シャバットは神が創造主である宣言 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神がこの世界を創造されたことは、聖書の最初に記されています。 

 

 אֹת֑וֹ וַיְקַדֵּ֖שׁ הַשְּׁבִיעִ֔י י֣וֹם  אֶת־  אֱלֹהִים֙  וַיְבָ֤רֶךְ

ヴァヤヴァレフ エロヒィム エト ヨム ハショビイ ヴァヤカデシュ  オトウ

 

לַעֲשֽׂוֹת אֱלֹהִ֖ים בָּרָ֥א אֲשֶׁר־ מְלַאכְתּ֔וֹ מִכָּל־ שָׁבַת֙ ב֤וֹ כִּ֣י

キイ ボウ シャバット ミコル ムラフトウ アシェル バラ 

エロヒィム ラア ソウト

 

 

ヴァヤヴァレフ=そして祝福し エロヒム=神 エト ヨム=日 

ハショビイ=第7日 ヴァヤカデシュ=そして祝福し オトウ=それ

 

キイ=なぜなら ボウ=その中で、シャバット=止まる ミコル=全て ムラフトウ=業、仕事 アシェル=それら バラ=創造 エロヒム=神(複数形)ラアソウト 造られた。

 

ヘブライ語は右から左に読みますが、これは左から右へ書きました。

 

神が創造された世界、神の意図通りのデザインそっくりそのままが、物理的に地上に

現れ出ました。6日の間で、神はこの世界の全てを創造された事実が

記されています。神は、目に見えない「時」も創造されました。

夕あり、朝あり。

そして、目に見えない時、天の万象〜月星太陽は、神のモアデイム〜アポイントメントの日を司るために造られたと書いてあります。

季節と訳されていますが、それらは、神のアポイントメントの日。

神が神の子らを、呼び出している日です。

人間が作った記念日は、人間由来で、その日に神は神の子らを呼び出していない事実を知ってください。

 

そして、それらは、神の暦、時の創造を知らせているものです。

最初から、神は神がこの世界の全てを創造された宣言をしています。

そして、神が発した「ことば」により、全てが創造されたことが書かれています。

光と闇があり、これを神が分けているでしょう。区別している。

いつでも安息日という、異邦人の勝手な主張は、この神の創造の

デザインに真っ向から反している非聖書的宣言です。

神は、聖別〜神の創造された全てを、神の目的通りにはっきりと

分けているからです。

週の7日の第7日目だけを、神は聖別し、祝福し、特別な名をつけています。他の日は普通の日=労働日です。日曜日も労働日、止まり休む日ではない労働の最初の第一日目という、数字で呼ばれる、神が聖別された日ではありません。

そして、神は何度も何度も、どれほど神の記念日、シャバットや祭りが神にとり、だから人に重要であるかを教えています。

シャバットが、代表として書かれているのは、神の記念日は、シャバットを中心に創造されているからです。

福音の中心、イエシュアの業、修復の業、この生き方に戻る!

神の備えた全ての中だけに留まり、人は生きるように造られていることに戻ることを教えているのです。

 

人間が勝手に神の伝える永遠の事実を、再定義しているのが、ローマ教の教えです。ローマ帝国が作り変えた安息日=日曜日は、永遠に神が聖別された日ではない。主の日でもない。神はその日に人を呼び出してもいません!神のアポイントメントの日ではない日は、人間の理由や都合で集っているだけで、それは聖日ではない。

あれあるでしょう。オーガニックではないのに、オーガニックと書く。それは違法でしょう。不正表記。それと同じことを、宗教の教えはやっているのです。神が言ってもないことを、言った言ったと言い続けているのです。それは偽情報であり、真実ではなく人に、偽情報をすり込んで

嘘を本当だと思わせているのです。だから、何が本当なのか分からなくなっているのです。

いつでも、安息日ならば、それは神が創造された性質をなし崩しにする意味のない解説なのです。神が伝える真実ではなくて、人間が作った嘘の教えを主張している。区別がない、境界線がない、夜も昼もない、全てが休日であり、労働日はない?

神が伝えている人間の生き方、暦とは、反することを、人間が解説しているのです。昇天の日がいつであろうと、シャバットは第7日目であり、

神が創造された新月と祭りは、聖書の暦の月の第一日目=新月、

第一の月の15日過ぎ越し、種無しパンの7日祭り、その真ん中が

初穂=イエシュアが復活された日、その時から7週目が、シャヴオーとの祭り、第七の月の1=ショーファーを吹く日、10=大贖罪日 15〜22=仮庵の祭り 23日は第8日の記念日と、神が定めている日があるのです。 

これを、人間が塗り替えて、ローマ帝国の日、太陽神の日、

異教の神々、女神の祭りとすり替えたのです。

神が言われた通りを、人間が聞かない、無視して、自分の考え〜手で

編み出した偶像〜別物の教えの定義〜金の子牛でイスラエルの神を

拝む、高きところの礼拝。異教の神々のシンボル、教え、儀式を取り入れた、異物を通して、イスラエルの神に近づき、礼拝する。

 

神が創造された世界を、人間が再定義して別物の如く語り続けて、生きる。

LGBTもOk、神の記念日シャバットは、昇天以降はいつでも良い、

神のシャバットや記念日は律法主義なのでもう祝うな!

