バビロン バベル ローマ帝国 ギリシャ帝国 人間の編み出した教え 大淫婦  | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

古い箇所の教え〜律法は文字で書かれて聖霊がない、命がない文字は殺しの教えだった。

イエシュアが来られてからは、律法に縛られることなく、聖霊により

生きる恵の時代になった。

 

このような教えが、ローマ帝国が作った宗教の教えを支持する人に

より一般的に施されている聖書解説です。

 

神の教えは永遠に変わらない、同じなのです。最初から恵みの神、

許し、憐れみに富んだ神であるのが、神ご自身が伝えるイスラエルの本当の神像です。人間が勝手に再定義する神の性質、神の言葉と、

神ご自身が人に伝えているものは、全く違うのです。

 

上のような聖書解説をする理由は、ローマ帝国教の教えを信じて、

聖書を本当には知らないまま、人が作り変えた教え=宗教の教えを

神の教えだと勘違いしているからです。

エデンの園に忍び込んだあの蛇、透き通っている〜裸という言葉で

書かれていますが、忍び込んでも気が付かない性質を表しています。

 

神の教えは創世記1〜黙示録の最後迄、何一つも変わっていません。

神がそう人に教えているでしょう。

神の言葉は永遠普遍、永遠に固く確立され廃らない!と。

その神の宣言を真っ向から塗り替えているのが、ローマ帝国が編み出した人間の教えなのです。

 

これはずっとエデンの園の最初から、人は神の言われることからズレる、ずれたがる、勝手なことを考えて主張することを続けているのです。バベルの塔の出来事もそうでしょう。

プライド、自尊心に突き動かされた「己の王国」を作ろう!という

傲慢さが記されている箇所です。

『自らを築く」という意味のヘブライ語には「ラヌ」という言葉です。

「自分たちのために築こう」あるいは「自らを築き上げよう」と訳せる言葉です。

そしてこの「ラヌ」は繰り返され、「自分たちのために名を成そう」という意味になります。

ヘブライ語で「名」を意味する言葉「シェム」は、名声、人格、

そしてアイデンティティ、評判を意味する言葉です。

日本語にある、「名は体をなす」と同じ意味です。

名=実態を表すものです。英語にも同じ慣用句があります。

人類は、自ら名を成そうとしていたのです。今もです。

悪〜神の意図とは逆の生き方をする人間が、人間を支配、搾取する

上に立つ物が、自分たちだけが、良ければ良い世界を作っている。

神ではなく、人間中心の世界、神の言われたことではなことを

自分たちの考えでやる!これが、罪の元、ズレの元なのです。

 

人間が天に、神の御座にまで、自力で手を伸ばせる?と考える。

自らの名声、アイデンティティ、そして評判を築き上げよう、

築ける、天に到達できると考えていたのです。

これは、創世記第3章で謎の蛇が放った邪悪な約束、「実を食べれば、主の御座に座れる〜神のようになれるよ!」という言葉を反映しているものなのです。

バベルの塔の物語を、創世記第3章に照らして読むと、これまで見て

きたアイデンティティと、神の人への召命に対する人間の物語の葛藤を要約することができます。 

上にのぼることではなく、神の性質通りを生きる人で、地を満たせ!と言われたのが、神の仰せなのに、人間はいつも神の言われたこととは別ものをやり続けているのです。

 

 1) 神の性質通り於いてではなく、神の権威を覆すことにおいて、

神のようになるのです。これ、人間が作った人造宗教が、そっくり

そのままをやっているのです。

人間が神の座に座り、神の権威を奪う。

 

 2) 天に手を伸ばし、王座を奪い取ろう。 

人間なのに、神の座に座り、神の言葉、創造のデザインを勝手に

塗り替えて、別物を人に生きさせる、人間が神になり代わり、

神の言葉を、人間が勝手に変えてズレた解釈を施し、人に神の伝えた真実ではない、別物の教えを施し、教え続けているでしょう。

 

3) 善と悪を自分たちの言葉で再定義しよう。 

これ、人間が神の言葉を判定し、神のトラー=教え(律法と訳されている)は廃れた!などと、異邦人信者はその嘘を神の教えと思い込み

ずっと神になり代わり、神の言葉、教えを否定し続けています。

 

4) 新しい、別の目的を提案しよう。

すべては自分自身のため、自分たちが考えついた目標、考え、

自分を偉大にすることが目的。

本当に自分中心、人間至上主義〜宗教はこのようなことを言い続け

実際にやり続け、別物の教えを生きることに人を誘導しているのです。「バベル」と普遍的に翻訳される「バベル」という言葉は、

トラー、預言書、書書の中でさらに250回以上登場し、以降は常に「バビロン」と訳されます。 

 

