人間の作り出した教えは神を神とみなさない 神の言葉を塗り替える冒涜そのもの | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

1ペテロ1:16聖書=トラーに、「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである」と書いてあるからである。

 

聖なるという定義は、レビ記11−27章に記された、神に聖別された人、イエシュアに属する人、イスラエルの神の大家族の生き方を

知って初めて、聖別とはどいう生き方をすることか理解できるのです。

神の教えをごっそり捨てる人には、聖書に書かれた神の言葉の字面だけ読み、神が伝える聖別された生き方が、一体どんなものか、何かも全く知らないまま、自分よがりの聖別の定義を空想しそれを生きているのです。

辻褄が合わない事が分かりますか?どうして、ペテロが廃れた律法と

クリスチャンが主張する教えを、ここで書き記して、人に教えているのですか?

使徒10章で、ペテロに神がレビ記11章の教えを破れ!と教えたと

とんでも無い読み違えをしているでしょう。

ペテロが幻を見せられて、神から何を教えられたのか、はっきり発言しているではないですか。

 

使徒10−11章に書かれている内容を正しく理解する必要があります。この箇所、神が食規定を破るように教えた!というとんでも無い

解説が、クリスチャンの間でされている箇所ですが、全てが辻褄が合わない事に気がついてください。

神は神の教えを破り、人に罪を犯すように教えません!

神の使徒も、人に神の教えを破って良いよ!などと教えません。

神の食規定を犯す、聖別を破る行為!シャバットを蔑ろにする事、

これも聖別された人が、聖別を汚す行為です。

1ペテロ1:16と辻褄が全く合わない事になってしまいます。

 

使徒10章は、イエシュアが昇天されて10年くらい後のことです。

1世紀当時にあった、口伝律法、神の教えではない人間が編み出したトラーに対する解釈や色々な規定、それを律法の戒め、規定、先祖の言い伝え、伝統の教えと書かれていますが、それらにペテロも縛られていました。

クリスチャンの世界で言っても、理解できるかもしれません。

例えば、クリスチャン以外の人との交流、飲み会に行くな!

忘年会に行くなかれというルールを集う教会がしているとすれば、

それをする事は、そのグループの中では御法度ですよね。

別に聖書に書いても無い教えだけれど、そのグループのルールでは皆から罪!とみなされる。これ、他の宗教にもあるでしょう。

ヒンズー教は、お酒は悪!お酒を手に持つことも悪!みたいな感じ

又は牛は食べられない。神々の中のある神の乗り物だから、牛は食べてはならない。動物は殺してはならない。だからビーフは食べない。

マクドナルドにも、チキンバーガーしかないのと同じです。

誰かが決めたルールが、社会全体に浸透していれば、その行為は悪!

とみなされ、それをすることが後ろめたく感じるのです。

 

1世紀の世界、異邦人とユダヤ人が交わるのは御法度でした。

それは、納得行く理由もあるのです。

使徒15章に記された異邦人イエシュア信者の行いでも分かると思います。イエシュアを信じたのに、神の教え=トラーを知らないから

聖別を汚す生き方を平気でしていた。

異教の神々の神殿で、けがれた動物豚を締め殺す儀式をし、豚を祭壇に捧げ、その肉を食べ血を飲み、異教の神々の神殿娼婦と性的交わりをする多産の儀式、そんなことをしていた!そんな汚れた生き方をする人とは交われない!と考えるのは当然でしょう。

 

パウロがエペソ2章で、隔ての壁、律法の戒めと書いているのは、

まさにそれです。異教徒である異邦人と、聖なる民としての自覚が

あり生き方をしていたユダヤ人は、全く交流がなかった、異邦人とは関わらなかったのです。今でもそうですが、イスラエルでは、正統派ユダヤ教の黒い衣服を着た男性は、異邦人と目も合わせません。

そんな感じなのです。隔の壁とは、人の教えの事です。

神の教え=トラー、モーセの五書に書かれた教えではないことを

はっきり理解してください。人間が編み出した様々な教え、聖書ではない教え、それはキリスト教=カトリックの中にも、実はたくさん

あるのです。

そして、パウロから指摘されて注意されていた、周りのユダヤ人の目がある場合、ペテロが異邦人と交わらないふりをしている!と。

ユダヤ人がいない場合だけ、異邦人と関わると、咎められたでしょう。

そういう、超えられない意識の壁、異邦人、イコール犬、野生、

汚れた豚のように呼ばれている、異教徒という意識は抜けないのです。

日本でもあるでしょう。今や韓流が流行りですから、ないですが

昭和初期時代、以前は偏見刷り込まれたりしていたでしょう。

それです。人種差別。

「割礼」と1世紀当時呼ばれた、ユダヤ人になる改宗儀式をしない

異邦人、イコール、汚れた野生動物!とユダヤ人は認定し、

改宗儀式をしない異邦人とは、一切交流を持たない!

