神がイスラエルに託された任務とは | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

エデンの園の中は、楽園そのものでした。

人が住うのにぴったりな最高の環境を創造主が造られたからです。

人は、神のデザイン、神の中、エデンの中に住うのには、

そこに住ために、その場所を神がデザインされた通りにガードし、神が伝える通りに治めることを教えられました。

涼しい風が吹く中、神と共に歩み、神に語られ、教えられて生きていたのです。

 

空気は新鮮、全て神が創造された通りのエデン=喜びの園に生きていた。神の創造された神の性質通りの人、イエシュアの性質

通りに造られたアダムと、そして同じ要素でアダムの中から出てきたハヴァ。

シャバットは、創造の最初から、聖書の冒頭から、創造主である方が私達神に創造された人に、伝えた永遠の真実です。

そして、人はエデン=喜び、神の中に戻るように教えているものです。その方法は何であると神は教えていますか?

契約の箱の中にある、神ご自身である、全てのものが神の言葉により創造された、命の源である神=言葉、神の伝える通りに

生きることに戻る、イコールそれが、神が創造された神の伝える通りの生き方、神との関係に入る方法、秘訣だからです。

 

イスラエルの神、創造主である神が、この世界を創造されたことを宣言し表している、シャバット。

人は、神が創造された通りを治めて生きる様に造られました。

それが、「礼拝」と訳されている本来の意味です。

神が創造されたデザイン通りを、人が生きることです。

シンプルな事実。頑張って何か別物を生きるのではない。

神が創造された通りを、その通りに生きること。

 

6日の間に、神は全ての業を終えて、第七日目に止まられた。

神は7日間の第七日目だけを、祝福し、聖別されたのです。

他の日は、普通の労働日、日曜日も労働の初日、これは今も

変わらない、永遠に変わらないのです。

そして、人も神がされて示された通りの生き方をすることを、

最初から教えられ、その詳細がモーセの五書に記されているのです。

創造主が、人がどう生きるのか?を教えているのです。

人の生き方は、創造主しか人に伝えられないものです。

人は自分で自分を作って生まれ出たのではない。

自分が命の源ではない。神に造られたという事実は、

全ての人、全ての創造物にもれなくある事実だからです。

神の性質通り、イエシュアの似姿に造られた人は、何を生きる様に造られていて、何を生きる様に造られていないのか伝えています。

このシンプルな事実を、人間がくつがえし続け、神が伝える教えを、別物に作り替え、塗り替えし続けているのです。

それが、人の作った宗教であり、神の言葉を曲げた思想です。

 

人の生き方の根拠、根本、命を繋ぐこと、これは神が言われた

通りのものを食べることで教えられています。

しかも、たった一つだけ禁じたのです。

「知識の木からは食べない」

神が言われた通り、これからだけは食べてはならない!と言う、簡単なことなのです。

 

知識の木と命の木は、エッツ トヴ ヴ ラと書かれています。

しかも一本の木なのです。

神が言われた通りをすることか、又は神が言われてないことをするのか。別の実を食べることを、人はし続けているのです。

 

異邦人クリスチャンは、一般的に伝統的に聖書に書かれている

オリジナルのテキスト、ヘブライ語聖書を学ぶ環境にない、

教師がいない、教えられていません。

ユダヤ人の様には、トラーを教えられていません。

理由は、簡単。1世紀後半以降、ローマ帝国の勅令で、

トラーを捨てさせられ、そしてユダヤ人たちと決裂し、

ローマ帝国教の教えを生きる世界へ、異邦人は移行したからです。

今の様なキリスト教やカトリック教、西洋宗教が異邦人の間に

浸透している理由は、それらが長年伝統で、宗教の教えが継承され続けてきているからです。

その最初は、ローマ帝国の勅令で否応なしにローマ帝国支配下の国々に住んでいた人が、偽物宗教をやらされてしまったからです。

ギリシャ帝国と同じ。神のトラーと神の記念日を捨てさせ

エルサレムの神殿をのっとり、汚れた豚を祭壇に捧げ、

ユダヤ人たちに、無理やり豚の肉を口に入れて食べさせようとした。それに抵抗した人は、全て処刑したのです。

シャバットも祭りも禁じた!割礼も禁じた!トラーに記された神の教えを生きることを禁じた。同じことをローマ帝国がやり続けたのです。

 

その歴史の事実をクリスチャンは知らないまま、偽物教え=人間

コンスタンチヌス皇帝がが編み出した教え、トラーは破棄!

