1世紀以降からずっと存在し、継続され、中世に至る迄、ローマ帝国の勅令〜神の言葉=トラーを禁じる!実践するな!という勅令は
存在し続けました。今も現役で、その思想は、西洋宗教を信じる人の間で継続され続けています。
その思想は、ローマ帝国と一体化されたカトリック教の教理も同様でした。
その教理、ローマ帝国の勅令とは、皇帝の勅令〜モーセの五書を禁じる!ユダヤ的全てを実践することを禁じる!割礼、シャバット、祭りを禁じる!!!処刑、投獄、重税で、人々を弾圧したのです。
その代わり、聖書とは違う、彼らの土着宗教、ミトラ教=太陽神の
教え、シンボル、儀式、記念日を代わりにすり替えて、作り変えたのが、人造宗教、ローマ教です。ユニバーサル教。
人間がその宗教のトップに立ち、全世界の民族の上に、神同等の権威があるという主張です。しかも、それは腐敗そのものと化しているのに、一般の人は、何も思わないのか。。。盲目的に人間が作った宗教を崇拝し続けているのです。神の言葉、教えを退けて。
人間が、神のように振る舞い、聖なる父という、神に属する名で
呼ばれ、「平和あれ!」と高いところから、メシアの如く人々に語り、人々が熱狂する姿。。。。。。
古代1世紀以降、政治的理由、恐怖政治と、処刑という勅令を突きつけられて、異邦人は、神の教え=トラーを捨てて、ローマ帝国の勅令に流れたのです。
だから、今も1世紀、聖書に書いてある人々が生きたトラー、
イエシュアが教えた、トラーやシャバットや記念日を捨てて、
聖書に書いてもない、人間の教え=神の教えは廃れた!と主張し
聖書に書いてもない、ローマ帝国、人間が4世紀に作った宗教の教えや、記念日をクリスチャンが祝っていることに気がついていない。
それが神の教えだと疑いもなく信じている。それらは、神の教え、
聖書ではない!人間由来であると、どの位の人が、聖霊=神の言葉により気がついているのでしょうか。
神が神の言葉を変えて、新しい教えを、昇天以降皆が生きるようなったという、聖書に反する大嘘を捨ててください。歴史の中で、神に
敵対するものが、ずっとずっと神の教えを生きることを阻止してきたのです。神に敵対するもの〜サタンなのです。
神の国の生き方を地上で実践されたら困るからです。
目に見えない神が、地上で神のトラーを生きる人を通して、現れ出てしまっては困るからです。
この思想は、神に敵対するものが主張する思想であり、同時に反ユダヤ思想と一枚岩なのです。
神の教えを排除、毛嫌い、ユダ族メシアを毛嫌い、退け、そして
イエシュアの特徴である全て=トラーを排除する!ということに
繋がっているのです。666、神に敵対するものは、何も今だけではない、エデンの園からずっとそれが続いているでしょう。
その他諸々、聖なる民が、神により禁じられている罪を、強制的に
やるようにされてきた、それが今に至っているのです。
聖別〜神の民である生き方を、腐敗させる生き方をさせられている。
イエシュアの教えを捨て、シャバット祭りを捨て、けがれた動物を
食し、異教徒と同じように汚れた、生活スタイルを続けている。
世界の中、人々の中で、神を汚している!ということに、気がついていないのです。
神は神の名〜実態、評判、名誉のために、神の教えとは異なる汚れた生き方、聖別を汚した人々により汚されたご自分の実態、偽物の教えが嘘であると、神ご自身が証明されると預言されているのです!
