パウロの書いた手紙の内容の意味を完全に取り違える人造宗教の教えのプリズム | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神の教えではない、宗教団体に10%の献金をするという西洋

宗教の教えが、聖書ではないことが、聖書に書いてあるという

前に続きを書きます。

 

パウロの言葉、「律法の下にいない、恵の下にいる」イコール、神の古くて廃れた無用になった神の教えの下にいない。

神の教えに、廃れた、古い、無用になるものがあると言う

ローマ帝国が主張した大嘘を、クリスチャンは神の教え、

真実だと信じているのです。

今は呪いの律法から解かれて、恵の下にいる!とパウロの手紙を

とんでもない読み違え、勘違いをし、クリスチャンは神の古い

律法の下ではなく、今は恵の下にいるなどと信じているのです。

 

神の言葉=教え=トラー=イエシュアが教えた父の教え=聖霊により記された完全なる言葉=神=言葉と書かれている意味を

正しく理解しない人がそのように解説しているだけです。

 

律法=言葉=イエシュア=神の教えの下にいない人の生き方を

聖書では、無法、アノモスと言っているのです。

神=聖霊=言葉の下にいない人は、無法地帯で危険な場所に飛び出ているのです。

 

神の教えの下にいる人こそ、恵を受けて生きている人達です。

なぜなら、神=言葉=イエシュア=聖霊と書いてあるからです。

神の言葉、呪い、律法、神の言葉を捨てて神の教えから解かれる自由が、恵?これこそが、人間の作った宗教の偽物で危険な

教え、鎧兜、安全帯を捨てて、無法地帯を勝手に生きること、

罪の路線に導く、悪霊の教えです。

無法=アノモス=神の教え=トラーを捨てる事を実践する人に対して、イエシュアは「わたしとあなたは関係ない!あなたを知らない!」とイエシュアが三行半を下したそのものなのです。

婚姻契約捨てる人、夫を無視する行動をする人だからです。

 

神=言葉=イエシュア=聖霊=変わらない!という事実を、

聖書から理解していない人たちが、聖書に対して勝手な読み込みをして、人間ダービー教の思想の方を尊重し信じて、人に偽物の教えを教えているのです。

勝手すぎるでしょう。神の古い教え=律法は廃れた〜と言いながら、同時に都合の良い教えだけ、廃れたと言い続けている律法と不適切な誤訳で語られる「神の永遠の教え、言葉」から取り出して、利用している。10%強制献金すると人に縛りの教えを教える。それは、神の教えではないのに、そう教え続けているのです。矛盾だらけです。

 

この10分の1献金の人造宗教の教えの縛りは、深いです。

勝手な教えで、合法的に見せ、人から不法に搾取するからです。

人に罪悪感を持たせるものであり、神のものを盗んでいる言われて、その声がずっと呪縛の如く頭脳に響くのです。

犯罪を犯しているかの如くに思う。

脱税して、マルサの女に追いかけられているような感じ。

 

でも、心配しないでください。神は人間が作った宗教団体に

収入の10%のお金を捧げよ!などと1度も言ってなどいない

永遠に言わないからです。

強制搾取なども、神の教えにはありません。

詰まり、聖書に書かれていることを、理解しない人が、聖書ではないことを教え教え続けて、人の意識を縛り、人から搾取しているのです。トラーを理解しない人は、次から次へと勝手な解釈を編み出し、無理な解説を施し、結局聖書ではない教えを人に

教え続けてしまうのです。

酷い例では、世界にいる偽教師、繁栄の神学を唱える人が、

信者から多額のお金を搾取し、私服を肥やし、何十億円の豪邸に住み、自家用飛行機を何台も所有する。

これは、もうイエシュアの名を利用した別物、宗教の霊です。

 

宗教活動も同じです。

聖書を読めば気がつくはずです。パウロが他国に行って教えていたのは、トラー=モーセの五書です。

しかも、その教えた対象相手、群は、まるっきりの異邦人の群れなどではありません!