それらローマ帝国の勅令、教理なのに、神が言ったと主張している。神が言ってはいないことを、人間が勝手に神に成り代わり神が言った、言ったと神の言葉と創造を再定義し直しているだけです

 

第7日目は、神が全てを創造され、神だけが全てを完成し、そして

神だけが神の創造された世界を定義できるのです。人間はできない。

神が伝える事と違うことを、人間が主張しているけれど、それは

神の前には何も意味がない、嘘、偽情報なのです。

全ての創造物は、神の創造されたデザイン通りを生きるという

神の宣言です。そして、この第7日目に止まる!シャバットするという

宣言は、神が神であること、全ての他の被造物は認めて、神に造られたものであり、神がこの世界の全ての創造主、所有者、主権者であるという

宣言でもあるのです。これを塗り替えたのが、サタンなのです。

 

人間がいくら、人間の主張で、神の言葉を塗り替え、神の創造の

性質を再定義して変えても、神の中では何も変わっていません。

神の言葉を無視、捨てる人達が、神の言葉に逆らい、別物をやって

いるだけであり、それらは神の目には何の価値もないものなのです。

それは、神の創造されたものではなく、イスラエルの神に属するものではないから、関係ないのです。

 

神を神と認める行動は何ですか?神を神として崇める、敬意を払う、

愛するとは、何をもってそれを神に示しますと神が言われていますか?

神の言われることを、その通りに聞いて、受け止め、神が言う通りに生きることだと神が人に教えています。

神の言葉を退け、神の教えや記念日ではない、人間の作った教えや

人間の作った記念日を生きる行動は、神に対して知らないまま、

神を退け、神の権威を認めないという主張を、行動で、言動で、態度で表している、この冒涜にはっきり気がついた方が良いです。

 

神が言われることを、神が伝えた通りを真摯に受け止め、神が言われた通りをする。それが神に対する神が伝える本当の愛〜行動で示す、神の言われた通りを尊重して生きる、それが愛であると伝えています。

神は人間が勝手に編み出した、偽物を姦淫の罪と言って、極度の

拒絶感と嫌悪感を表すヘブライ語の言葉で、「忌み嫌う」吐き出そうと言っているのです。

どうして、神が言われることをするのが嫌で、神がするな!忌み嫌う

偽物、混ぜ物をしないで!するな!と言われる言葉を退けてする!

人間が編み出した伝統の教え=偽物〜人造宗教の教えに固執するのでしょうか?

よく考えてみてください。コロサイ2:14で前回解説した、まだ

その後に続きの解説を載せていませんが、もし、神の言葉が十字架に

釘付けにされて消えたと言うならば、それは何を意味していると思いますか?

神の教えは1つしかありません。古いも新しいも変化するというものはない。それが、トラー=父の教え=婚姻契約=モーセの五書です。

それが神の教えの完全版で、それは人間が手をつけてはならない、

神の領域、天に属するものです。

神の言葉〜トラーを釘付けにしたという意味は、神の教えの全部が

消えましたと言っていることに、気が付かないとなりません。

なぜなら、トラー以外の聖書=神の教え、言葉、契約はないからです。

人が死んだら、その人は、右手、左足だけ死んだなんてありえないでしょう?全部が死にます。

クリスチャンの世界で語られているのは、聖書ではなくて、人間の思想がふんだんに混じっている、ローマ帝国が4世紀に作った宗教の教えなのです。神の純粋な教え100%ではない。別物が入り混じる、

混ぜ物、偽造の教えです。ユダヤ教と同じく、キリスト教にも、口伝律法〜人間の教えの言い伝え、神の教えではないものが、しかも神の教えに反する、真っ向から敵対し、違反する教えがふんだんに盛り込まれているのです。土台そのものが、神の教えが死んだ〜トラーは消えた!

という人間が作り変え教えを、信仰の土台にしているからです。

神の律法=ノモス=トラー=教えが釘付けにされたら、全部消えます。そうしたら、その中に記されている福音の全ても消えます。

イエシュアも、救い、贖い、赦し、恵、祝福も全部消えます!

と言っていることに気がついていますか?

しかも、2テモテ2:15をデイスペンセーション神学=ダービー教の思想は、人間が神の言葉を勝手に仕分けてよいと書いてあると言っています。神に真っ向から敵対する思想。

rightly dividing the word of truth~神の言葉の真理を正しく仕分ける?

これって、カトリックの教皇の宣言と全く同じことを、ダービーが

言っています。神の教えを、人間が時代ごとに合わせた教えに変化させて良い!