エゼキエル36:23 わたしは諸国民の中で汚されたもの、すなわち、あなたがたが彼らの中で汚した、わが大いなる名の聖なることを示す。わたしがあなたがたによって、彼らの目の前に、わたしの聖なることを示す時、諸国民はわたしが主であることを悟ると、主なる神は言われる。
神は人間ではないのです。神が定義する「聖別」聖という意味は
人間が再定義できるものではないのです。人間は神の教えのどの箇所も、神が伝えたこととは、違う意味で再定義しても、それは人間由来であり、不正確であり、神が伝えるものとは全く異なるのです。
創造主が、どれほど人の間に住まうことを願って、そして聖なる神が人の間に住まうとは、神が聖であるように、人も聖であれと伝えているその意味が通じずていません。人が聖別を破り、汚す状態では
神はそのまま留まれない、神の栄光はその人の中から現れ出てこないということになるからです。
神が伝える聖別を、人がことごとく破壊し、勝手に再定義して、人間が決めた違う聖別の定義で神に近づこうとしているのですが、神は
それをどれほど拒絶すると言われているのか、創世記から、黙示録の中で、至る所で人に伝えています。神の教えは変わらないからです。
神は人が神が伝える聖別をガードしないなら、そのきよくない、
汚れた状態の中にはすまえない!と教えているのに、その意味が通じていないのです。
これと同じです。外国人が外から来て、日本のしきたりを知らないまま、日本の家の畳に泥靴で上がるのと同じことをしているのです。
又は湯船に石鹸のついたタオルを入れて、浴槽で体を洗うなど。
異教徒には通じない。神の家にはそのまま〜きよくないまま、聖別を汚す行為をしながら、上がれないことを教えているのです。
神の家には、神の家のしきたりがある。それを異邦人が理解していないだけで、自分の生まれ育った異教徒文化に馴染み、何が神の民の生き方なのかを、神の教えから知らないままだから、無感覚なのです。
聖別の定義は、人が考えるように小難しいものではないのです。
神が伝えるシンプルなこと、神が創造された人間〜神の性質通りに
造られた人は、〜〜を生きるように造られていて、〜〜〜を生きるように造られていないと、神が教えているのです。むずかしくない!
人は神の性質通り、造られている通りに生きて、人の生き方ではないことは、神の造られた人の性質とは違うと教えているだけなのに、
それをエデンの園からずっと違反しているのです。
簡単でしょう。食べてはだめ!これはあなたの食べものではない!
と言われた、そんな難しいですか?反発感じますか?なんでも良いよ
と言ってくれる神の方が良い〜!その思考回路は、神の考えを理解できない遠く離れた場所、周波数がズレた場所にいる証拠です。
神が食べてはダメというものは、神の聖別を汚す行為であり、隔たりを造り、死、別離、分断、壁を生み出したことを理解しないとなりません。神が伝えることを、人間が無視している、無視して良いと考える、これは、完全に神の中から飛び出した状態なのです。
神の言葉、声が届かない場所。神の教えの下ではなく、人間の宗教の囲いの中で人間が作った混ぜ物の教えを聞いて生きているからです。
クリスチャンの中で教えられているのは、昇天以降は神の教えが変わったので、神の教えは消えた!という、トンデモない危険な思想=
人間由来の嘘=思想を信じているのです。聖書のどこにも書いていない教え〜人間由来、人間が神の言葉を勝手に再定義している冒涜を
信じているのです。
しかも、福音書以降に記されていることは、トラーの短い抜粋、解説しか書かれていないことに、全く気がついていないのです。
福音書以降の役割は、聖書の最後の後書であり、モーセの五書を塗り替える別の教えの解説などではありません。契約は1つ、神の教えは1つ、救いの方法〜神のもとに戻る方法も1つ、贖い=子羊の血の代価も1つ、どの時代も、どの人種にも同じ1つの方法。そして同じ1つのイスラエルの神の大家族に加えられ、同じ神の家訓を生きる!
