今や、創世記の創造、聖書の最初の箇所は神話、作り話ですと教える日本の
牧師、教師がいるそうです。
聖書を神の言葉であると信じない教師が、アメリカの神学校で
教えている、それは今に始まったことではない、二世紀に遡る
人間の作ったズレた宗教の思想が語られ続けているのです。
それは聖書を教えているのではなく、肉の目から見た、神が伝える
真実が見えない思想を語っているのです。
神に敵対する神に反逆する、神の言われること、聖書=神の言葉を
神に造られたに過ぎない人間が否定する。
日本語で、「勘違いする」という言葉がありますが、完全に勘違いしているのです。人が神の座に座り、神のように振る舞い、神の言われた事を、塗り替え、勝手に神の言葉を、神の創造の
デザインを再定義する。
これが、人間の作ったまがいものの宗教、混ぜ物宗教の実態です。
半分嘘、半分本当。
いや、半分も本当ではありません。土台そのものが、砂!偽物。
聖書を神の言葉と信じていない、神の言葉は永遠普遍と知らない、
信じていない場合、聖書と言いながら、実は、人間ローマ帝国が
作り出した宗教の教えを、異邦人は拡散させてきたのです。
やってはならない行為、それを人に伝えている危険因子であることを、聖書から気がつかないとなりません。
聖書、神の言葉ではない教えは、偽の教えであり、それを教える人を
偽教師と呼び、偽教師の教えに警戒せよ!とパウロが忠告しています。イエシュアも、「毒麦」「主よ主よと言いながら不法=トラー
無しを働く」と警告しています。
パウロが、神の教え、モーセの五書を否定し、退けた新しい教えを
施していると勘違いしている場合には、使徒21章にある通り、
巷の噂、パウロはトラーを否定し、割礼を禁じ、トラーとは違う教えを人に教えている!とい考えていた人たち、その噂話を信じた人と
全く同じ思考回路なのです。
パウロは、モーセの五書を100%正しく解説し、教え、実際に
生きた人なのです。もし、パウロが、モーセの五書=神の言葉、教えを
塗り替える思想を解いたら、その時点で、パウロは、偽教師認定され
神からも、一世紀当時のユダヤ人社会からも、完全追放されます。
このような聖書ではない聖書解説が、聖書だという教えが、
日本にも浸透し続け、今や神の教えを生きるのではなく日本人創作の独特の別物の宗教の教えの実践、聖書とは異なることを教えられていることは、聖書に戻れば、はっきり分かります。
日本に入って来た教えは、西洋人が作ったローマ創作宗教の教えで
あり、イエシュアやパウロが教えた、トラーではありません!
神の言葉を律法と呼び、律法が人を縛るから悪いのだ!
悪いものは廃れないとならないのだ〜!こんなものは、聖書でも、
イエシュアがされた教えでも、イスラエルの神の属する教えでも
なんでもありません。まがいものです。
イエシュアは何と言われましたか?
「あなたがたは真理を知り、真理はあなた方を自由にする」
真理=神の言葉は完全であり、真理であり、命である。」
意味不明な聖書解説が、横行していることに、神の言葉からはっきり
気がついてください。
イエシュアは、父の教え=モーセのトラー以外の教えなどしていません。トラーに記された太古から語り継がれてきた同じ父の教え、
シナイ山で文字として与えられた、神が伝える人の生き方を教えているのです。
モーセの律法、ヘブライ語の正しい元の意味は神の教え、
インストラクション、神の教えに縛られるなかれ???
正しい言葉に直して、考えれば矛盾が分かります。
神の言葉=神=イエシュア=命のパン=聖霊は人を縛るのですか?
神が生きよ!と教えているのは、神ご自身である言葉=トラーなのに、神の言葉=トラー=命の木をしっかり握って、神の教えから
右へも左へも逸れるな!と教えているのに、同時に、神が神の言葉を捨てよ!と教える???
そんなこと、いったい聖書のどこに書いてありますか?
