神が永遠から永遠に伝える真実への目覚ましコールは神の言葉 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

今世界のクリスチャンの間では、異教神の教えと融合したローマ帝国が4世紀に作った人造宗教は、純粋な神の教え、言葉ではないという事実を、教師、牧師始め、多くの人たちが気がついて、その内容を

発信しています。

英語圏では情報が豊富ですが、日本語では情報量が極少です。

 

異教、ペーガンと英語では言いますが、異教の神々の教えと融合した

人間が作ってしまった宗教は、神の意図と真逆な行為であり、神が

禁じていることをしたのであり、それらは神の教えとは異なる思想、教理がふんだんに盛り込まれ続けて来たのです。

神の言われる事、言葉に注意を払わないで、人間の教えに聞き入れば

神の警告など全て頭上を通り過ぎます。

 

申命記16:21 あなたの神、主のために築く祭壇のかたわらに、

アシラの木像をも立ててはならない。

16:22 またあなたの神、主が憎まれる柱を立ててはならない。

 

申命記4:2 わたしがあなたがたに命じる言葉に付け加えてはならない。また減らしてはならない。わたしが命じるあなたがたの神、

主の命令を守ることのできるためである。

 

 

黙示録22:18 この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、

この書に書かれている災害を加えられる。

 

イエシュアが地上に到来する前から起きていたのです。

それは、ずっと前から、エデンの園から起きていることです。

それ以前に、イスラエルが神が警告したことに反して、異教の神々の

礼拝場〜高きところで、彼ら異教の神々の儀式やシンボルに交わり、同時にイスラエルの神を拝んでいたような混ぜ物を、1000年近くもやっていたのです。

異邦人なら尚更、元が異教徒、異教神信仰の背景なので、異教神の教え、別物と交わること、神の言葉、教えを捨てる事、曲げることなど朝飯前に簡単にできてしまうのです。

ギリシャ帝国が行った反キリスト〜神に敵対させる行為は、

ダニエル11章に預言されていて、それがマラキが閉じられた後、

イエシュアが来られる空白の400年の間に実際に起きたのです。

そして、1世紀のローマ帝国でも同じ事が繰り返されたのです。

荒らすいむべきものと、イエシュアが警告されたのは、ローマ帝国

そして、70年の神殿崩壊です。

ローマ帝国は、神の教え=トラーと、神の記念日を生きることを、法律により禁じた!

それ以降ずっとイエシュアが昇天された後も、ローマ帝国により、

神の教え、神の記念日、そして神の言葉を生きる人を迫害し続けた

歴史があるのです。

ローマ帝国の勅令、ローマ教の教理を、クリスチャンたちが、神の教え、神が神の教えを破棄したというとんでもない勘違いを刷り込まれ

続けて今に至っている事に気が付く人、気が付かない人。

神が神の言葉や教えを、昇天以降変えたのではなく、人間〜ローマ帝国、皇帝と、彼らの作った新興宗教が、神の教えを塗り替える冒涜行為で、聖書とは異なる新しい教理を作り出し続けて、今に至っているのに、クリスチャンの世界では、昇天以降神が神の教えを破棄したなどと、聖書のどこにも書いていない偽情報、聖書に根拠の無い、実は

ローマ帝国宗教教理を信仰の土台とさせらてしまっているのです。

 

偽情報=ローマ帝国が作り変え、腐敗させた神の教えを土台としているのです。

どうしてローマ帝国は、そんなに躍起になって神の民を潰そうとするのか。それは、ユダヤ人はローマ帝国の勅令に従順にはならないからです。神の教えのためなら、命を捨てる人たち〜ユダヤ人は脅威だったのです。

そして、サタンとしては、神が存在することが証明されてしまうから、神の存在と、神の言葉が真実であることが証明されてしまうこと、それを抹消したいのです。

サタンは、人に神に近づいてほしくない、破壊したいからです。

あの手、この手で人を今も破壊し続けているでしょう。

気が付かない人には分からないと思いますが。

神の言葉=命に根付いたら、人は神のデザイン通りに生かされてしまうから。

大事なことは、言語に記された神の純粋な言葉、教え、ヘブライ語聖書を学ぶこと。

神が何を人に伝え、教えているのか、それを先ず正しく知ること。

そうでなければ、神の伝えていることではく、違う教え、混ぜ物、偽物の教えを刷り込まれ続けてしまうからです。

本物が分からないから、偽物が見分けられないのです。

偽札を見抜く訓練は、本物を正しく知ること!