 バビロン、或いはバベルは、聖書の中で、自己、悪、反逆、そして

神の王権の拒絶の王国の典型として用いられています。

出エジプト記に於ける、ファラオの王国、文字通りのバビロン王国、

そして少し話が逸れますが、イスラエル王国にも現れています。

バベル王国は、トーラーに対する甚だしい反逆、幼児殺害、故意の

偶像崇拝、貧者への抑圧、性的不道徳、傲慢な自己崇拝、善悪の再定義、権力の濫用における他者の利用、そして憎しみに満ちた復讐として現れます。

 同名のバビロンの王ネブカドネザルは、これを次のように要約しています。「大いなるバベル! わたしは、わたしの威厳の栄光を高めるために、わたしの力と武力によって、これを王宮として建てたのだ!」ダニエル4:30。

神と人類の間で結ばれた最初の契約があります。

「わたしはあなたたちと契約を立てる。すべての生き物が再び洪水によって滅ぼされることはなく、また、地を滅ぼす洪水が再び起こることもない。」創世記 9:11 

神の恵みと契約に基づく忠実さは、聖書の物語の中で初めて約束として確立されています。神は私たちと契約を結び、約束されました。

その目的は、(バベルの王国に立ち向かう)大洪水のような裁きと

矯正をもたらすことだけでなく、癒しと贖い、そして祝福、すなわち神の国をもたらすことにあると。 次のパラシャ、レフ・レハと繋がり、贖いと解決の計画がさらに展開されます。

ノアのパラシャにおいて、神はノアにアダムとハヴァに子孫を増や

して欲しいという、御自身の目的を改めて告げ、ノアとの契約における忠実さを通してバベル問題に対処することで、物語の矛盾を解決し

始めます。

神がアブラハム(バベルの王国から)を新たな聖なる国民として召命された様子が書かれています。

バベル王国に対抗するための神の計画は、アブラハム、イサク、

ヤコブの子孫を、彼らを通して地上のすべての国々を祝福するという、取り消し不可能な召命によって成就します。

 

人が神の教えを変えて別物にすることは、最初からずっとやり続けて

今も継続して、それをやり続けているのです。

 

1列王記 12:28 そこで王は相談して、二つの金の子牛を造り、民に

言った、「あなたがたはもはやエルサレムに上るには、およばない。イスラエルよ、あなたがたをエジプトの国から導き上ったあなたがたの神を見よ」。

 

エジプトの神は、太陽神が代表です。ラーです。この太陽神が

イスラエルの神により裁かれたのです。

それが、9つ目の災い、暗闇がエジプト全土をお覆い、イスラエルが

住まう場所だけ、光があったとあります。

第10の災いは、王に対する災い。

人間が神より上に立つ、それがファラオだったのです。

その初子を絶つとは、命を編み出さない生き方を、遮断、絶ったのです。

このエジプトで培った偶像礼拝〜混ぜ物礼拝を、イスラエルが、

体が出エジプトしても、頭脳、思考回路は以前のままだったことが、

記されています。エジプトでの礼拝〜太陽神、一番大事なシンボル

牛。これは、ミトラ教=ローマ帝国皇帝が崇拝した太陽神も同じです。その宗教のシンボルは牛です。

その牛を、一番高価、大事な金〜エジプトから持ち出したものを皆で差し出し、自分の手で編み出した偶像をとおして、イスラエルの神を礼拝したと書かれているのです。

これを、宗教の伝統で、ずっとやっているのです。

自分たちの考えで編み出した別物で、イスラエルの神に近づく、礼拝する。金の子牛でイスラエルの神の祭りを祝おう!と言ったのです。

 

出エジプト32:4 アロンがこれを彼らの手から受け取り、工具で型を

造り、鋳て子牛としたので、彼らは言った、「イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である」。

32:5 アロンはこれを見て、その前に祭壇を築いた。そしてアロンは

布告して言った、「あすは主の祭である」。

32:6 そこで人々はあくる朝早く起きて燔祭をささげ、酬恩祭を

供えた。民は座して食い飲みし、立って戯れた。

 

<主の祭り。シャブオート。主の日=シャバット、第7日目なのに

第一日目にする。神の創造された記念日、呼出日を、人間が考えた

祭り、記念日にすり替えること、最初からやり続けている警告が、

ここでされているのです。>

 

これ、ローマ帝国皇帝もやったのです。神の教え=モーセの五書を

捨てよ!と勅令で人に強制的に実行させ、そして、ローマ皇帝が

編み出した教え〜神の教えを削除した教えと、そして聖書にない

別物の記念日、祭りを作って、同じように金の子牛を通して、

イスラエルの神に近づき、自分たちが作った祭りで神を礼拝しているのです。同じ警告なにの、全然ピンと来ないのです。

 