神が十字架の上で律法を処刑、処分、釘付けにして終了した!

こんな偽物の教え、聖書に書いてもないことを聖書だと

信じ込まされてきたのです。

ユダヤ人たちは、ギリシャ帝国や、ローマ帝国の勅令で、

トラーを捨てる様な生き方、その様な屈辱的な生き方はできないから、処刑されるか、世界の中で、隠れキリシタンとして潜伏したのです。最初イエシュア信者はユダヤ人が殆どであり、

その中心がパリサイ派の信者だったことを覚えておいてください。

その痕跡は、イエシュアを知るパリサイ派により継承された

シャバットや祭りの祝い方でも分かるからです。

異邦人クリスチャンには、全く知られない、見えない世界があるのです。

聖書に書かれていないローマ帝国が4世紀に編み出した教えを

神の教えであると教えられ、しかも聖書に書かれた本来の意味がよく見えないまま、翻訳聖書だけに頼り、自分の世界の教え、

人間の宗教の教えを想像した教えが解説されています。

これは何度言っても、気がつけない人は、気がつかない。

でも、聖霊=神の言葉からこの事実に気がつく多くの異邦人も

いるのです。

ある部分は、聖書の真理でも、土台が偽物の教え。

人間の編み出した作り物の思想なのです。

翻訳聖書を、聖書とは異なる思想が混じった別の宗教の教え、

教理、解釈で解説されてしまっていては、聖書に書かれた事実が見えないままになります。

プラス、聖書に記されている人々が生きていたトラー、

イエシュアが教え、弟子たちも、1世紀のイエシュア信者も同じ様に代々生きた神の教え、神の創造された記念日、シャバット、新月や祭りを、異邦人は知らないし、祝いもしません。

 

では何を信じて実践しているのかというと、神の教えに別物が

混ざった人間が作った宗教の教えを実践しているのです。

それは神の教えと、神の記念日が、4世紀にコンスタンチヌス

皇帝により作り変えた人造宗教にすり替えられたことを、知らないからです。人造宗教と分かった時点で、疑問に思わないとならないのです。

神の言葉が破棄されたと主張する時点で、それは神の言葉=

聖書に記された事実ではなく蛇の声、宣言だからです。

サタンは、メシアであるイエシュアさえ騙そう、誘惑して罪を

犯させようとしたでしょう。尚更普通の人間が、騙されるのは

あるのです。だから、最初の最初からエデンの園の事件で

神が警告しているのです。

騙されるなかれ!偽物の教えに聞いて生きてはダメ!

 

神のシャバットをガードし祝うというその根本は、神が神であること、神が創造主であること、人は神が伝える通りを生きることをすること、それを人間がくつがえしているのです。

神の言われることとは違うことをする、これを人間の編み出した

宗教の教えがやっているのです。

 

神は神の意図、考えで人々を選び出し、イスラエルという民族を

選び出して神の言葉を正しく世界へ伝える役割を与えたのです。

 

そして、クリスチャンの間で教えられていることは、契約が変更になったという不信実、聖書とは真逆のローマ帝国の思想です。

聖書に記されているイスラエルの神は、神ご自身が言われる通り

神の結んだ契約を破棄しません!