時代に合わない古い教えは捨ていいよ〜〜〜〜!蛇の声。

人間が神になり代わり、神の主権を奪い、好き勝手言いたい放題、

やりたい放題。

これ、完全に異端の思想、偽教師の教えであることを、聖書から

しっかり理解、把握しないとなりません。

世の終わりには、もうそれは既に以前から、パウロがいた1世紀の

時代から、偽教師、偽預言者、偽の教えは後を絶たないからです。

 

光のように神の言葉を真似ても、それらは嘘!聖書=神の教えをどの箇所でも否定する教えをする人は偽教師であり、偽の教え、別物の

教えが混ざったものを人に伝えていることに、教えている人が全く気がつかず、人間の教えを神の教えのごとに崇めて、人に偽情報を伝えてしまっているからです。

サタンは巧みです。

新しい契約?新約聖書?それが新しい神の教え?

福音書以降には、モーセの五書を塗り替えるような別物の教えや、

モーセの五書を破棄、否定するような教えは1つも書かれていないということに、クリスチャンは全く気がついていません。

その理由は、1)聖書の最初部分を正しく知らない 学んでいない

理解していない  2)ローマ帝国の勅令〜モーセの五書、トラーを生きるのを禁じる!ユダヤ的要素の全てを禁じる!神の記念日、

シャバット、新月、祭りを祝う事を禁じる!これらは、1世紀から

ローマ帝国の勅令、法律となり、それを破る人は、重税、処刑、投獄という刑罰を課せられたことを、全く知らないからです。

そして、そのローマ帝国の宗教の思想を、様々に人間が編み出した思想、置換神学や、デイスペンセーション神学で聖書を曲げて塗り替える解説をしているからです。

神が神の教えを変えたという、嘘を信じて、それが神の教えだと

聖書のどこにも記されていないこと、聖書に根拠のない人間の空想

話、教理を信じているのです。

 

今でも分かるではないのでしょうか?それらの教理が、カトリックの質疑応答や経典に書かれているのです。人間が神の言葉を変えたこと!そして、何世紀にも渡る宗教会議に於いて、人間が神の言葉を

塗り替える教理を作り続けて来た、今も同じことを主張し、やり続けているではないですか。

カトリックがシャバットを日曜日に変えましたと、経典に書いてありそれを堂々と公に発表しているでしょう。

Youtubeでも見れます。司教が、カトリックがシャバットや記念日を変えたと、経典に書かれていますと主張しています。

そして、もし誰でも聖書に、日曜日に安息日が変更と書かれている証拠があるというなら、教えてください、賞金に1000ドル差し上げますと言っています。そんなことは、聖書に書いてないからです。

クリスチャンは一体誰の教えを信奉し、何の神を信じているのでしょうか?ローマ帝国教の神?それとも、聖書に記されたイスラエルの神ですか?

人間の作った宗教の教えの伝統、慣わし、記念日が神の教え、新しい教えだと、錯覚、集団催眠にかかった状態なのです。

そして、神は、神の教えや記念日は、なんでも良い、いつでもなどと

言っていません。

神のモアデイム〜アポイントメントの日は、命に匹敵するもであり、厳重に神が言われた通りにガードせよ!それらは、聖別〜神が意図した目的通りに取り分けて保存しそれを生きて!と教えているのに、

その神の言葉は全く耳に響かないまま、人間が作った、人間の手で

編み出した金の子牛〜別ものでイスラエル神に近づき、礼拝していることにさえ全く気がついていないのです。

人間は神が定義する教え、定義する聖別を言えません!神しか言えない。

神はそれらを、姦淫の罪と言っているでしょう。そして神の教えと神の記念日を捨てること「世界の民族の間で、あなたにより、わたしは汚されている」と言っているでしょう。

神の伝えることを毛嫌いするように仕向けているのは、蛇です。

神の敵対するものです。ダニエル2:21, 7:25,11:28, 11: 36-38 12:7 黙示録14:12、13:5-112テサロニケ2:4、1テモテ4:1-3

 

律法〜神の教えに戻るのか〜!と言うのは、人間!ローマ帝国、皇帝、教皇、司祭、宗教会議で決められた神の言葉を塗りつぶしている教えがそれを主張しているのであり、神ではありません。

神は、神の伝える生き方=〜トラーに戻れ!とずっとずっと人に

語りかけています。それが、命につながる秘訣だからです。

 

エデンの園の前に立っていたチャラビム、炎の剣は、シグナルです。

ここに戻れ!命の木に通じるのは、神の言葉だからです。

神=言葉=命の源。

神の言葉の上に同じケラビムが向き合い乗っていて、その中から

神が語られる、神があなたと会おうと言った、それは神の言葉

命の源からあなたに語りかけると教えているではないですか。

それを捨てよ!というのが、蛇。エデンの園から存在する、神に敵対する、人を破壊しようとしている本当の敵、闇なのです。

 

続く