、そのようには読まないでしょう。

異邦人に世界に浸透したのは、ローマが作った人間の宗教の教え

文化、伝統の生き方です。

だから、聖書、イエシュアが教えて生きた事とは違うことをやっているのです。

イエシュアにより、贖われ、救われた。罪許されて、神の元に

戻った、その部分は教えても、後が様々に変化して、

神が提示する神の国の民の生き方を、拒絶したまま、

人間が作った教えを、宗教の文化を生きているのです。

 

神の教えに、2種類別物があるというまがいもの教えは、偽情報で

あることを、聖書からしっかり把握、発見しないとなりません。

そして、神は、人が昇天以降は、異邦人には、これこれ、あれそれの

教えは無効になりました、関係な区なりました、今はいつでも記念日だ!そんなことなども一切教えてもいません!

パウロの手紙を完全に読み違え、歪んだ間違った聖書解説だけが

浸透しているのです。

もし、パウロが、クリスチャンの世界で教えられているように

神の教え=トラーを否定する教えを1つでもしたならば、

パウロは、完全追放されます。死に匹敵する罪を犯しているからです。神と人から偽教師として追放されます。

使徒とは、神が伝えた通りを、人に伝える役割がある人であり、

神から派遣された人という意味、役割があるのに、その人が、神の

教え=トラーに反する教えをする?

それこそが、聖書=神の言葉によれば、偽教師の証拠なのです。

今や世界には、偽情報、偽の教えが満載です。

長年語り継がれた、多くの人が信奉している、そのようなことが、

それが真実であるという、根拠、証拠には全くなりません。

逆が教えられているでしょう。狭き門!と。それを見い出すものは

稀と、イエシュアが言われた通りです。

でも、偽情報、偽の教えと、本物を、識別、見分けることができます。本当の情報を探る。

神が伝えていること、聖書を正しく把握することです。

そして、分からなくても、どの部分でも、人が神の教えが廃れた!

異邦人には関係ない、無用!という思想を語るならば、その根拠は

聖書ではなく、人の教え=偽情報である!と気がついて下さい。

偽情報〜人間が作り出した神学、思想、置換神学、デイスペンセーション神学は、神の言葉、聖書ではありません!

それらは、変化する、神の教え、神の性質と聖書とは真逆な人間の

思想そのものだからです。

神の家に住まう人は、神の教えを拒否し、自分の考えを中心とする

生き方を自己主張し、無理やり通し続けることはできません!

命と死をあなたの前に置いたと神が言われた意味を考えてください。

選択権が与えられている、条件付きの契約だからです。

強制ではない。

命=神が伝える通りを受け取り、生きる。死=人間の教え、自己主張をし続けて、勝手な思想を生きる。

本体と影の教えをイエシュアが教えられているのです。

聖書で、アヴラハムの子孫であると書いてある意味は、どういう

生き方をする人ですか?

イエシュアがされたことは、子であるイエシュアが、父の実態

そっくりそのままを地上で教え、生きたのです。

一般的に教えられている、間違った教え=イエシュアが神の教え

生きたから、それ以降は、神の教えを生きる必要がなくなったという

聖書に書いてもないこと、誤解した解説をしていますが、

それらの教えの方を、頭脳から全て削除してください。

神=言葉=イエシュア、神の教えを捨てる?これ、神の教えによれば、サタンの声そのものです。

 

ヨハネ5:19 さて、イエスは彼らに答えて言われた、

「よくよくあなたがたに言っておく。

子は父のなさることを見てする以外に、
自分からは何事もすることができない。
父のなさることであればすべて、子もそのとおりにするのである。
 
子は、父の影です。目に見えない神=父の実態、教えを、そっくり
そのまま地上で人に伝えているのが、子=イエシュアです。
父の教えとイエシュアが言われたものは、トラー=モーセの五書に
記された神の教えのことなのです。
子は、父の言われたことを、その通りに伝えているのです。
預言者は、神に伝えられた通りのことを、書き記したのです。
モーセは、父なる神が伝えた永遠普遍の教えを文字に書き記した
預言者です。聖書は、聖霊=神により書かれた、神の言葉です。
その神の言葉を、イエシュアが終了させる?この空想ファンタジー
人間の作り話を、一切削除、捨てないとならないのです。
 
5:43 わたしは父の名によってきたのに、あなたがたはわたしを
受けいれない。
もし、ほかの人が彼自身の名によって来るならば、その人を受けいれるのであろう
 
父の名=神の実態です。神の実態は、聖書=トラー=モーセの五書
に記されているのです。それを捨てよと、神が言いますか?
言っていません。それをいうのは、最初から同じ、あの蛇の声
そそのかすもの。そして、サタンがそれを大いにうながしているのです。
5:39 あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
 
ここにある聖書とは、モーセの五書、預言書、諸書です。
聖書で、聖書と書いてあるのは、100%全て、モーセの五書=
トラー、その解説の預言書、諸書のみなのです。
聖書に登場する人は、マタイ〜黙示録を知りません。
マタイ〜黙示録に書いてあるのは、もちろん、聖書=トラー、預言書、諸書とは別物の教え、トラーを削除、否定した教えでもない、
新しい別の教えでもない。新しい別の契約でもないのです。
聖書=トラー、預言書、諸書の、短い後書きが、マタイ〜黙示録。
 
5:30 わたしは、自分からは何事もすることができない。
ただ聞くままにさばくのである。そして、わたしのこのさばきは
正しい。それは、わたし自身の考えでするのではなく、
わたしをつかわされたかたの、み旨を求めているからである。
 
イエシュアは、父が言われたこと以外、トラー以外、教えたり
生きたりできない事実があります。
子は、父そっくりそのままを、人に伝える、代理、代表して人に
伝える役割があるからです。
イエシュアは、目に見えない父、そっくりそのままを映し出す
代表する、影なのです。
本体=影は一体です。だから、父が言われないこと、父のみ旨ではないこと、父が教えていないことを、イエシュアはしない。
100%父の教え通り=トラーを人に教えて、生きている、この事実を頭から外すから、人間が編み出した空想ストーリーのジーザス、
聖書ではない聖書解説を編み出し続けるのです。
 
5:46 もし、あなたがたがモーセを信じたならば、わたしをも信じたであろう。モーセは、わたしについて書いたのである。
 
クリスチャンは、なぜ神の教え=モーセを否定する教えを信じているのでしょう?と考える必要があります。
これを聞いた人は、トラー=神の教えを読んでも、イエシュアが
書いてあることに気がつかない人です。
西洋宗教は、イエシュアが書いてあるトラーを捨てよ!という
教えをされてしまっています。どちらも、神の伝える事実から、
ズレた思考回路でいるのです。
イエシュアは、100%モーセ=トラーを教えているのです。
それが、父の教えであり、父の教えそっくりそのままの意味通りを
人に伝え、実際に生きて、お手本を見せたのです。
神に創造された人の、本当の生き方を実際に人に生きて、教えたのに、それは終了?おかしな思想を信じているのです。
 
 5:47 しかし、モーセの書いたものを信じないならば、どうしてわたしの言葉を信じるだろうか」。
モーセ=トラーを信じない人、イエシュアが言われたことを信じない。そうでしょう。神が、神の言葉は永遠普遍!神は変わらない!と言っているのに、どうしてイエシュアを信じる人が、神の言葉を否定し、神の言葉が廃れたという偽情報を信じて、世界へ偽物の
イエシュア像を拡散し続けているのでしょうか?という問いが
イエシュアからされているのです。神=父の言葉、モーセを否定するイコールそれは、父を否定し、イエシュアを否定する行為です。