聖書ではない教え 異教の神々の教えが混じった教えが浸透している理由 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

今週は世界、欧米ではクリスマス休暇であり、そして25日水曜は、世界中が祝う、冬の祭典クリスマスです。

クリスマスは、「クリストスのマス」マスはラテン語のミサの英語翻訳です。聖書にはこのような名前や祭りはありません。

イースターは、アングロサクソンの女神の春の春分に祝う、多産を祈願する祭りから来ています。だから卵がシンボルなのです。

女神のトップ、王女級の女神のイースター。

アシェラ、アストロ、色々な名で呼ばれる異教女神は、ルーツは同じ

アシェラです。聖書に書かれた女神の大元なのです。

そして、異教神の大御所、大元のルーツは、太陽神〜エジプトの太陽神、ラーです。だから、冬至なのです。太陽の日照時間が一番短くなる時、その時から、日照時間が延びて、不屈の太陽神のパワーで

覆われる!その信仰が元にあるのです。

どの文化にも、太陽、お天道様を拝む異教徒意識がありますよね。

だから、イスラエルの神が、エジプトの太陽神に対しての裁きをしたのです。異教神の王。それが、太陽のシンボル、輪っか、これは、

どの宗教にもあるでしょう。日本の宗教、菩薩にも。

異教の偶像を取り入れた西洋宗教も、聖画にイエシュアや使徒達の

上、マリアの頭上に、太陽神のシンボル、へーロー=太陽の輪っかが、全部描かれているのは、それです。

今日本でも、世界でも、どんな宗教の国でも、クリスマスツリーや

サンタクロース、赤や緑の色で飾られていると思います。気分的には

晴れやか、楽しい、みんな大好きクリスマスです。商業、ビジネス的にも稼ぎどき!

キリスト教、神道、仏教、イスラム教の国でも、クリスマスの飾り

クリスマスの色、サンタクロース、私が住んでいる所のスーパーにも、コカコーラの宣伝キャラクターは、今の時期は、サンタクロースになりました。サンタクロースのコカコーラの大きな飾りやフィギャーが、店の入り口、出口に飾られています。

イスラエルでは、クリスマスは祝いません。イスラエルのイエシュア

信者も、クリスマスは祝いませんが、クリスチャンは祝うでしょう。

 

今年2024年は、12月25日から8日間が、ハヌカの祭りです。ちなみに、2025年のハヌカは、12月14日日曜日から、12月22日、月曜日の8日間です。8日間、宮きよめ、神殿再奉献して

祝ったのは、マカバイ戦争前迄は、神殿を異教徒に乗っ取られて、

仮庵の祭りの8日間を、神殿で祝えなかったためと言われています。

ハヌカの祭りは、レビ記23章にある、福音、イシュアの業を網羅する預言的モアデイム、アポイントメントの日とは異なります。

レビ記23章は、神が神の子らを永遠から永遠に皆呼び出し、特別な

会見、祝宴をして、そしてそれら1つ1つの中に、イエシュアの業、

贖い、救い、復活、地上の旅路で新しい人として生きて、やがて

この世の仮の宿=朽ちる体から、固定神殿と同じ永遠に朽ちない体にされてイエシュアが統治される、エデン=喜び=元の状態を皆が生きる、その時代に入る事を、表すものです。それらを通して、神が地上で救われた人が復活の命を生きる、成長の学習、訓練の旅路を与えられているものなのです。

神のモエッドではないですが、ハヌカは、イエシュアが祝っていた意味ある記念日です。

それは、私たち神の子らに、反キリストが何をさせようとしているのかを教えるものであり、混ぜ物の教えに同化する事への、厳重警告が含まれて、教えられているからです。

申命記12にある通り、神の子らは、異教の神々、異教徒が生きている、その生き方、礼拝、偶像、シンボルを通して、決してイスラエルの神を拝んだり、異教徒がする方法で、イスラエルの神に近づき

