信仰を持つと、一般常識が分からなくなるの?ということを言われ
たりします。
クリスチャンの間で教えられている聖書解説は、神の言葉を人間の
思想で塗り替えて、聖書に書いてある通りには、読みません。
いや!そんなことありません!と思うでしょう。
では、どうして神が神の言葉、性質は永遠に変わらないと言っているのに、聖書に書いてもない偽情報、神の言葉が十字架につけられて
破棄された!などという不真実な嘘、偽情報を信じて堂々と世界へ
公表しているのでしょうか?
聖書を人の思想で読み替える、歪んだ聖書解説が聞かされて
それが昇天以降の教えだと、解説されているのです。
それが、定着し、固定化し、恒久化し、神の言葉の進化論が教えられて、聖書を読んでも、書いてある通りに読んでいないのです。
欠目なく、書いてある通りに読まないとならないのです。
書いてないことを、書いてあるが如くに読んでいる不思議な現象に
聖書を読んでいて、気がつけないならないのです。
マタイ以降は、1000%全ての使徒達は、モーセの五書、
クリスチャンの間で、廃れた律法と言われた、イエシュアが教えた
父の教え=トラーの解説しか書いてないのです。
その事実にさえ、気が付かないでしょう。イエシュアが語られたのは
申命記であり、創世記、民数記であり、どの箇所の何を話しているのかも分からないままではないのでしょうか。
荒野でサタンのイエシュアが試みられた時、イエシュアが使った
武器は、神の教え=トラー、申命記に書かれた、永遠普遍の神の言葉でしょう!!!マタイ以降を読んで、気がついていますか?
翻訳を読んで、字面を読んで、ヘブライ語に記された通りの意味の
内容が分かると思うのは、少し逸脱しています。
なぜなら、日本人にしか分からない言い回しが、外国人が読んで
そのまま分かると言っているのと、同じ無理、不可能なことを
考えているからです。
日本人が「首が回らない」と言ったら経済的に困窮していて、
どうしようもないと言っていると理解するでしょう。
外国人がそれを聞いたら、「寝違えて首が動かない」と日本人が
使っている表現とは違う意味で捉えるのです。
それを、聖書解釈の中でもしてしまっているのです。
日本の学校でも、古典や漢文を習う、いや現代国語を学ぶ時にも、
辞書を調べたり、言葉の使われ方などちゃんと学習するではないですか。
そのようなことをしないままで、無造作に翻訳聖書だけを読んでも、分からないことがたくさんあるのです。
私達は、古代の人ではない。遠い世界の外国、古代の人が聞いて
理解しているようには、聖書を知らないからです。
そして、西洋宗教、ローマ教カトリック、キリスト教の教えは
人間が神の言葉を時代ごとにあったように変えて良いと考えて
実際そのようにしてしまっていますが、そのような神の言葉に対する違反をしている限り、聖書に書いてあることを、人間が否定し続けて、勝手な聖書解説に甘んじている状態は避けられないのです。
先ずは、聖書に書いてある意味通りに把握するということをしないとならないのに、それをしていないのです。
その代わりに、人間の思想で、それぞれが考えることを、勝手に主張し、解説しているのです。
それでは、注意深い聖書の学びなどあり得ないし、書いてある意味
さえ、基本的なことさえ理解できないままになります。
人間が神になり代わり、神の言葉が終了、廃れた異邦人には関係の
ない教えと、勝手に言うその行為は、神の前に大いなる違反、反抗
そのものであることに先ず気が付かないとなりません。
神との真実な関係は、神が伝えることをその通りに人が聞くことです。
「主よここにおります」と訳されている言葉があるでしょう。
ヘブライ語では、「ヒネニ」という言葉です。
モーセも、預言者も、この言葉を使って、神に応答しています。
どう言う意味でこの言葉が使われているのでしょう?
主が言われることを、その通りに聞いて、その通りに何でもします!という、神に対しての宣言なのです。
それとは全く違うことを、宗教の教えがやり続けているのです。
ヒネーニ ここにおります!主よお語りください。
あなたの言われる通りを受け取り、そのように生きます!
という真摯な態度が欠損、それが人間が主張する、神の言葉が廃れた!異邦人には関係ない!という自己主張であり、人間が神の言葉
教えを平気で曲げて、否定し、歪めている行為は今も今日も語られ
その通りに実践され続けているのです。
これは、伝統で語り継がれた教えを、教師が継承し、一般人に聖書ではない教えを、知らないまま神の言葉、教えのごとくに教えている。
その行為が正されない限り、普通の人は、偽ものだろうが、本物だろうが、聖書の教えと思い込まされるのです。
聖書から、神の言葉の永遠普遍の事実に気がつけないという基本中の基本が抜けていることが問題なのです。
教えている人も、偽情報に気がついていない状態で、人の思想を通して伝統の聖書解説をしているのです。
嘘に騙されたくない!それは誰も同じであり、当然です。
嘘でもなんでも良い、イワシの頭の信心から?
