イエシュアを信じる人が イエシュアの教えを退けているのに全くそれに気がついていない | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

秋の祭りの最初、第七の月の1日は、2025年9月22日

月曜日日没から、23日火曜日日没まででした。

神の記念日、シャバット、新月、祭りは、必ず日没からスタートします。1日は日没から始まる、夕あり、朝ありだからです。

 

この日は、ショーファーを吹く日とだけ、教えらていますが、

これは「神の声の目覚ましコール」です。そして、新月の日!

厳しい神の裁きの声ではなく、シナイ山で初めて人々が聞いた

角笛は、花婿が花嫁を娶り、そして花婿の声に聞いて!というあの声なのです。花婿、イエシュア、イスラエルの神の声!

胎内で聞いた声は、親の声ですが、エデン=喜び=神の中、

永遠の中から私達は神に属する者として、選び出されていたのです。胎内、憐み、レヘン、神の声を聞いていたのです。

 

私達の本来の性質は、神の言葉=DNA=イエシュアの性質そのものです。だから、別の周波数、振動、波長に合わないのです。

別の周波数=神の言葉、教えとは違うもの、別物の教えが混ざっている宗教の教えには、マッチ出来ない、それらは神の似姿に

神の言葉で造られた本当の自分ではないからです。

だから、神は、神の言葉に、人間が付け足し差し引きしてはならない!高きところの礼拝=異教の神々の教え、シンボル、要素

儀式、記念日を真似て取り入れて、イスラエルの神に近づけない!それをするなかれ!と言われた理由が理解できます。

それらは、創造主に造られた自分ではないから!そんな生き方は

本当の自分ではないから、ずれて傷つく、神との距離、隔たりが

できてしまうからダメなのです。

神の言葉こそが、永遠の真実だ!と、聖書に書いてある真実

当然な事なのに、それを覆い隠されていたから、真実を再発見しないとならないのです。

サタンは大嘘つきであり、人を責める者とある通り、その通りの

ことを、エデンの園からし続けてきています。

そして、イエシュアを信じる人の口から、神の言葉、教えに敵対する教えを、堂々と語らせ続けている!このやり口、手口、

お見事!としか言えない。いや、エデンの園でやった方法と

全く同じであるのです。

シンプル、簡単。神の教えは、簡単に無視出来るし、簡単に疑えるのです。簡単に変えられる!自分の考えで変えてしまえる!

本当に神はそう言ったの?そうは言っても、本当は違うかも?!これ日々、耳元、いや自分の頭の中で自分の言葉を通して

ささやいている事、気がついていますか?

神を疑う!それが始まったら、直ぐに神の言葉に戻る!それを

するのです。

クリスチャンの世界では、神の教えを正しく教えられていない、

ある部分の狭い範囲のことしか、語られていません。

その理由は、何度も書いているように、最初の75%、特に神の教えの完全版、モーセの五書を、正しく教えられていないからです。そして教える人がいない、だから、何が書かれているのか、字面では知っていても、本当には知らない、だから生きていない、イコールよく分からないのです。

聞かされているのは、人間の思想、デイスペンセーション神学

を通して、翻訳聖書だけを使い、部分的に聖書を解説する教え

が一般的ではないでしょうか?そんな教えは、イエシュアはしていない、使徒やパウロ、1世紀の人は、聞いてもいないし

知りません!それらは純粋な神の教え=聖書ではないからです!

それは、ローマ帝国教、人造混ぜ物宗教です

極め付けは、イエシュアの業を網羅する、イエシュアご自身

そして、私達の地上の人生を生きる命のサイクルを実際に生きて

体験して、神に教えられる、「わたしの記念日、祭り」全て

捨てています!夫との特別な記念日を捨てる妻!前代未聞。

その中で、神のモアデイムの中心、神が創造の最初から宣言された第7日目のシャバットを、別の日、ローマ帝国皇帝の日に変えて、そのシャバットの意味、中心を大否定しているのです。

神が言われた通り!神が創造主であり、主権者であり、全ての

権限を握るお方であるという神の宣言に対して、真っ向から、

人間が反対、敵対、対抗している行為!

それは、神が言われたこととは違うことをする!ということで

実践してしまっているのですが、全く気がついていないのです。

 

そんなことぐらい何?て思うでしょう。なぜなら、今は人間の

考えで神の言葉を、正しく仕分けて、切り分けて、捨てて良い!という、弁護士ダービーのデイスペンセーション神学の教えを信じているからです。

以下の箇所、日本語では英語と同じ翻訳ではなく、元のギリシャ語の意味に近い訳になっています。

2テモテ2:15 あなたは真理の言葉を正しく教え、恥じるところのない錬達した働き人になって、神に自分をささげるように努めはげみなさい。(口語訳)

