人間、異教徒、ローマ帝国、ローマ皇帝が4世紀に作った宗教の教え
その信仰の土台〜神の言葉は廃れた、モーセの五書は無用、終了、
ユダヤ人だけへの教えだ〜などという、神の教え=聖書とは真逆な
思想を土台とした宗教の教え。そして人々が編み出し続けた神学思想だけを教えられてしまい、神の言葉を否定、終了させた教えが聖書である、新しい教えである?
イエシュアの地上への最初の到来前後で、神の性質と、神の教えが
変化したのであると教えられて来ました。
その人造宗教思想を土台とした信仰が教えられ続け、語り継がれて、聖書とは異なる数々の教えが出現して今に至っているのです。
でも、神の伝える事実、真実は、神の性質は永遠に変わらない、
神の言葉も永遠に固く立ち変わらない!これが、永遠の真実です。
天地が滅びる方が、神の言葉が終了、破棄されるより容易いとイエシュアが言われたでしょう。今日、今足元に地上があるならば、空が
頭上に今あるならば、神が言われた通り、神の言葉は変化しない!
それが永遠の真実です。人の教えは、神の言葉を無効にしています。
そして、パウロの手紙は、このような変化する神、変化する神の言葉の根拠が書かかれているなどと言い、誤解されたパウロの手紙の解説ばかりが異邦人の中では語り継がれ、今日も、今もそう教えられ続けています。
でも聖書の事実は、人間が作った宗教思想とは、全く違うのです。
パウロの手紙、ローマ、ガラテヤ、コロサイ、コリントetc
そしてヘブル書など、神の言葉が変化した証拠が書かれていることにされていますが、パウロは、自分自身が証明している通り、パウロは100%モーセの五書を支持し、トラーを正しく教え、生きているのです。使徒21:21−23
そして、パウロは使徒です。イエシュアと同じように、父の言葉、
教えを、父の意図通りに伝える!自分が編み出した別の教えは述べていない。
この同じ役割を、使徒達は与えられているのです。
人間が勝手に神の言葉を塗り替え、勝手な解釈を施して良いなどと、神は人に、唯一神だけが持つ権威を渡してなどいません。
長い年月刷り込まれた人造思想は、頭脳に蔓延り、その脳回路からしか聖書を読めなくなっているのです。箱から出て考えられないという
英語の表現がありますが、人造宗教思想の中でしか、聖書が見えなくなっているのです。神の言葉の方を曲げる、歪めているのです。
一度、全部リセット。宗教の教え神の言葉は廃れた〜律法に戻るのか〜律法の下にいない、恵の下にいる〜という、誤解した思想を全部削除して、読んだことが1度もない意識で、パウロの手紙を読み直す必要があるのです。
読んでみると分かりますが、もしパウロがモーセの五書を否定している事を人に教えているならば、パウロの言っていることは、精神疾患支離滅裂、意味不明、矛盾だらけです。自分が今言ったことを、次の瞬間には真逆を言い、又違うことを言うという、神の教えを支持し、
次には否定している?一体何を言っているのか、定まらないという
矛盾だらけに聞こえます。
パウロは、100%トラーを支持し、神の教えしか人に話していません。
ローマ3:31 すると、信仰のゆえに、わたしたちはトラーを無効にするのであるか。断じてそうではない。かえって、それによってトラーを確立するのである。
パウロが言っていることは、イエシュアが言われた事と全く同じです。当時のユダヤ人の教えの中で使われた、ラビの慣用句を使って
破棄、無効、廃すると、成就、確立すると言っているのです。
イザヤ40:8 草は枯れ、花はしぼむ。
しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変ることはない(永遠に固く立つ)」。
マタイ 5:17 わたしがトラーや預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。
5:18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、トラーの一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。
5:19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、
またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と
呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。
<イエシュアの口から出た警告、神の言葉に、差し引きし、付け加えてはならない、神の教え=トラーのどんな小さいな戒めを破り、
そして人に同じように神の言葉を破るように教える人への警告が、