人を縛る、不自由にするのは、神の教えではない、別物の教えです。
人間が編み出した教え、人間が作った混ぜ物偽物の教え、偽の自己像が人を不自由に縛る。
エデンの園でそれが起きたでしょう。
偽物の自己像に閉じ込め、神との隔たりを作り、エデンの園、
神の中から外の飛び出し、閉じ込められてしまったのです。
神は神の教えから、右へも左へもそれてはならない!それは、神の
伝えることではないことを、真実であると教えられ、騙されたら
神の教えが分からなくなり、偽物の教えに繋がれ、それこそが
人を束縛するものだから、その危険を身に招くな!
あなたは、命=神が伝える生き方を選びなさい!と教えているのに、神の教える生き方が記された教え=トラーを捨てよ!捨てよ!終了だ!悪いからだ!と教え続けているのが、異邦人の世界に浸透した
聖書とは何の関係もない、人間が編み出した宗教の教えです。
神の教えを捨てる人を、無法を働く人と書いてある、それが宗教の
教える、境界線のない生き方、神の教えを捨て去る人の生き方そのものです。
神を愛する人は、神の仰せ=トラーを生きる!とあるでしょう。
人間の教えに照らし合わせて、神の言葉を解説すると、聖書とは
100%矛盾してしまうことに、気がついてください。
今の世界でも分かる通り、主要メデイア、ニュースが、偽情報を
流すのです。ローマ帝国が四世紀に意図的に、イスラエルの神の教え
トラーを捨てさせた!この事実を知らない、その事実を理解しない
場合、どこまで行っても、神が神の言葉を処分した、破棄した、
昇天以降新しい教えが出たという大嘘、まやかしを信じて、
死守すべき、命をガードする命綱である神の言葉の方を捨て続け、
無視し続ける危険を背負うことになるのです。
見渡せば、イエシュアが内側に住みながら、同時にイエシュアの性質を汚す生き方をして、異教徒と同じ生き方をして、そして、神が
何をガードして生きよ!と教えているのかも、知らない。
イエシュアを信じながら、罪を生き続けるLGBTのまま?吐き出そう!と言われていることが理解できない、異物を生きてしまうのです。
神の言葉を律法と呼び、律法が人を縛るから、神の教えは悪いのだ!
悪いものは廃れないとならないのだ〜!こんなものは、聖書でも
イエシュアがされた教えでも、イスラエルの神の属する教えでも
なんでもありません。まがいものです。
神の性質とは違う生き方をする、違い教えを神の教えと信じる、
神の性質に造られた人とは違う生き方で、人を束縛するものだから、その危険を身に招くな!あなたは、命=神が伝える生き方を選びな
さい!と教えているのに、神の教える生き方が記された教え=トラーを捨てよ!捨てよ!終了だ!神の教えは古くて悪いからだ!と
教え続けているのが、異邦人の間に浸透した、聖書とは何の関係も
ない人間が編み出した宗教、ローマ教の教えなのです。
デイスペンセーション神学で、聖書を曲げて、歪めて解説する人が、間違った解釈を人に施し続けているのです。
神の言葉が廃れた!という教えを信じる人々の、聖書を神の言葉ではなく、人の思想で読み解く違反をしている聖書解説です。
以下の箇所を解説していました。
ガラテヤ3:21 では、トラーは神の約束と相いれないものか。
断じてそうではない。もし人を生かす力のあるトラーが与えられて
いたとすれば、義はたしかにトラーによって実現されたであろう。
はっきりパウロは、言っています。神の教えは、神の約束と相いれないものなのか?そうではない!と言っているでしょう。
パウロが、何を説明しようとしているのか、正しく文脈から、
その内容を読まないと、間違った聖書解説は簡単にできてしまいます。
人を生かす力のあるトラー=神の言葉、教えが与えられている!!!
そして、パウロはこう続けています。
この箇所、何度も書いていますが、完全に勘違いした読み込みだけを
クリスチャンの間ではされている、代表例の箇所です。
3:22 しかし、約束が、信じる人々にイエス・キリストに対する信仰によって与えられるために、聖書はすべての人を罪の下に閉じ込めたのである。
3:23 しかし、信仰が現れる前には、わたしたちはトラーの下で
監視されており、やがて啓示される信仰の時まで、閉じ込められて
いた。
神の教え、言葉があるから、人が罪の中に閉じ込められたという
解釈は、ズレています。
考えたら分かるでしょう。白は白。黒は黒です。事実は変わらない。
罪の定義が、あるから、罪が指摘されるなら、それでは罪の定義を
取り払おうと言っているのが、ローマ教の教えです。
人が生きられない教えを与えられたから、神の教えの方が葬られな
くてはならなかった?
