クリスチャンの中で実践されている暗唱聖句というのがありますよね。
彼らユダヤ人は、暗唱聖句どころか、ユダヤ人の男の子は、丸ごと
トラーを覚えたり、今でも小学一年生で最初に学ぶのは、レビ記丸
ごと暗記する授業などがあるのです。だから、パウロなど、トラー、預言書など全部頭の中に入って丸暗記。そのような世界の人たちなのです。
聖書は、どの書も、その書を全部丸ごとを学ぶ、何度も何度も読む。
ある箇所だけ取り出して解説するということではなくて、その書全体、文脈、内容を先ず正しく知らなくてはならないのです。
今問題になっている偏向報道というのがあるでしょう。それ以前も
インタビューされて、言った内容を操作目的で切りはりされたら、
全然言っている意味とは違うことを、意図的に世間に流されてしまうから、インタビュー拒否するというのを聞いたことがありますが、
それと同じです。
そのように1つの書を全体的にしっかり把握する。
それ以前に、聖書の土台、聖書が解説している中心である、モーセの五書を書いてある通りにずっと満遍なく生涯学び続けるというのは、
聞いたこともありませんでした。
ユダヤ人の世界では、モーセの五書は、1年サイクル、3年サイクルで満遍なく全部学び続けているのです。
そして、ヨシュア、士師記、歴代史、列王記、預言書など、
それらも、ずっと最初から教えられて学んでいるのです。
メシアを知る人なら、福音書以降も読みますが、それは聖書のたった25%短い箇所で最初の箇所の短い解説です。
そうすると、今まで聞いていた西洋人が作った宗教の教え、
そして、その聖書教育と、ユダヤ人の間にあるそれとが、全く内容が違う、深さが違うということに気が付くのです。
しかも、本来の言語で書いてある意味、ヘブライ思索で書かれていることは、西洋宗教で語られているものとは、異なる。
匂い、味、形、色、本質がまるで違うことが分かるのです。
クリスチャンでも聖書を読まない、いや聖書をヘブライ思索のヘブライ語で満遍なく教えられるという機会が与えられている環境は稀であると思います。
今はだいぶ違いますが、人間が作った宗教の教えの解説、聖書を
聖書で解説するのではなく、聖書をデイスペンセーション神学や
ローマ教の教理や、置換神学その他で解説されることだけが
実践されてしまっていて、聖書とズレた解説は、そのような聖書解説
釈義を違反した読み込みをしているために起きているのです。
ローマ、キリスト教という人造宗教の思想や教理を一度も聞いたことがない、ヘブライ聖書だけを読み、メシアを知るユダヤ人が、そのような西洋宗教の聖書解説を聞いたら、ものすごくショックを受けるそうです。別の宗教の教えとしか聞こえないからです。
イエシュア=トラーが曲げられている!としか、見えない。
だから、メシアをまだ知らないユダヤ人が、そのような人造宗教は
神の教え、トラーとは関係のない、プラスユダヤ人を迫害するリーダーが作った宗教であると考えているのは、全くその通りであり、無理ないことなのです。
だから、聖書ではない教え、ローマ化したイエシュア、トラーを、
人に伝えてはならないのです。
特にユダヤ人に対して、西洋人が編み出した、諸々の異教神の混じる
シンボルや、教え、神の教えを否定する思想など、聖書ではない教えは一切排除しないとならないものなのです。
聖書の正しい学び、教育は異邦人の中には今迄は余りないものでした。
4世紀、神の教えの方を捨て、否定して作った人造宗教の教えに
ローマ帝国下にある人々は強制的に全員移行させられたからです。
ユダヤ人たちは、家で密かに神の教え通りに生き方をし、神の記念日を守っていたけれど、見つかったら処罰、処刑だったのです。
財産没収、仕事失い、選挙権もない。。。しかもそんな人間が神の言葉を否定して作った宗教に無理やり改宗させられる、その屈辱、侮辱が今はよく理解できます。彼らはイエシュアに抵抗しているのではなく、人間の冒涜〜神の教えを塗り替えた偽物宗教の教えに断固として
拒絶しているからです。
聖句のつぎはぎだけをしていたら、聖書とは異なる教え、どんな教えでも編み出せるし、聖書に書いてある意味とは違うものに作り替えられてしまっているのです。
しかも、何に関して語られているのか、福音書以降の抜粋だけ読んでも、その箇所で語られている裏には膨大な情報があるのに、それらを理解していない、何を話しているのかよく分からないまま、なんとなく分ったつもりになってしまっているのです。
