昨日のトラー箇所は、 デヴァリム(申命記、 英語Deuteronomy
デユテロノミ)ヘブライ語では、「言葉=複数」の意味の書です。
3:23−7:11の箇所で、ヴァ エトハナンというタイトルが
付いている箇所です。
ヘブライ語の聖書のタイトルは、最初の意味ある言葉が付けられています。トラー箇所も同じです。
3:23−7:11は、ヴァ エトハナンとは、「懇願した」という意味の言葉です。この箇所には、どの箇所も同じですが、重要な教えが詰まっています。
英語のデユテノロミとは、ラテン語のデウテロノミウムから
きている言葉で、第2のトラーという意味です。
それは、申命記の性質を表しているものだからです。
どうして、第二のトラーというタイトルが付けられているのか。
クリスチャンの間で教えられている神の言葉、契約に対する
教えは、聖書に書いてあるものとは全く異なるものです。
神は神の意図、考えで人々を選び出し、イスラエルという民族を
選び出して神の言葉を正しく世界へ伝える役割を与えたのです。
そして、クリスチャンの間で教えられていることは、契約が変更になったという不信実、聖書とは真逆のローマ帝国の思想です。
聖書に記されているイスラエルの神は、神ご自身が言われる通り
神の結んだ契約を破棄しません!
そして、何が行われているのか、聖書を知れば理解できます。
イスラエルの神は、歴史の中で節目節目に、シナイ山で結んだ
同じ契約を再更新し続けているのです。
新しい契約とは、シナイ山で与えられた婚姻契約=トラー、
モーセの五書と内容が別物、又は塗り替えられたり、差し引き
されたものではありません。
中身はトラー=神の教えは同じなのです。
クリスチャンが解説する様なものは聖書に記された事実ではない、時代ごとに神の教えは、変化しません。
確かに古代は、車も電気もインターネット、水道、シャワーも
電話もありませんから、生活形態が違います。
だから、古代火を起こしということは、大変な労働です。
誰かに手紙を送るには、動物と共に旅をしなくてはなりません。
木を集め、火を付けて、それを見守り調理などする。
今そんなことをするのは、キャンプ場に行って電子調理器がない
特殊な場合です。
だから、スイッチ一つで火が付けられることは、重労働でもない
スイッチ押すだけ電気、灯が付くのも、重労働ではありません。
この違いがあるだけです。
神の教えの真理、中核は、生活様式が変わって変わりません。
イエシュアが地上に来られた後も、同じシナイ山の契約が再更新された場面が記されています。
イエシュアが祝った、最後の過越の晩餐の時です。
弟子たちに対して宣言した新しい契約は、再更新された同じ
シナイ山の契約なのです。エレミヤ31:31と同じです。
ユダの家とイスラエルの家に対して再更新され続ける同じ契約です。シナイ山の婚姻契約とは別物の契約、時代ごと、人種ごとに別の生き方など、神は人に与えていません。
異邦人が代表になって与えられたトラーとは別物の契約=神の
別の教え、トラーを破棄し削除した教えなども、文字として
記されてもいない、別の聖書としてこの世には存在もしません。
無いものなのに、クリスチャンの間では、あるあると言い続ける
不思議、矛盾に気がついてください。
文字として、書として記された神の教えを破棄したという内容が
書いてある、そんな契約書=聖書は存在しません。
もし福音書〜黙示録にトラーを削除、破棄する教えが記されているとするならば、それらは完全に神の教えではない、別物の教えであり、聖書ではなくなります。
なぜなら、聖書記者=使徒達は100%モーセの五書、トラー
預言書に記されたメシア、イエシュアが教えられた、トラーを
その通りに生きて教えた事の短い後書きの解説をしているだけだからです。
神の教えを否定して変えられた教えは、聖書に書いてもない
ローマ帝国皇帝が編み出した宗教であり、ダービー教、置換神学を唱える人の脳内にある空想、架空の契約であり、聖書とは全く関係のない人間が思いついた思想です。
イスラエルの神の性質と、神がイスラエルを代表として与えた
契約の性質は、永遠に変わらないものです。
神がそう人に伝えている通りが、永遠不変の真実だからです。
神の言葉は永遠に廃らない、堅く確立され、神ご自身も永遠に
同じ!と言っているのに、クリスチャンは真逆を主張し続けているのに、その矛盾、嘘に聖書から気がつけないままいるのです。
しかも、神との関係にある根拠、証拠は、この神が与えた契約
トラーに記された人間の生き方をするという同意に基づいているものであるということを、クリスチャンは正しく理解していません。
イエシュアを信じたという意味は、イコール、イスラエルの神の花嫁になった、イスラエルという天の国の大家族に加えられたという事実があるのです。その人達は、イスラエルの神が提示する神の家の家訓、生き方に同意し加わり生きるという神が提示している条件があると、神が言っているでしょう。
しかも、それは強制ではない。あなたがもし、神と本当の関係に
