コロサイ2章のまとめ パウロの手紙を正しく理解しなおす | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

創世記17:1 アブラムの九十九歳の時、主はアブラムに現れて言われた、「わたしは全能の神である。
あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。

 

全きもの=タミンです。全きものになっている、イコール、永遠の中に屠られた子羊イエシュアの血の購いにより全きものになっている

事実を、神は最初から教えている。2000年前にイエシュアが地上に来られて処刑された後、有効になったのではないことは、

トラーを学べば、クリアーに記されているので分かるのです。

 

ノアも同じです。ノアは、ノアの時代、唯一タミン、神の前に全き人であり神が伝える義=トラー=イエシュアの性質そのままを、

神が教える通りに生きた!と書いてあります。

ノアがタミンとされたのは、最初に救いを受けていた事実、聖霊が

内側に住まう事実、どの時代の人も同じように、信仰によりイエシュアを通して父の元に戻っている状態であったからです。

その事実の上に、神の教えた通りの生き方、神が教えたトラーを

生きた、義を生きた人だったと書いてあるのです。

 

アヴラハムも、同じです。どうしてか細かい理由、解説は、その前後は書かれていませんが、神は一人一人のところに来て下るお方です。

イエシュアが戸の外に立って戸を叩くとあるでしょう。

あれです。花嫁のところに、花婿が迎えに来るのです。

それに応答する人、それはイエシュアを信じる全ての人に対して同じなのです。どの時代も、どの人種でも。

アヴラハムも、元は異邦人、ノアも異邦人でしょう。

ユダヤ人は、メシアを知らないと思うのは、間違いです。

ユダヤ人が救われたらジーザスが再臨するから、祈ろう!まるで

プロジェクトのように言っていますが、ユダヤ人はドン引きしているのです。

人が、神の如く、人の考えを祈りで変えよう?それだったら、

異邦人が間違った聖書解説をして、ローマ化けした、聖書ではない

ジーザスを伝え、神が忌み嫌う生き方をしている、神の教えを汚して

宗教の教えをしているということに、まず気がつく必要があります。

彼らユダヤ人の前で異教神の教えまみれの宗教を唱えているからです。そんなものは、生粋の神の教えを伝えているとは、彼らの耳には

響かないのは当然なのです。それは神の教えではないからです。

 

2000年前に来られたメシアが、タナック=トラー、預言書、諸書に記されたメシアであることを、認識できない人がいると言うこと。

ユダヤ人でイエシュアを信じる人がいる。それはどの時代にもいる。

イエシュアがメシアであることを、知らないユダヤ人も、異邦人よりはるかにイスラエルの神の教えを理解して生きているのです。

クリスチャンも、救われたら、同じ理解、神との関わりの濃度は

同じではないでしょう。それと同じなのです。

トラー=イエシュアが見えないというのと、同じ!

 

クリスチャンの場合は、イエシュアを信じた後、イエシュアが教えた

教え、契約を知らない!生きていない!同じ落とし穴があるのです。

異邦人は、律法に戻るのか〜という心配はない。元々神の教え=契約を知らないし生きてなどいないからです。

イエシュア=トラーであること、イエシュアを信じたら、イスラエルの神が提示する婚姻契約を生きる!と教えていることが、通じてないのです。その代わり、ローマ帝国が作った宗教の教え、宗教の実践

コンスタンチヌスたちが作った、別ものの記念日、異教の神々の祭り記念日を作り変えたものを祝っているのに、全く気がついていないのです。

どこからそんな教えが出てきたのか?聖書に書いてないでしょう。

自分の頭で考え、探る人、追求し続ける人は、真実、真相を発見するのです。

今や情報が提供されているからです。人造宗教、ローマ教がどうして

四世紀に作られてしまったのか?どうしてユダヤ人と異邦人は決裂したのか。簡単な理由です。

宗教が作られた理由、ローマ帝国拡大、支配が目的なのです。

市民を土着宗教に似た日曜礼拝や、異教徒に馴染み安い教えに変え、

異物である神の教えを排除!全部排除したからです。

 

ユダヤ人は、異教の神々の教えまみれ、神の教えを捨てる罪、冒涜はできない!シャバット、祭りを捨てる、汚して、異教神の祭りの

パクリなど祝えないから、偽物の教えとは完全決別した、簡単な理由です。ホロコースト時代のユダヤ人も同じです。

ルターに、キリスト教を信じよ!神の教えを捨てよ!と言われても

そんなことできません!当然です。

そんなことをすることは神に対する冒涜、屈辱であるからです。

これは異邦人には理解できない。神の教えを知らないからです。

ルターが神の教えを正しく理解しイエシュアを信じる人は、神の教えを捨て、汚れた生き方を続けられないという基本中の基本の理解が必要だったのに、自分が神の教えを理解せず、トラーに記された教えを生きるユダヤ人に対して憎悪を燃やし、ユダヤ人殲滅計画を、自分の書「ユダヤ人と嘘」に書き記して、ヒットラーがルターが提案した