使徒20章の除酵祭の後という意味も、1コリント5や11章には、ローマ教のイースターや聖餐式ではなく、過越の祭りのことが書かれているなどという理解はクリスチャンの中には無いのです。
つまり、ローマ帝国が作った宗教の教え、儀式、記念日を空想して
聖書に記された事実とはズレた、異なることを考えているということを知ってください。
私が感じたのは、言語に記されている言葉の意味通り、その当時の人たちが理解していた通りに知るということが、神の言葉を知る上で
どれ程重要な鍵になるのか、知れば知るほど痛感します。
たとえ、全部分からなくても、鍵になる言葉、意味、概念はしっかり
聖書の意味通りを知っていれば、翻訳を読んでも、この意味で話しているということが、見えてくるのです。
正しい教育とは、どんな分野でも本当に大事な事です。間違った事を教えられたら、正しく実践できないからです。神の言葉の進化論など教えられてしまったから聖書に書かれている、永遠普遍の事実が曲げられて、神の言葉があたかも分断したように、別の教えが書かれていると、以前は疑いもなく人間、ローマが作った宗教の教えを信じ込んで、本物が見えていませんでした。
そして、クリスチャンの中にある、神の教えが廃れたという間違った聖書解説だけを聞かされて、特にパウロ達が教えたトラーとは違う
別の教えに変形されてしまっているのです。
古代永遠太古から伝えられた同じイエシュア=救いなのに
昇天以降神の教えは変化したと思い込んでいるでしょう。疑いもなく、それが聖書に書かれていると、書かれてもいないことを信じているのです。
聖書に書かれていないこと〜神の言葉は歴史の途中で廃れた、
その思想の出どころは、ローマ帝国、ローマ皇帝、皇帝がやがて教皇となり、聖書とは異なる思想を次々と編み出して、帝国の勅令とし
人々に強制的にそれを実践するようにさせたのです。
これは、何度も書いていますが、ぜひその事実に気がついてください。神の言葉の進化論は、ローマ帝国が決めた教え=勅令が出どころです。そして、モーセの五書に記されたユダヤ的なもの〜太陽神
異教神の信仰には異物、馴染みのない教えの全てを排除したのです。
そして、神の創造されたシャバット、新月、祭りを実践することを
法律で禁じたのです。
クリスチャンは疑いもなく、神が神の教え、記念日を昇天以降変えた
又は、人間の判断で意見で変えて良いと考えているのは、
神の教えではなく、ローマ帝国、ローマ教、教皇の教え、勅令を信じているということに全く気がついていないからなのです。
神は神が伝えた通り、永遠普遍の神の教え、記念日を変えていません!神は嘘をつけないと言っている神の言葉をクリスチャンはどうして、神の口から直接語られた言葉を信じないのでしょうか?
今は何でも、いつでも良い!人間の判断で仕分けて良いなどと
決して言いません。人間が神の言葉と神の記念日を変えることが
どれほど重大な罪であるのか、クリスチャンは聖書を読みながら
全く気がついていない理由は、聖書=神の言葉ではなく、ローマ帝国が決めた勅令、大勢の人が18世紀にわたり実践しているから
それが神の教え=聖書だと、錯覚、勘違いしているだけなのです。
聖書〜神の言葉だけが、永遠の証拠であり絶対なのです。
ミニストリーが大きい、賛同者がたくさん、有名な教師、そんな事何も関係ないのです。聖書に記された通りが、語られているのか、いないのか、それだけが本物、大事な事なのです。
有名なんて関係ない。有名、人気でも、聖書とは異なる教えをするならば、それは神が伝える真実を人々に伝えず、偽物の教えに導くズレ〜罪を神の前にさせる教えをしているという事に、気がつかないとならないのです。
パウロの手紙には、神の教え、食規定や、シャバットが日曜日になった、祭りが破棄された、今は人間の意見で神の言葉を仕分けて良いという、根拠とされていますが、完全にパウロの書いた内容を読み違えた、矛盾、無理な解釈を施したものが、真実だと思い込んでいるのです。
だから、聖書に書かれた内容の本当の意味、書いてある意味を正しく読み直さない限り、世界に浸透した偽の教えはそのまま、雪だるま式に次々別の教えに変化し、聖書とは関係のない教えや、ムーブメントスローガンは編み出し続けられていくのです。
神の言葉に根拠のない、人間が作った教えは、やがて廃れます。
イエシュアが来られたら、神の教えを否定して作った宗教の教えは
全部消えるからです。
そして、全世界が、誰も神の言葉=教えを知ろう、神を知ろうと言わなくても、裏表全部神のトラー=教えを知る人たちが生きる世界が
