調べれば調べるほど、人間〜ローマ帝国〜神に敵対するものたちが
神の言葉を曲げ続けて、異教の神々の教えの異物をふんだんに取り入れ続けて、作った存在してはならなかった偽物〜人間の手で作った混ぜ物の宗教。
仏教、ヒンズー、マズラムその他、はっきり異教の神々〜冷たい!
なら分かりやすい。
熱い〜純粋な神の教えに留まる!分かりやすい。
混ぜ物〜神の教え、言葉に別物の神々の教えを混ぜて作った宗教
生ぬるい〜見分けがつかない。見かけが似てるけど、本質中身が
違う!吐き出そうと言われた理由がはっきりしています。
人間の作った偽物の教え〜紛い物〜人を騙す〜イスラエルの神の教えかな?と騙されるからです。
純粋なオリジナルの神の教え〜福音とは異なる別物の教え〜
人間ローマ帝国が作った宗教に神の教えに変身させて行った事が
分かります。
この歴史の事実は、クリスチャンの間では、ほぼ一切教えられていないし、話題にも上らない、問題視されてもいない、もちろん語られてもいない、考えにも浮かばないでしょう。
純粋な神の教えを聞いて信じていると思い込み、まさか人間が神の
言葉を勝手に変えて作った人造宗教の教理、教えを聞かされている、別ものをやらされているとも夢にもつゆにも考えないと思います。
別物と気がつけない?聖書には、カトリックやプロテスタントが
言っている教えや、記念日など書いてないでしょう!
ぜひ、聖書に書いてある事、実際にやっている、信じていることが
違うと言う事、神の教えが廃れたという神の言葉とは真逆な人間の
言っている大嘘に聖書から気がついてください。
聖書に記された事を、人間が曲げて来た事、神は神の言葉を神が伝えている通りに変えていない事を、聖書の事実から、歴史の中で人間が
犯して来た神に敵対する行為がずっと行われている事を知ったら、
嘘を言い続ける事に、極度の違和感を覚えるのです。
そして、神はまがいもの、偽物を極度に拒絶、忌み嫌っているのです。妬む神とあるでしょう。神の子らが神の教えではなく、偽物の
教えに騙されていく事、偽物、人間の作り物を通してイスラエルの神を礼拝している事に耐えられないからです。
これは、神の言葉を人間が変えて、そして聖書ではない教理
デイスペンセーション神学のようにエラー〜間違いだらけの思想で
解説された曲げられた神の言葉が嘘!とはっきり聖書から認識できるようになるのです。
原典聖書に書かれている事、パウロが書いている意味を正しく読み取る事ができれば、一般的にクリスチャンの間で解説されている
神の言葉を否定する〜神の言葉が変化し、今の時代はこの教えは廃れましたという解説が全て100%全部嘘!正しい理解が欠如した解説である事は、本物=神の言葉に照らし合わせれば、偽物は簡単に見分けられます。何を間違って読み違えて解説しているのかも、はっきり根本の間違いが言語から、内容から、文脈から判定できるのです。
全ては、聖書を正しく学ぶという事が、人造宗教の教えを聞き入る人の間では、欠損していて、人間の思想、神学を学び、聞いて、オリジナルの聖書=神の純粋な言葉そのものを教えられていないのです。
人間の考えの聖書解説。
聖書は誤りなき神の言葉であると、クリスチャンは言いながら同時に
神の言葉を、そのまま真っ向から否定する発言をこぞってしている矛盾に是非気がついて下さい。何も考えていないでしょう。どうして
人間が神の言葉を否定する冒涜、それが神が伝えている大罪である事に、神の言葉、聖書から気がつけないのか?
ローマ帝国皇帝、教皇、司教たち〜人間が編み出しの教えにより
偽の教えの雪だるまの如く形作られてきた、人造宗教の教えが伝えられ続けてきたのです。中世迄は、一般の人は聖書も個人で読めない、司教たちが解説する=非聖書的なユニバーサル教の教えだけを聞かされて、それが神の教えだと思わされてきたのです。
しかも、教皇、司教しか聖書を理解できないとまで言っているのです。
今も全く同じでしょう。今は聖書は誰でも読める、アクセスできるのに、人間の思想を通して聖書を読むから、聖書に書いてある事が正しく把握できない、神の言葉の永遠の真実が伝わらないままでいるのです。
人間が作った宗教の教えの中身、解説は今も余り変わっていません。
伝統の教え=人間が編み出した宗教の教えに固執し、神の言葉の方を
終了、廃れたと今も今日も言い続けているでしょう。
教えの根本が「エラー、間違いのもと」である人間の思想を取り除かないから、正しい聖書解釈がない、変わっていないのです。
このユニバーサル教は、神の教えを退け、否定し、神の教え=トラー
モーセの五書を禁じる!という帝国の勅令を元に、ローマ帝国により造られた宗教です。
モーセの五書=律法を捨てる事、新しい時代の義!恵!と完全に勘違いしているのです。神の言葉を捨てる、イコール、イエシュアの実態を拒絶、捨てる事なのです。
カトリックのカテキズム〜教理、経典を読んだ事がありますか?