本物が分かる人には、偽物が見分けられる、識別できるからです。

人間の作った偽物の教えから、本物の教え〜神の言葉、真実は識別できません!ある事は真実でも、神の言葉が廃れたという教えは嘘。

そして、最初の部分に神の教えの完全版が書かれているのに、それが

廃れた。又は人間の意見で仕分けて良いなどという、偽物の教えが

浸透してしまったのです。

神の言葉を学ぶとは、神ご自身の直結する事、聖霊に浸る事、

これこそ一番親しい関係の中に入ることなのです。

人間の世界でも、会話のない相手、相手が何を考えているのか

聞かない、コミュニケーション、対話のない相手とは親しい関係など

になりません。

でも、常に語り合い、考え、思いを共有し合う、それは相手と一番

親しい関係を築く秘訣だと、体験的に知っているでしょう。

神の奥深いところにある、神ご自身の考えに触れることができるのは

神が創造された人間だけです。その方法は神が与えてくださった神

ご自身である、神の言葉です。

神の言葉を通して、人は神の考えを知り、神が語ることを受け取り

永遠に広がる神の真実、神が伝えようとしていることを知り続けることができるのです。

神の言葉を捨てるとは、神が何を考えているのか見えないままになります。神が自分に教えようとしていることを知ることができなくなります。親しい関係に留まることから、隔たりを作ります。

 

神が直接教えてくださることを、知りたいと思わない場合、別に神との関係など気にも留めていないのです。

聖書に書かれている、ヘブライ語で記されている、オリジナルの原典に何が書かれているのか、正しく教えてくれる教師を探すという、

大きな壁があります。どこにいるの?志望する大学受験するのに

あの塾、あの先生に習えば良いというのは、誰でも知っているけれど、誰に聞いたら、どこに行ったら、何の教科書に正しい事が

書かれて、教えられるのか。

世界には、ヘブライ聖書と言いながら、結局人造宗教の教え

神学、教理に基づいて語る、聖書とはずれている聖書解説は五万と

あるからです。

エデンの園の蛇の策略通り、人を意識を、神の言葉から逸らせ、

神の言葉は大事ではないと思わせる。

サタンはこれに大成功しているのです。

神の言葉を学ぶことが大事な事ではなく、愛が大事とクリスチャンはよく言いますが、愛とは、契約〜トラーに記された生き方であり、

神が伝える人間の生き方が何か、神の言葉を捨てて学ばない人には、愛とはその人の考えの定義であり、神が伝える愛の定義を知らない

ままになるのです。

だから、何でも受け入れる事が愛などと、神が伝える事とは違う

愛の解説をしているのです。人間の考え、それぞれの考えるところの「愛」というものを語っているだけで、神が伝える婚姻契約を生きる愛は教えれれてはいないのです。なぜ?神の言葉は廃れた!と言って

まともに神の言葉など学ばない、教えられないからです。

今の時代は、聖霊により生きるのが良いと言ってますが、

その意味を理解していないのです。

覚えておいた方が良いことは、神=言葉=聖霊=イエシュアご自身

そのものなのです。

ヨハネ 1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。

言は神であった。

1:2 この言は初めに神と共にあった。

 

これを、当時のヘブライ人が読んで理解した通りに理解してください。イエシュア=トラー=言葉。そしてイエシュアは、ハ トラー

Theトラー=The神の言葉、肉体をとって来られた神の言葉と

ヨハネが記している通りに人々が理解していた通りに理解してください。神の言葉は、トラー=モーセの五書以外にありません!

神の教えの完全版であり、神は神の言葉のあれ、それ、これを破棄

終了などしておりません!

それを、神の言葉は廃れたという思想は、神から出た教えではなく、

ローマ帝国、皇帝、そして神と同等の位出あると宣言している

教皇の思想である事を、はっきり知って下さい。

中世に差し掛かり、教皇はローマ帝国下では、神イコールの存在となったでしょう。もちろん人間は神にはなれないけれど。

そして、教皇を通してでなければ、罪を許されないとか、免罪符を

お金で売るとか、神の教えとは何も関係のない宗教の教えで、腐敗だらけになって行ったのです。イエシュア同等の神と人との仲介者と宣言し、そのように行ったのです。

なんで人間がイエシュア、神になり代われるのですか?

