福音書以降に記された内容が、最初のモーセの五書の教えとは違う
イエシュアが昇天し、モーセの五書が終了した。
モーセの五書とは違う、新しい教え、異邦人への新しい契約、異邦人だけの新しい群れ〜教会が出現。
聖霊が初めて人の内側に住む、信仰により義とされる時代になった。
これら上記にあるような様々な説〜仮説〜不真実な思想は、
全てローマ帝国皇帝の考えから出た神話、空想ファンタジーであり、聖書ではありません。
1世紀以降の皇帝の根底には、モーセの五書禁止!ユダヤ的なこと
全部禁止!ユダヤ人迫害、追放!又は奴隷とする、そのようなことを
し続けて来たのです。
聖書には、神が神の教えを変えた、終了したということなど、1つも記されてもいません。
クリスチャンが、勘違いしているのは、最初からローマ帝国皇帝の
教え、思想を刷り込まれ、神の言葉に対する敵対意識を植え付けられているのです。だから、律法という誤訳で、古い、悪い、廃れた!
と皆そう教えられているでしょう。それは、神の教えではなく、
神を本当は憎む、ローマ皇帝の思想なのです。偽教師の教え。
全ては、エデンの園からの継続であり、永遠に変化しない同じ創造主、神の家族はたった1つの群れだけ〜カハール。
神の国の聖なる民、天の国を相続する人たちの群れは1つ。
イスラエルと異邦人は両方で1つであることを、ありとあらゆること、神のミシュカンの中でも教えられているでしょう。
5つの布と5つの布、それで至聖所の幕が作られているのです。
そして、その布をつなぐ言葉は、家族用語なのです。
姉妹と姉妹を繋ぎ、友と友を繋ぐ。
イスラエルと、異邦人どちらが欠けても、神の家族〜一体の家族
シャロームには、なれないのです。
メノーラも7つの金の支柱であり、1つの金で作られているのです。
世界を照らし、世の光である神の家族は、7。イスラエルと異邦人。
エデンから出て、エデンに戻る。神の創造された通りの人の生き方
イエシュアが王の王、主の主、大祭司として、新しい時代、新しい
世界を統治される時代が始まるのです。
霊的ふわふわ、透明人間ではない。
私たちには新しい朽ちない体が与えられるとある通りです。
ローマ皇帝だけではなく、1世紀後半以降出てきたローマ帝国皇帝
達と同じ考えを持つ、ヘブライ聖書を知らない異教徒背景の人々、
西洋教父達が、神の言葉をなし崩しにする思想を、人々の間に放りこみ続けたのです。
しかもそれらは、パウロが警告していた偽教師、偽の教えそのものであり、人を神の語る永遠普遍の真理から人を、強制的に引き離しているものなのです。
その後、帝国の勅令によりローマ帝国下支配にある国々に住む全ての人は、ローマ帝国が作った神の教えを塗り替えた、太陽神信仰、
ミトラ教の教えをふんだんに取り入れた混ぜ物、不純物の新興宗教を強制的に実践させられて来たのです。
これを、クリスチャンは知らないまま、神が神の言葉、教えを変えたという偽解説を信じているのです。
その後何世紀にも渡り行われ続けた宗教会議に於いて、神の言葉を
塗り替える様々な教え〜聖書とは関係のない教えや、シンボル、
儀式が編み出され続けて行ったのです。
見ば分かるでしょう。全部太陽、異教の神々のシンボル、偶像満載、死者を祀り、結婚を禁じるルールを作り、死者のために祈り、神の
教えを捨てて、神の教えを廃れた律法と言い、神の教えを無視して
良いと教えられ続けているetc etc etc。
そして、聖書とは違う記念日や儀式を、神のオリジナル作り替えて
実践している。
これは、聖書に照らし合わせれば、神に対しての違反〜冒涜、罪で
あり、聖書とは何も関係のない人間が勝手に作った教えのオンパレードなのです。それが、今に至るまで継承され続けているのです。
人間が神のデザインした記念日、教え、そして人間の生き方の定義を
変えてしまっているから、何が本当なのか、聖書を読んでいるクリスチャンでも、気がつけないままいるのです。
それは、聖書を読んで書かれている事を、人間の教えに変換して
今は関係ない教え、今は別の記念日などと、聖書に書いてないことを
人間の教えの変換で読み続けているから、書いてあるのに、目の前に
書いてあるのに、真実が見えない幕がかけられているのです、