人間は物事をいつも複雑にし、神の教えを否定し、自分の考えを全面に押し出し、神の言葉を退け、自己主張し、別物の教え=自分の考えを混ぜ、自分が考えた宗教の儀式や記念日を編み出して、神が造られたものを、ことごとく否定し、別物〜金の子牛で自己満足勝手なやり方〜神が言われたこととは、違う神への近づき方をしていることに、違和感わかないのか。その方が不思議です。
異邦人は、神が伝える教え、聖別の定義をことごとく塗り変えています。そして、人間が勝手に神の言葉を、言い換えているのです。
聖書というテキストを使いながら、人間の作った宗教の教え、
神学、教理、思想を通して、聖書を部分的に利用して、語っているだけです。
神の言葉のどの1点、1画でも、人間が変える、手を加える、捨てる
神の教え、言葉を人間が再定義し、神の言葉、教えとは違うことを
言い続けている、その行為は、神の前に申し開きできない、死に匹敵する冒涜、罪であるということに神の言葉から全く気がついていないから、そのようなことを平気で言い続けられ、教え続け、やり続けられるのです。それが正義!恵!新しい時代の義!などと、勘違いして、人に偽情報〜偽のイスラエルの神像を伝え続けているのです。
神の言葉、教えが破棄され、塗り替えられ人間が神の教えとは違う
宗教を神ではなく、人間〜ローマ皇帝〜帝国が作り出したことを、
クリスチャンは知らない、教えられていないからなのです。
神が神の教えを変えた!という大嘘を刷り込まれ続けて、その人間が
作った嘘の教えを信じて、神の言葉で証明されている、神の言葉は
永遠に固く立つ、捨たれない、変化しない!という神の宣言の方を
クリスチャンは真っ向から人間の教えで退けて、部分的にだけ、
神の言葉を取り入れて信じているのです。
部分的!神の教えの他は捨てている。終了した教えと人間が言っている嘘を本当だと、聖書に書いてもないこと〜宗教が編み出した伝統の教えに固執し信じているからです。
以下全て、聖書とは異なる、人が神の言葉を再定義した、人間が
作った宗教〜ローマ教から出た教えであり、神の言葉に真っ向から
反する人間の編み出した思想です。
キリストが、父の教え=モーセの五書=トラーを破棄して、
別の教え〜新しい宗教〜教えを教えたという偽情報を信じている
人の間では、このように語られ、信じられていると思います。
それぞれ、違いはあれど、元は同じ思想〜神の言葉終了ありき!
とローマ帝国が決めた勅令を元に作られた宗教の教えを信じているのです。すごい騙しです。しかも1世紀以降から今に至るまで、
人間が言った教えで、神の言葉を塗り替えてきているのです。
最近では、中途半端な戻り方があります。今迄キリスト教で見聞きしてきたのは、実は聖書ではなく、由来は異教神〜異教の神々の教えや祭りを入れた宗教文化の伝統〜その教え、だから、日曜礼拝や、
階級システムや、クリスマスやイースターは聖書にない、人間の教えだと、発見する大勢の人がいます。
それが、人間由来の教えだと気がついても、神の言葉がある部分廃れたとか、これは今の時代に関係ないとか、結局、勝手に神の言葉を
人間が定義しなおしていることをしているのです。
それらも同様に人間の考えで神の言葉を定義しているだけで、
聖書とは全く異なる異物の教えなのです。
ユダヤ人が、クリスチャンの聖書解釈を聞くと、本当にフォーリン
この言葉、訳せませんが外国という言葉ですが、異物、別もの、
聖書ではない、別世界の教えを語っていると言います。
ヘブライ聖書に記されたこととは違う!異物、別物、別の教えの解説という意味です。
つまり、ローマ化けした教えです。歌舞伎がフラダンスに、
寿司が、ハンバーグ巻きになるように、全く異物、関係のない、
元の聖書に書かれた意味、思索とは全く異物の聖書解説のオンパレードなのです。
元が何か分からないほど、人間により変えられている神の言葉。
でも、それは西洋宗教、デイスペンセーション神学に頭脳を占拠された人には、何が聖書に書かれているのかも識別できないのです。
オリジナルに書かれた本物の神の言葉だけに戻り、今まで学んだ偽情報を全部削除、リセットし、神が伝える永遠の真理真実=神の言葉を1つ1つ丁寧に繋げ、偽物情報を1つ1つ全部頭脳、思考回路から、排除す続けない限り、結局偽情報まみれの、ある部分本当でも本質、内容が違う聖書解説にとどまってしまうのです。
家を破壊、朽ちさせるシロアリを見つけても、白蟻の巣〜大元=巣=人間が作った宗教の思想=ローマ帝国の勅令=トラーを禁じる!と
いう思想を土台にローマ教が造られたという事実に辿りつき、
それが神の言葉を曲げている元凶である事実をはっきり突き止めない
限り、砂の土台の上に建物を建て続ける、神の前に無意味な行為がやみません。
偽物の教え、神の言葉を否定する教えは、偽物の教えでその教えこそを、根こそぎ一層して神の言葉だけに100%戻る!ということ
迄に 辿りつかない場合、結局中途半端に、偽物=人間の教えを取り込み、混ざり物の教えに留まって、半分本当、半分嘘、又は割と
ヘブライ的色ある教えを部分的に取り入れているだけで、結局人造
宗教、変化球の教えの解説に留まってしまっているのです。
次に何が一般的にクリスチャンの間で教えられている、聖書とは
全く関係ない、聖書に根拠のない人間が発想した思想であるか
書いてみます。
続く