でも、その嘘は、蛇の策略通り人を騙し続けて行きます。
又は、大雑把に天国行ければ、後はなんでも良い!という人もいる
これでは、イエシュアの性質通りを地上に反映して生きる、地の塩
世の光の役割はできないままになります。ずっと幼児のまま。
神との関係も、本来の関係から離れた、遠い関係のまま。
マタイ7:6 聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたに
かみついてくるであろう。
この箇所は、最初から全部読めないとイエシュアがされている教えの
全体の脈略が見えませんが、イエシュアは、神の教え=トラーに関して語っているのです。
真珠と聞けば、イエシュアの言葉を聞いている人は、神の教え=
トラー=モーセの五書に記されたイエシュアが解説する父の教えと
理解して聞いているのです。箴言にも、神の言葉を真珠と書いてあるでしょう。
豚〜きよくない、タメー、神に属さない人に、神の教えを言っても
通じない、その通りです。会話が無駄になる。
向き直ってかみついてくる!これ実際に起きます。
その通りを聞く耳を持たない人に言えば、「律法に戻るのか〜!」
と牙をむいて怒って来ます。
この7節は全体を読まないとならないですが、この後にイエシュアが
言われているのです。
神の教えを捨てて、勝手な自己流解釈で生きている人、神の教えを捨てて生きている人、神の教え=トラー無し=無法と書いてあるのです。
クリスチャンの間では、勘違いした聖書解説がされて、教えている
内容をごちゃ混ぜにして、考えているのです。
この誤解を先ず解かないとなりません。
聖書で語られる「律法主義」、律法主義という言葉は、実際に聖書には出て来ませんが、その行為が何かは聖書で説明しています。
自分の手柄で、神にアピールし、神から、恵み、祝福、義、その他
何かを得る行為のことです。
警告されているのは、人は神の教えを生きたから、義とされるのではない!とはっきり神が教えているでしょう。
この部分も1つ1つ、はっきり区分けして考えてください。
人間の方から、努力や行いで神に近づいたり、神の元には戻れません!神は人間ではないからです。
この事実が、エデンの園の最初から教えられているでしょう。
罪を犯した。どうやって罪を犯したのですか?
神の言われたことを、人間が疑い、無視して、神が言われたこととは違うこと、神が禁じていることをした!
これ今も、今日も平気でクリスチャンの間では、されていますが
気がついていないだけです。
神の教えは廃れた〜!!!という大嘘を神の教えだと信じて、
人にそう教えているからです。
これ、イエシュアの警告を丸ごと無視した態度でもあるのです。
神の教えを捨てるよう、ないがしろにするよう、又神が言われたこととは違うことを人に教える人は、天の国で一番意味なし、偽物の教えで人を罪に導く行為をしながら、それが神の教えに照らし合わせて
罪とも気がつけない状態になっているのです。
神の方から、人の所に来て、贖い、救いを与えたのです。
アダムとハヴァの行為でも、その事実がはっきり教えられています。
神の目に、彼らの犯した罪は何か考えさせて、その通りのズレ、罪を
告白させて、神が赦しを与え、動物の衣=義を着せられたのです。
それを人間の努力ではできない!受け取っただけであること、
その事実をはっきり理解しないとならないのです。
古代は、生贄を捧げて罪許された、ユダヤ人は律法を生きて義とされたと、聖書に書いてないことを、一同に復唱することを、一切やめないとなりません。
未来イエシュアが戻られたら、エルサレムの神の家の祭壇で、再び
コルバンが捧げられるのです。そして、昇天以降も、変わりなく神殿の祭壇でコルバンが捧げられたのです。
今それがないのは、神殿がローマ帝国により崩壊したからです。
神の家の祭壇以外では、コルバンは捧げてはならないから、それがないだけなのです。
そして、コルバンを通して、イエシュアの業、その他諸々を教えられているのです。
罪の赦しのため!という考えが、聖書を読むスタート地点から完全に
ずれていることに気がついてください。動物の血は、一時的にも、
永遠に人の罪を贖うことはできない、消せないからです。
誰一人、人間の行いで神の元に戻れないとイエシュアも父の教え
トラーに記された事実を言ったではないですか。
聖書に書いてもないことを、どうして言い続けているのでしょう?
そして、次が重大な点です。神に義とされ、イエシュア=聖霊=神が
内側に住む実態、新しく生まれ変わった事実を受けた人は
人種、時代に関係なく、1000%もれなく、神が伝える神の性質通りの生き方、トラーに記された生き方をする。
それが、神が創造された本来の人間、イエシュアの性質通りにされた
人の生き方であると書いてあるのです。
この点が、キリスト教の教えからごっそり抜けているのです。
聖書ではない、人の思想を語り続けて、人に教え続けているからです。
義とされた人が、神の提示する神の義、愛の全貌、契約の中に記された神の大家族、民の生き方をすることに戻ると教えているのに
キリスト教の教えは、人間が神の言葉を仕分けて、選んで、自由に
生きて良い!と、神の教えを塗り替えて再定義し、聖書に書いてもない思想=西洋人の思想で聖書を解説し、考えているのです。
これは、イエシュアの教えとは真逆な異物の教えです。
義とされたから、義の実態を生きると言うのと、義とされるために
神の教えを生きるでは、全く違うことを、やっている、言っている
ことに気がついてください。
即座に天国地獄という思想に切り替えて考えますが、それは捨ててください。
天、シャマイム=神の臨在の中に住まう人は、神の性質通りを生きるのが、ぴったり、その通り、神の意図通りなのです。
マタイ7:21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、
みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を
行う者だけが、はいるのである。
7:22 その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、
わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力
あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。
7:23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。
この「主の名」を利用して、人間の編み出した宗教の教えで人を
誤りに導く無数の人、団体があるのです。
神の言葉、聖書を正しく教えず、宗教活動に邁進させ、不思議、
奇跡、預言、癒し、繁栄の神学その他諸々、イエシュアとは似ても
似つかないことを教え、やらせる宗教。偽の教え、偽教師、偽預言者に対して聖書は最初からずっと警告し続けています。