神は人に何を教えているのか? | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

クリスチャンの世界では、終末、空中軽挙=秘密裏のキリストの再臨で、クリスチャンだけが消えて天に行く〜と言う事が今騒がれています。

いや、これは今に始まったことではない、ずっと前からこのような思想が語られています。現実逃避思考、聖書とは違う教えを

刷り込まれて、今を地に足を付けて生きる事を教えない。

 

そして、反キリストとは何か?と言う聖書に記されている、

反キリストが何をするのか?どんな事をする人達を、聖書では、反キリストと言っているのか?最初の部分を読まない、

又人造宗教が本物、デイスペンセーション神学や、置換神学を

聖書と思っている場合には、神が警告する反キリストが何を意味して語られているのか、分からないままになります。

聖書=神の教えを捨てる代償は、神が伝える神の考え、真実を

知る手がかりを、ごっそり捨てて、人間の教えにすり替えた

偽情報を信じる事をしてしまうのです。

 

反キリスト、神に敵対するものの行為は、神の教えと、神の創造された記念日を変えるもの!とはっきりずっと聖書全体で警告されているのです。

神の教えを塗り替える!これが、エデンの園の最初から行われて

いるでしょう。

そして、西洋宗教という、人造宗教、神の教えとは異なる思想を持ち込み、神の教えの土台、トラーを覆す教えで作った、ローマ帝国拡大、支配する目的のために、ローマ帝国皇帝により作られた

新興宗教が、それそのものです。神の時=モアデイムを、

日曜礼拝、クリスマス、イースターに変え、神が創造された

記念日を祝うな!と捨てさせたのです。人間がやった!

神が神の教え、記念日を変えたのではない事を、聖書から、

歴史の中で起きた、666の仕業を知らないとならない。

 

そして、反キリストはこの世界の終わり、再臨の直前に、初めて出現するのではなく、歴史の中で、反キリスト思想は、ずっと

浸透しているのです。繰り返し、繰り返し、出現する。

その裏には、その力が常に存在しているからです。

それが、神の言葉を潰す!神の言葉を実際に生きる事をする

神の民を殲滅する、サタンのプランでもあるのです。

反キリストは一人ではない、神の教えと、神の創造された記念日を塗り替えて、神が神がであることを見えなくすることに

賛同する勢力全体のことなのです。

 

バベルの塔で表される通り、自分たちの力で神になろう!

神と同じレベルの場所まで到達しよう!と考えた、それと

全く同じことが、何度も歴史の中で繰り返されているのです。

 

自分たちの考えで世界統治をする目的で、帝国が作られ、そして

衰退する、それを歴史の中で繰り返しているのです。

今も世界統一をしようとする勢力は顕著に現れ出て、悪事を堂々と働いでいるのです。偽情報を流し、自分たちの目には無価値な人を大勢消し、そして、人を支配し、生活、行動をコントロール、制限し、そして、あるひと所に、家畜を家畜小屋に収めるかの如く計画している。それがスマートOOO計画です。

監視カメラがあらゆるところに置かれ、自分の行動がオンラインで全て把握されているのです。

このように、人間が神になり変わり、神の言葉、性質ではない

悪が支配する世界を作ろうとする。

でもこれは必ず最後には、廃れたます!サタンの行き着く結末は

敗北と決定しているからです。そして、イエシュアが全世界を

統治する永遠に続く明るい未来がある!

悪をもって身を固く立てられない。悪は神の国、地を相続できないからです。神の意図と反する事をする、生きる人は、神の国に

未来は住まえないとはっきり記されています。

神の家のお茶の間に、土足のままでは上がれないのです。

 

反キリストは、エデンの最初からいます。その勢力は、ずっと存在し、歴史の中で繰り返し、頭角を表しては、崩壊、自滅し

消えているのです。

 

バビロンは、金の像=神を拝んだのです。

ダニエルが、ネブカデネザル王が見た夢を解き明かしたそれです。

バビロニア帝国自体は、預言書において金によって象徴されています。

ダニエル書では、ネブカドネザル王が「純金の頭を持つ巨大な像」の夢を見ます。ダニエルはこれを、一連の世界帝国の最初のものとなるバビロニア帝国を象徴するものと考えられます。


これはバビロンが最盛期に持っていた比類なき力と富を象徴しており、金の頭はその至高の地位と支配の価値を象徴しています。
このように、バビロニアの礼拝における金の使用は、単なる装飾ではなく、都市の宗教的、政治的、そして文化的優位性を深く象徴するものでした。