全てを執行してしまったのです。クリスチャンはこの事実を殆ど教えらていないから知らないと思いますが、神を信じる人が神の教えに敵対し神の教えを生きることを続けるユダヤ人を殲滅するのが、神のみ心だ!と人に教える。晩年ルターはサタンに魂を売ってしまったの

です。クリスチャンの間では、この黒歴史は語られず、教えられてもいません。

 

私の前に歩めとは、前=顔です。神の実態を生きよ!と言っているのです。神の顔=トラー=本物の自分を映し出す鏡=神の言葉に照らし合わせて生きよ!と書いてあるのです。

 

これは、ヘブライ聖書を知るユダヤ人、アヴラハム、そしてこれを

読む人は、正しく神の言われた意味を理解したのです。

神のトラーに根付いて生きよ。

顔=言葉=実態=聖霊=イエシュアだからです。

神の教えを捨てるなら、一体どうやって神が伝える考えや教えを

理解できるのですか?クリスチャンが教えられている意味は不明な

ことばかりです。

それは、文字=悪い、廃れた 聖霊=優れている、御霊により生きる

意味不明なことを言っているのです。

御霊により生きる人は、神の教え=聖霊で記された神の考え通りを

生きる!と書いてある意味がクリスチャンには全く通じないままになっているのです。

 

2コリント3:3 そして、あなたがたは自分自身が、わたしたちから

送られたキリストの手紙であって、墨によらず生ける神の霊によって書かれ、石の板にではなく人の心の板に書かれたものであることを、

はっきりとあらわしている。

3:6 神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。
文字は人を殺し、霊は人を生かす。

 

このような箇所をスラッと読み、聖霊を受けている人は、文字で書かれた神の言葉は無視してよい、古い教えに縛られるな!などという

とんでもない勘違いした解釈を施している代表例の箇所でもあります。

神=聖霊=イエシュア=言葉であることを理解しない人は、神の言葉

イエシュアそのものを蔑ろにすることが、今の時代の正義!恵!

という、聖書とは何も関係のない、それこそ聖書ではない異端的思想を信じているのです。

エレミヤ31章にあった内容と同じく、心に記されたとあるのは、

頭脳に記されたという意味です。脳で人は情報を理解するからです。フィーリングや感情のことではありません。

かしらと書いてあるでしょう。頭。

 

石の板とは、単に書かれたことを、自分の頭脳が理解していないままの状態です。

心=頭脳に神の言葉が刻まれている!ピッタリエレミヤ31章を

パウロは解説しているのです。

新しい契約=再更新された契約に仕える人は、頭脳に割礼がされ

神の教え=トラーを裏も表も自分の腹の中頭脳に刻まれた状態

神のトラーを生きている状態であると言っているのです。

文字〜聖霊が内側に住まない人は、神の教えを読んでも、

責められているとしか受け取れません。

罪に対する、解決方法を持っていないからです。

でも、聖霊を受けて、聖霊が書かれた神の言葉=命のパンを食べて

生きる人は、生かされるという意味なのです。

 

パウロは、100%モーセの五書=トラーを支持し、トラーに反する教えは1つもしていないという、パウロの証言、証明、神殿で

行ったナジル人の請願の儀式を通して、世間に広く、パウロの生き様100%トラーに忠実であることを証明している、その事実からだけ

パウロの手紙を読んでください。

聖書には、クリスチャンの世界で伝えられているような、神の教えが

廃れた、破棄された、ユダヤ人だけの教えだ、ユダヤ人と異邦人は

2つ分裂した群れだ。神の教えは時代ごとに変化する。神の性質や

神の業も時代ごとに変わるなどというダービー教祖の思想を語る人は一人もいません!!!

 

破棄され、十字架に付けられ完全処分されなくてはならないのは

神の教えではなく、人間が編み出した偽物、神の教えを否定する

宗教の教えの方なのです。

 

契約が2種類、古い新しいものがあるという勘違いをクリスチャンは

していますが、聖書に登場する人は、そのようなことは、微塵にも

考えない、聖書に書いてないからです。

 

神が人に提供した契約は、シナイ山の婚姻契約です。

アブラハムの契約、ノアの契約は、全てこの中に含まれているのです。

神との関係にある証拠、保証、土台は、婚姻契約=トラー、

モーセの五書に記されている神の家に住まう人に対しての家訓

宗主契約と同じ形態で記されてている申命記でも分かります。

 