現人神ごっこは、やめないとならないのです。

中世のヨーロッパは、教皇がトップの権限があり、ヨーロッパ諸国の

王たちは、この教皇に逆らう事など一切できなかったのです。

教皇の言う事、やる事は絶対!クリスチャンの中にもこういうリーダーはいるのです。悪徳教皇もいたのです。独裁主義です。

神の教え通り生きる、イコール聖霊により生きるということです。

聖霊=神は神ご自身の言葉に反することなど、人に言いません、

教えません。

神の言葉に反することをする、イコール罪を犯すことであるということを、聖書=神の伝える言葉に基づいて理解しないとなりません。

罪の定義とは、神のトラーに反することをする!と神が伝えているでしょう。それを無法というのです。背教と聖書ではいうのです。

 

命の源=神の言葉。全ての命は神の言葉で出来たこと、その意味を

ずっと考えてみれば良いのです。

神ご自身に直に繋がる=聖霊に浸る=神の言葉に根付くこと、

神の言葉を聞いて、神の考えとぴったり1つのなること。

これが、聖霊に満たされて生きるという意味です。

これはクリスチャンは知らない間に体験しているでしょう。

神の言葉を読んだら、励まされ、力を受け、意識が変わり、沈んで

いた気持ちが上向きになり、頭をもたげられる、これ体験しているではないですか?

なぜ?神の言葉=命の源に直結するそのものだからです。

だから、サタンは最初から、神の言葉を攻撃したでしょう。

人の意識を神の言葉から逸せて、撹乱させた!

アダムとハヴァを破壊するには、神の言葉を曲げて、混ぜ物、半分嘘を言えば破壊できると知っていたからです。

神の似姿である自分が誰かを忘れさせ、神が何か大事なものを隠している、与えていないからこのままでは十分じゃない。

そして、神の言われた事を、疑わせる。これずっとやっているでしょう。神の言葉から人の意識をそらせる教えが、ローマ帝国が作った

宗教の勅令なのです。

神の言葉=トラーを学ぶこと、教えること、生きることを禁じる!

ローマ帝国支配下にある全ての国の市民はこの法に縛られたのです。

神のモアデイム=記念日=イエシュアそのものを教える福音の

中核を生きること、実践すること、祝うことを禁じる!

 

クリスチャンは、ローマ帝国皇帝、教皇、司教達の人造の偽造の教えが聖書=神の言葉だと勘違いさせらて、今に至るのです。

以前に書いたように、イエシュアが来られる前から、イエシュアが

来られた以降、ローマ帝国は、神の教えを生きることを禁じました。

そして、4世紀に、ローマ皇帝が、イエシュア信者、ユダヤ人たちを

迫害するのではなく、信仰を認めようと決めたのですが、それには

裏があったのです。政治的理由。民衆を宗教の教理、勅令で統治。

皇帝が作った新しい宗教、太陽神と融合した、神が姦淫の罪と呼ばれる異物を盛り込んだ宗教を作ってしまったのです。

 

クリスチャンはそれを、神が神の言葉を変えたと、聖書のどこにも

記されていないこと、聖書に何も根拠がないのに、そう教えられて

信じているのです。嘘、偽情報。何が歴史の中で起きたのか

はっきり知って下さい。

ペテロは異教の神、ペーガン思想の宗教の教祖様で、初代ローマ教の

教皇などでもありません!

ペテロは、ユダヤ人であり、生涯100%モーセの五書に忠実に生きて、人々に教えた使徒なのです。話が別物に作り変えられているのです。

神は人間の上に、神の家族=カハール、エクレシアを建て続けません。ペテロが宣言した、「あなたがメシアです。」というこの事実

ペトラ〜この岩の上=イエシュアの上にエデンからある同じカハール

エクレシア=神の家族を加え続け、建て続けるとイエシュアが言った

言葉をとって、この岩=ペトロス=小さい岩=ペテロの上に、

別の群れ〜教会というものを建てるなどと解説しているでしょう。

教会などという言葉は聖書にありません!造語です。

異邦人だけの群れなどというものも、聖書に記されていません。

聖書に記されている群れは、殆どがユダヤ人で構成されている群れです。黙示録の7つの群もユダヤ人の群れなのです。

神の大家族は、イスラエルと異邦人混合の1つの家族。

その家族はもれなく、イエシュアを通して、父の元に引き戻された人

皆同じ方法=子羊イエシュアの贖いの血、永遠の中に既に屠られた

贖いの代価を通して、救われた人たちなのです。

神はなんでも良いなどといっていません。気持ちさえあれば、それで

OKなんて言いません。神は最初から、偽物、偽造、神が伝えた通りとは異なることを持ち込む礼拝、神への近づき方や、生き方、記念日

それを完全に忌み嫌うと強い言葉で拒絶をしているからです。

なんでも良くないから問題なのです。

 

 

続く