神話 偽の教えの出どころ | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

異教の神々の裏には、神話があります。

もちろん、異教の神々などいませんから、神話、作り話です。

異教の神々の本当の正体は、偽物〜サタンです。

 

もし、私達異邦人も、最初から神の言葉通りを教えられていたら、

人間が勝手に神の言葉を塗り替えて作った、宗教の教えなどを選択しなかったはずです。

分からないから、伝統で語り継がれ、教えられていることが、

聖書だと、思い込んできただけなのです。

ローマ教は、ローマ帝国が作った宗教であり、4世紀の皇帝、

コンスタンチヌスは、ミトラ教=太陽神信仰であり、ローマ帝国では、太陽神ミトラ教が広く信奉されていました。

特に、軍人〜リーダーに信奉されていた。それは、ミトラ教の神が、世界制覇を可能にする神と信じていたからです。

だから、ローマ教は、ふんだんにミトラ教の教え、シンボル、慣わし

儀式を取り入れ、そしてイスラエルの神の記念日を異教の神々のものとすり替えたのです。

タムズのためになくというのが、エゼキエル8:6に出てきますが、

その裏には、異教の神々の神話があるのです。

 

ニムロドの物語の残りの部分は、メソポタミアとウガリットの伝説に由来しています。

人々がシナル(現在のイラク)を去って地上に散らばった後も、

ニムロドはバビロン王国の建設を続けました。

彼は誇り高き心を持ち、自らを太陽神として崇めました。

彼の妻(多くの伝説では配偶者とされています)

セミラミスは懐妊しました。ほぼ同じ頃、ニムロドは戦死しました。セミラミスは、ニムロドの死後、太陽の光によって受胎し、ニムロドの息子タンムズが生まれたと主張しました。

さらに彼女は、タンムズは息子であるだけでなく、父の生まれ変わりでもあると主張しました。つまり、タンムズとニムロドは同一人物であり、「生まれ変わった」太陽なのです。

 

タンムズは成長すると猪に遭遇しました。猪に殺されたと伝えられていますが、セミラミスが彼のために涙を流したため、タンムズは

死から蘇りました。 これが、ポークハムがアメリカで伝統的にイースターに食べられる理由です。タンムズの殺害に対する復讐として。

 

セミラミスは月の女神として自らを神格化しました。

後世には様々な神話が生まれました。セミラミスは大きな卵の中に

入れられて月から落とされ、その卵が地球に落ちた際に孵化したと

され、人魚のような姿で現れて魚の女神になったという説もあれば、卵を産むウサギの姿で現れたという説もあります。

また、翼を凍らせられた鳥をイースターバニーに変えて救ったという説もあります。イースターバニーは元々鳥だったため、色のついた

卵を産む能力を保っていたのです。

うさぎは多産を表す動物でもあります。たくさん産むからです。

 

神話崇拝が拡大するにつれ、ニムロデ=タンムズとセミラミスは様々な名前で知られるようになりました。ニムロデ=タンムズはベル/バアル、マルドゥク/モレク、ラー/オシリス(表裏一体)、ホルス、ミトラス、ゼウス(木星)、アポロ、ヘルメス(水星)、オーディン=バルドル、ヘラクレス(ヘラクレス)、ヘリオス(ソル・インウィクトゥス)(後者2つはタンムズにのみ関連するもの)と呼ばれました。

一方、セミラミスはアスタルト/イシュタル/イースター/アシュトレト、イシス、アナヒタ、ヘラ(ユノ)、アフロディーテ(ビーナス)、デメテル(ケレス)、フリッゲとなりました。

世界のほぼすべての文化において、ニムロデとセミラミスは何らかの名前で言及されており、崇拝において男女、太陽と月の組み合わせが豊穣と結びつけられています。

 