入りたいならば、命を選びなさい!命と死の2つの選択。
神の言われる通り生きる=命を選ぶ。
神の言われることを退ける生き方=死、神との隔たりを選ぶ。
2つの選択権ををあなたの前に置いたと、神が言われた言葉が
あるはっきりと記されています。
もし神の家の家訓、神が創造されたイエシュアそっくりの人の
生き方をするのが嫌ならば、無法=神の教え=トラーを捨てて
生きることをするなら、イエシュアが言われた通り神の婚姻契約を捨てて神とは距離のある場所に行く、わたしとあなたとは関係ありません!とイエシュアが宣言した通りの状態に知らないまま陥ることになるのです。マタイ7:21−23
その生き方は偽物、偽造、自分よがりの聖別、自分よがりの人間の宗教を信じ、宗教の教えを実践し生きて、神が教えていることが本当には分からないまま、別の旦那の言葉を聞いて生きることをしてしまうのです。
申命記は、イスラエルと少数の異邦人が約束の地に入る前に、
再度シナイ山の契約が更新された書なのです。
モーセの五書の最後の書です。
モーセの五書全体が、神の教えの完全版であり、そのテーマは
創世記の3章に記されています。
ヨシュア記から、マラキはこのモーセの五書を解説している
預言者により記された書であり、福音書〜黙示録は、使徒達が
創世記〜マラキに記されたことを、短く註解、後書きをしているものです。
この申命記は、当時中近東に存在したバサール条約、宗主条約という契約書と全く同じ書式で記されているものなのです。
神が伝えている教え、契約の命を生きることの再確認の契約書です。契約の地に入った後の約束の地で生きることに関しての、様々な教えがされているものです。
創造主は、当時の世界の古代中近東にあった契約の結び方、
条約も使っているのです。
信仰義認とクリスチャンも知っているその根拠は、神がアヴラハムと結んだ契約に根拠があるのです。
神がアヴラハムと契約を結んだ時も、契約、日本語で言った方が
ピンときますが、誰かと「契り」を結ぶ時に、動物をふたつに
裂いて、その間を契約を結ぶ人達が通過する儀式がありました。
動物を屠ることは、契約を結ぶ上でされるものです。
この意味は、契約を破ったら命、死に値する代償が伴うという
軽々しい行為ではないことが分かります。ある種の決意、意志の
表明です。
しかも、この儀式は、神が一方的に裂かれた動物の間を歩き、
アヴラハムはその間眠りに落とされていて、裂いた動物の間を歩きませんでした。
この意味は、神が100%この契約の責任、保証をし、この約束を取り消さないという証明なのです。
クリスチャンの世界で語られている、神が約束を歴史の途中で
翻したり、内容を変えたりする様な事を一切しません。
人間が神の契約を破ることをしているだけで、神はクリスチャンが言う様なことは神はしない、神は契約を破りません!
神は、神ご自身が人に対して結んだ契約を絶対に永遠に破りません。約束も変えません!神の性質も、怒りの神から恵の神に
変身しません。漫画のストーリー世界を想像しているのです。
聖書に書いてない、肉の思想で想像する神像。聖書を正しく学ばないで勝手に、聖書を読み違えて、人に発表し続けている教師達の教えのせいです。
一般社会の異邦人の世界でも、交わされた契約書を一方的に破棄できないでしょう。
どうして、契約を破らないと宣言されている神の言葉を、
クリスチャンはこうも軽々しく、塗り替えた、破棄されたと、
聖書いないことを聞かされて主張し続け、十字架で神のトラー=婚姻契約が処分されたなどと言う、コンスタンチヌス皇帝の大嘘を信じられるのか?聖書のどこにも書いてないことなのに、
書いてあるかの如く信じられる方が、不思議なことなのです。
それらを、騙し、思い込み、盲目と言うのです。
律法という間違った不適切な翻訳用語を、本来の言葉、トラー=神の教えインストラクション、それらが婚姻契約=ブリットで
あるという言葉に正しく直して言い換えてみたら、超違和感が
起きるでしょう。神=言葉=肉体をとって来られたトラー=
イエシュアと書いてあるのに、その意味が通じていない。
どうして、イエシュアを愛する人が、イエシュアが与えた婚姻契約を破棄せよ!と自分に人々に言い続けているのか?と考え直せば良いのです。
蛇の声を復唱していることに、全く気がついていないのです。
言葉が与える印象はインパクトがあり、意識に深く浸透してしまいます。不適切、聖書にない言葉、翻訳用語で、神の言葉に対して間違った概念、意識を頭脳、思考回路に植え続けていることに、目覚め、気がついてください。
言葉が表す正しい意味に直すと、一般に主張されていること、言っていることが、聖書ではない!おかしい!と分かってきます。
神の教え、イコール呪い、古い、悪い教え、人を縛る
律法で、一時的なものというこれまた大嘘の教えをローマ帝国
教で教えられているからです。
この意識は、完全に神から本来の関係にない距離を作り続けて
いるのです。人の間の関係も、相手を誤解していたら、それだけで壁、隔たりができること体験的に知っているでしょう?!
