人の教えは人を縛りつけ不自由にする 人造宗教は聖書ではない 宗教活動 十一献金の嘘 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

2019年以降、明らかにこの世界がガラッと変わったことを

普通の人なら感じる、いや何が計画されていたのか知っている人は知っています。

人の行動、言動、健康管理、個人が当然選択できる自由を闇の

勢力に奪われる。

その他の人権を「上の権威」が決めるという異常事態がされて

人の生活が束縛されました。

日本人は従順なのでルールで決められなくても、自主的に行動

外出をしなくなりましたが、本当に異常な事態だったのです。

いや、個人が自主パトロール隊になり他県から来た人を追放するというのを聞きました。

しかも、それらは人を守る為でもなんでもないものだったのです。逆です逆。破壊。抹消。

それ以前から悪が堂々と現れ出てくるような、前を悪、悪を然と主張する世界に変わって行きました。

 

LGBT法案が日本で無理やり可決されてしまったのも、闇の勢力にやらされた為です。操り人形に支配されている。

日本は日本を守るようなトップではない。

別物に乗っ取られているのに、危機感がない。

やられ放題、破壊され放題をされてしまっていることに、

目覚める人たちがいるのです。

多分10年以上も前に、日本の以前住んでいた場所を歩いてたら政治関連のポスターが貼ってあるのを見つけて、びっくりした

ことがあります。

その頃はLGBTとは未だ言っていませんでしたが、ある党の

ポスターでマイノリテイ(特別な性的傾向がある人達 すなわちLGBTを生きる人)を擁護しようというような事が書かれていてこんな事を日本でも言うようになってしまったのかと思った事があります。そんなこと昭和の時代に言うものならば、当然の如く

闇、後ろ指刺されるような、人としての道に外れることは、

悪いことであると言う道徳観念が根付いていたものです。

事の最初の始まりは、何度も書いているようにエデンの園の

あの事件から問題の本質は結局同じなのです。

神に創造された人間、神はこの世界を全て人の為に創造され、

人がこの世界を神の意図通り、デザイン通りに管理する、治める

それが礼拝の本当の意味であるのに、神の言葉をエデンの園で

最初の人であるアダム、その人から出て来た同じ性質の人

ハヴァが、神の教え、言葉を無視し、神の言われたことを疑い

神はそんなこと言ってないかも〜と騙されて、やってはならないことをした。これをずっと繰り返しているのが人間の歴史であり

人間が編み出した偽物宗教、混ぜ物の宗教なのです。

神の言葉を人間が変えて良いと言う許可を神が言っている、人間に権限を神があたえていると、クリスチャンが信じていること

自体が、聖書ではないと気がつかないとならないのです。

問題の根は、神の言葉を変えることにあるのですが、人の罪は

神の言葉に根づき考えることをやめたことにより入ったのです。

宗教の教えは、神の言葉に根づき考えることをしないで、

人間が編み出した歪めた教え、変えられた教えを土台にして

ずれた思考回路で神の教えを考えていることです。

半分嘘、半分本当を考えているのです。

 

神の創造された性質通りを生きないという思考回路、選択、行動です。

神の伝える言葉を、人間が歪める、曲げる、薄める、捨てる、

代わりに人間が考えついた別物を生きる、全ての問題の根は、

シンプルにこの一点にある事が聖書には書かれています。

そして、そのパン種=破壊の原因が歴史の最初から今に至るまで、健在なのです。

 

今の世の中でも分かる通り、報道、ニュース、それを流す側が

人を洗脳する「偽情報」を流し、人の思考を洗脳、騙し、うまい具合に操作しています。テレビしか信じない世代の人など、

簡単に騙されています。

多くの人が、2020年から騙されて毒をもられて、それまで

元気だった人が、健康を失い被害に合っているのです。

今もその事態は続行中であり、世界では大問題になり、それを

推奨した悪魔たちが訴えられられているのです。

多数の死者が今も出て、世界では大きな訴訟になっているのに

まだそんな生物兵器を信奉している、本当に無知とは人を

危険に追いやり、自分を守る術を捨てることです。

神の教えを捨てる、これは何を人が取り入れるように作られていないのかということを知る人は、守られる、神の言葉、教えは

人を守る鎧兜です。

イスラエルでも、神の教え=トラーを知る人は守られて、

神を無視しているセキュラーな人、きよくない物を平気で食する人は人間の作った異物を取り入れて被害にあってしまったのです。

それ以前に、同調圧力と、実際に職場から追放されるなど

その毒を拒否するアメリカでも医者や教師ががライセンスを奪

われる、会社を首になるような事が起きたのです。今も同じです。それらは利権と、闇の計画が繋がっているから、それらに

反対する人、人に影響を与える発言、書物、発信する人は消されます。それらの人は皆邪魔者だから、皆消されてしまうのです。

これ日本でも分かると思います。

分りやすいのは、動画など知って欲しくない分野の真実を語る

伝える動画は顕著に、数々こぞって消されるから分かりやすい。

 

以前は、新聞、テレビ報道は絶対というそのような意識があり

今でも、公共放送を信奉する人は、テレビが絶対などと言って

いますが、公共放送からこそ偽情報、操作された嘘が流され続けているのです。半分嘘、半分本当はエデンの園から同じ作戦。

何のためにそんな事がされるのでしょう?