礼拝してはならない事が、警告されています。

どうしてだと思いますか?クリスチャンはこう考えると思います。

愛があれば、動機が純粋なら、なんでも良い、イエス様信じてるだけで、それで良いと、それらしくて、意味が漠然とした事を言います。

なんでも良いなど、それはダメ!と神が厳重に注意している意味は、

エデンの最初から同じなのです。半分嘘、半分本当、混ぜ物の教えを

聞いて、生きたら、本来の人の性質を生きられなくなるから、神との隔たりが出来るから、姦淫の罪=別の旦那が真ん中に挟まったら、

関係に亀裂が入り邪魔だから、純粋な関係が築けないからです。

そして、結局、それは神から離れさせる要因を作るそのものだからです。ソロモンの晩年の罪の原因は何ですか?警告されています。

今の世界を見ても、分かるでしょう。ジーザス信じる人が、神の教えを曲げて、金銭を愛し、そして羊を搾取し、神の教えを生きること、

本当の生き方が何か、教えている本人も知らないまま、異教神の世界の教えと同じ、繁栄の神学やら、自分を犠牲にして宗教活動するようなそんなことを教えてしまっています。LGBTQ、その他様々の、

罪の路線に大きく扉を開く時代となったのです。

クリスチャンでさえ、神の言葉を捨てるなら、何が罪で何が神の伝える真実なのか、人の教えを土台にしているから、嘘とまことの見分けがつかなくなるのです。

ハヌカの祭りの裏にあった、当時の問題は、シリアによる、反ユダヤ思想、反モーセの五書思想による、エルサレムの神殿略奪、

神の宮を汚し、ユダヤ人に罪〜神の教えに反した汚れた生き方を強要させ、異教の慣わし、生き方に同化させ、異教神のシンボルを拝み、その祭壇に汚れた動物〜豚とその血を捧げさせて

それを食べさせた。異教神を拝むように強要し、同調圧力をかけられた事に抵抗して、勇敢なユダヤ人達が起こした反乱なのです。

そして、イスラエルの神がイスラエルに勝利をもたらし、エルサレムの神殿を、異教徒の手から取り戻したのです。

これと同じ事件が、イエシュアが預言した通り、紀元70年に起きました。神殿崩壊の前後、マカバイ戦争の時と同じよう、今度はローマ帝国から、トラー=モーセの五書に記された神の教えを生きる事を

禁じら、神が禁じる汚れた動物を食せ、割礼を禁じ、そして、神の

モアデイム=レビ記23章を祝うならば、全員、投獄、重税を払えなら、餓死処刑された事が起きたのです。

この1世紀後半は、神殿が崩壊され、ユダヤ人達は110万以上処刑され、9000人近くが奴隷、捕虜、その他は、イスラエルから追放され、世界へ散らされて行ったのです。

そして、異邦人イエシュア信者は、黙示録2:4にヨハネが書いた警告通り、オリジナルの神の言葉=教え=モーセの五書=トラーを

ローマ帝国と西洋教父、カトリックが生きる事を禁じて命じた通りに捨てて、ユダヤ人の群れと、ヘブライトラーのパウロのような教師から離れて西洋人が作った宗教の教えへ移行して、ユダヤ人信者との関わりを、完全に絶ったのです。

だから、クリスチャンの中には、ヘブライ語でトラーを教えられ、

イエシュアや弟子や1世紀、聖書に書いてあるような生き方や、

レビ記23にある、神の創造された呼出し日、シャバット、新月、

過越や、仮庵など一切祝わなくなったのです。

体験上分かりませんか?その証拠に、クリスチャンで、イエシュアや弟子、聖書に書いてある通りのことを生きて、シャバット、新月、祭りを祝って成長し、信仰生活を送ってきた。先祖代々、ヘブライ聖書を暗記するほど、先祖代々学んでいるという人は、いないでしょう?