イエシュアの口からも語られているのです。でも、これはクリスチャンには、全く通じてはいないのです。だから、神の言葉は廃れた、
律法に戻るな〜、恵を無駄にするのか〜などという意味不明なことを正義感に満ちてそう語って教えているでしょう。
人の教え〜神の言葉を捨てる教えを信じているから、一体自分が
何を言っているのか、分かっていないからです。>
申命記 4:2 わたしがあなたがたに命じる言葉に付け加えてはならない。また減らしてはならない。わたしが命じるあなたがたの神、
主の命令を守ることのできるためである。
同じ警告が、黙示録の最後にもあります。
黙示録22:18 この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、
わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人にこの書に書かれている災害を加えられる。
パウロが伝えているように、トラーには様々な役割があります。
トラーは神から与えられた婚姻契約であり、神の花嫁とされた人たちに、与えられたものなのです。
だから出エジプトする前に、この婚姻契約が与えらえたのではなく、
子羊の血の贖いで、神のものとなった人たち、その後にシナイ山
シャヴオートの時に与えられたのが、婚姻契約です。
順番を考えれば分かるでしょう。
信仰義認があった。新しくされた、神の国の一員となった。
その人たちへ、神の家の家訓〜婚姻契約を与えられたのです。
その婚姻契約の中には、神が創造された神の性質に造られた人の生きる全部の詳細〜イエシュアの生き様の全てが記されているのです。
それが、本来の人間の生き方だからです。人が生きる上で必要な教えを、神はもれなく伝えて、人に与えて下さったのです。
そして、婚姻契約〜トラーには、未だ信じていない状態の人へも
様々な役割があるのです。
1)神を知らな状態〜家族が、周りがトラーを知る人ならば、
その人は、神がよく分からなくても、安全な生き方に守られる。
やがて、神の出会う日まで守られる。
ガラテヤ3:23 しかし、信仰が現れる前には、わたしたちはトラーの
下で監視されており、やがて啓示される信仰の時まで閉じ込められていた。
ἐφρουρούμεθα エフルルメタという言葉ですが、監視というと
縛りに聞こえますが、「守り、保護」です。
ある人が、凶悪犯、ストーカーに狙われていて身の危険がある場合、安全な場所に保護し保護下に置くと言えば分かるでしょう。
それです。神を知らない場合でも、神のトラーに沿って生きれば、
その人の生き方は、様々な害、破壊、傷、から守られるでしょう。
罪、ズレを生きたら、傷つく、破壊されるからです。
2)そして、トラーは、神を知らない人に取っては、やがて神に
導かれる道筋が教えられている、神に導く目的が、トラーには
あるのです。だから、神を知らない人でも、神の言葉を読んで、
神の性質に触れたら、神がおられるかも!?と思うのです。
聖霊が語りかけるからです。言葉=聖霊です。人は神の言葉を読む
それは、神ご自身に触れることだからです。
私がそうでした。そうではありませんか?神がいるはず、いないと
おかしい、絶対的な存在、純粋な愛というものを持っている存在は
この世に絶対にあるはずと、漠然と求めていました。それは人間ではない。人間ではない何か。周りの全てが、汚れているように思っていた、十代の時のことです。
その時に、聖書〜神の言葉を読んでいたら、はっきりと、メシア
イエシュアが神であり、この方を知らなかったから、道から外れ
真理が分からず、暗闇の中にいて、自分の中に本物の命がなかったと気がついたのです。それは神の言葉=聖霊であり、聖霊が人に、神の事実を神の言葉を通して、教えるからです。
ガラテヤ 3:24 このようにしてトラーは、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである。
3:25 しかし、いったん信仰が現れた以上、わたしたちは、もはや養育掛のもとにはいない。
上記したように、トラーには、神の元に導くという役割があるのです。パウロがここで書いている、「養育係」とはそれです。
ギリシャ人の裕福な家庭では、養育係というものが家庭に雇われていて、その人は、子供を、教師の家に連れて行く役割があったのです。
今で言えば、親が塾に、学校に連れて行く〜養育係の役割です。
でも、一旦メシアに出会えば、その神の元に導くという「養育係」は
本物の教師の元に連れて行くというその目的、役目は終了した!と、パウロは言っているのです。トラー=養育係〜メシアに導く役割があると、パウロは1世紀当時の裕福なギリシャ人の家庭にいた、ペデゴゴ〜養育係使用人、お世話掛になぞられて、話しているのです。
この箇所、クリスチャンは全て、信じたら律法は廃れた、終わった!