ユダヤ人の群れです。その中に少数の異邦人がいただけです。

なぜなら、1世紀、使徒達がこの世界に生きていた時代は、

イエシュア信者は殆どがユダヤ人だからです。

黙示録に記されている7つのカハール、エクレシア=イエシュアの群れは、ユダヤ人の群れである事実を理解してください。

現在のトルコ近辺、異教の神々、そして様々な人種、異教文化が

融合する、そのような環境の地、異邦人の間に生きていたユダヤ人のカハールに対して、7つの群れ、カハール、エクレシアと

記されているのです。

読めば分かります。パウロが安息日=シャバット=第七日目ごとにユダヤ人の会堂でトラーを教え、語り、議論したと書いてあるでしょう。会堂では、シャバットにトラー、預言書が読み上げられるからです。

ローマキリスト教の教えや、その教えを信じて実践している

人達は、その時代に一人も存在していません。

日曜礼拝も、クリスマスもイースターも存在しません。

日曜日に、トラーを否定する新しい教えを、パウロがしていたと勘違いしてはなりません。

使徒の時代は、神の教えが変化する、過渡期であると新約聖書

神学者である、Mテニー氏が非聖書的な思想を出版物で、

神学校で教えていましたが、そんな教えは、聖書ではない人間の

教えであり、ダービー教の教えです。紛いもの、偽札と同じ偽物、聖書=本物ではない教えです。

有名人、学者、誰が何を教え、言ったとしても、その内容が聖書とは違うことを言っていたならば、それらは神が伝える聖書の

真実などではないのです。

教師により、聖書ではない偽物の教えをされ続けて来てしまったこと、それが本当の問題に原因、本質なのです。

 

クリスチャンが知るべき、教えられるべき、神の教えや、

神の記念日シャバットを知らないし、実際に祝ったことも

イエシュアを信じた後、1度もないでしょう。

なぜ?聖書を読んで、どうして神の教えや記念日とは違うことをさせられているのか?変!と考え始めないとならないのです。

聖書に書いてあるのは、シャバットごとに、パウロがユダヤ人の会堂でトラーを教えたことが書いてあるのです。

パウロは、シャバット=第七日目ごとに、ユダヤ人の会堂で

トラーを教えていたと書いてあるのです。

現代の異邦人が、シャバットごとに、トラーを学びますか?

学びません。だから、聖書に書いてあることを、空想で読んでいては、何が書いてあるのか、自分の中にある宗教体験、キリスト教の礼拝や、慣し、儀式、日曜礼拝、クリスマス、イースターを

空想して、聖書に書いてないことを読み込んでいる事実に

気がついてください。

クリスチャンがパウロが日曜礼拝をしているのだ〜と主張している箇所でさえ、結局書いてある事実は、神の祭り、過越、種無しパン、シャバットを祝っている証拠の記録でしかないのです。

 

使徒20:6 わたしたちは、除酵祭が終ったのちに、ピリピから出帆し、五日かかってトロアスに到着して、彼らと落ち合い、

そこに七日間滞在した。

 20:7 週の初め(の日)に、わたしたちがパンをさくために集まった時、パウロは翌日出発することにしていたので、

しきりに人々と語り合い、夜中まで語りつづけた。

 

除酵祭とは、過越の祭りの日から始まる7日間の種無しパン=

マッツアを食べる週のことなのです。クリスチャンは全く祝わないし、それが聖書に書いてあるのに何のことか、教師や牧師さえ知らないし、やらないのです。

神の祭り、レビ記23章を祝うという意味は、イコール、毎週

シャバットを第七日目に祝っている証拠です。そして、祭りは、

どの曜日に始まろうと、最初はシャバットとして取り扱い止まり始まり、最後の日も同様にシャバットとして止まり祭りを終わるのです。

日本人なら、正月の祝い方は言われなくても体験的に知っているし、やっているでしょう。イエシュアを信じる人が、イエシュアが教えた神の教え、記念日を知らないことの方こそが、異常事態なのです。

そのような理解が、クリスチャンの中にないのは、聖書を正しく

教えられず、神の仰せを生きることをしてこなかったから

分からないままなのです。

イエシュアが祝われたシャバットや、祭りを知らない。祝わない。そのかわりに代替え=人間の作り物の教えをやらされている。人間が作った別物、作り物、神の教えや記念日を捨てて