 
新改訳では、赤字の部分は、真理の言葉を正しく伝える者 
新共同訳では、真理のみことばをまっすぐに説き明かす

と訳されていて、英語訳を通してのダービー教の解説とは違うものになっています。

英語では、仕分ける、切り分ける、そしてその解説は、デイスペンセーション神学では、時代にあったように、人が神の言葉を

付け足し差し引き、判定すると言う教えで解説されています。

 

テモテへの第二の手紙2章にある「神の言葉を正しく分けなさい」という表現は、聖書を熱心に、そして正確に扱うことへの呼びかけです。

ここで使われているギリシャ語の「オルトトモンタ」は、

文字通り「まっすぐに切る」または「まっすぐに切る」という

意味で、農夫が畑を耕してまっすぐな畝を作る様子を比喩的に

表しています。

この比喩は、聖書の解釈と教えにおいて、正確さ、誠実さ、そして徹底性が必要であり、メッセージが歪められたり、誤って伝えられたりしないようにすることを強調しています。

 

この概念にはいくつかの重要な側面があります。第一に、聖書を理解することは勤勉さと献身を要する作業であることを認識し、注意深い研究と努力が必要です。
第二に、文脈に従ってテキストを正確に解釈し、著者の意図を
曇らせる可能性のある個人的な意見や見解を押し付けないようにすることを意味します。
そして、次がデイスペンセーション神学が語る、間違っている
2テモテ2:15の解説です。
[識別と分析、つまり義認と聖化といった異なる真理を区別し、
モーセの律法と新契約といった聖書中の異なる契約と神権を理解することが必要です。]
 
聖書に登場する、マタイ以降に出てくるイエシュアや弟子、
パウロや当時の人々は、誰一人としてこのように神の言葉を歴史
の中で分断する思想を持っていません。
これは、もっと言及すると、ユダヤ人の中には、今も同じですが
異邦人は、野生、豚、犬、汚れた生き方をする人、神の契約の中にはいない人、蚊帳の外の人間である。
だから、ユダヤ人になる改宗儀式をしない限り、正式な神の国の一員にはなれません!と、1世紀のユダヤ人の中にあった口伝律法=先祖の言い伝え、神のトラーではない教えを
信じている人が大勢いたのです。
これは又別の問題、トピックなので言及しませんが、それは神の教えではありません。
 
クリスチャンの中にある間違った聖書解釈は、シナイ山で与えられた婚姻契約を、1)先ず古い一時的な律法という間違った概念を植え続けられていることです。
2)マタイ以降に、トラーとは異なる契約が書かれているという「幻想」「空想」を信じていること。
 
もし、トラーとは別の契約書があるとするならば、それは神の
教えの完全版を、神が再び書き直して、それを天と地を証人に、世界に向けて分かるように、シナイ山で起きたようなことがなければなりませんが、実際そんなことは起きてもいない、神が神ご自身で記された別の契約書もありません!
全ての人が、神が与えた同じ婚姻契約=シナイ山で与えた神の家の家訓を生きる!とずっと教えているでしょう。
 
イエシュアは何と言われましたか?父の教え以外、語らない
生きない!と言っている意味を、全く理解していないのです。
イスラエルの神との関係は、このシナイ山で与えられた婚姻契約以外に、根拠、土台、証拠はないのです。
どの人種、どの時代の人も同じです。
この契約書に基づいて、神は人との関係を永遠に結び、保証し
そして、この契約を神は破らない!と言っているのです。
ユダヤ人だけに与えた契約で、異邦人は関係ありませんと神は
言いましたか?いいえ、誰でもイスラエルの神、神の家に住う人は、全て漏れなく同じ契約を通して神と神の家族と結ばれて生きる!!とずっと教えているでしょう。
 