今も人間が考えた思想をずっと編み出し続けているのです。
人間が作った宗教の実践をしているという事実に、気がつく人
気が付かない人がいるだけです。
そして、ローマ教が主張するように、教皇が全ての民族の上に立ち
神の言葉を解釈、変える権限があると言っていますが、人間は神の
創造も、神の言葉を塗り替える権限も、力も何も与えられていないし持ってもいません。
人間が勝手に言って、神に敵対することをしているだけです。
その行為が、罪であると気がつけない。罪とは、神の教えに対する
違反を罪というのです。神の教えが消えたら、罪の基準は当然なくなりますから、無法になるのです。
神の言葉を変えること、それを無法、背信、背教と、神が警告しているのに、それをやり続けているのです。
しかも、人間が勝手に、これ、それ、あれは終了!という自分の都合考えで全部決めているだけなのです。
そして、聖なる父という、神の名〜タイトルを人間がちょっかり
使用しているのです。
聖書を誤解している理由は、このように人間が作った教えなのに
それが神の教えだと教え込まれ続けて来ているから、勘違いしているのです。そして十何世紀にも渡り、異邦人クリスチャンにより実践されて来たから、それが純粋、本物だと疑いもなく信じているのです。
そして、聖書を正しく教えられていない、学んでいない、それの
連続。正しく聖書を教えられる教育が、抜けているのです。
聖書ではなく、人造宗教の教え、教理、神学を教えられている。
その代わりに、ローマ帝国が作った宗教の教え、人間が編み出した
神学を、聖書を利用して学んでいる、それは結局人間の思想を学び、
オリジナル聖書に書かれた通りのことを、教えられていない。
人間の神学、学問には熟知して長けていても、それは、科学者が
進化論説の学問、解説を熱心に学び、偽物、仮説の学説に長けているだけで、真実を学んでなどいのと同じ事なのです。
真実ではないこと、マンデラ効果でクリスチャンが信じている。
聖書に何が書かれているのか、それが正しく把握できていないから
書いてある意味を、自由自在に自分の文化、自分の言語=翻訳
そして、宗教の教え、伝統に照らし合わせて空想しているのです。
プラス、1世紀当時の、パウロ達が生きていた時代のその時代の
宗教事情。それは、異教の神々の教えや、人間の哲学、神秘主義
グノーシス主義、禁欲主義が警告されています。
コロサイ 2:16 だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。
2:17 これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある。
この箇所、クリスチャンの間では、完全に誤解されている箇所の代表で、何度も書いていますが、飲み物〜食べ物とあるのは、レビ記11章にある神の食規定を守り生きること、そしてレビ記23章にある
神のモアデイムに関して、パウロが言っている箇所です。
神の教えを守ることが悪いことなどと、クリスチャンは教えられ、
そう言っているでしょう。
神の言葉を守らない、違反する、それは神に対する罪を犯すという
基本的理解がまるでないからです。
しかも、食規定、神のモアデイムは、神の聖別の定義のダントツ2つ
であり、人の生き方を教えている根本なのです。
エデンの園と同じ。人は神が言われた通りを生きる!それが理解できない人が、神の言葉を自由自在に手を加え、神の教えとは違う勝手な教え=神の教えを潰す、覆す教えをし続けているのです。
ここに書かれているのは、この後の解説で分かる通り、禁欲主義者が
あれこれ、食べてはダメ!これは、神の食規定のことではなく、
神が与えている人のために食せる動物の肉でも食べるな、断食せよ、野菜だけ食べよ!と、神の教えではないことを言う人たちの教えの
ことなのです。
そして、神のモアデイム〜レビ記23章の祝い方を、ある人たちが
考えるやり方でなくてはならないという、人間の考えを押し付ける事、そんな事は聞かなくても良いと、パウロが言っているのです。
神の記念日、モアデイムを生きるな!又は、神のモアデイを生きないことを批判するなかれ!などというならば、それはその場で即座に
偽教師と認定されます!
