完全に誤解されているパウロ像とパウロの書簡の内容 ローマ3章 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

ローマ3章の冒頭で、パウロはトラー=モーセの五書=神の教えが

ない方が良いと言っていると誤解されて、非難されないように、

まず、パウロは時間をかけてトラーに関しての、パウロの見解を明確にしています。

 3:1 では、ユダヤ人のすぐれている点は何か。また割礼の益は何か。

 3:2 それは、いろいろの点で数多くある。

まず第一に、神の言が彼ら(ユダヤ人)にゆだねられたことである。

 

パウロは、トラーは、益、有益、有利で価値のある、貴重なものである、決して否定的なものなどではない事を、明確にしています。

イスラエルは神の言葉そのもの、つまり人の生き方についての指示

教えを、神から全人類の代表者として、直接託されており、これが

彼らユダヤ人に有利な点をもたらしました。

テモテ2  3:16から17でパウロでは、当時福音書〜黙示録が書いた記者は、「聖書」と書いている聖書に記されている意味は、100%

タナック〜モーセの五書、そしてモーセの五書の解説の預言書、諸書

のみであり、それだけを神の教え(神の教えの全てはモーセの五書に

記されている)と知って聖書全体はと、解説しているのです。

そのパウロの言葉は、こう解説しています。

 

2テモテ 3:16 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。

 

したがって、パウロの見解では、このトラーは非常に有利、有益であり、パウロが神に贖われた民のためのトラーに対する、肯定的な見解を保持しているという私たちの主張を裏付けるものです。

実際、ユダヤ人は聖書〜トラー、神の教えを知っているため、異邦人よりも大きな利点があるのです。では、トーラーを含む経典を知っていることが、あらゆる面で利点となる事実があるのに、なぜ異邦人

クリスチャンは、トラー=神の教えが神の救いの民である私達のためではないと信じているのでしょうか?

それは、聖書では無い人間〜ローマ帝国、皇帝、そして西洋教父達の

主張した、モーセの五書を捨てよ!生きることを禁じる!という教えが信仰、宗教の土台になってしまっているからです。

 

ローマ3:3 すると、どうなるのか。もし、彼らのうちに不真実の者があったとしたら、その不真実によって、神の真実は無になるであろうか。

パウロは、彼ら〜ローマ人の群れの者は、「何に対して不忠実であるのか?」と明言しています。

それに対して、これを読む読者は、パウロのは何のこと指して言っているのか?と考えるでしょう。

この章、章の文脈は「トラー=モーセの五書」、「神の託宣 」であるのです。

従って、不忠実とパウロが言っているのは、神のトラー=教えに対して忠実でないことを意味して話しているのです。今の異邦人の群れへ

同じようにパウロの言葉が直球として投げかけられているのです。

これに対して、「神の忠実さ 」とは、神の御言葉の真実さ、より具体的には、神のトラー=神の教えの真実さと、神の裁きは全て、同義語として語り、使っているのです。これら神の教えは100%忠実、

誠実、永遠に固くたつ信頼に値する言葉、インストラクションなのです。神の性質、イコール神の発した言葉の性質なのです。

 

クリスチャンの世界では、神が伝える神の性質、変化しない神、

変化しない永遠普遍の神の言葉と、神が人にはっきりと何度も、何度も伝えているのに、異邦人はこの神の言葉を無視し、変化する神、

怒りの神、恵の神、変化する神の言葉、怒りの時代、恵の時代などという、神が言ってもない別のイスラエルの神像の人間の思想を語っているのです。

聖書は完全なる神の言葉であると信じますと言うならば、その発言通り、神の言葉の方を、曲げる、変形させる、別物の教え=人間の教えにすり替える事えをやめなくては、神が伝える真実は、自分にも

他者にも通じなくなり、聖書に書いてない偽のローマ化されたイエシュア=神像を人に伝えていても気が付かないまま、聖書とは異なる

誤情報を流しているのです。

神がシナイ山のシャヴオートの時に、婚姻契約書を正式に渡すため

モーセが天の中〜山の頂上に入った間、イスラエルは早速不安になり

エジプトで培った自分たちの方法で、金の子牛を作り、イスラエルの神を拝み、その神の祭りを祝って、神の前に罪を犯した時に、神は

この言葉をイスラエルと異邦人の群れに対して言われました。

 

出エジプト34:6 主は彼の前を過ぎて宣べられた。「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神、

神は永遠から永遠に性質、神の言葉、約束を変えない神なのです!