それが、皆が了解している『掟』生き方だったのです。

ペテロは、異邦人の家に行く?汚れた動物食べる人?そんな家に

上がって一緒に交わりなどできないとコルネリオの家に遣わされるのに、そう考えていたから、神は幻を見せたのです。

 

野生動物、イコール異邦人です。神の教えを知らない、汚れた動物でもなんでも食べる、罪を罪とも認識しない人、イコール、豚!犬と

言っていたのです。

天から降りてきた動物は、色々な動物が混ざり、そして清い動物でもきよくない動物に触れたら汚れる!と考える。

しかも、祭壇に捧げる動物は、野生動物ではダメなのです。

屠れと言う言葉は、神の祭壇の上でコルバンを屠るという言葉なのです。

レビ族のアロンの家系の大祭司が、コルバンに相応しい動物か、

シミ、傷、欠陥がないか判定しなくてはならないのです。

これ、ポイントです。

詰まり、神がきよめた、イコール、イエシュアの血の代価で贖われた異邦人も、同様に神の前に、シミ、傷、欠陥のない人として受け取られている!と言うそのことを、神はペテロに教えたかったこと、

それをペテロは神が教えた意図通りに理解している発言をしているのです。

食規定が破られ、罪の規定がなくなり、なんでも食せるようになった

などと、ペテロはその幻を通して一切考えてもいないし、そのようなこともしないのです。神は人に罪を犯せ!聖別を破れ、汚して良い!などという、ズレたことは教えません!

 

使徒10:28 ペテロは彼らに言った、「あなたがたが知っているとおりユダヤ人が他国の人と交際したり、出入りしたりすることは、

禁じられています。ところが、神は、どんな人間をも清くないとか、汚れているとか言ってはならないと、わたしにお示しになりました。

 

はっきり書いてあるでしょう。ペテロが神から教えられたことは

食規定破れと言う罪を教えられたのではなく、天の大祭司である神がきよめた人は

異邦人でも、ユダヤ人と同じ、神が清めたから汚れていると言うなかれ!と理解したのです。

もし、ペテロが、神が食規定を破り、けがれた清掃動物、豚でも

たぬきでも、鱗のない魚、エビカニタコなんでも食べて良い!などと言ったら、その場で偽教師、偽使徒、神に冒涜を働く罪を人に教える人!と認定されるのです。神の使徒でもない、聖書を記す使徒でもなくなり、人々から追放されます。

こういう基本的な理解がないのは、神の教えは廃れた!と言う偽情報

人間の教え、ローマ帝国皇帝の勅令を元に作られた人造宗教を信じて

神の言葉を理解していないからです。

 

聖書記者は、100%もれなく、モーセの五書の解説しかしていない!神の教えを否定、廃れた、無効という教えはしていない!という

事を、知らない人が、神の教えを自由自在に聖書=神の教えを無視して、自分の都合の良い教えだけを抜粋して教える!そう言った

ジャンクスカラーシップを教えられてしまっているのが、

宗教の教えなのです。

律法に戻るのか!とクリスチャンが言うけれど、クリスチャンは

律法など元々知らないし、学ばないから、理解もしていない。

当然生きてもいない、だから律法に戻るのか!と言うこと自体がおかしいよ!とユダヤ人が言います。

それは、本当です。異邦人は、神が与えた契約の命、命を選ぶ生き方を捨てているのに、全く気がついていないのです。

神の教えのほんの一部しか、知らないままなのです。

神の教え=トラー、律法という誤訳、本当の意味はトラー、神の教えインストラクションをごっそり捨てている場合、神の教えなど最初から知らないし、部分的にトラー=神の教えを勝手に仕分け、抜粋し、

道徳的な教えだけ生きる程度にしか知らないことにも、気がついても

いないのです。

ユダヤ人でもアメリカなど、異教の国々、西洋の世界に生活して

キリスト教会、デイスペンセーション神学を信じた最初から教えられれば、

それが聖書と思い込むのです。

そうではない人も大勢いますが、特に両親がユダヤ人なのに、

キリスト教という宗教を信奉している場合にありがちな事です。

 

私を教えて下さっている教師の一人でもある方が言っていました。

ある時まで全く気がつけない。ユダヤ人家族なのにキリスト教という

ローマ帝国皇帝が作った人造宗教を信じているとも、気がつきもしない。知らないままそれが神の教えと思っていた。

ある時、根底からその思想、宗教が聖書、神の教えなどではないことを、神の言葉から、はっきりと教えられたそうです。

 