異教の神々は、人間が作ったもので実在しません。

でも、サタンはそれを利用しているのです。

そして、異教の神々の代表が、エジプトの太陽神、ラーです。

太陽神、ローマ教を作ったローマ帝国皇帝、コンスタンチヌスの

宗教も太陽神、ミトラ神、全部太陽が大元です。

天体を拝む。イスラエルのエジプトで太陽神信仰を見て学んだ。

だから、出エジプトした後、太陽神のシンボル、牛、それを

金で作って、イスラエルの神を拝んだ、神の祭りをやったと書かれているのです。祭り、詰まり、モーセが荒野に行って、神の

祭り、ハグをやらせてくださいと、パロに申し出た。

最初から、シャバット、祭りは神が創造されていたものだからです。

 

そして、ペルシャ帝国は、彼らの編み出した法に仕えたのです。

このペルシャ帝国で、ユダヤ人殲滅を企む、ハマンが王の侍従として仕えていたのです。アハシュエロス王の国に於いて、首相の

位に上り詰めた人です。その人が、ユダヤ人殲滅を企み、

実際はユダヤ人王妃エステルの保護者である従兄弟のモルデガイを処刑するために自分が準備した木に、自分がかけられたのです。

 

そして、次に、イエシュアが来られる前の紀前2世紀のギリシャ帝国も同じように、反キリストのする事を執行したのです。

神のトラーと神の時、シャバット、祭り祝う事を、全てを処刑をもって禁じたのです。

 

同じことが1世紀以降のローマ帝国でも、反キリストのやること神のトラーと、神の時、モアデイムを禁じたのです。

その延長、続きが4世紀のローマ皇帝コンスタンチヌス、

反キリスト思想を持つ人が、人造宗教を作ったのです。

人間が神になり変わり、人間が神の言葉を否定して、別の宗教を作った。

ローマ帝国皇帝が、1世紀から、神のトラーと神の祭りを祝う事を重税、処刑、投獄で禁じて来たのです。

だから、ユダヤ人は抵抗し、第一ユダヤ戦争で、70年の神殿崩壊があったのです。

その結果、ユダヤ人110万処刑、9000人奴隷、後は知っての通り、イスラエルから追放され、ユダヤ人は世界に離散し、

散って行ったのです。

人間は、神の代表になど、なり得ません。神はそのような人を

地上で、神になり変わるような任命をしません。

イエシュアだけが、人となって来られた神です。

神の子らは全て、神の言われた通りを生きて、地上で=イエシュア=本体を正しく映し出す影として、生きる。

神の言われたトラー通りを生きる時、人は見えないイスラエルの神を、神の子らの生き様を通して、見るからです。

神以外、聖なる父と呼ばれるに値する性質の人はいません!!!

人間が神のタイトル、名を、勝手に奪って使っているのです。

 

教皇も、司教も、牧師も、教師も、聖書を教える人が、

もし、神の教え=トラーとは違う教えをしたら、それは神が伝える通りを教えない、神の名を利用し、聖書を利用しながら、

聖書ではない、偽物の教えを教えているだけです。

だから問題なのです。

部分的には、聖書の事実であっても、神の言葉自体を、人が否定する、終了!と言う教えをする、イコール、聖書が警告している、偽教師、偽預言者ということになるのです。

どうして、人間が神の教えを否定、破棄、終了!などという

権威を、神でもない人間が持っていると主張していること自体が

おかしいと、聖書の警告から気がつけないのでしょう。

それは、神の教えが廃れた!と言う嘘を信じているからです。

いや、神が言ってもないこと、神の言葉は十字架で破棄された!

という嘘の教えを信じているから、聖書に書いてもない事を

書いてあると勘違いした教えを刷り込まれているから、偽物の教えばかり聞いて、偽札見つめ続けているから、嘘とまことの違いを、聖書に、目の前に書いてあっても見えないのです。

 

偽物と本物の識別、区別ができない理由は、本物を知らない人には、偽物と本物の区別はできないからです。本物=聖書=神の言葉に照らし合わせてだけ、偽物、本物と判定できるのです。

偽物見続けていても、本物か嘘か区別出来ない、分かりません。

聖書に書いてある事は、神の言葉は永遠に廃らない!神は永遠から永遠に同じ!イエシュア=神は昨日も、今日も、永遠に同じ!