 

ローマ3:4 断じてそうではない。あらゆる人を偽り者としても、

神を真実なものとすべきである。それは、「あなたが言葉を述べるときは、義とせられ、あなたがさばきを受けるとき、勝利を得るため」と書いてあるとおりである。

 3:5 しかし、もしわたしたちの不義が、神の義を明らかにするとしたら、なんと言うべきか。怒りを下す神は、不義であると言うのか

 

パウロはこの箇所は、ダビデがバテシバに対して犯した罪を告白している内容を引用しているのです。

詩篇51:4 わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、あなたの前に悪い事を行いました。それゆえ、あなたが宣告をお与えになるときは正しく、あなたが人をさばかれるときは誤りがありません。

ここにある「言葉と裁き」は、ローマ人への手紙と詩篇 51 篇の用語と文脈の両方で、同じトラー=神の教えを指して記されています。
神の忠実さは、神が常に真実で義なる言葉に従って、義なる神の性質通り行動することを意味しているのです。その神が、神の性質を変え、神の言葉を変化させる?そんな思想は、聖書の教えではない!と聖書から気がついてください。
この文脈では、トラーにある、神の命令を意味します。神はご自分がやると言ったこと、約束された事を必ず実行し、常にただ実行するだけです。神は忠実なお方だからです。
神が聖書で、ご自分の性質、永遠普遍、忠実、誠実、愛、恵、許しに
富み、怒るのに遅くとあるのに、クリスチャンの世界で語られるのは、ローマ帝国教、神に劣る人間が語る、異教の神〜太陽神のように、変化する神、約束を守らない神、気分でコロコロ変わる神のように、聖書に書かれているイスラエルの神とは違う、ローマ化けした
聖書とは異なる異教神のような、イスラエルの神像を人に伝え続けてしまっているのです。
聖書の記述、イスラエルの神が語る、神〜イエシュアの真実に戻って神の言葉通りに正しく、聖書に書かれている内容を考え直さないとならないのです。

神との関係に於ける、神への忠実は、純粋に一枚岩、密接に関係の

あるものであり、神の言葉、教え=トラー(翻訳では律法)に拘束されないとクリスチャンは主張しているので、この箇所に於ける、

パウロが語るトーラー=神の教えの役割を部分的に却下したくなるかもしれません。いや現実では、ずっとし続けているでしょう。

神のどの言葉、教えも人間が勝手に、削除、分別、終了、仕分け、

破棄するという行為は、人間が神に成り代わっていることである!という恐ろしい行為であること、神が警告していることであると、聖書から気がついてください。

クリスチャンが空想しているような、神が神の言葉をご自身で破棄、

変更、捨て去る、又は人間が勝手にどのようにも解釈して良いなどと、神は1度も言っていない、聖書に書いてもないどころか、それらの行為を、完全に禁じていることだけが、神の口から教えられているのです。

人も、自分が言った言葉を、誰かが変えて、言ってもないことを

言ったとか、言わないと不真実を言われたら、それはどういう事を意味しますか?

神の言葉は神が言われたのであり、人間が横から口出しし、否定、

訂正、捨てるようなことをしてはならないものなのです。

いや、できません。やったとしても、人間の主張は全て嘘、神に敵対するものの声を、代弁してしまっているのです。

 

確かに、神との関係は、忠実さがその関係の中には存在し、疑いの

余地はありません。

しかし、神との関係の中で、神が意図した通りに、その関係を持つ、

保つ、育み、機能するように、神と人との合意が行われているのです。それが、シナイ山で与えられた婚姻契約に対する同意、宣言だったのです。

結婚について考えてみましょう。結婚の初め、結婚前には、両者この

婚姻関係に入るに当たって、何かを約束し、何らかの合意を交わす必要があります。これらが結婚の誓いです。もし夫が妻に、妻が夫に

忠実であるとすれば、それは私が結婚式で交わした誓いを守っているからです!

