人間が神の言葉に手をつける行為を神が禁じている | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神の言葉は、例えて言うならば、あん饅では全部があんこという感じです。凝縮して詰まっている。

永遠をかけて、神を知るに必要なことが全部詰まっているからです。

 

DNAと同じです。人間が作った宗教の教えは、人間が神の言葉を

自由自在に、人間の考え、判断で削除、付け足し、中身を変えてしまうことをしているのです。そういう人間の神に対する違反行為、

冒涜、罪を、神が昇天以降全て許可していると、神が言ったこととは真逆を信じているのです。

DNAとは、神の言葉の全体=本の全体です。遺伝子はその中にある

神の教えの1つ1つですが、その神の教えの1つ1つ、ある箇所を

人間が勝手に遺伝子組み換えして別物の教えに変形させ、神の教えとは異なる性質の教えを編み出し続けて今に至っているのです。

その事実をクリスチャンは全く認識していない、その事実を理解していない、知らないのです!神が神の教えを変えたという教えにすり替えられて、ローマ帝国の違反行為が、今の時代の神の教えなどと勘違いし続けているのです。

ローマ帝国が、どれほど恐ろしいものであったか、それはその帝国を

治める皇帝達がおぞましい生き方をし、最後はLGBTで帝国は崩壊

した意味を知ったら良いと思います。

ソドムとゴモラ、ノアの時代と同じ、人間が神の教えに反した生き方をしたら、必ず最後は崩壊するのです。

どの帝国もずっと崩壊し続けているのです。悪〜神の意図と外れた

ことを生きては、身を固く立てられないと神が言われる言葉が真実だからです。

使徒達が、1世紀以降この世を去った〜いやローマ帝国に処刑されて

殺されたのですが、彼ら使徒達が去った後、預言されていた通り

偽物の教えが出現したのです。1世紀から、既に偽の教えは蔓延していました。だから、パウロがその偽物の教え、哲学思想、悪霊の教え

グノーシス主義、禁欲主義、人間の編み出した戒めの律法に対する

警告をずっと書簡に書き記したのです。

西洋人の考えで作られた教えや、宗教が、4世紀に出て来たのです。

これは、神の考え、仰せではありません!人間が勝手に作っただけ

それがローマ帝国が作ったユニバーサル教であり、プロテスタントもその宗教の思想土台とする信仰をし、同じく共有しています。

その思想とは、人間が神の言葉を捨て、人間の考えで神の言葉を

塗り替えた教えを土台とした宗教です。

クリスチャンは、イエシュアがキリスト教という新しい教え、

古い教えを否定、破棄して、今まで聞いたことのない教えを伝えに

来たと、考えているでしょう?!

でも、そんなこと、聖書には1つも書いてなどありません。

イエシュアが教えたのは、父の教え=トラー=モーセの五書のみであり、プラス、イエシュアは人にイエシュアが生きたから、それをもう生きなくて良い!などと言ってもいません。

本当におかしな思想のおかしな宗教=人間の言い伝えを神の教えだなどと信じていることに、はっきり気がつく人は、進化論と同じ性質の

嘘に騙されていたことを、神の教えから発見するのです。

トラーを破棄したから、昇天以降、自由に生きよ?それは、イエシュアが警告した無法=トラー無し=トラーに違反する生き方そのもの

です。言っていることが、支離滅裂なのは、聖書ではない、人間が

編み出した宗教の教えだからです。

その思想は、「ウルトラマン大家族の崩壊の巻」を語っているのです。漫画の世界でもあり得ないストーリー展開、ウルトラマンが

ウルトラの父に反撃し戦いを挑み、父を倒す!神の内部で分裂、紛争が起きた?おかしな教えです。神=言葉=イエシュア=聖霊であり、聖霊で書かれた神の言葉を神が否定することはありません。

なぜなら、神の言葉は完全無欠だからです。

クリスチャンも口ではそう唱えてているでしょう。

聖書を掲げて、「聖書は誤りのない神の言葉である!」その完全なる神の言葉を神がどうして、歴史の途中で変更、訂正したなどという嘘を平気で信じられるのか???神の言葉は永遠に廃らないと言った