同じ契約が、歴史の節目節目に再更新され続けているのです。

近隣では、イエシュアの最後の晩餐、過越の祭りの晩餐、

処刑される前の過越の祝いの晩餐の中で行われた、同じ婚姻契約の

再更新なのです。

1)出エジプト19−24 婚姻契約が与えられる。これは、シャヴオートの祭りでずっと祝い続けられている事実です。

 

2)出エジプト34章 次に更新されたのはいつですか?契約を与えられた直後、金の子牛自分たちの手で作った金の子牛、エジプトで培った宗教の教えでイスラエルの神の祭りを祝ったことが書いてあるその後です。

 

3)申命記29−30 約束の地に入る際に、再更新された契約が

申命記なのです。これは、当時中近東にあった宗主契約と全く

同じ形態で記されています。この契約の用語が婚姻契約用語なので

これが、婚姻契約と分かるのです。

 

4)ヨシュア8:30−35、24

約束の地に入る時です。 シェケムでこの契約が再更新されています。この場所は、いろいろな出来事があった意味ある場所です。

これに関しては、別の記事全部あっても記せないので、この場所では

省きます。

5)ヘゼキヤ王による契約の再更新 2歴代史29章

6)ヨシア王による契約の再更新 2列王記23、2歴代史34

ヘゼキヤとヨシア王の二人だけが、高き所の混ぜ物の礼拝場を

完全に一掃、除去した唯一の王です。

7)ネヘミヤとエズラにより捕囚の地から戻った後再更新された。

ネヘミヤ8−10

8)過越の晩餐でイエシュアが再更新された同じ契約 

ルカ22:20

 

聖書は、クリスチャンの世界で語られているように、人間の意見や

考えで、神の教えを捨てたり付け足したりすることは、してはならないと教えています。

そして、人の意見で神のシャバットを変えて良い!とクリスチャンは

言いますが、聖書にはそんなこと書いてあるわけもなく、そのような行為を神は、聖別を汚すな!と厳重警告しています。

前回解説した通り、神は十字架でトラー=神の教え=契約を破棄していません。

おさらいですが、破棄されたのは、トラーに記された違反をした

自分の罪の罪状です。

下矢印
コロサイ2:13−14

 

 

コロサイ2:14 神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた。

 

 2:15 そして、もろもろの支配と権威との武装を解除し、キリストにあって凱旋し、彼らをその行列に加えて、さらしものとされたのである。

 

この箇所は、祭りを祝う、祝わないと言う議論ではなく、神の

シャバット、新月、祭りをご馳走と普段飲めない高価なお酒を持って盛大に祝うと神の仰せがあることを、禁欲主義を唱える異端の教え

をする人々が、この日に断食せよ!と言う神の教えとは異なる教えで

自分たちが祝っている神の記念日の祝い方に対して、批判されるな!

という箇所です。

下矢印

コロサイ2:16−17

コロサイ2:16−17 2

2:16 だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。

2:17 これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある。

 

そして、以下は、神の教えではなく、人間の思想、哲学、神秘主義

悪霊の教えなどを信奉しているそれらに対しての警告であり、

神の教えに関して、パウロが批判しているなどと、勘違いした解釈をしてはなりません。

文脈通りに読めば、何が書いてあるのかクリアーに見えるでしょう。

人間の苦行、この世の教え、独りよがりの礼拝、と書いてある

これらは、神の教えのことではありません。

ある人が、これを古い教え、律法のことと解説していますが、

どこまでも、聖書とは異なる別の思想を語っている、聖書を正しく

学んでいない、いや文脈読めば分かりそうなことさえ、先入観で

真実が読み取れない状態なのです。

コロサイ2:18 あなたがたは、わざとらしい謙そんと天使礼拝とにおぼれている人々から、いろいろと悪評されてはならない。彼らは幻を見たことを重んじ、肉の思いによっていたずらに誇るだけで、

2:19 キリストなるかしらに、しっかりと着くことをしない。このかしらから出て、からだ全体は、節と節、筋と筋とによって強められ結び合わされ、神に育てられて成長していくのである。

 2:20 もしあなたがたが、キリストと共に死んで世のもろもろの霊力から離れたのなら、なぜ、なおこの世に生きているもののように、

2:21 「さわるな、味わうな、触れるな」などという規定に縛られているのか。

2:22 これらは皆、使えば尽きてしまうもの、人間の規定や教によっているものである。

2:23 これらのことは、ひとりよがりの礼拝とわざとらしい謙そんと、からだの苦行とをともなうので、知恵のあるしわざらしく見えるが、実は、ほしいままな肉欲を防ぐのに、なんの役にも立つものではない。

人間の教え、哲学、人造宗教の教えに惑わされるな!という

同じ警告です。神の教えを人間の思想で読み解き解説する、それらの

偽情報を一掃しないとならない。白蟻退治は、白蟻の巣を根こそぎ

駆除、除去しない限り、白蟻=偽物の教えは次から次へと形を変えて出てくるからです。