何を言っているのか、意味不明なことを言っているのです。
それなら、人の住む世界の司法が全部削除されれば、罪はやりたい
放題になるから、全部なんでもOKにすれば良い。
そういうことを、西洋宗教は、別の言葉=神の教えは廃れた!という言葉で言っているのです。
この「閉じ込められた」と読めば、あたかも悪いことに思うでしょう。神の教えに閉じ込められている???
パウロがここで言っていることは、イエシュアに出会う迄、
もし人が周りの人が生きている、これはユダヤ人の群れの特徴ですが、トラーに根付いた生き方、トラーを教えられている、分からなくても、神の言葉を生きることで、罪を犯さず、不良にもならず、
罪の誘惑も悪いものと認識し、安全に幽閉された状態であると言っているのです。
パウロが書いている意味を、完全に勘違いするから、何を書いているのか見えないのです。
大体、最初から神の言葉が、悪い、古い、廃れたという悪者に仕立て
あげている思考回路こそが、神の中考え、意識の中から外側に飛び出した思考回路、神の考えとぴったり一致していない、ズレた場所にいるのです。
別の周波数、電波=偽の教えの下で、偽の教えに聞き入っている状態なのです。
神の声の下、神の声の中で、神の声を聞くならと、聖書には
ヘブライ語で、ずっとそのように書いてあるのは、
神が言われる通りの中で、神の考えとぴったり一致して、神の意図通りを理解して、聞くなら、その人は神の意図通りのことを理解し、
その実態を生きる!と教えているのですが、宗教の教えは聖書とは
真逆のことを教え続けているのです。
プラス、パウロが自分で発表、表明、証明した通り、生涯に渡り、
1000%モーセの五書=トラーに忠実に生きている!そのパウロの言葉、行動、神殿に於ける証明を、否定し、無視し、なし崩しにする人には、神の言葉を人間が変える冒涜が、聖書に記された死に匹敵する罪であることも、全く理解しないまま、好き勝手な曲がった聖書解説を施し続けて行くのです。
使徒21:21−23
3:24 このようにしてトラーは、信仰によって義とされるために、
わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである。
養育係とは、神に出会うことを意味するものであす。
神の教えの1つの側面です。私は、神の言葉から直接
イエシュアが神であることを知りました。
人をイエシュアを、神の言葉により導く、それは神の教え=トラーの
1つの目的、役割なのです。
「養育かがり」とは、ペデゴーゴ、ギリシャ文化の裕福な家庭には、
召使がいて、その人は、子供を教師のもとに連れて行く役割が
あったのです。養育係を、神の教え=トラーになぞらえているのです。
そして、養育係は、教師のもとに連れて行ったら、その後は家の
様々な用事に戻り、仕事をするのです。
教師=イエシュア=神の元に連れて行くという点、その役割は終わった!と書いてあるのです。
神に出会った人は、その後神の教えなど生きる必要ない!
神の教えが廃れた!などという、意味ではありません。
トラーには、神に出会う役割がある!
ここで、殆どのキリスト教の教師は、こう解説します。
キリストに出会ったら、神の言葉、これを律法などと言っていますが
古い教えは要らなくなった?!と意味不明な解説をしているのです。それならば、トラーの引用、抜粋であるマタイ以降も読む必要などありませんと言うのと同じ。
神を知らない人でも、神の言葉を聞いて、それを生きていたら
守られるでしょう。
神を知らない普通の人が、腹に書かれたトラーを生きているでしょう。その人は、人を傷つけたり、失礼なことをしたり、裏切ったり
盗んだり、悪いことはしない。
トラーには、様々なことが、書かれているのです。
罪の定義、聖別の定義、人の生き方の全貌、全てが記されている。
イエシュアを知らない人でも、神のトラーを聞いていたら、やがて
それは、メシアに出会うことに導かれて行くと書いてあるのです。
神に出会う!その役割は、トラーの役割の1つでもある!と書いてあるのです。
キリスト教の教えは、神が伝えているその事実を曲げて解説しています。
以下の箇所を、完全に間違った解説を施し続けています。