などと、パウロの言っている意味を、全く理解していない、間違った読み込みをしている良い例になる箇所でもあります。
情報に欠如して、モーセの五書が廃れたという人間の思想を信じて
早合点、書いてもないことを勝手に無理な解釈を施す、このような
間違った聖書解説を、パウロの手紙に対してし続けていることに
気がついて下さい。
そして、もし神の言葉を捨てるなら、それは神が警告した「無法」
トラー無し=神の教えを捨てる罪を犯すことなのです。
そして、罪の定義とは、神のトラーに違反することである。
聖書が伝えている事実を、正しく把握してください。
3)トラーの中には、神が創造された人の生き方の全てが書かれています。その中には、神が伝えるズレ〜罪の全貌が書かれています。
悪と書かれているのは、ヘブライ語では、「ラア」です。
悪とは、神の意図、デザインとは外れているもの全てです。
その反対は、良い〜トオヴであり、神の意図通りという意味です。
私達の中にある、自分定義、自分の目から見た基準の、良い悪いではないのです。
神の意図通りか〜トオヴ=良い、意図通りではない〜悪〜ラアです。
だから、悪は罪〜的外れ、神の性質とはズレた生き方が、ラア=悪であり、罪=ズレ=ハタ=的外れと書いてあるのです。
だから、神のトラーを知らない人、クリスチャンでも神の教え、トラーを捨てるなら、神の伝えるズレ=罪が何か分からなくなります。
神の言葉=聖霊を捨てる場合には、聖霊が伝える罪の基準は空想では分かりません。だから、文字で記された聖書が与えられているのです。
神の伝える、ハタ=的外れ、ラア=悪とは、何も人が思いつく道徳的なこと、盗むな、偽証するな、嘘つくな、人を騙すな、傷つけるな
姦淫するなetc etc etcだけではないのです。
神の創造された人の性質から外れること、全てが罪、ズレ、ラアだからです。
だから、神のシャバットを汚すことが、神の前に罪であるということにも気がつけないままなのです。それが何?て思いますよね。
神の言葉を捨てることも、罪なのです。そう警告している。
誰にも迷惑かけてないじゃない!?と言うのです。普通の人、神の
教えを知らない、理解しない人は、神が伝える罪の基準、定義、
そして神の子らの聖別の定義、神の家の家訓、生き方が理解できないままでいるのです。
だから、自分よがりの聖別と神が言っているのです。
神が伝えたこと、神が教えていること、それらは、神が創造された人の生き方、〜〜を生きるように造られ、〜〜〜を生きるようには
造られていない。それに反すること全てが、ラア、罪=ズレています!と、単純に教えているのです。
4)神の言葉、教えには、何が罪か記されていますから、神を知らない人が、読めば、それは責めだけを受けるだけになるとあります。
だから、文字は殺しとあるのです。
神の言葉がそこに書いてあっても、それを実際に、信仰で見えない神イエシュアを受け取らない限り、それらは、何もならないのです。
だから、神の言葉を読んだだけで、神が言われることをたとえ生きても、それイコール、内側に新しい人は受け取れないということは
新生体験し、聖霊を内側に受けたクリスチャンなら、皆知っていると思います。
5)神の契約、トラーはイエシュアを通して、神の元に戻った人に
与えられたものなのです。以前の生き方、異教の神々の文化の中に
育った、特に異邦人には異物、聞きなれない教えがあるのです。
でも、イスラエルの神の家の一員になった、イスラエルという大家族の中に、異邦人も加えられた。同じ婚姻契約〜神の教え、神の家の家訓を生きる!と神は教えていること、これをクリスチャンは、人間の教えにすり替えた教えを聞いているので、自分たちには関係のない教えとか、今は無効になった教えであると、勘違いして、人間の主張を
信じ込んでいるのです。
神の教えに古いも新しいもないのです。移りゆく影、変化も進化もありません!同じトラー、1つの婚姻契約、1つの神の家の家訓しかない!ということを、はっきり聖書から把握し、突き止め、理解してください。
異邦人の世界に蔓延した、反モーセの五書思想と、その教えは、
聖書ではありません。人間〜ローマ帝国、ローマ皇帝が神の言葉を
生きることを禁じて作った、その思想が土台である人造宗教の教えであることを、歴史の史実から、そして聖書から正しく把握して下さい。
続く