神の言葉は嘘なのでしょうか?おかしいと気がついてください。

そんな矛盾だらけを信じられる方が不思議なのです。でも、人は偽物の教えに洗脳される続けると、嘘でもなんでも本当であるなどと信じられるのです。

進化論と同じ。有名な科学者、学者が唱える、大勢がそう信じる

でもそれは、嘘!大嘘!ということが、たくさんあるのです。

 

その事実を理解しないまま、クリスチャンはイエシュア昇天以降

神が神の教えを変えた!という永遠の嘘を信じているのです。

神の言葉の進化論と呼ぶべきでしょう。これは人間の思想、仮説で

あり聖書とは真逆な教えをずっと言い続けているのです。

この行為は、神に敵対する行為であるとも、全く聖書から気が付かないまま、正義を唱えている、古い教えを撃退し自由に聖霊により

生きることが与えられたのだから、それを死守しよう!

古い教えを生きる人は、恵を無駄にしているのだ〜!

だから、クリスチャンは何を生きよと神から教えられているのか

知らないのです。神の教えを捨てて生きよ!というのは、サタンのささやきそのものです。

自由に聖霊により生きる〜それならば、神の語る教え通りを生きる!

という意味なのに、本体を表す、影は、偽物の光を当てられて

勝手な動きをし続けているだけなのです。

それは、イスラエルの神に属さない、宗教を環境へ映し出している

別物の生き方なのです。

ある部分は聖書の事実です。イエシュアを通して、子羊の血の購いで

人は神の元に取り戻され、新しくされ、元の命を頂いた事実。

これは真実ですが、その後が問題なのです。

神の元に取り戻された人は、神の伝える神の創造された人の生き方=イエシュアが示されたトラーそのものを生きる!ということが

完全に抜けているのです。

その代わり、人間の考えや判断で生きることをしているのです。

だから、何十万という教え、宗派があるのでしょう。

礼拝とは、神の家の祭壇の前、周りで行われたことを聖書では

ずっと伝えていることに、気が付かないと思います。

イエシュア、パウロや使徒達が語っている用語は、神の神殿=ミシュカンの中で行われたコルバンを通して神に近づくことをずっと語っているのですが、それは、神の教え=トラーが分からない、神殿の中で行われたコルバンを通して教えられている神への近づき方〜礼拝の

意味を学ばなければ、字面だけ読んでも、その意味は海の上から水面を見ているのと同じで、その中にある水の中のエデンの世界は見えないのです。

高きところの礼拝とありますが、これは異教の神々を信じる人も

高い場所に上り、異教の神々を礼拝していたからです。

 

でも、神が教えていること、アヴラハムやモーセを高いところに呼び出していること、これは神の目線から神の意図通りに全てを見ることを教えているものです。

私達は預言者モーセを通して神が語った言葉=教え=エデンの園から

口頭で伝えられた、神の創造された人がどう生きるのか?ということを、教えられているのです。

それは、イスラエルだけではありません。なぜなら、皆同じ人間=人=アダムから出た人だからです。

違いは何か?イスラエルが大家族の長男として選ばれたということは、長男は下の弟妹より重たい責任がある、だから絶対にその長男は

神が伝えたこととは違うことを生きてはダメである!

世界へ、イスラエルの神が言われた通りの性質を生きなくては、

正しいことが、全民族に伝えることができないからです。

 

神の大家族には住まう場所があります。その中には神ご自身がおられて、神の臨在があるのです。

神の家の一番重要な場所は、至聖所であり、ここに神の契約の箱がある、この中に神の言葉=聖霊=臨在があったのです。

 