祝っていることに全く気がついていないのです。

そして7節の、週の始めとある後の「日」というギリシャ語は

原典聖書にはない言葉です。

このような箇所は、日曜礼拝に変更されたという間違いを信じている翻訳者がやっている違反です。

正しく聖書翻訳していない問題があるのです。

この箇所をトラーを知り、イエシュアが教えたこと、祭り、

シャバットを実践する人なら、いつの時のことが書かれているのか分かります。

これは、過越が終わり、次の祭り、シャヴオートの祭り迄の

「穂を数える7週間」の最初の時期であるのです。

そして、諸外国に住んでいたユダヤ人は、シャバットに労働させられる環境に居たから、シャバットが終わる時、日没に集まる

ことをしていたし、今もしているのです。

そのような知識がない人が、日曜礼拝に変更、日曜礼拝しているなどと、勝手な解説をし続けていますが、そのような間違った

教え、解説を1つ1つ真実に戻り正していかなくてはならないのです。

たとえクリスチャンが、何かの用事で月曜日に集まっても、

キリスト教の日曜礼拝が、月曜礼拝に変わったなどと考えないでしょう?尚更、神の言葉、記念日は永遠不変と理解する人達は

西洋宗教の教えのように、別物の教え、記念日に乗り換える

創造主に対する違法行為はしないのです。

詰まり聖書に書かれている事は、100%神の教え、ヘブライの世界のヘブライ思索で記されたヘブライ聖書しかないのです。

ローマ教の教えや記念日は、神の教えなどではなく、それらは

聖書に記されてもいないし、ローマ帝国皇帝が作り出した宗教は

純粋な神の教えではありません。

異端と呼ばれる宗教も、聖書を利用しながら、逸脱した教えをしているのと同じことなのです。

それが、メシアご自身が、別の人がメシアと主張したり、

ある宗教団体の預言者であると言ったり、明らかに別物、大幅に違う解説をしているから、異端と思うのですが、

神の教えを否定する教えは異端の教えそのものであること、

聖書、神の言葉の警告から気がつかなくてはならないのです。

 

パウロが教えていた相手は、トラーを知る人達です。

異邦人の世界へ、トラーを全く知らない人を教えたのとは

全く違うことなのです。

当時のユダヤ人の中には、イエシュアがトラー、預言書に記されたメシアであると認識できない人がいたのです。

今も同じです。なぜなら、苦しみを受けるメシアではなく、

王の王として、ローマ帝国の迫害、弾圧から救出する王の王で

あるイエシュアが最初に来られると考えていたからです。

だから、そのローマ帝国に処刑されたメシアは、メシアではないと考えた人がいたということなのです。

サドカイ派も、復活を信じていない人がいたと書かれているのです。

詰まり、神の教え、トラー、預言書を正しく理解しない人がいたということです。もちろんそうでしょう。全ての人が神の言葉に対して正しい理解をして、生きているわけではないからです。

個人個人、差があるからです。パウロがした教えは、トラーを

正しく教えること、生きることです。

それは、当時は先祖の言い伝え=口伝律法というユダヤ人が

考えたトラーの生き方がずれているものがあったからです。

それが、異邦人に対する改宗儀式のことであったり、改宗しない異邦人は汚れた動物程度に考えていたり、神に受け入れられていないとも考えていたのです。偏見です。

ユダヤ人という血筋に生まれただけで、それだけで安全、大丈夫と考えている、ずれた思考回路でいた人たちがいたことが、

ガラテヤ、ローマ、コリントなどに書かれているでしょう。

 

パウロが書いている内容を誤解して、割礼は無用だ!信じた後

神の教えを生きるのは、律法主義だ!などと、聖書とは真逆の教えをクリスチャンはしていますが、この問題の本当の根は、

聖書を正しく学ばず、人間の思想を学んでいるからです。

聖書に何が書いてあり、何が書いてないのかの区別がないまま

教える人が、人間の編み出した宗教、神学教理だけを学び、

聖書ではない教えを通して、聖書=神の言葉の方を曲げて解説している、それが問題なのです。

そう言うことをしていると言うことにさえ、気がついていない。

人間ローマ帝国皇帝が1世紀以降、宗教を編み出したと言う事実さえ、教師、牧師が気がついていないのです。調べれば、分かります。人が神の言葉に対して何をしたのか、事実に気がつけば分かるでしょう。やってはならないことを、人がし続けている。

神は、人間が神の教えに、付け足し、差し引きしてはならない!と言っているのに、通じないのは、昇天以降、神が神の教えを

破棄したと言う大ウソを、神の教えだと信じ込んでいるからです。

4世紀のローマ帝国皇帝、コンスタンチヌス、ミトラ教、太陽神信仰の混ぜ物を作ったこと。それ以前に1世紀後半から既に

ローマ帝国では、神の教え、トラーを禁じる法律と、処刑

重税でユダヤ人を殺害し、追放し、異邦人信者まで処刑したこと

110万人のトラーを生きてローマ帝国に抵抗し、反乱を起こしたユダヤ人がローマ帝国に、神殿崩壊の時期に殺害された歴史の史実を、どうしてクリスチャンは知らないまま、真実を理解していないのだろう?その方が不思議です。

 

神が神の言葉を変えると言う、罪、神に対する冒涜、666の

手先になる行為。そんな偽物の神像を信じられるのは、背景が

異邦人であり、異教徒であり、異教神の文化、思想の中に、

先祖代々生まれ育った思考回路が健在だからです。

堂々巡りは、真実に辿りつかず、偽物教えで、神の教えを曲げて

神の言葉と、神ご自身から距離を置く、作ることをさせられて

いるのです。