破壊がサタンの目的だからです。サタンは、神の創造を歪めたい

別物に変えたい。神の教えをクリスチャンに曲げて伝え、

別物を生きて、聖別を汚させて、偽物のメシアを世界へ伝え

そして、人を神の意図通りに生きさせない、エデン=喜び=

神との本来の関係を体験させず、偽物で人を縛り神を毛嫌い

憎むように仕向けたい。

一部の権威が人を支配し操作する世界を作ろうと、最初の最初からそれがされては、その帝国は崩壊するという歴史を繰り返しているのです。

悪をもって身を固く立てられないと神が言われる通り、神の性質

教え、デザインに反する生き方をする人たちは必ず最後は

崩壊、終了するのです。それがたどり着く場所、刈り取るべき

結末だからです。

明らかに、悪の勢力に加えられ、悪に巻かれてしまっている人。

政治家などそうでしょう。クリスチャンでさえ、LGBT賛成などとどうして公の場所で言うのか?悪に同調しているからです。

知らない間に悪に参加させられている人、そして参加しているとも知らないまま行動している人がいるのです。

 

人間が作った宗教、神の教えに人間の思想を混ぜた偽物、それが

宗教というものであり、ローマ帝国皇帝が4世紀に作った物であり、それは神の純粋な教えでもない、聖書に書いてあるものとは異物、イエシュアが教えた父の教え=トラーではない、人の生きる道でもない、あってはならないものだったのです。

そして、異邦人クリスチャンの間では、ローマ帝国皇帝の主張を信じ、神の言葉の方が悪者に仕立て上げ続け、律法は廃れた、

律法の下にいない!恵の下にいるから!と

パウロが解説しているトラーの意味、神の教え正しく理解しない

ままです。

律法とは、神の教え=トラー=聖霊=イエシュアです。

聖霊=イエシュアの下にいない人を、聖書では無法と言い、

イエシュアは無法を働く人は、イエシュアと何も関係のない人!

婚姻契約の中に留まらない人!と警告している意味が通じていません。

パウロは、救われて新しくされた人は、トラーが伝える呪いの下

トラーが伝える罪の呪縛の下に縛られたままいない、罪から解放され新しい人は、イエシュアの性質=トラーを生きれる!と

言っている意味が、丸で通じず、翻訳聖書を、デイスペンセーション神学を通して、完全に曲げて読んでいることに、教師さえも気がつかないのは、パウロのような教師に学ばず、偽教師=

ダービーのような非聖書的教えをする人の教えを信じ込んでいるからです。

聖書とは異なる解説だけがされているのです。

そして、神の言葉が悪の張本人、 犯人にさせられているのです。

変わらなくてはならないのは、人間の内側、中身、思考回路

行動の方なのです。

クリスチャンの教えは、灯台=神の言葉に向かって、船=ずれた

方向を行く人が、神の教えに対して、罪の定義、教えを撤去して

無法地帯を自由に生きさせよ!と言い続けている愚かな教えをしているのです。イエシュアを愛しながら、知らない間にイエシュア=トラーに敵対することをサタンにやらされているのです。

 

神の言葉は完全であり、聖霊=新しい命を受けたどの時代の

どの人種も、神の性質通りを1から神の教えにより教えられ

生きるというこの世の旅路=荒野の40年は頭脳を切り替えて

神の言葉を受けて神の性質を生きることを、もれなく一人ひとりに教えているものなのに、その意味を全く理解していません。

 

だから、ユダヤ人だけの教えなどと言っているのです。

もちろん、トラーの中には全ての人に当てはまらないものがあります。女性への教えは、男性へ適用されないもの、生理など

男性にないでしょう。でも、その中で教えられているネダーと言う教えの意味、真理、聖別、神の性質とは違うものに触れる

汚れると言う様々な事実、真理が教えられているのです。

 