バアル、アシュトレテ、モレクは、イスラエルが約束の地から追放された原因となった三人の偽りの神々です。

さらに、エゼキエル8:14-16には、神が「タンムズのために泣く」という慣習を非難したことが記されています。

これは、復活祭の直前の40日間、人々がタンムズの死と復活を祈って断食する期間なのです。現代のカトリック教会における四旬節は、

この慣習に直接由来しています。

えっ?と驚く人もいるかもしれません。「そんなはずはない」と。

きっと驚くでしょう。歴史の次の目的地は西暦200年頃です。

この頃、キリスト教世界の多くの異邦人が、主にアレクサンドリアのクレメンスの影響を受けて、異教の伝統、象徴、哲学、概念をキリスト教の信仰に積極的に取り入れ始めました。

 

このような状況に112年間浸かった後、新たに戴冠したローマ皇帝

コンスタンティヌス大帝は、母はキリスト教徒、父は異教徒であり、イエスをローマの太陽神ソル・インウィクトゥス、ギリシャの太陽神ヘリオスと同等であると信じていました。彼は、後述するように、

巧妙な政治戦略によって、ローマ皇帝としてだけでなく、事実上、325年までに異邦人エクレシアの長としての人気も獲得しました。

 

この世には、異邦人クリスチャンの間での二大派閥が対立していました。アリウス派は、イエスは神ではない、あるいは部分的にしか神ではない被造物であり、唯一神である父に従属する存在であると信じていました。

一方、三位一体論者は、神は永遠の実体を持ち、同等の地位にある

三つの位格(父、子、聖霊)からなる唯一の神であると信じていたのです。

325年ニカイア市で宗教会議が開かれ、主にこの二派間の論争に決着をつけようとしたのです。三位一体論者が勝利しました。

しかし、議論された「副次的な」問題の中に、イエスの死と復活を

いつ祝うかという問題があったのです。この問題については、コンスタンティヌス帝が自ら言及したのです。

 

以下の主張は、聖書とは異なる、ローマ皇帝が作った思想、宗教の教えです。そして、その根底は、反ユダヤ思想です。とにかくユダヤ色

ある全てを毛嫌い、破棄する!ルターも同じ思想を引き継いでいます。

「私たちは救い主から別の道を授かりました。私たちの聖なる宗教において、私たちは正当かつ正確な道を歩み始めました。

一致団結してこの道を歩みましょう。尊敬すべき兄弟たちよ、

あの忌まわしい交わり〜ユダヤ人達から身を引こうではありませんか。彼らの教えなしには私たちがこれらのことを正しく守ることが

できないなどと彼らが自慢するのは、実に愚かなことです。

主を殺害した後、正気を失い、理性的な動機ではなく、抑えきれない衝動に突き動かされ、生来の激怒が導くままに突き進む者たちが、

一体何について正しい判断を下せるというのでしょうか。

だからこそ、この件においても彼らは真理を理解できず、常に極度の誤りを犯し、適切な矯正を行う代わりに、同じ年に過越祭を二度祝うのです。

では、なぜ私たちは、重大な誤りに染まっていると認められている者たちの例に、倣うべきなのでしょうか。

同じ年に復活祭を二度祝うことを決して許すべきではありません。

しかし、たとえこれらの考慮があなた方の目の前に提示されなかったとしても、あなた方は勤勉と祈りの両方によって、あなた方の純粋な魂が、このように完全に堕落した人々の習慣と何ら共通点を持たないように、あるいは、そのように思われないように、依然として注意するべきです。

これも考慮すべき点です。このように重要かつ宗教的な意義を持つ

事柄においては、わずかな意見の相違も極めて不敬なことです。

救い主は、私たちの解放を記念する日をただ一つだけ残されました。それは、ご自身の最も聖なる受難の日です。また、ご自身のカトリック教会が一つになることを望まれました。その教会の信徒たちは、

たとえ様々な場所に散らばっていたとしても、神の御心によって、

一つの霊によって守られています。皆さんの神聖な性格にふさわしい良識をもって、同じ日に断食を守りながら、別の人たちが祝祭を祝うこと、また復活祭の後、ある人たちが祝祭や喜びを祝う一方で、別の人たちが定められた断食を行うことが、いかに嘆かわしく不適切で