そして、何が行われているのか、聖書を知れば理解できます。

 

イスラエルの神は、歴史の中で節目節目に、同じ契約を再更新

し続けているのです。

新しい契約とは、シナイ山で与えられた婚姻契約=トラー、

モーセの五書と内容が別物、又は塗り替えられたり、差し引きされたものではありません。中身はトラーで同じなのです。

イエシュアが来られた後も、同じです。イエシュアが過越の晩餐で、弟子たちに対して宣言した新しい契約は、再更新された同じ

シナイ山の契約なのです。エレミヤ31:31と同じです。

ユダの家とイスラエルの家に対して再更新され続ける同じ契約です。

異邦人が代表になって与えられたトラーとは別物の契約=神の教えはこの世には存在しません。

それは、聖書に書いてもないローマ帝国皇帝教、ダービー教、

置換神学を唱える人の脳内にある空想、架空の契約であり、

聖書とは全く関係のない人の編み出した思想です。

 

イスラエルの神の性質と、神がイスラエルを代表として与えた

契約の性質は、永遠に変わらないものです。

しかも、神との関係にある根拠、証拠は、この神が与えた契約

トラーに記された人間の生き方をするという同意に基づいているものであるということを、クリスチャンは正しく理解していません。

イエシュアを信じた、イコール神の花嫁になったという事実が

ある人は、神が提示する神の家の家訓、生き方に同意し加わり

生きるという神が提示している条件があるのです。

それが嫌ならば、無法を生きるなら、イエシュアが言われた通り神の婚姻契約を捨てて神とは距離のある場所に行く、

あなたとは関係ありません!とイエシュアが宣言した通りの状態に知らないまま陥ることになるのです。

その生き方は偽物、偽造、自分よがりの聖別、自分よがりの人間の宗教を信じ、実践し生きて、神が教えていることが本当には分からないまま、別の旦那の言葉を聞いて生きることをしてしまうのです。

今日のトラー箇所である申命記は、イスラエルと少数の異邦人が約束の地に入る前に、再度シナイ山の契約が更新された書なのです。

この申命記は、当時中近東に存在したバサール条約、宗主条約という契約書と全く同じ書かれ方がされているものなのです。

神が伝えている教えの再確認の契約書であり、契約の地に入った

後の約束の地で生きることに関しての、様々な教えがされているものです。

創造主は、当時の世界の古代中近東にあった契約の結び方、

条約も使っているのです。

アウラハムと契約を結んだ時も、契約、日本語で言った方が

ピンときますが、誰かと「契り」を結ぶ時に、動物をふたつに

裂いて、その間を契約を結ぶ人達が通過する儀式がありました。

動物を屠ることは、契約を結ぶ上でされるものです。

この意味は、契約を破ったら命、死に値する代償が伴うという

軽々しい行為ではないことが分かります。

 

クリスチャンの世界で語られている様なことを、聖書に記されているイスラエルの神はしません。

神は、神ご自身が人に対して結んだ契約を絶対に永遠に破りません。約束も変えません!

一般の異邦人の世界でも、交わされた契約書を一方的に破棄できないでしょう。

どうして、契約を破らないと宣言されている神の言葉を、

クリスチャンは軽々しく、塗り替えた、破棄された、十字架で

処分されたなどと言う大嘘を信じられるのか?その方が不思議。

いや、神の教え、イコール呪い、古い、悪い教え、人を縛る

律法で、するしない掟リストの様に考えているからです。

神の教えは一時的なものという、これまた大嘘の教えをローマ

帝国教で教えられているからです。

 

神の言葉、イコール聖霊、イエシュアであると言う理解がゼロ

だからです。イエシュアを愛すると言いながら、同時に言葉であるイエシュアを毛嫌いし、イエシュアの言葉を遮ることを宣言し、神との距離を置くと言う、冒涜的なことを、知らないまま

言い、やらされているのに気がついていないのです。偽の教えに騙されて、そう言うことを教える人、する人たちに対して、

蛇が足元で大喜びで転げ回り、高笑いをしているのです。

 

続く