それをやらされてしまっているのです。
神の言葉、イコール聖霊、イエシュアであると言う聖書に記された神が伝えている意味に対する理解がゼロだからです。
イエシュアを愛すると言いながら、同時にイエシュアご自身である神の言葉、教えを毛嫌いし、イエシュアの言葉を遮ることを
宣言し、神との距離を置くと言う不思議なことをやらされているのに気がついていないのです。偽の教えに騙されて、そう言う
ことを教える人、する人たちに対して、蛇が足元で大喜びで転げ回り、高笑いをしているのです。
申命記4章には、契約書の中核になることが、記されている箇所でもあります。
唯一の神が存在していること。偶像礼拝を厳重に禁止!
偶像礼拝とは、異教の神々を礼拝することだけではなく、偽物、人間の作り物の宗教の教え、偽物の教えに混ざること、
偽物の教えの実践を混ぜることでもあることを、はっきり気が
つかなくてはならない点です。
異教の神々など、本当は存在しない神々です。人間が考え出した
神々です。エジプトの神、異教神の代表である太陽神。
この思想は、世界のあらゆる宗教に共通している、代表です。
そして、ローマ皇帝はミトラ教=不屈の太陽神信仰でした。
それらを、利用するのが、悪霊です。
イスラエルの神以外、他の神々など最初から存在しないからです。
クリスチャンは聖書を神が与えた永遠不変の契約書とは認識していません。途中で破棄される一時的な教えを与えられたという
ローマ皇帝教、ダービー教、デイスペンセーション神学思想を
聖書だと教え込まれ、聖書ではない教えを聖書と間違った思想を
教え込まれているからです。
イスラエルと書いてあるから、異邦人には関係ないと教えられています。聖書は、異邦人に向けて書かれ、与えられた契約書は
記されていません。
全てイスラエルを代表として、語られているのです。
神のトラー=教えを理解している人に対して話していること、
読んでいても気がつくでしょう。イエシュアが「失われたイスラエルの羊のもと以外父からつかわされていない。」と言った通りなのです。
異邦人の様に全くトラーを知らない人は、使徒15章にあった
様に、イエシュアを信じた後も異教の神々の神殿で、神の教えを知らないから、神に敵対する罪を生き続けたことが書かれています。
神はイスラエルの家とユダの家に対してだけ、神の契約、約束を結んでいることを忘れてはなりません。
それでは、異邦人は一体何なの?どうなるの?という疑問が起きますよね。
神がイスラエルを選んだ理由は、アヴラハムが全民族の父とされた理由と全く同じです。イスラエルが特別に優れているとか、
何かをしたからとか、そんな理由で選ばれたのではありません。
代表者を、神が選んで、神が伝える通りのことを全世界へ伝える役割を託し、任命した、それがイスラエルの大家族の長男としての役割だからです。そのトップ、長子がイエシュアです。
だから、イエシュアを信じてイスラエルの神に戻った全ての人は
神が与えた唯一の家訓、婚姻契約、トラーを生きることに加えられたと言う事実を、はっきり理解しないならば、所詮人間が作り出した偽物の教え、人造宗教に自分の生き方を妨害され、受け取るべき神との素晴らしい関係を体験することを奪われ続けます。
異邦人も同じユダ族のメシア、イエシュアを通してイスラエルの神に戻ったならば、もれなく同じ天の国の家訓、トラーに記された神が創造されたイエシュアの似姿通りの生き方をする!と
教えている永遠の事実に気がついてください。