それまで、神の言葉は廃れた!と教えられているので、それが本当だと思い込んでいたと言いました。

シャバットもないがしろにし、聖別を汚す行為である事にも気がつけない。神が教えている教えも、ろくに正しく知らないまま、

もちろんヘブライ聖書も知らないユダヤ人。

ローマ教という宗教の教えを、翻訳聖書から読んでいただけで、

実際には神の教えは深く理解していなかったこと、徹底的に悔い改めて、完全軌道修正したそうです。

そして、ヘブライ聖書、ギリシャ語聖書を学び、様々な註解ができるほどに学び続けて、教える路線に切り替えたことを話されていました。

ユダヤ人とて、異教の神々の国で西洋宗教、デイスペンセーション

神学を教えられてしまえば、洗脳されるのです。人間の教えに。

神が語る言葉、真理を人間の教えで覆い隠されてしまうのです。

 

同時に、異邦人でも同じように、神がアプローチするのです。

これはひとり二人ではない、多くの人が神から直接アプローチされているのです。

アジア圏に宣教に行ったキリスト教の宣教師の方がいました。

多くの人に、キリストを伝えたけれど、キリスト教という人造宗教を

教えてしまったことに、宣教師を辞めた後気がついて、同じように

軌道修正、神の言葉だけに戻り、ヘブライ聖書を学び、間違った教えを全部捨てて、聖書を最初から学んだのです。

そして自分が間違った教えを伝えた人々へ、神の純粋な教えは本当はこうであると、ヘブライ聖書に記された教え、生き方、祭り、シャバットを、1から教え直したそうです。イエシュアが教えた通り、

イエシュアが教えて、祝ったモアデイムを教えたのです。

そうやって、その人の軌道修正、聖書を書いてある通り、聖書が伝える通りを生きる事に戻るという影響は大きく広がり、神の教えを塗り替えた宗教を作り出したローマ帝国の罪を一掃して、神の教えの真実、事実だけに戻る!

これが、今世界の中で確実に、異邦人の中で起きているのです。

 

ローマ帝国がどうして、宗教を通してローマ帝国支配下にある国々の人を支配しなくてはならなかったのか?

歴史を学ぶと、その理由はクリアーに見えます。

今も同じでしょう。宗教、思想を支配すれば、政治と繋がり、支持率が確保され、統治できる、人の行動を支配、強制できるのです。

集団になり、反抗するユダヤ人の神の教えを潰せば、ユダヤ人を潰せる、ユダヤ人殲滅!これは、歴史の最初から同じなのです。

 

神の教えを潰せば、薄めれば、歪めれば、人を誤りへ導けるのです。

だから、その果てはソドムとゴモラ。神のデザインと反した生き方を

今やキリスト教の牧師が称賛しているではないですか。

ノアの時代と警告された通り、聖書を教える人が、神の教えを捨てよ!と教え、神の教えを理解しないまま、人間が作った宗教の教えを

神の教えと疑いもせずに信じ込む。

でも、それは今情報がネットで得られる時代になり、ローマ帝国が

やらかした罪を知り、神が神の言葉を変えたのではなく、

ローマ帝国の宗教、そこから出て来た様々な思想、神の教えを塗り替える神学、デイスペンセーション神学や、置換神学は、聖書ではない、

誤り、エラーだらけの不具合な人間の編み出した神学!と言うことは、聖書を正しく学ぶ人には、クリアーに見えるのです。

神の言葉に立てば、それらの思想はまやかしそのものであり、

神の教えを知ること、ユダヤ人がメシアを知ることを妨害する

つまずきの岩そのものだからです。

1つの群れ=大家族、イスラエルと同じイスラエルの神の大家族に

加えられる異邦人という1つの家族の事実、神が伝える事実を、

2つに分断し、イスラエルの神の性質、神像を分裂症、変化する神と塗り替えている。これは、創作話そのものであり、神の前に完全に言い訳のできない罪であるのです。

神の性質、神の言葉を偽証する罪と、人を神の教えではない偽物の

教えに導く偽教師の罪。

生物兵器を人に打たせるのと全く同じ罪。人に害毒である思想を刷り込み、神の教えは廃れたという意味は、神が伝える罪の定義を捨てるように人に教え、イコール、神の前に罪を平気でする!できる

無感覚状態に人を陥れているものだからです。

イスラエルの神の真実を、見せなくしているものだからです。

神の警告にも、全く無感覚、自分には関係のない古い教え、

ユダヤ人だけへの教え!などという大嘘、偽情報を信じる人には

人が神になりかわり、神の言葉を仕分け、神が伝える教えや罪の定義が分からないまま汚れた生き方を神の前にさせられる侮辱にも

気がつけない状態になるのです。