死が二人を分かつまでは彼女だけである、など誓いの宣言をするものです。もし夫(妻)が誓いを破ったら、両者はお互いに対して、

不誠実であり、彼らの婚姻関係は悪化します。

はじめの愛〜婚姻契約の契約内容を忘れた!になります。

妻は結婚記念日や誕生日、二人の特別な記念日を夫が忘れようものなら、不快、自分は大事にされていないと思うものでしょう。

これこれしてね!と頼んだことを、夫が無視し、妻を傷つける、

蔑ろにされている、軽くあしらわれていると悲しくなる。

これこれしないでね!と頼んでも、ずっと同じことをやり続ける。

嫌気が、さしてきますよね。

そういうことを、神に対してイエシュアを信じる人がやっている

やっても良いと、異邦人は聖書とは違う人造宗教の思想を教えられてしまっているのです。神の言葉、教えを捨てている!はじめの愛を

忘れた!をやり続けているのです。

ユダヤ人の結婚式では、夫と妻の互いの義務を明記したケトゥバ、

詰まり「結婚契約書」が必ず存在します。そしてこのケトゥバは、

主に妻を守るためのことが、多く記されているのです。

妻の方が弱い立場だからです。

イスラエルの場合、トーラーは結婚契約、つまりケトゥバです。

以前記事に書きましたが、約束の地に入る前に、再更新された同じ

契約は、申命記です。その申命記は、古代中近東に実際に存在していた、宗主国条約と同じ形式で記されているのです。

主〜宗主〜王が、誰であり、一人の王、宗主に臣下は、忠実に生きること、そして宗主が、臣下に対して様々な補償、約束をする。

そして、臣下は、王の提示したことに忠実に生きて、一人の宗主、

王だけに忠実に生きるのです。

そして、もし王が提示したことを臣下が破る場合に、呪い、忠実に

守り生きる時に、祝福を与えるとあるのです。

そして、両者間にその契約の合意があるのです。

シナイでのトーラー=婚姻契約の授与は、ユダヤ人と多くのトーラー学者の両方によって、これが、結婚式であると理解されています。

そして、聖書に記された用語が婚姻契約用語である事からも、神の

伝えている生き方は、婚姻契約という関係の中に生きることを人に

教えていることはクリアーです。神はこの婚姻契約を元に人と関わっている事実を、はっきり理解しないとならないのです。

このように、トラーは、婚姻契約関係に於ける、神とその民の義務を規定しているのです。トラーがなければ、神が私達へ忠実であることを約束する、補償、基準はないのです。

口約束だけでは、証拠もないのです。だから、文字として永遠の証拠になるように、神は文字で記した婚姻契約〜トラーをイスラエルを

代表として全人類の神の民〜永遠の中から選んだ人たちへ与えたと

書いてあるのです。

だから、永遠の愛であなたを愛したとあるでしょう。

その根拠は、トラーが、証拠なのです。それを捨てよ!というのは

あのエデンの蛇の声である事に、はっきり気がついてください。

そして、同様に、神の提示する婚姻契約がないならば、人と神の関係の根拠、補償もないのです。

したがって、忠実さを議論する場合、神が提示する神のトラーの役割を無視することはできないのです。

クリスチャンの世界で語られる教えは、人間が作った宗教の教え、

思想です。聖書には記されてもいない教えや記念日、儀式をやり、

唱えていても、それに気がついていないのです。

それは聖書を、特にパウロの書簡を読み違えているからです。

人の夫婦関係でも、結婚したら、それぞれが自由にやりたい放題したら、どうなりますか?それは破綻です。麗しい関係が、醜い関係に

変わってしまいます。愛が憎悪に変身します。

そして、子どもたちが生まれて、その家庭に何の基準も家訓も、

ルールも決め事も無いならば、本当に無秩序、お互いを不快にする

暮らしにくい、一緒に居たくない、住みたく無い家になります。

そんな無法〜神の教え無しを奨励する事を、キリスト教の世界では

教えてしまっているのです。

それは、神の教えではなく、ローマ帝国が作った教えだからです。

自分の理解できる事、分かること、受け入れられること、納得いく事、都合が良い神の教えだけは受け入れ、理解できない神の教え、

都合の悪い教え、西洋宗教文化、伝統とは違う教えや神の創造された記念日は全て削除、排除、却下するという、勝手、夫=神に対して

身勝手な生き方を、恵の時代、聖霊時代、キリストの律法などと言っていますが、一体何を言っているのか、分かっていないのです。

世の終わりは、無法が蔓延る、偽教師、偽の教えが蔓延るとあります。その通り、イエシュアが来られ世の終わりになり、神の教えを

捨てるということを土台とした人造宗教の教えが、異邦人の間で浸透し、今や福音とは遠く逸脱した耳障りのよい教えや、神の言葉に戻ることを教えない人々、そして罪を犯してもOKと堂々という教師、牧師まで出現しているのです。

そして、そのような群れは、大規模な建物、人数、お金を人から搾取し、それにより、神から祝福を受ける秘訣だ〜と教える、繁栄の神学までも教える人々もいます。フォーカスが神のみ旨〜教えに根付いて生きることではなく、異教神異教徒と同じ、目先のご利益、この世の富を追求するような教えが大人気です。肉の欲望を満たす教えだからです。

 

 

続く