プロテスタントも、全く同じパン種〜間違った教えを共有しています。
ジーザス、キリスト、信じるだけで救われますと言っていれば、
それだけでOkではないのです。
主よ主よと言いながら、神の教えを捨て=無法を行う人に対して
イエシュアは「あなたを知らない!出て行け!」とまで言われたでしょう。脳内ジーザスを考えているから、そんな事イエス様が言うわけないと聖書に書かれているのに、イエシュアの言葉の意味が通じないのです。マタイ7:21−23
神が言った事とは違う事をやり、人間の考えで勝手に生きて、
偽物の礼拝、神が伝える事とは違う神への近づき方をする事を
神は極限に忌み嫌う!と言っているのです。
別物の神々の教えが混じった宗教の教えを通して、イスラエルの神を
拝んでいる事に、全く盲目状態だからです。
聖なる民〜花嫁とされ、異教の神々の世界の中から取り出され、
取り分けられた人。イスラエルの神の大家族の一員となり、神が
内側に住まい、神の中に住まう人になった人たちは、神の言葉、教えに不純物を混ぜて、神が伝える事とは違う別物の性質〜聖別を破る生き方をしてはならないという重大なポイント、戒めがあるのです。
世界に、神の言葉とは違う〜不純物を伝えてはならない。
イエシュアの性質を、濁った汚れた鏡に映し出して、別物を伝えては
ならない。
教師、牧師、伝道師、司教、教皇、牧師が間違った事を言わない、
上の権威に逆らうな!という暗黙の命令、了解がありますよね。
神は人に、神の教えとは違う事を教えて良いなどと、決して言わない
その逆を警告しているのです。偽物の教えは教師、聖書を教える人の口から伝え続けられてしまっているのです。
一般の人は聖書など教えないからです。
神に選ばれた特別な存在であるという意識はどこから来たのでしょうか。カトリックカテキズム〜教理、経典の中にこのように記されています。
No.882 ローマ司教でありペトロの後継者である教皇は、「司教たちと信徒全体の一致の永続的で目に見える源泉であり基礎です。」
「ローマ教皇は、キリストの代理人であり、全教会の牧者としての
職務により、全教会に対して完全で至高の普遍的な権力を持ち、
その権力を常に妨げられることなく行使することができます。」
883「司教団あるいは司教団は、その長であるペトロの後継者であるローマ教皇と一体とならない限り、いかなる権威も持たない。」
したがって、この司教団は「普遍教会に対する最高かつ完全な権威を有するが、この権力はローマ教皇の同意なしには行使できない。」
884 司教団は、エキュメニカル公会議において厳粛な方法で普遍教会に対する権力を行使する」しかし、「ペトロの後継者によって確認されない、または少なくともそのように認められないエキュメニカル
公会議は決して存在しない.」
先ずこの中にある、ペテロは、ユダヤ人であり、100%生涯
イエシュアの教えた、父の教え=モーセの五書=トラーに忠実に生きた使徒です。
ペテロは、カトリック信者でも、初代教皇でもありません!!!!!
