2 神の契約 教えには印が与えられている 目で見てすぐに神の教えを思い出せるため | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神の家に嫁いだ花嫁は、今迄先祖代々異教徒として異教神を拝む国々に住み、異教神文化の思想、思考回路、慣し、実践にどっぷり浸かり、異教神の教え、やり方しか知らない生き方ををしていたのが、イスラエルの神に娶られ、イスラエルの神の家に住む

聖別された人の生き方を、神が1から教えると伝えているのです。

異邦人で、イスラエルの様に神の教えを先祖代々生きてきたという人はいないからです。イスラエルの神、創造主の伝える生き方を知らない!ということを、先ず知らないとならないのです。

 

聞く、シャマ、神の言われる、神が創造された本来の人間

イエシュアと同じ性質=神の似姿の実態を与えられた人の性質は何をどう生きるか?を教えているのが、トラー=婚姻契約=神の教え、インストラクション なのです。

 

嫁いだ人は、嫁ぎ先の主人の家の家訓を学んで、それを生きることに切り替える!

でも、クリスチャンの世界で浸透した教えは、ローマ帝国皇帝の考えです。しかも、神の言葉を生きなくて良い!古い律法だから

と聖書ではないことを教えているでしょう。

その教えの本当の出所を理解して、知っていますか?

神から出た教えではなく、人間!1世紀以降のローマ帝国皇帝達(複数)そして、西洋教父、司教、教皇達から出た、トラーとは異なる思想、教えです。

 

トラーを生きるな!神の教えを実践し、神の記念日を生きる人は全員処刑!これは、紀元前2世紀のギリシャ帝国でも行われたことであり、これが反キリスト、666、バビロン、大淫婦、獣の刻印、偽物の教え、高き所の礼拝、偶像礼拝、姦淫の罪、様々な

言葉で表される、神の言葉に違反して生きることを促す勢力

エデンの園の蛇の一味のことを言っているのに気がついてないのです。

サタンは、神の教えと、神の記念日=イエシュアの業、実態を

表す預言的記念日、祭りの全てを変える!と警告されている通りだからです。

神の教え、言葉から、人を離れさせ、人の意識を神が伝える真実から遠のけ、人の教えにすり替えて、偽物を信じさせ、

はぐらす力=それがサタン=神に敵対するものやることだからです。

神の言葉に違反する、イコール人を破壊するには、神の教えを

潰す、歪める、塗り替える、否定する、変形して別物を伝えることが、一番手っ取り早い方法であり、神との隔たりの場所に飛び出させるのに好都合だからです。

エデンの園の蛇の騙し、手口、やり方を思い出して!

 

神との関係は、神がデザインしたものではない、窮屈な人間の

編み出した宗教という箱に閉じ込められ、命につながらない死んだ関係になる、いや、神と繋がっているとライブリーに生きている人がいますが、別の霊に踊らされているをたくさん見ます。

パワーや、絶叫や、不思議、奇跡パフォーマンスに騙されてはならないのです。

 

聖霊に満たされるとは、神が伝える通り、神の意識、考えとぴったり1つになっている、イエシュアが父と一体と言われた通り

父の考える通りを考えて、父の言われる通りを行動する!

これが、聖霊に満たされ、聖霊に支配された人の状態であると

聖書には書いてあるのです。

 

神の家に嫁いだら、神の家の家訓を生きる!と教えているのに

その部分を人造宗教は、勝手な教えに塗り替えて、好き放題

神の言葉に、付け足し、差し引きして、別物をやっているのに

気がついていないのです。

実は神はそれらの偽物、まがい物、混ぜ物を断固として拒絶しているのですが、神の性質は忍耐と哀れみの神であり、人が嘘の教え、生き方、偶像礼拝から目覚めるのを待っている、だからヘブライ語では、「長い鼻」と書いてあるのです。

怒りが鼻先まで達して鼻赤くなるのは大分時間があるからです。

 

イスラエルがした同じ混ぜ物の礼拝、異教の神々の場所で、異教の神々の要素が混じったものを通して、イスラエルの神を礼拝することを、イスラエルの神は、1000年近くも、何のアクション、裁きも起こさないまま、無言だったでしょう。