西洋宗教の教え、デイスペンセーション思想を通して、翻訳聖書の

解説を聞き、翻訳聖書を読むそれが普通です。ヘブライ聖書=原典

聖書に何が書かれているのかも、知らない、教えられていない。

日曜礼拝、クリスマス、イースター、聖書に書いてない、聖書では

誰も祝っていない、聖書に書かれてもいない、西洋人が昇天以降ずっと後に作った記念日を祝う、それが神に対しての純粋な礼拝と思って生きていると思うのです。

自分がそうだったから、よく分かるのです。

異邦人の残りの民の名誉のため記しますが、神に対する違反の教えの中にあっても、西洋人の宗教〜嘘に染まらず、1世紀の人たち同様、

トラーを生きて、神の記念日を生きていた少数の異邦人も存在していたのです!だから、アメリカのクリスチャンの中でも、クリスマスは異教神の祭り、シンボル、要素があり、神に対しての冒涜だから祝うな!という州の法律まであったのです。

1659年のマサチューセッツ州の法律。

少なくとも、聖書には、キリストの誕生が12月25日などと、

記されていない、キリストの誕生日を聖日として祝え!という神の

仰せはない、この2つの事実だけで、十分なのです。

西洋教父達の中でさえも、2世紀当時は、過越の祭りを今年はいつになるかなど話してあっていた人もいたのです。でも考えて下さい。

同調圧力!周りがみんな、長いものに巻かれた、今と同じく、

大衆が支持する宗教の教えや記念日に移行せざるを得なくなるでしょう。そして、いいさ!ジーザスを愛している事には変わり無いのだからという、その理由付けで自分を納得、安心させたのでしょう。

でも、神は混ぜ物の教えを、断固として忌み嫌う!と言っている意味

姦淫の罪など、許容しないのです。でも神は忍耐強いお方だから、

ずっと2000年近くも黙っている。ご自分の記念日が汚されても、神の言葉をクリスチャンが真っ向から、廃れた、無用と否定しても、黙って待っている。

神の声=言葉、真実に応答する人たちを待っているからです。

イスラエルに対しても、アバは同じだったでしょう。

 

クリスチャンの世界では、歴史の史実を正しく教えられていません。

このような反キリスト、イスラエルの神に敵対する人々を通して、

神の言葉、教えがバン、禁じられて、神の教えを生きる事、神のシャバットや祭りを祝うことを禁じられた事を知らないまま、イエシュアが来られて、イエシュアが神のトラー=モーセの五書を破棄されたなどという、全然聖書とは関係のない思想を信じて、世界へ伝えてしまっているのです。

私がハヌカという名前、祭りを知ったのは大学時代です。

社会学の教科書に、ユダヤ人がハヌカを祝っている写真と、その祭りの意味などが書かれていました。私はその時初めて、ハヌカという

祭りを知りました。そして、欧米人その他はクリスマスを祝い、

ユダヤ人はクリスマスの代わりにハヌカを祝うのかと思っていました。アメリカは、色々な人種で構成されています。

ユダヤ人の友人宅に、大学3年の半年間、住まわせてもらった事が

ありますが、旦那さんはドイツ系のアメリカ人でしたが、奥さんは

ユダヤ人でもハヌカに食べるポテトパンケーキを食べているのを見たくらいで、ユダヤ人らしいシャバットや、過越や仮庵、ハヌカを祝うなんて、一切していませんでした。彼らはクリスチャンだったので

多分、ユダヤ人なのにクリスチャナイズされて、同時に彼女の親も

ユダヤ人としての生き方を、全然していなかったと思います。

 