これは、口伝律法でも分かる通り、手洗いの儀式や、改宗儀式など
福音書、使徒行伝、パウロの手紙にも登場する内容ですが、誰かの
編み出したことをやらないとならないと、強要されることへ、それらを聞いてその通りにする必要はない。彼らのやり方ではないとならないと言われる筋合いはない!と、パウロは言っているのです。
その理由は、それらのモアデイムは、シャバット、新月、祭りで
表される目に見る形で祝うものの本体=実態はメシア、キリストを
教えているものだからです。実態通りを祝えば良い。
それらの祭り、記念日を通して、神の教える福音を理解していることが大事なことであると、パウロは言っているのです。
このようなことをパウロがコロサイで言っているのは、ローマや
ガラテヤ、コリントでも同様に、偽物の教えが蔓延っていたからです。それが次で解説されているでしょう。どんな教えですか?
2:23 これらのことは、ひとりよがりの礼拝とわざとらしい謙そんと、からだの苦行とをともなうので、知恵のあるしわざらしく見えるが、実は、ほしいままな肉欲を防ぐのに、なんの役にも立つものではない。
はっきりパウロが言っているでしょう。人間の規定と!!!
神の教え、トラーを指して言っていると、早合点して読んでいるのす。辻褄合わないでしょう。神の言葉に敵対する意識〜律法は廃れたなどという、嘘偽情報を信じて刷り込まれているから、パウロが
語る意味など全く通じもせず、しかも、この群れの中にあった問題は
何のなのか、文章を読めば、文脈内容からはっきり、人間の教え
人間の規定であり、神の教えなどではないことは、分かるのです。
口伝律法のように、又は律法主義〜このような直接的な言葉は
聖書にない用語ですが、神の教え生きることを、この上にあるように苦行、修行のごとくやっているなら、それもズレた生き方です。
神は、神の創造された人の生き方を教えているのです。神のもの
神の家族にされた人は、肉のままの以前の自分ではない、エデンの園〜神の中=喜びの園、神ご自身の中に植えられた人は、
神の創造された性質通りを生きることを、神のトラーから教えられて
1つず再学習する、それが地上の旅路なのです。それを、クリスチャンの教えでは、信じたら神の教えは生きなくてよい!という無法
背信、背教そのもののを教えられ続け、自分の気に入ること、納得すること、自分の都合で神の言葉を自由自在に仕分けているのです。
いや、ローマ帝国の宗教を生きるように教えられている。
もし、パウロが、神の教え=トラー=モーセの五書を否定する教えを人にしているなら、こういう人になります。
2コリント11:13 こういう人々はにせ使徒、人をだます働き人であって、キリストの使徒に擬装しているにすぎないからである。
11:14 しかし、驚くには及ばない。サタンも光の天使に擬装するのだから。
11:15 だから、たといサタンの手下どもが、義の奉仕者のように擬装したとしても、不思議ではない。彼らの最期は、そのしわざに合ったものとなろう。
パウロが、神の教え=トラーとは違うことを教える偽教師の警告をしているのに、どうして使徒であるパウロがみずから率先して
神の教えに反する教え、モアデイム〜記念日は、いつでも良い
神の食規定は消えたから、なんでも自由に食べよい、神の教えを生きなくて良いなどという、イエシュアも警告した無法=トラー無しを人に教えるのですか?全部辻褄合わない聖書解説をしているのは、
聖書ではなく、人間が作った宗教、神学〜神の言葉、教えは廃れた!
という嘘を信じて、聖書に書いてもないことを、信じてそれが
神の新しい時代の教えだ!などと、勘違いしているからです。
常にそこに戻るのです。
今の時代は、教皇が主張するように、神の教え、言葉を捨てて
背信、背教の世界が奨励されています。
そしてそれらの肉の教えに人は惹かれ、信奉しているのです。
神の言葉は廃れた!今は人間が自由に神の言葉を選べる!
今はいつでも安息日、いや日曜日が安息日。
神のシャバット、新月、過越、仮庵の祭りも終了!
その代わりに、クリスマス、イースターを祝うのが本物だ!?
こんなことを教えられ、そして、果てはLGBTはサポートしよう!
同性婚を祝福します!と教皇が宣言したでしょう。
これは、イエシュアの名を使った偽物の教えであることを、聖書から
気が付かないとならないのです。