イスラエルは何も、別の神々を拝んでいたのではないのです。

イスラエルの神を、異教の神々の慣し、教え、儀式を通して

礼拝していた。

しかも、偶像礼拝とは、神に対して自分を犠牲にするという思考回路なのです。

だから、自分の大事なもの、最も大事な子供を生贄として捧げることを、異教徒に習ってやったのです。

バアル、モレクに自分の子、生まれた赤ちゃん、幼い子を捧げるこれ、犠牲ですが、そんなことイスラエルの神は要求しません。

 

西洋宗教の教えの中には、いや人間の編み出した宗教には

この偶像礼拝思考回路が密かに、しかしガッチリと浸透しているのですが、気がついてないと思います。

自分の大事なものを犠牲にしなさいと教えられるでしょう。

結婚したら、神に仕えられないから独身!好きな仕事をしては

ダメ、教会のために、自分の仕事をやめてフルタイムで奉仕せよ。好きな人とも結婚してはダメ!聖書ではない、数々の逸脱したことを教えられてしまい、その嘘を信じる。

みんながみんなそういうのではない。でも、似たり寄ったり

そんな教えを聞かされる。

普通の生活ではなくて、宗教活動をやらされる。自分の時間割いて宗教活動せよこれ、多くの人がやらされているのです。

でも、神の教えなどではない。

 

神が教えていることは、自分の置かれた場所で、それぞれ生きる

神に言われた通りの性質を生きる。任された仕事を、丁寧にこなす。主の前に全てを行い、生きる。

そして、神のシャバットをガードし、新月、祭りをガードし

祝い、神の聖別を汚すことをしない。異教徒と同じ様な生活

衣食住をしない。普通のことなのです。

神の教えは、トラーを読めば理解できますが、正しく教えられない場合には、分からない。

でも新しくされた人として生きて、他者を神が伝える通りに助け、愛し、励まし合う。普通のことです。

 

イスラエルの神が、それらの偽物の礼拝や行動を受け取って

容認しているからではなく、ただただ哀れみ、忍耐し、嘘、

まやかしの教えから目覚めて、自分たちを破壊する偽物の生き方、悪霊と交わる生き方に気がつくのを待ったからです。

今も同じです。

 

その神の忍耐を知らないまま、自分勝手な聖別をして、自分勝手な宗教を生きて、神を愛していると勘違いしている、そのズレに

神の言葉に戻る人が、気がついて、行動しているのです。

本物に戻る!偽物、混ぜもの姦淫の罪から脱出。

 

イザヤ52:10 主はその聖なるかいなを、もろもろの国びとの前にあらわされた。地のすべての果は、われわれの神の救を見る。

52:11 去れよ、去れよ、そこを出て、汚れた物にさわるな。

その中を出よ、主の器をになう者よ、おのれを清く保て。

 

この箇所、翻訳を読んで、神のミシュカン、神の教えを知らない場合には、正しく読み取れない箇所であり、そして、ダービー教の教えの様に、異邦人には関係ない終わった教え、ユダヤ人へ

だけの教えなどと間違った読み方をしたら、神が伝える真実は

本当に伝わらないままになります。

今日も、今も、異邦人もイスラエルにも、神は同じ教えを全ての聖徒達に対して語り続けているからです。

 

違いは、イスラエルは、神の言葉に忠実に生きることに関して

長男としてより重たい責任を負っている、代表者だからであり

その人達がずれたら、厳しい結末、訓練が待っている。

それは、イスラエルは永遠に神の契約を受け取る代表=大家族の長男としての責任を負っているからです。

同時に、イエシュアを通して、異邦人が、イスラエルの神のもとに戻されたら、同じ様に、アヴラハムの子孫である!と書いて

ある。

その人達は、同様に、トラー=神の言葉、教えに記された神が

伝える通りを生きて、聖書通りのこと、人間の宗教の教えなど

人に語り、教え、伝えて、生きてはならない!同じことなのです。神が言われた真実=言葉=トラー=聖書に記されていることを正しく学び、伝え、教え、生きる、同じです。

 

汚れたものとは、何だと思いますか?