来るという預言が、エレミヤ31:31なのです。
神の契約は1つだけです。神との関係にある証拠、根拠として神が
与えている契約=約束、教えは、シナイ山で与えられた契約書
モーセの五書以外にないからです。
過越の祭りの前に、ローマ人の手紙でクリスチャンがパウロの意図とは違った解説をして、誤解している代表例を書いてきました。
14章の最後も、何度も書いていますが、最後に締めくくります。
パウロという人物を正しく理解してください。
パウロはヘブライ人であり、同時にローマの市民権を持つような
裕福な家庭に育った人であります。そして、そのようなユダヤ人が
エルサレムで、トラーの高等教育〜今で言えば、ハーバードやエール大学大学院に行き学者になるコースに乗っていた人なのです。
それには、財力も必要であり、頭脳も、もちろん明晰でないとならない。全ての人が学者になれるのではないからです。
そして、そのような人たち、その当時の最高のトラーの高等教育を
受けた人達が、同時に国の司法、政治を司る議会の役人になったのです。だから、ユダヤ人のサンヒドリン=議会に、パウロの大先生でもあったガマリエルが登場しているでしょう。
将来パウロは国会議員、エリート官僚になるそのようなコースを捨てて、神のトラーを人々へ伝える神からの任務を喜んで受けて、使徒となった事が書かれています。
単にトラーを学ぶだけではなく、それらの人たちはその他様々な分野の学問を全て身につけていたのです。だから、国のトップになり、
そしてパウロも割礼をテモテに授けられるようなことができたのです。
それらのトラー学者は、クリスチャンや、ローマ帝国皇帝、教皇の
ように神の言葉を捨てたり、変えたりしません。
なぜなら、神の教え、罪の定義では人間が神の言葉に手をつける行為は死に匹敵する大罪であることを、はっきり神の言葉から理解しているからです。
クリスチャンは、聖書ではなく、人間が作った教えを聞いているのです。人間が神の言葉につけたし、差し引きするなかれ!とあっても
それは古い教えだ、今は人間の意見で神の言葉を変えて良い、自分には関係のない警告と考えているでしょう。
それは、ローマ教皇の思想です。だから、神の教えを退けて、教皇
ユニバーサル教はLGBTQを支援していること、はっきり知ってください。プロテスタントも同じです。もう神の言葉を正しく理解していない、人間が神の言葉を曲げて、自由自在に自分の考えを主張している終わりの時代、背教、無法の時代だからです。聖書~神の教えではないことを、神の教えと完全に誤解しているのです。
ローマ11章まで、解説しましたが、最後の14章は何度も解説していますが、最後にローマの手紙の締めくくりとして書きます。
クリスチャンが絶対に正しく理解しないとならない1つのことは、
神の教えは、モーセの五書以外にありません!!!!そして、神は
神ご自身の言葉を破棄、終了などとしていません。
そして、ヨシュア〜マラキは全て、モーセの五書の解説なのです。
創世記〜マラキまでの全ての書は、預言者により書かれたものです。
その箇所は、もう閉じられていたのです。そしてマラキから400年後、イエシュアが地上にこられました。
既に閉じられた箇所の聖書、預言者が書いた書は、人間が変えられないのです。神も変えていません。
そして、福音書以降は、使徒の書簡なのです。
その意味が分かりますか?使徒は預言者ではありません!
預言者〜神の言葉を神から聞いて書き記した人達です。
でも、使徒は預言者ではない。預言者が書いた、タナックを塗り替える別の新しい教えを説く人でも、書く人たちでもないのです。
その理解がないのです。使徒達は、神のトラーを塗り替える教えなど
書くなどあり得ないことなのです。
もしそうならば、使徒は偽教師、偽預言者となります。
正しく聖書を理解してください。使徒達は、預言者たちが書いた聖書=タナック=モーセの五書、預言書、諸書を短く解説しているだけ
しかも、パウロの書簡は、お手紙であることを忘れないでください。
ある特定の群れにパウロが宛てたお手紙!神の教えを塗り替える聖書などではない!神のトラーを、その群れの人たちの問題に関して
どのように適用し、生きるかのアドバイスをしているだけ!なのです。正しく理解してください。福音書以降には、トラーを塗り替える
否定する、削除する教えが書かれているという幻想、空想、作り話〜ローマ帝国教が作ったズレた思想、教理一切捨てて、聖書だけに戻って考えてください。
続く