日本人が正月を祝うように、ユダヤ人は一般的にシャバットや祭りを

祝います。それは外国に住んでいるユダヤ人も同じです。

聖書的な意味は深く知らない、学ばない人も、普段忙しくてろくに

お料理をしない人も、シャバットでは、親戚や友人が、皆ご馳走を

作って、集まり盛大に祝います。

料理が作れない人は、ワインやハラーのパン、デザートを持ってきたりして分担し、それはそれは楽しいひとときを過ごすのです。

ユダヤ人だから、皆が熱心にトラーを学び、知っているわけではない

残念ながら、全然神に対して意識、興味もない人の方が多いのです。

今は国の戦争もあり、イスラエルの人の意識は大分変化しています。

テルアビブなど、アメリカのクリスチャンがSin city=罪の町と言う、ラスベガスみたいな感じで、不品行や、ドラッグ、LGBTQパレードが

行われてしまうような、それほど敗退した生き方をしている、大都会です。

ユダヤ人でも、ポークを食べる人がいます。それは神の教え=トラーを知らないからです。というか、神の教えを生きようという意識がないからです。関係ない!そう言う人が、あの例の流行病の時、率先して危険なあれを接種していて被害にあった人たちなのです。トラーを知る人は、その被害から守られたのです。人のDNA、自己免疫を破壊するような兵器は、人は取り入れてはならないものだからです。

何を目的に、あんなことをしていたのか、知った人もやりません。

なんでも、かんでも、無差別に知恵のないまま取り入れる、

世の中、良いと信じられているものが、実は、自分の健康を破壊し、

神が搭載した防御システムを破壊するものであるのは、多くの医者も

知らないまま、世の中の教科書〜嘘を信じているのです。

でもその中で真実を調べる人は、何が危険なのか、知っているのです。

クリスチャンが誤解している事は、イエシュアが来られて初めて、

贖い、許し、聖霊が与えられたと信じているでしょう。

そして、その事実を異邦人クリスチャンが知って、今の時代は異邦人クリスチャンが、最新の教え、モーセの五書より、より優れた教えを世界へ伝える役割、契約が異邦人の民に渡った、これ置換神学ですが、そう信じているでしょう?

福音は最初から同じ、永遠から同じであり、エデンの園から同じであり、アダム、ハヴァ、その子ら、アベルとカイン、ノア、アヴラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ〜全ての人は、同じ福音、イエシュアを

知っていたことを、クリスチャンは、聖書の最初の部分を、ヘブライ語で書いてある意味通り、教えられないから、書いてあっても読み取れないままいるのです。

だから、そのよう置換神学や、教えが変化する〜デイスペンセーション神学のような思想を信じてしまうのです。ユダヤ人とて、海外で

育ち、そのような思想に染まれば、ヘブライ語聖書を読みながら、

父なる神の花嫁は、ユダヤ人、イエシュアの花嫁は、異邦人、そして

異邦人とユダヤ人は天と地に永遠に分かれて、別々に統治するという

空想思想の作り話を語れるのです。

ユダヤ人の世界、メシアニックの群れの世界にも、逸脱した多くの

非聖書的創作の教えがあります。でも本物=神の言葉が分かれば、

それらの嘘は簡単に聖書から識別できます。とにかく、置換神学や、デイスペンセーション神学、人間の思想=神学から、ヘブライ聖書を解説するという場合、人の思想というプリズムを挟んで、聖書を曲げて解説しています!という意味ですから、それは、純粋な神の言葉=聖書の解説などではありえません。

人が知らなくてはならないものは、人の思想ではなく、神の言葉です!元に書かれている本当の意味、神=聖霊が意図する通りに学び

読み取り、理解し、そしてそれを実際に生きる事に反映させることです。聖書を教える人が、聖書に書かれたことと、語り継がれて浸透している教えに矛盾があることに気がついて、聖書を正しく学び直しさせすれば、必ず真実に気がつけるのに、それをしないのです。

いやできないのでしょう。色々な理由で。

3種類あります。

1 まるで神の教えに無関心!

2 混ぜ物の教えでもなんでも、そんなのはどうでもいいから、

何より愛が大事!という、はぐらかしをいう教えです。

3 本気で聖書に書かれた真実を追求したいと願い、実践し、

そして、神の教えを生きる事をする事!

 

この3タイプが存在するのです。

2は、混ぜ物の教えでもいい!愛が大事と、意味不明なことを信じています。

神が定義する愛とは、神の教え=トラー=モーセの五書に書かれた

神が人に伝えた生き方を熱心に求め、知り、それを生きる!それが

愛=愛とは契約=トラーに記されたことを人が生きる生き方を愛と

神は言っているのです。

 

続く