そして、人間がローマが作った勅令こそが嘘であり、人間が神の言葉を変える権威をペテロを通して与えられたと言うのも、

聖書に書いてない嘘!カイザリアの異教神の神殿の場所で、

イエシュアが弟子達に語られた意味を、これまた勘違いしているのです。

 

マタイ16:15 そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。

16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。

16:17 すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。

マタイ6:18 そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロで

ある。そして、わたしはこの岩の上にわたしのカハール

(エクレシア=神に呼び出された人の群れ)を建てよう。

黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。

16:19 わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。

そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、

あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。

 

イエシュアは、弟子達と旅すがら、ピリポカイザリア、異教の神々の神殿、パンの神殿がある場所に来たのです。

ここは異教徒達が、幼い子供を生贄にし、異教神の神殿の上から

下へ子供を突き落として捧げていたのです。

おぞましい場所。神殿の下から、ヘルモン山から流れる水が

流れ出ているのです。そこで子供の血が出てきたら、受け入れられる、生贄は出なかったら受け入れられていないなどと

やっていたのです。

イスラエルも同じように自分の子を異教の神々の神殿で捧げて

いたでしょう。詰まり異教の神々の宗教は、犠牲を求めるのです。人に犠牲を求める、それは時間であれ、活動であり、金銭であり

そのような事を強いるのが宗教の特徴なのです。

神は、そんな宗教活動をしろと求めません。

何をしなさいと言われていますか?神が伝えた通りの生き方を

して、自分の場所で与えられた生活を、イエシュアの似姿通り

生きる。これが礼拝の本当の意味、アヴォダです。

何をしていても、全て神の前のアヴォダ、仕事、サービス、仕えると言う意味のヘブライ語であり、エデンの園を「耕す」と言う

言葉です。

弟子達の中には、既に聖霊が住まわれています。そして、ペテロが、イエシュアにされた質問を、あなたがメシアです!と答えたのです。ペテロは、クリスチャンの世界では、パウロ同様誤解された人物ですが、ペテロはおちゃらけた軽い人ではありません。

12弟子の中でのリーダーであり、トラーをよく知って生きていた人です。だから、イエシュアは必ずペテロに最初に質問を振って

答えさせているでしょう。これを、タルミッドハハンと言うのです。トップ生徒です。

トラーを理解する人が、イエシュアの言葉を聞いたら、イエシュアの言葉通りに理解します。岩=救いの岩=イエシュア=メシア

のことです。礎の石、岩。ペテロが答えた、救い主イエシュアと言った、その

メシア=ご自身=救いの岩を土台にカハール、エクレシア=神の大家族を未来もずっと作り続ける、建て続けると言っているのです。しかも、ペテロという名は、ペトロスです。小さい岩です。

そして、イエシュアが言われた岩は、ペトラ=大きな岩=

イエシュアご自身のことです。ギリシャ語を見ただけで、違いが

見えます。

この箇所を、カトリックが、この岩=ペテロと勘違いしているのです。そんなわけないだろう!と分からないのとならないのです。人間の上、人間を土台、礎として、神の家は築けません。

しかも、このカハール、エクレシアは、エデンの園を出たアダムにさかのぼり、同じものであるのに、それが途中で家の土台、基礎を作り替えるのはできません!と同じなのです。

最初からあるイスラエルの神の1つの大家族、イスラエルという

家族は、イエシュア=救いの岩の上にずっと建てあげられ、人々が加え続けられる!という意味です。

完全に読み違えているでしょう。しかも、ペテロがカトリック教の初代教皇?完全に嘘でしょう。ペテロは、トラーを生きたヘブライ人であり、イエシュアの一番弟子であり、その人が、神の教えを

捨てた、土台、岩=イエシュアの教えを捨てた人間の宗教の初代教祖様になどなり得るわけがありません!嘘も休み休み言うと

日本語がありますが、嘘の連続なので、休む暇もなく、人の思索を、偽情報で2000年近く、イエシュアを信じる人の頭脳を

洗脳し続けているのです。

気がついた人が、偽情報を削除し、神の言葉に戻る!と言う

自分を守る事をすれば良いのです。

偽情報を流す人にやめて!と言っても無理。偽情報を本当と

信じているのですから。進化論学者に、進化論を教えるのやめて!と言うのと同じ。神の性質と神の言葉の進化論を信じている

人の思索は、別の周波数〜人間の教えの下にいるので、雑音と言う偽物の教えが頭脳に響いて

入り、神の純粋な言葉をキャッチできないまま、混ざった雑音を

唱えているのです。

19節の繋ぐ、解くとは、慣用句です。ペテロは、神のトラー

通り、神の真実通りに繋がり、人々にイエシュアが教えた通りを

教える!天の現実が人に伝わると言う意味です。

これを、カトリックは、人が神の教えを勝手に解釈し、時代ごとに、その時代にあった教えに変えて良いと書いてあると言う

勝手な読み込みをしているのです。

古代1世紀の人々が理解していた意味を、知らないまま、

しかも、自分たちが作った宗教〜神の教え、トラーは終わり、

破棄された!と言う嘘、砂を土台として作った宗教の教えは、

偽情報が満載で、どこ迄も聖書とは違う、聖書解説を、人の思想を通して、このように完全に違う意味、イエシュアが言ってもない意味に作り替えて、人に伝えているのです。

 

 

異教の神々 パンの神殿 ピリポカイザリア