勝手に作られ祭り上げられた偽物のペテロ像。パウロと同じく、
モーセの五書を否定して新しい教え、新しい宗教を伝えた人だと
間違った偽情報が伝達され続けてしまっているのです。
ペテロもパウロも、人間が神の言葉を曲げて作り変えた全てに大反対する使徒なのです。
それらは、イスラエルの神に属さない、似ていても偽物、まがいもの
コピー品、異物、偽造であり、神が最も忌み嫌うことをして、
イスラエルの神に近づくことを、使徒ペテロは人に教えなどしません!しかも、イエシュアはカトリック〜プロテスタントという宗教の教え〜モーセの五書、トラーとは違う教え、トラーを否定する教えなど人に教えていません。
イエシュアが教えた教えは父の教え=トラーであり、父の教えの
一点一画もないがしろにするように、人に教える人は、その人は
天の国で最も意味ない、羽、埃より軽い拭けば飛ぶ意味のない存在になると警告しているではないですか。マタイ5:17-19
カトリックとプロテスタントは、1世紀のローマ帝国皇帝の勅令を
信仰の土台として、神の言葉100%を信仰の土台としていません。
半分人間の教えを土台とした人造宗教を信奉しているのです。
純粋な神の教え、言葉ではない事を、信奉しているのです。
モーセの五書を捨てよ!神の教え生きるなかれ!実践するな!神の
創造された記念日、シャバット、新月、過越〜春の祭り、仮庵〜秋の祭りを祝う事を禁じる!割礼をするな!汚れた動物を食べよ!と、
異邦人〜人間ローマ帝国皇帝が作った勅令を国の法律として定め、
それに違反する人たちを、処刑、死刑、重税により弾圧したのです。
これは既に、1世紀から存在していたローマ帝国の勅令、処刑、
重税、迫害、弾圧なのです。モーセの五書、ユダヤ的特色のある全ての神の教えを実践する事を禁じられたのです。
クリスチャンは、「信じたらユダヤ人やめなさい。ユダヤ的な事やめなさい。律法に戻るな!恵を捨てる気か!」と聖書に書いてもない事を、聖書だと信じて言い続けている本当の理由は、ローマ帝国の皇帝の勅令〜神に逆らう、敵対する者の思想を、そのまま復唱させられている事実に、全く気がつかないままだからなのです。
だから、ローマ帝国皇帝の勅令による教理、思想を4世紀のローマ
帝国皇帝コンスタンチヌスが引き継ぎ、同じ教理を用いて、太陽神
日〜サン、サンデー、不屈の太陽神ミトラ教と、その他諸々他国の
異教の神々の教え、シンボル、儀式、記念日、様々な異教神の
異物の教え、シンボルをふんだんに混ぜて、新しい新興宗教を作り出したことを知って下さい。
そして、人間の編み出した教理を、カトリックの宗教会議で何世紀にも渡り、非聖書的な教えを編み出し続けて今に至るのです。
同性愛OK?これ聖書ではないでしょう。これ死に値する罪であると
神が教えているのに、今は神の教えが廃れて罪の定義がなくなったと
プロテスタントも聖書ではない事を信じているのです。
でも教皇が言えば、それが神の真理になると、カトリックが主張しているのです。
神に真っ向から逆らう宣言であると、どうして牧師や教師が気が付かないのか、その方が不思議です。神の言葉を捨てているからです。
このカトリック経典にあるように、人間が勝手に神の権威を盗み
神と同等の位に自分を引き上げ、神の座に座り、事実上の現人神になり、神の教えを塗り替える教理を作り続けて、宣言し続けて来た事をはっきり理解しないとなりません。今も同じです。
神は神の言葉を永遠から永遠に於いて変えてなどいません!
神がそう言われているから、それが真実だからです。
聖書に神の永遠普遍の言葉で神の言葉は永遠に固く立つ、神には移りゆく変化、影もない。
イエシュアは昨日も今日も永遠に同じ!と言っているでしょう。
そして、神は神の創造された記念日も変えていません。
永遠に祝われる「わたしの記念日」と人に伝えています。
神のシャバット、新月、祭りを汚すな!わたしはあなたかたの間で
諸国の民の前に汚されている!と訴えているでしょう。
未来、イエシュアが地上に戻り、王の王として世界を治める日、
全ての人が頭脳に割礼され、神の教え=トラーを生きる時代に入ったら、レビ記23章の神の記念日を全世界の民族が祝うようになると
預言されているのです。
人間が、神の純粋な言葉、純粋な福音を壊し、潰し、別物にすり替えて腐敗させて来たのです。
カテキズム882「全教会に対して完全で至高の普遍的な権力を持ち、
その権力を常に妨げられることなく行使することができます。」
この意味は、教皇、イコール神であり、この人が言う事とは違う事を言う事は、全部認められないという事なのです。
883で、教皇が認めない事、教皇の考えと一致しなければ、その下にある全ての教団〜諸外国にあるカトリックの教会の考えは退けられるという事です。
詰まり、教皇が絶対である!神と同じと言っているのです。
では、彼らが主張する非聖書的な教え、同性愛、それが神の教えですか?
プロテスタントも同じように、同性愛を支持、擁護、容認しています。皆が皆ではありませんが、牧師や伝道師、有名なゴスペルシンガーなど代表になる人々が、こぞって支持しています。
今度の教皇もリベラルであり、全ての人を容認し、もちろんLGBT
を支持しているのでしょう?
こんな人が神の性質を代表として地上で表せる代弁者であるわけが
ありません!神はそのように、神の言葉を腐敗させ、退け、人間の
教えを人に吹聴して罪に導く人を、神が退けているのです。
だから、クリスチャンも同じく、神の言葉や教えに反する人間の思想を人に伝えて生きる事は、イエシュアの姿、実態を濁す、腐敗させて生きて人に偽物、別物、嘘を伝えてしまう事を、はっきり知ってください。もうこれは、神の教えではなく、人間の宗教。
最初から人間が作った宗教なのです。