清潔、不潔の話ではないのです。

神が伝える汚れたものとは、神の教えを捨てる行為、汚れた動物を食すること、異教徒と同じ生き方をすること、神の聖別された

シャバット、祭りを汚すこと、それらの生き方から離れよ!

そして、主の器とあるのは、ミシュカン=神の家=神殿の中に

置かれたもので表されていること、神の性質、神の宮、

聖霊が内側に住う人、神の器、神の実態、生ける水を受けている器は、神が伝える汚れたものに触れて、取り入れたまま生きてはならないから、その生き方から離れよ!と書いてあるのですが、

通じないと思います。

 

西洋宗教が伝えるローマ教の聖別と、聖書に書いてある聖別、

清められた生き方とは、異なるからです。

西洋宗教伝統の教えの聖別とは、自分よがり、それぞれが考える

聖別で、神の伝える聖別〜神の意図通り、神の創造のデザイン

通りとは、全く異なるものです。

 

その他の日々の印、リマインダーは、戸口に付けるメズサです。

この中に、神の言葉を入れるのですが、これはお守りではなく

人がその家から出る時、家の中で住む時、どこにいても神の言葉をガードして生きる、地の塩、世の光として存在していることを

思い出させるものなのです。

だから、ユダヤ人は、申命記6:4を記して入れることが

一般的です。

 
 6:4 イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。

シャマ イスラエル アドナイ エロヘイニュ アドナイ

エハッド

 

唯一であり、一体であり、分裂しない神。永遠不変の神です。

神の教えを否定することは、神の声、言葉を無視して生きることをすることです。

 

その他のリマインダーは、ヒゲです。

長老という言葉は、ヒゲのあるものという言葉なのです。

これも、男性が、家長、一族の長、そして集落、群れの長であるのは、神の教えを正しく教え、自分も神の教えを生きること

を代表する人だからです。

男性は、より重たい責任がある。イスラエルも全世界の民族の前に神の教えを継承し、イエシュアの生き方を生きることを科せられているから、より多くの困難を得る。それは契約の生き方からずれたら、長男はより厳しい刈り取る結末があるからです。

他の弟妹を間違った道に導いてはならない!と厳重警告されているからです。

 

そして、衣の四隅の房があります。これは、イエシュアを表していものでもあります。土の器に、生きる水=イエシュア=聖霊が

住まわれている。その人は、世界の四隅に、生ける水を流す役割が与えられていること。自分の生き方をそれを見て、すぐ軌道修正、考えるということをするものです。

 

週のリマインダーは、シャバットです。

シャバットも契約が永遠に有効である「印」として与えられたと神が伝えているのです。

神と婚姻関係に入った人達、ユダヤ人も異邦人も、人種に関係なく、同じイスラエルの神の大家族となったのです。

それが、出エジプトした、イスラエルと少数の異邦人の1つの

大家族で教えられているのです。

それはシナイ山で与えられたイスラエルの神の大家族の家訓を

生きる人である!と書いてあるのです。

聖別された人全てに与えられた同じ印。シャバットです。

婚姻指輪を捨てますか?捨てないでしょう。

神が呼び出されている日という、認識、自覚が、聖書からできていないからです。

シャバットは、神が伝える第七日目であり、ローマ皇帝が作り替えた日曜日などではありません。

ローマ14を勘違いし、いつでも安息日などと言っている人が

いますが、そういう無知な聖書解説を聞かされるから、

人間が主体で、神の絶対性を理解できない、神の伝えることが

変わらないという事実に対して、偽の教えをすり込み続けられ

人間が神の教えを変えて良いという、ローマ教の思想を結局

プロテスタントも買って、神の教えを捨てているのです。

 

そして、神のモアデイムは、シャバットを中心に一年に渡り

記念日、祭りを設けているのです。

それらは、全てイエシュアの購の業を表し、教え、生きて

実体験を通して、神が様々に教え、特別に神と出会う日を設けている記念日なのです。

 

生まれ、生物学的、遺伝的にイスラエルではなくても

イエシュアを通して、イスラエルの神に引き寄せられ戻った人は、もれなく誰でもアヴラハムの子孫であると、書いてあるでしょう。

だから、ダービー教、デイスペンセーション神学が語るような

分裂思想は、聖書とは真逆の空想話であると、神の言葉を根拠にして証明されているのです。