宗教の教えは、人に対して罪悪感を持たせる様なことをしています。

でも、神は人を責めていません。ズレた人にズレをずばり、神の言葉

で指摘し、本来の生き方、性質に戻る!ということを、教えているのです。

コルバンの続きですが、シミ、傷、歪み、ゆがみ、何もない動物。

それは、イエシュアの業でイエシュアが私達のアシェム=とがそのものになってくださり、咎を全部背負った事実を最初から教えているのです。

エデンの園のアダムとハヴァも全く同じでしょう。

神の目線、神が見た通りの彼らのやったアシェム=意図的に犯した罪を見させられ、それが質問〜どこにいるのか?という質問です。

彼らは、隠れたでしょう。それは、以前の性質ではしないことをしていることが、書かれているのです。

咎で神との隔たりができ、お互いをなじる、責める、批判する、

本来の姿の自分、相手が見えない別の頭脳〜目が開かれた状態。

そして、今迄あった人と人との最も親しい関係に亀裂が入り、

違う関係、壁ができてしまった、そのことが、どうして起きたのか

考えさせたのです。あなたはどこにいるのか?どうして、そのような

ことになったの?と聞いているのです。

そして、彼らは神の前にやった通りのことを告白した。そして神が

それを聞いて、彼らに義の衣を着せているではないですか。

多分、アダムとハヴァは、モーセが天の中〜シナイ山で神と顔と顔

神の栄光の中に入った状態で、輝いて眩しい、モーセの顔が見えない状態で山を降りて来たでしょう。

それと同じで、以前のアダムとハヴァは神の栄光を纏っていたから、

裸であることが、分からない、見えない状態だったのだと思います。

又は、恥という意識がなかった状態。

 

神の教え、警告は、最初から最後まで同じです。

全人類に罪が侵入したのは、神のデザイン、創造とは違うことをしたからです。それなのに、イエシュアを信じる人たちが、神の教えとは

違うことをせよ!エデンの園の蛇の声と全く同じことを言い続けているのに、気がつきもしないのです。

それは、神の言葉を正しく理解していないからです。

食べてはダメ!シンプル、簡単な神の教えを理解しない頭脳だから。

 

今はなんでもあり!全て許されている別の教えの時代だ!

こんな嘘、神は言いません。それを言ったのは、ローマ帝国皇帝であり、彼らは1世紀からどれほどのおぞましい悪を働いて来た人たちであったのか、歴史の史実を調べても分かります。

神の言葉を捨てよ!と言ったのは、イスラエルの神ではなく、

ローマ帝国皇帝達、それに続く後に教皇となった人達、司教、教父

どの人物もパウロのようなトラーの知識など知らない、異教徒背景の

思想の持ち主。このようなズレた思考回路で聖書とは違う宗教を語る教えを、異邦人はずっと教えられて来てしまったのです。

人間は、神の言葉、教えを勝手に塗り替え、違う解釈をすることを

神は断固として禁じているのに、それを宗教会議で何十回も何世紀にも渡りやり続けて来ている、これはもうイスラエルの神に属するものではなく、イエシュアの名を利用した別物の宗教なのです。

 

10の言葉は、神の教えの要約、タイトルです。

神の教えの柱です。この10の言葉の意味を、モーセの五書全体で

説明しているのです。

カトリックは、10の言葉の2番目〜偶像を作り出しそれを拝むな!という神の仰せを意図的に聖書から削除しています。こ

ういう違反行為は、プロテスタントもやっています。

シャバットは第7日目なのに、カトリックが変えた教えで、1日〜日曜日と本気で信じているでしょう。それ嘘!それはイスラエルの神が

呼び出した日などではない、ローマ皇帝が作った記念日である事実を

知り、神は神の記念日を塗り替える行為は、死に匹敵すると教えている意味を、その通りに理解する人は、嘘から目覚め真実に戻るのです。

神は、人がその様な行為をすること、イスラエルを通して厳しく

警告しているでしょう。

神のシャバットを汚す人、豚、ネズミを食べる人、神の家、国から

絶たれる!と言われていることが耳に頭脳に届いていないだけで

それは神が言われる永遠の真実なのです。

神の家のお茶の間〜一番親しい間柄で顔を合わせる場所に、神の仰せを愛して、神のシャバットをガードする人を招く!と神が言われているでしょう。

神は人間が作った偽物など、ありがたく受け取らない、拒否する!

とずっと言われているでしょう。

どうして、シンプルな事実、神の仰せを拒絶し、人間の作った思想に固執することが、危険と気がつけないのか。

それが騙しの世界、アダムとハヴァが陥った罪。

神は本当にそう言ったの?疑わせたでしょう。神の言葉を。

それをやり続けているのに、気がつけないだけです。

伝統で浸透し、皆がやっているから、イコール神が認め、神が受け取っていると勘違いしているのです。

神は偶像や偽物の教えが混じった高きところの礼拝を完全拒絶して

います。だから、そんな紛い物の礼拝をするイスラエルは、約束の

地から追放されたのです。

書いてある意味を理解しないのは、嘘=神の教えは廃れた!という

人間の作った宗教の教えを信じているから、それを信じる人には罪も何も一緒くたに受け入れて生きること、今の時代の自由などと

勘違いしているのです。

 

続く