12:29 そして彼は一つをベテルにすえ、一つをダンに置いた。

<神の祭壇は、エルサレムの神殿の中だけ!ここが、神が唯一定めた神の家、神の聖別された場所なのです。

だから、ベテルとダンにそれを作ってはならなかったのです。>

 

12:30 この事は罪となった。民がベテルへ行って一つを礼拝し、

ダンへ行って一つを礼拝したからである。

 12:31 彼はまた高き所に家を造り、レビの子孫でない一般の民を祭司に任命した。

 

エルサレムの神の神殿に仕える人は、レビ族出身の人だけができる

ことであり、大祭司もレビ族であり同時にアロンの家系の男子のみなのです。これも、ヤラべアムは、神の教えに違反して、自分の考えで

やっているのです。神の言葉=教えを無視して、人間の編み出した

宗教の教え=考えをしている!これが、宗教の実態なのです。

イスラエルの神に属さないもの、混ぜ物でイスラエルの神に近づく

罪。>

 

2:32 またヤラベアムはユダで行う祭と同じ祭を八月の十五日に定め、そして祭壇に上った。彼はベテルでそのように行い、彼が造った子牛に犠牲をささげた。また自分の造った高き所の祭司をベテルに立てた。

 

<仮庵の祭り、第七の月の15日を、勝手に第八の15日に変えた。

シャバットを、第7日目から、第一日目にすり替えたのは、ローマ帝国皇帝であり、神ではありません。

ここにあるヤラべアムの罪と言われ続けること〜神の教えと、神の

記念日を勝手に人間の考えで編み出したものすり替える〜罪。

それをずっとやり続けて、これが神への礼拝ととんでもない勘違いをしているのです。神は神の言う通りにして!と言い続けているのに

人間は傲慢なので、自分たちの編み出した考え、自分の手で作り出したもので、勝手なやり方で神に近づこうとしている、でもそれは

神の伝えた通りではないから、イスラエルの神に属さない、別物なのです。>

 

12:33 こうして彼はベテルに造った祭壇に八月の十五日に上った。

これは彼が自分で勝手に考えついた月であった。そして彼はイスラエルの人々のために祭を定め、祭壇に上って香をたいた。

<ローマ帝国教は、自分たちが考えた教え、記念日、祭りを、

やっているのです。ここに書かれたヤラべアムの罪と同じなのです。

神が何も言わない、無言、イコール神が認めているのではないことを、聖書からはっきり認識する必要があります。

神はこのような混ぜ物の礼拝を、1000年近くも忍耐して、無言。

でも、確実に刈り取る結末を体験したでしょう。イスラエルは。

アッシリア、バビロンという敵に侵入され、そして約束の地から

追放され、捕囚の民になったのです。>

 

黙示録にも、神の契約に忠実に生きた聖徒=残りの民のことが記されています。

 

14:1 なお、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っていた。また、十四万四千の人々が小羊と共におり、その額に小羊の名とその父の名とが書かれていた。

 

<12部族、 12弟子、そして1000年。神の王国を統治する人は、神の教え=契約=トラーに根付いて生きる人たちであり、神の

教えを汚し、神のシャバットや記念日を汚す人ではないのです。

子羊の名=イエシュア=トラー=父の教えが刻まれている。>

 

 14:2 またわたしは、大水のとどろきのような、激しい雷鳴のような声が、天から出るのを聞いた。わたしの聞いたその声は、琴をひく人が立琴をひく音のようでもあった。

14:3 彼らは、御座の前、四つの生き物と長老たちとの前で、新しい歌を歌った。この歌は、地からあがなわれた十四万四千人のほかは、

だれも学ぶことができなかった。

14:4 彼らは、女にふれたことのない者である。彼らは、純潔な者で

ある。そして、小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。彼らは、神と小羊とにささげられる初穂として、人間の中からあがなわれた者である。

<この箇所、ユニバーサル教が勘違いしている箇所ですが、独身

イコール、霊的に崇高などと考えているのですが、そんなことは

ヨハナンは意味してこの箇所を書いているのではないのです。

混ぜ物の教え=偽物の神々の教えに混じらない=純潔な者=女にふれたことのない者=異教の神々、大淫婦、バビロンの教えに交わらない、触れない人。

イエシュアのフォロワーは、イエシュア=トラー=聖霊が記された

神の教え、言葉通り、実態を生きる人のことをここでは言っているのです。ヨハナンは、トラーを考えて、預言書を考えてこの箇所を

書いているのです。>

 

続く