しかも、イスラエルと共に住む家畜まで!と書いてあるのです。
異邦人の中にある問題は、聖書を正しく教えられず、人間が神の言葉を壊し、塗り替え、人間の思想、神学、教理で、聖書を書いた預言者達の文脈、内容から完全に逸脱し、空想話、その元は
ローマ帝国皇帝の勅令、教皇、司教、西洋教父達が神の教えを
曲げて作った、人造新興宗教の教えを土台とした聖書解説を聞かされている!ということに、はっきり目覚めたら、眼から鱗が落ちます。
ある部分は、聖書の真理を語るから、分からないのです。
キリストと言うから分からない。それが真実と思う。
しかも、2000年前に、初めて救い主が教えられた!
救い、許し、購い、聖霊が住うことが始まった!と、聖書に書かれていることを知らないまま、勘違いした教えをされているから、神が語る永遠不変の真実が見えてこないのです。
昇天前後、神の教えの中身は何一つ変わっていない!ということを、クリスチャンは正しく理解していません。
聖霊は、エデンの園の最初から人の中に住う。アダムとハヴァも
同じ子羊イエシュアの血の購いの代価で許され、神から義の衣を
着せられているのです。同じ!最初からずっと同じ!
二つ別の方法、救いの方法が時代ごとに違う!と言うのは
弁護士ダービーの戯言です。聖書が閉じた後、自分を神から遣わされた預言者と思いこむ人は、頭に怪我をして長い間、昏睡状態だったり、それから目覚めて幻を見たとか、幻聴を聞いたとか、何か脳に異常があるのかと思います。
聖書に記され警告されている偽教師は、全部聖書とは異なる
偽物の教えをしているのではないのです。
ある部分は聖書の真実、真理を語っても、残りの教えが不真実、偽の教えが語られているのです。
考えたら分かるでしょう。土台が、神の教えは廃れた!という
大嘘が土台、ローマ帝国、皇帝の勅令、発案が土台なのです!!
神ではなく、人間が勝手に決めて、宣言し、そして人に勅令に
より強制的に偽物の教えの土台で作った宗教を、実践させた!
そして、それが、恒久的に浸透してしまったのです。
クリスチャンはもれなく、信じた最初から、こう教えられてしまいます。
1)神の教えが昇天以降廃れた。古い悪い教えから解放して
下さった。
2)神は、異邦人とユダヤ人とは別の教えを与えた。
3)マタイ〜黙示録にはトラーとは違う、今まで聞いたことがない新しい教えが記されている。
これら、全部偽の教え、偽教師が語る偽物の教えであり、
イエシュア、神の言葉、聖書などではありません!
聖書を正しく理解している人は、こんな間違った、曲がった聖書の読み込みはしません。
マタイ以降を記したのは、預言者ではない、使徒達です。
その意味は、聖書を書いたのが、預言者です。
その預言者が書いた聖書を、短く短く抜粋して解説しているのが
使徒達であり、使徒の書簡です。
使徒は、神の教えを塗り替える別の教えなど編み出しませんし
神は使徒達に、トラーとは違う教えなど、伝授していません。
使徒は、預言者が書いた神の言葉を塗り替えません!
もし、人が神の言葉を捨てる、曲げる、その行為は、死に匹敵
する罪であると、知らないのでしょうか?知らないですよね。
なぜなら、罪の定義の全てが書いてある、モーセの五書は廃れた!という嘘を信じている人には、神が伝える罪の定義など
知る由もない、読んでも、それは自分には関係ありません!
という読み方をしているから、神が伝えている真理が、神の教えを捨てる人には、通じなくなってしまっているのです。
全部ローマ帝国皇帝由来の作り話なのです!最初は、ローマ帝国皇帝が、神のトラーを生きることを禁じる!という勅令だったのです。
処刑、投獄、重税、弾圧で、トラーを生きるユダヤ人をどれだけ迫害したか知っていますか?
70年の神殿崩壊、第一ユダヤ戦争を知らないのでしょうか?
皇帝ネロが、トラーを生きる人たちを、コロシアムで動物の食い物にしてゲームを楽しんだこと、知らないのでしょうか?
トラーを生きる人を、人間トーチとして、庭でユダヤ人に油をかけて、木にかけ、火をつけてもやし、その明かりで夜の大宴会を楽しむ。神の教えを捨てる人は、サタンの手先になり、サタンの
業をすることができるのです。
神の教えを捨てよ!という勅令を言う皇帝は、これ程までに
神の教えを生きることを弾圧したことを、知らないとなりません。
その裏にあるのはサタンなのです。なぜなら、エデンの園から
同じ。神の子らが、トラー=イエシュアの性質そのものを地上で生きたら、サタンが憎む、シャロームが訪れる、イスラエルの神がどんなお方であるか、分ってしまうから、ずっと偽物の教えを
浸透させ、神の教え、実態を生きることを阻止し続けているのです。
そして、神のトラー、ユダヤ的な事とは違う教えを編み出して
トラーに書かれたユダヤ的なこと、衣食住、異教徒には馴染みない教えを全部捨て、そして神が創造された「わたしの記念日、
祭り」というものを、ローマ帝国皇帝が全部捨て、別物に変えたのです。そして、それらを国の宗教とし、そして勅令で、神の
トラー、教えを捨てよ!したのです。
これは、1世紀以降から、ずっと同じ弾圧なのです。
反キリストとは、預言書にも書かれている通り、神のトラー=
教えと、神の時、モアデイム=わたしの祭りと言われるものを
変える!とある通りです。神が言われたことを、どうしてクリスチャンは退け続けているのか?疑問に思わないとならない。
それが、ずっとされ続けて来ているのです。
こんなことは、歴史の中で起きたことを調べれば、すぐに分かりますし、神の言葉だけに基づいても、神の言葉は永遠に変わらない、廃らない!それが、永遠の事実なのです。
 
イエシュアが言われた通り、神の言葉を神が言われた通り永遠不変と信じない人、トラーを信じない人には、その人に何を
言っても通じません!とサジを投げたたとえ話があるでしょう。
それそっくりそのままなのです。ルカ16:29−31
嘘をまことと信じても、それは嘘なのです。
神は神が言われる通り、神の教えは変えない、2つべつの契約は
事実存在しません。