割礼も男性にしか施されませんが、女性にも同じ真理が適用されて教えられているでしょう。

聖別そのもの、割礼なのです。境界線が引かれている。

神の上に分かたれた人=イエシュアを通して新しくされた人。

新しい人、古い人、神の性質に分たれた人の生き方、代々神の

契約が継承され続ける保証、証拠、印を神が神の子ら、全民族の

代表、父とされたアヴラハムを通して与えたのです。

この割礼、肉体的にも合理的であり、するべきものです。

男性なら分かると思います。神が全てを創造されたのに、神に対してクリスチャンが物申すようなこと、神の言葉の方を曲げ、

遮り、拒絶し、人間の編み出した教えをゴリ押していている

こんなのは、神の前に1つも受け取られるものではなく

完全拒絶されるものであることを、神の言葉から理解しないとならないのです。

 

偽物の教えは一般の人を通して教えられてきたのではありません。偽物の教えを教える偽教師から代々学び、その偽物の教えを

次の世代、一般の人々に教え続けているから、非聖書的教えが

浸透してしまっているのです。

ある部分は聖書の真実だから、聖書と思う。でも土台が砂

偽物=人間の教え、それが宗教であることを覚えて、偽物教えから守られる方法は、神の言葉であると言う神が教える当然、

永遠の真理、真実を知る人は、偽物のに騙されることから

守られます。

偽物の騙されるとどんな事が起きるのか、エデンの園の事件でも

教えられているでしょう。

神と人との本来の関係から、隔たる、距離ができる、見えなくなる。何を神が教えているのか、分からないままになり、自分の悟りなのに、神の教えと勘違いする。本来の性質を生きられなくなり、人間の教えに縛られて、宗教の霊に縛られて窮屈、元の奴隷=エジプトの奴隷意識に戻ってしまう。

だから、神が与えた本来の関係に欠けているから必死で

感情の高揚体験を求めるようなことを宗教はしてしまうのです。

奇跡や現象、五感で体験できる事がリアルだと思うから。

 

異邦人は、人間ローマ帝国が作った宗教の教えや教理、神学を

よく知っているけれど、聖書に登場する預言者、イエシュア

ガマリエルやヒレール、パウロのようにトラーを知るような

人は余りいませんでした。いない理由は、2世紀以降、異邦人は

ユダヤ人と完全決裂する道を行ったからです。

考えたら分かるでしょう。聖書はヘブライ語であり、イエシュアはユダ族出自のメシアなのに、西洋に成り代わって、

翻訳聖書しか知らず、しかも、聖書に書いてあることを否定し

神の記念日、イエシュアが教え、祝ったことを祝わないで、

ローマ皇帝コンスタンチヌス製造の作り物を生きている!

 

聖書ではなくて、人間の思想で解説される曲げられた、神の教えの方が捨て去られた人造宗教の教えが教えられてしまってきたのです。

異口同音に、神の教えは廃れた〜とクリスチャンが教師や先輩

クリスチャンから聞かされている教えは、ローマ帝国皇帝の勅令そのものであり、ダービーと言うアイルランド人の編み出した

非聖書的神学、神の七変化変身、時代ごとに神の性質と

神の教え、業が変わると言う聖書とは真逆の肉の思想を信じているのです。

聖書を正しく教えられないまま、人間の思想で塗り替えられた

宗教思想を、不具合な翻訳や言葉、聖書にない文章を挿入されている翻訳聖書だけを通して教えられてしまっているのに、

この問題に全く気がついていないのです。

この嘘、まやかしから完全に目覚めない限り、半分嘘、半分本当

デイスペンセーション神学で聖書を紐解く解説を聞いて、それが

聖書などと思い込まされたままになるのです。

 

福音書以降を読んでも分かる通り、そこには変えられた神の教え

や、日曜礼拝や、クリスマス、イースター祭りのことなど

1ツモ書かれていませんし、神が神の記念日を自由に人間が

変えて今はいつでも安息日などと言ってもいません。

人間は時を創造できません。神が時を創造し、モアデイムの為に

天の万象を創造し、神が創造したものを人間が塗り替えても

意味がないのです。

神は、今はいつでも神の記念日などと言う?そんなまやかしや

嘘をいう神だと考える、聖書に書いてもないことを、書いてあるが如くに語っているのは、異教徒上がりの異邦人だからです。

神の言葉が何か、神の権威をクリスチャンは軽々しく無視していることに、何も感じない。信じていればそれで良い?

意味不明なことを言っているのです。

信じるイコール、神が伝える通りを生きる。それがない人は

行動で、自分の信じていることを表すのです。神の教えではないこと、神の教えに反する罪を生きること、それはイエシュアを

愛する人の生き方などではないのです。

 

神が何を警告し、何を忌み嫌い退けると言われているのか。

聖別を汚す行為が何であるのか、クリスチャンは聖書を読みながら、人間の教えに変換して読み続けているのため、聖書に書いてある神の言葉の意味を把握していないのです。

神が伝えている教えが分からないから、神の前に汚れた生き方

罪を生きても気がつけないのです。罪の定義を捨てるように教えられた人は、神の前にズレ=罪を生きいても無感覚のままなのです。