あるかを考えてみてください。だからこそ、皆さんもご存知のとおり神の摂理は、私たちが適切な是正措置を講じ、統一した慣行を確立するようにと指示されたのです。

そこでまず、主を殺した父殺しの民(ユダヤ人)とは何の共通点も

持たないように状況を変えることが望ましいと考えました。

第二に、西方、南方、北方のすべての教会、そして東方の一部の教会で守られている規則は、極めて適切です。したがって、現時点では、ローマ市、イタリア全土、アフリカ、エジプト全土、スペイン、

フランス、ブリテン、リビア、ギリシャ全土、そしてアジア、ポントス、キリキアの各教区で広く一致して守られている規則を、賢明な

あなた方にも喜んで受け入れていただくことが、私たち皆にとって

適切だと考えました。

この解決策をあなたが慎重に検討すれば、きっとご満足いただけると確信しました。特に、大多数の会衆が前述の地域に位置しているだけでなく、私たち皆が、常識が求めるもの、そしてユダヤ人の偽証とは一切関係のないものを共に求めるという、最も神聖な義務を負っていることを考慮したからです。

しかし、簡潔にまとめると、最も神聖な復活祭を同じ日に厳粛に執り行うことが合意によって決定されました。

これほど神聖で重大な事柄に相違があるのは、全くもって不適切で

あるのです。奇妙な誤りとは一切関係がなく、正しい道から逸脱することもないこの選択を採用することは、全く称賛に値します。」

――歴史家エウセビオスが口述したコンスタンティヌス大帝の『教会への手紙』より

 

コンスタンチヌスの発言に見られる、信じられないほどの反ユダヤ

主義に注目してください。コンスタンティヌスの発言は、虚偽で

あり、誤解を招きやすく、操作的で、政治的な動機に基づいています。

1)彼は、トラー=神の教えなど理解していない人なのです。異教徒。

ユダヤ人が「誤った計算」のために、1年に2回過越祭を祝う可能性があるという主張をしています。

復活祭と言っていますが、神の仰せには復活祭などありません!

「初穂の祝い日」があるのです。

その日にイエシュアは復活されたのです。

ユダヤ人が過越祭を祝う際に用いた計算方法は聖書に定められていました。神が伝える神の暦、記念日、祭りをコンスタンチヌスは丸で

理解していないことに、気がついてください。

したがって、もし人がこのように誤りを犯すとするのであれば、

それは神の言葉に対して、誤りを犯すことになります。

また、ヘブライの太陰太陽暦には十分な閏日が含まれていたため、

どのローマ暦でも、同じ年に2回過越祭が行われることは決してありませんでした。したがって、この非難は明らかに誤りです。

イエシュアが「別の方法」を示されたという主張を、コンスタンチヌスが勝手にしています。

 

2)イエシュアは父の教え=トラーの仰せに従い、福音書に記録されているように、宣教期間中に3回、弟子たちと共に過越祭を祝いました。

イエシュアは、ユダヤ人や異邦人が過越の祭を、代々永遠に祝う神

の記念日を放棄すべきだなどと、人に教えたことなどありません!

イエシュアの遺言を知っていますか?過越の晩餐の中で、毎年過越の祭りを祝うたびに、イエシュアのされた業の意味を、セーダルの儀式で教えられている出エジプト6:6−7、種無しパンと、購いの杯で

儀式をするたびに、皆で思い出して、イエシュアが戻られる日に

再び一緒に過越を祝う日を待望して、それをガードしてと言われた

意味は、コンスタンチヌスは全く理解していませんでした。

 

ローマ帝国皇帝のアプローチにおいて非常に興味深いのは、

彼がそもそも支持層に訴えかけている点なのです。

ローマ皇帝として、彼は絶対的な支配者であったのです。

彼の言葉は法であり、臣民〜市民に自分の言う通りに行動するよう

命じることができたのです。

しかし、彼は3世紀にわたる迫害がキリスト教の影響を鎮圧できなかったことを、巧みに見抜いていたのです。

そのため、この問題に関して国民に強圧するのではなく、むしろ国民に訴えかけたのです。ローマ帝国を復活させるために、コンスタンティヌスは、異邦人キリスト教徒の協力を必要としていました。

彼らがローマの愛国者になることは極めて重要でした。